チームみらいを止めなければまずい

1569文字


チームみらいという新興政治団体が、参議院選挙で議席を獲得した。


チームみらいの活動は、一見すると新鮮で魅力的に映るかもしれない。


SNSを通じた情報発信、クラウド上に展開されたプロダクト、日々の活動報告と小さな改善の積み重ね。こうした取り組みは、「声を届けやすくする」という旗印のもと行われている。


しかし、冷静に見れば、そこに制度設計への洞察や、統治を担う者としての自覚は見られない。基盤となる技術は主にGAFAに依存し、彼らの掲げるデジタル民主主義は、おままごとにすぎない。



しかも、そのことに無自覚なまま、自分たちを政治のゲームチェンジャーだと標榜している。これを浅はかと言わずして、何と表現すべきだろうか。


権力を握るべき者とは、単に声を上げる者でも、発信に長けた者でもない。政治とは、誰が責任を取り、いかに持続可能な制度を築くかという問いである。


速さや拡散力といった論理で捉えるならば、統治の原理は崩壊する。


私は今回、参政党に投票した。声の大きさで政治が決まるなら、制度は不要である。


私たちが今問い直すべきは、誰に統治を委ねるのかではなく、どのように社会を支えるか、だと思う。


無責任な革新に抗うことが、今の日本に必要な政治的選択だと思う。


私は参政党の熱心な支持者ではない。


昨年、ある地方議員と話す機会があり、参政党に関しては、意外とちゃんとしているという印象を持った。


そして今回の選挙が近づく中、彼らの勢いを肌で感じていた。賛成でも反対でもなく、ただ観察者として眺めていた。


今朝、目が覚めて最初に目に飛び込んできたのは、神谷宗幣党首の演説だった。何気なく再生したその動画に、私は不覚にも涙を流してしまった。


内容のすべてに同意したわけではないが、彼の切実さと真剣さに、心が動かされた。


その瞬間、私は立ち上がり、投票所へ向かった。


思い返せば、ずっと前に自宅のポストに参政党のチラシが入っていた。あのときは何も考えずに捨てたんだけど、確かに届いていたのだ。


この国にはまだ、変わる余地がある。声は届く。考えは伝わる。

それを一番信じていなかったのは、他でもない、私自身だったのかもしれない。


新興の政治団体が議席を取ることに対する危機感と、そこに託された真剣な思いの両者は矛盾しない。むしろ、今という時代はその矛盾を内包したまま、前に進もうとしている。


だからこそ、私たちは一つひとつの選択に、もう少し誠実でありたいと思う。過剰な熱狂にも、過度な冷笑にも傾かず、耳を澄ませること。自らの感情と理性を手放さないことが、次の社会の足場になると信じている。



今回、選挙に行かなかった若者は全員カスだと思う。


少し乱暴に聞こえるかもしれない。しかし、この国に暮らし、言葉を使い、制度に守られ、未来を望む以上、選挙に行かないことは、単なる権力の放棄でしかない。


権利とは、使わなければ存在しないも同然だ。主権とは、投票行動によってしか表明できない。

それを放棄して、あとになって文句だけを言うなら、それは国家運営を舐めているだけである。


選挙に行かない理由はいくらでも用意できる。忙しい、意味がない、誰も信じられない。けれど、そんな言い訳を超えて、自分の意思を一票に込めること。


投票は社会のためではなく、自分のためにするものだ。

自分が暮らすこの国を、誰かに丸投げしないためにする。

それを放棄した若者が「社会が悪い」と言うのは、悪いのはまず自分だという認識の欠如でしかない。


今回選挙に行かなかった若者は、全員カスだと思う。


次はない。やり直せない。今回何もしなかった人が、今後何かできるはずがない。


声を上げ、足を運び、責任を引き受けること。

それが「大人になる」ということだ。社会を変えるとか、大仰な話ではない。せめて、自分自身に対して誠実であれ。それだけのことだ。







いいなと思ったら応援しよう!