見出し画像

隣の芝生が、青く見えすぎる日に

SNSを見ていると、結婚している人がうらやましくなったり、自由に働いている人がまぶしく見えたり、たくさんの人に愛されているように見える人を見て、


「あの人、いいな」


って思うことがある。


隣の芝生が、青く見えすぎる日がある。


昔の私は、ずっと自分に足りないものを探していた。


もっとお金があったら。


もっと自信があったら。


もっと若かったら。


もっとちゃんとしていたら。


きっと幸せになれるのに。


そう思って、まだ持っていないものばかり数えていた。


でも、どれだけ頑張っても、足りないものばかり見ていると、心の中にはまた次の「足りない」が生まれてくる。


ひとつ手に入れても、今度はまた別のものが欲しくなる。


幸せになりたくて頑張っているはずなのに、いつの間にか、今の自分をずっと否定していた。


そんなとき、私は自然の中を歩く。


風に揺れる木を見る。足元に咲いている小さな花を見る。鳥の声に耳を澄ませる。雲がゆっくり形を変えながら、空を流れていくのを見る。


自然の中には、誰かに追いつこうとしているものがない。


木は、隣の木より高くなれないからって、自分を責めたりしない。


花は、ほかの花の色をうらやんで、咲くことをやめたりしない。


小さな草も、大きな木も、それぞれの場所で、それぞれの命を生きている。


自然と繋がるって、きれいな景色を見ることだけじゃないんだと思う。


自分も、誰かと比べるために生まれたんじゃなくて、この世界をつくっている、ひとつの命なんだと思い出すこと。


画面の中では、誰かの人生のきれいな部分だけが切り取られて流れてくる。


でも、自然の中には、咲いている花だけじゃなくて、枯れた葉もある。雨の日もあるし、何も芽を出さない冬もある。


それでも自然は、どの季節も失敗だなんて言わない。


何も起きていないように見える時間にも、土の下では、次の命が静かに準備されている。


私たちも、本当は同じなのかもしれない。


誰かより遅れているように感じる日も、何も手に入っていないように思う時期も、人生が止まっているとは限らない。


見えないところで、傷ついた心が少しずつ回復していたり、新しい自分の根が暗い土の中を静かに伸びていたりする。


だから私は、誰かと比べて苦しくなったときほど、空を見上げるようにしている。


風が肌に触れる感覚を確かめる。足の裏で地面を感じる。今ここにある、自分の呼吸へ戻っていく。


すると、


「私には何もない」


と思っていた心の中に、少しずつ今あるものが戻ってくる。


今日も歩ける足。


風を感じる肌。


鳥の声を聞ける耳。


誰かと笑った記憶。


温かいものを食べられること。


遠くまで歩いてきた自分。


そして、まだ幸せを願うことを諦めていない心。


もちろん、今あるもので満足して、願いを捨てなきゃいけないわけじゃない。


結婚したい。


愛されたい。


豊かになりたい。


自分らしく働きたい。


その願いは、持っていていい。


うらやましいって思ってもいい。


誰かの幸せを見て、胸が苦しくなる日があってもいい。


そんな自分を責めなくていい。


ただ、まだ手に入っていないもののために、今ここにある自分の命まで、なかったことにしなくていい。


隣の芝生が青く見えすぎる日は、誰かの庭を見つめ続けるんじゃなくて、自分の足元にしゃがんでみる。


そこには、気づかれないまま咲いていた花や、静かに伸び始めた芽があるかもしれない。


自然と繋がることは、遠くの森へ行くことだけじゃない。


比べることを少しだけやめて、今ここにある命へ、もう一度触れ直すこと。


私たちは、自然の外にいるんじゃない。


迷う日も、枯れたように感じる季節も、何も持っていないと思う瞬間も、初めからずっと、この大きな自然の中で生きている。


そして私たち自身も、静かに芽吹く時を待っている、自然の一部なんだと思う。


誰かと比べて落ち込んだときは、いつでもここに読みに帰ってきてね。


あなたの足元にも、まだ気づいていない小さな芽が、ちゃんと生きているから。

いいなと思ったら応援しよう!

O.a.O |わぁおな世界をみせたい いただいたチップは、旅や過去から得た経験、そして痛みからの学びを、私がLOVEへと変え、また皆さまへ笑顔を届けるために大切に使わせていただきます。 よろしくお願いします