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No.1953 ほうけたまひぬ

わが校には、退職者の会「桜美会」があります。「桜美(OB)会」とダジャレたもので、オジサマたちの、いかにも好きそうなネーミングです。おそらく、桜の頃に木の下に集いて「花見」かたがたお互いの「鼻見」(再会)をして、日々積もりゆく憂さ晴らしに興じようという趣の会のつもりで始められたのでしょう。「その心意気や善し!」です。

13年前に定年退職した私も、「桜美会」のメンバーに仲間入りしました。当時、94歳だった元校長が最古参でした。地方の私学でしたが、「官尊民卑」のしみついた土壌で、学校創設の当初から厳しく苦しい時代を乗り越えて来られた生え抜きの先輩たちです。その大先輩たちから、
「よう、頑張ったのう!」
と後輩たちを温かく迎え入れてくれた一言で、いっきに疲れがとれました。本当に有り難く思いました。

退職2年目の桜美会で、国語科先輩のT先生が「美味」について話しました。
出典は『菜根譚』前集七です。
 醲肥辛甘非眞味、
 眞味只是淡。
 神奇卓異非至人、
 至人只是常。
  
 醲肥辛甘は真味にあらず、
 真味は只だ是れ淡なり。
 神奇卓異は至人にあらず、
 至人はただ是れ常なり。
     
 濃い酒や脂ののった肉、辛い物や甘い物は、本物の美味い味ではない。
 本物の味というものは、ただ淡泊なものである。
 同様に、神妙にして奇異な才能を発揮する人は、道に達した人ではない。
 至人(活人?)というものは、無欲に徹した世間並みの尋常の人である。

中国の明代末期の人・洪自誠(1600年前後)の随筆集『菜根譚』(前集第七項)の言葉だそうですが、T先生は、その言葉を引用しながら、
「料理の真の味わいとは、濃くなくて、さらりとした淡白なものです。同様に、才能をひけらかすのではなく、無欲に淡々と生きることが大事です。」
という内容のことを、酒を酌み交わしながら語ってくれました。

T先生は、驕らず、気取らず、淡々とした生き方を実践してこられた人生の先輩です。「桜美会」に出席したご褒美に、食べ物の味にとどまらない処世訓や人生訓のようなお話まで聞くことが出来、とてもありがたい時間を過ごしました。

ところが、求心力のあった「桜美会」の会長さんが亡くなられ、さらにコロナ禍が追い打ちをかけ、OB会は沈黙の時に耐えなければなりませんでした。

二昨年だったか、O先輩教員が泉下の客となりました。急な訃報に驚き、集うた退職教員たちから「桜美会」の復活を望む声が多く聞かれ、その年から新たな会長のもとで「鼻見の会」がリスタートしました。

O先生の有り難い「復活の置き土産」でしたが、残念なことにT先輩の姿が見えません。幹事さんに尋ねたら、「物忘れに磨きがかかった」由でした。

「十年一昔」とは、それこそ昭和の人間の発想かもしれませんが、T先輩の健やかな脳をも奪い去っていった年月だと知りました。あれほど人に優しく、心豊かに生きて来られた人でさえ避けられない脳の病に、駑馬の私は、ちょっと打ちひしがれるような気持ちです。

『平成万葉集』(中央公論社、2017年3月刊)の中に、
〇「はい」「はい」と素直に我に従いて君はやさしく呆け給ひぬ
という神奈川県の女性(77歳)の歌がありました。T先生の品の良いお顔とお姿を思い浮かべました。


※画像は、クリエイター・雑記草(ざっきそう)さんの「美味しいもの」の1葉をかたじけなくしました。「美味求真」、淡白にして味わい深いフグは大分でも有名ですが、私には、おまみえ的存在です。それにしても、そそられる画像ですね。お礼を申し上げます。