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積極的分離 vol.1 「メタモルフォーシス」

秋の低い太陽は、部屋の奥まで優しい光を届けてくれる。
空気は少しひんやりしているけれど、日差しは思いのほか暖かくて体がぽかぽかする。


目を細めると、光の回折でまつ毛が虹色に見える。
上のまつ毛には大きな虹が、下のまつ毛には小さな虹が無数に生まれ、瞬きするたびに色が変化する。


その幻想的な光景を飽きもしないでずっと見ていた。
何も考えずに一人で過ごす時間を必要としていたから。
それは、心の準備が不十分なまま、心理的に強い衝撃を受ける経験をしたことによる。


いくつもの感情が一気に湧き起こり、それが記憶として自分の中に融合していった。
それは自分の一部になって、本当に大切にしたいもの、尊重したい価値観をよりはっきりさせてくれた。
それが内部に深い根を張っていくような感覚。


お腹があたたかい。
とても疲れているけれど、内面には強さを纏った優しさが住みついて、それがいままで感じたことのない、心強さや安心感をもたらしていた。


けれどもそれはほんの束の間のもので、日常生活に戻ったらあっけなく消えてしまうものではないかと半ば恐れていた。


ところが、不毛なやりとりという小石が投げ込まれ、小さな波紋ができるとしても、それは水面に溶けていくかのように静かにふっと消えていった。


外側の世界の騒がしさは、内面の深いところまでは届かなくなっていた。



心理学者カジミェシュ・ドンブロフスキ氏の「積極的分離」理論では、激しい精神的苦痛や葛藤は、人が成長するために必要な過程であると説明されている。


その過程には幾つかの段階があるが、それは一般的なランク付けや評価システムとは根本的に異なる。
また、この理論は1960年代頃に提唱されたもので、一過性のブームではない。


脳は他者との関係を通じて神経活動が活性化(発火)するように設計されている。
テクノロジーが進んでも、社会が変化しても、それは変わらない。


だとすれば、積極的分離はより本質的で健全な社会的つながりを再構築する転機となる。
無意識に抱いていた固定観念をいったんわきに置くと、探していた答えが見えてくる。


全体と個人の福祉のバランス、様々な価値観の調和。
それは、一番大切なことさえ見失わなければ、収まるところへ収まっていく。
時間がかかることはあっても。


そのことへの確信は、既成概念にとらわれない柔軟な思考や行動に繋がっていくように思える。


これは、自分に権限のない物事にせん越に立ち入るという事ではなく、人生の舵取りを他の人に委ねないという意味である。


いずれにしても、個人的には、成長の段階は行きつ戻りつすることがあると感じている。


積極的分離は激しい否定的感情を含む、またはかなりの苦痛を生み出す非常に抑圧的で情緒がかき乱される経験を乗り越えた、ギフテッドの子ども、あるいは大人の身に起こることであり、自発的に起こるものではない。


また分離の過程で起こる自己の葛藤は常に深い感情作用と連動しており、多数の人々が危機を前に行き詰まり、常に緊張、不安、うつ症状、精神的苦痛が伴う。

Wikipedia



ここ数年、のっぴきならない状況に巻き込まれていた。
守秘義務があり、誰にでも相談できることではなかったため孤独を感じていた。
それがほぼ収束しホッとしたのもつかの間、追い打ちをかけるように次の課題に直面することになった。


それは緊張、不安、恐れ、焦り、困惑、喪失感、そして苦痛をもたらした。
一方で、それは苦しみだけではなく、別の感情を湧き上がらせた。


ドンブロフスキは、積極的分離に伴う気分的うつや精神的苦痛は成長するために必要不可欠であり、その深い感情作用をもたらすものはOEであると結論づけている。

Wikipedia

(OE:通常よりも強烈に刺激を感じたり反応したりする特性)


感情性OE(Overexcitability)があると、喜怒哀楽などを強く経験する。
苦痛が大きい分、喜びも大きい
だとすると、深い感情作用をもたらすのは必ずしも苦しみだけとは限らないのかもしれない。


その後の人生観がひっくり返るような強い感情、たとえば、畏怖の念や、感謝などに揺り動かされ、それまでの自分の在り方がバラバラになり、再構築されることもある。


それがいわゆるドンブロフスキ氏により提唱された積極的分離と重なるか、重ならないかは分からない。
しかし、いずれにしてもそのような経験はターニングポイントとなる。


生物学者の福岡伸一ハカセはこう論じている。
「私たち人間は、蝶のように姿かたちを変えることはできませんが、自分の内面をメタモルフォーシスさせることはできます。
つまり考え方や見方、感じ方を変化させることができるのです」


わたしはいま、存在が肯定されていることを実感するときに生まれる、じんわりとした安心感に守られている。
それは誰にも触れられない。


だから、人から理解されなくても孤独は感じなくなった。
自分がわかっていればいいと思える。


そうは言っても、今後も外界からのノイズに疲れたり、自分を疑ったりすることはあるに違いない。
そのときはここに戻って、今日書き綴ったことを思い出そうと思う。


そして、色んな人に支えられていることへの感謝の気持ちを新鮮なものとして保っていきたい。


与えられている愛が大き過ぎてお返しできないけれど、受けたその優しさを、今度は次の誰かにペイ・フォワードできる人になりたい。



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