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[法華経の話1]法華経をどう読むか

絵画は国立奈良博物館藏「法華経曼荼羅」部分(室町時代)。塔に釈迦・多宝如来の二仏が坐す。ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

法華経曼荼羅

 日本の歴史と文化のなかで

もとめてもかかるはちすの露おきてき世にまたは帰るものかは

 この歌は平安中期の随筆集、清少納言せいしょうなごんの『枕草子まくらのそうし』第三十二段「菩提ぼだいといふ寺に」にあります。菩提寺という寺で催された結縁けちえんの八講に詣でたとき、「早く帰ってきなさい」と使いがきた。それで右の歌を蓮の葉の裏に書いて使いを帰したということです。

 八講とは法華経八巻(この巻数は決まっていて「八巻やまき」といえば法華経をさす)を午前・午後に1巻ずつ4日間にわたって読経し講釈する法会ほうえです。8人の僧が講師になり、1巻ずつ講じました。

 平安時代には寺や貴族の屋敷で八講がさかんにおこなわれました。それを催したり説経を聞いたりすることは功徳くどくを積む善業ぜんごうになります。
 結縁けちえんの八講は多くの人に仏と縁を結んでもらう法会です。清少納言は「ありがたい御八講に来て説経の声を蓮の露のように身に浴びているのに、早く帰ってこいと言われても、また憂き世(俗世間)になんか戻るものですか」と返事したのでした。

 しかし、清少納言がそんなに信心深かったかといえば怪しいところがあります。第三十一段には「説経の講師は顔がよいのがいい。講師の顔をじっと見つめてこそ説かれることが尊く思われる」と書いています。
 この段には、法華八講・経供養きょうくようの法会に集まった人々のようすがいろいろと書かれています。なかには場違いな「なまめき化粧」で浮かれた人もあり、嘆かわしく思われるというのですが、どうも彼女自身も顔と声のいいお坊さんの追っかけをやっていたようです。

 法会はにぎやかな催しでした。平安中期に貴族の源為憲みなもとのためのりが若い皇女のために書いた仏教入門書『三宝絵詞さんぽうえことば』には、提婆達多品だいばだったぼんが読まれる五巻の日には、「法華経をわが得しことはたきぎこり菜摘なつみ水汲み仕へてぞ得し」とうたいながら薪を背負って歩くと記されてます。前世に釈迦が国王だったとき、法華経を知りたいと出家して仙人に仕え、水を汲んだり薪を刈ったりして働いたと提婆達多品に説かれていることを神楽のように演じたのでしょう。

 『枕草子』第三十三段「小白川こしらかわという所は」は、小一条大将こいちじょうのたいしょうの小白川のおやしきで営まれた八講の朝座あさざ(午前の法会)に出かけた話。牛車ぎっしゃの駐め場所もないほど大勢の人が集まっていました。
 清少納言は、やりかけの仕事をほっておいて出かけたのですが、そのときの講師の清範せいはんという僧はあたりに光が満ちている気がするほどの美男子でした。
 清少納言は、この僧の話だけ聞いて帰ろうとしました。それを笑う人があったので「あなたも五千人の中にお入りになることがありますでしょ」と言ってやったと書いています。
 これは法華経の方便品ほうべんぽんに、五千人の僧が釈迦の説法の途中なのに聞こうとせずに去っていったというエピソード(五千起去の話)をふまえた言葉です。そんな話がさらっと出るほど、平安時代には法華経の内容がよく知られるようになっていたのでした。

 四日間の八講がおわると、僧たちに布施ふせの金品がわたされますが、平安時代の風聞を多く集めた『古事談こじだん』(成立は鎌倉時代初期)には藤原宗頼むねより邸での八講で布施に不満の僧が怒って放言に及んだという話(巻第三第八十三話)があります。なんだか堕落した印象ですが、堅苦しいばかりでは魅力に欠けます。法会は娯楽の場でもあったので、『枕草子』に清少納言が書いているように「なまめき化粧」で浮かれる人もあって仏法が広まっていったのでした。

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