仕事は、人と人の間に生まれるカンボジアで学んだ開拓精神
おはようございます。
62歳から人生後半の再挑戦を続けている、
ランタン親父です。
相談室の机の上に、
古いビデオテープが一本、置かれていました。

今ではもう、
再生する機械を探す方が難しいかもしれません。
けれど私には、
その古いテープを見るだけで、
耳の奥に戻ってくる音があります。
巻き戻しの音。
再生ボタンを押す音。
同じ場面を、何度も何度も繰り返した時間。
💙フィーブルが、
青いヘッドホンに手を当てながら言いました。
「これは、映像データですね。解析しますか?」
クラークくんは、
少し真面目な顔でテープを見つめました。
「英語学習の記録でしょうか。再生回数を数えれば、
努力量が分かるかもしれません」
私は、少し笑いました。
「たぶん、
それだけじゃないんだよ」
窓際では、
💛クリスタルが静かに手を組んでいます。
アンコールは、
何も言わずに、
古いビデオテープのそばにある小さな灯りを見つめていました。
あのテープには、
英語の音だけが残っているのではありません。
そこには、
届かなかった声が残っているのです。

最初から、英語が話せたわけではありません
私は最初から、
英語が話せたわけではありません。
海外で仕事をしていた。
カンボジアで人と人の間に入ってきた。
中国語やクメール語にも触れてきた。
そう聞くと、
最初から語学が得意だったように思われるかもしれません。
でも、そうではありません。
最初は、
英語すらうまく話せませんでした。
発音も違う。
聞き取れない。
言いたいことがあるのに、口から出てこない。
頭の中には言葉があるのに、
相手には届かない。
それは、思っている以上に悔しいものです。
言いたいことがある。
伝えたいことがある。
でも、届かない。
その時、人は少しずつ黙ってしまいます。
「どうせ伝わらない」
「笑われるかもしれない」
「間違えたら恥ずかしい」
そう思うと、
言葉は喉の奥で止まってしまいます。
私は、その感覚を知っています。

英会話スクールではなく、環境を作った
当時の私は、
英会話スクールに通って学んだわけではありません。
お金をかけて、
整った環境を用意したわけでもありません。
必要だったから、
自分で環境を作りました。
英語ができれば、
世界へ行けるかもしれない。
英語ができれば、
自分の可能性を広げられるかもしれない。
そう思っていました。
だから、
日本にいながら、
ネイティブの人と話せる環境を探しました。
話せる場所を探し、
聞ける場所を探し、
自分の耳と口を、少しずつ変えていきました。
でも、いきなり話せるようにはなりません。
そこで私が何度も使ったのが、
アメリカ映画のビデオテープでした。

ビデオテープがすり減るほど、聞いた
当時、
アメリカ映画を何度も見ました。
ただ見るのではありません。
同じ場面を止める。
巻き戻す。
もう一度聞く。
同じセリフを口に出す。
また違う。
また戻す。
また言う。
その繰り返しでした。
ビデオテープが、
本当にすり減るほど見ました。

字幕を追うだけではなく、
その人がどんな気持ちでその言葉を言っているのかを考えました。
🔷 怒っているのか。
🔷 悲しんでいるのか。
🔷 皮肉なのか。
🔷 冗談なのか。
🔷 本気なのか。
言葉は、
単語だけではありません。

🔷 声の高さ。
🔷 間。
🔷 表情。
🔷 相手との距離。
🔷 その場の空気。
そこまで含めて、
初めて言葉は届くのだと知りました。

言葉は、正しさだけでは届かない
クラークくんが、
ノートに何かを書きながら言いました。
「つまり、
単語と文法だけでは足りないということですね」
私はうなずきました。
「そうだね。
正しいだけでは、届かないことがある」
英語を学びながら、
私は少しずつ分かっていきました。
相手に伝えるということは、
正解を並べることではありません。
相手が受け取れる形にすること。
その人の表情を見て、
今どこで止まっているのかを感じること。
言葉が届いているのか。
ただ音として流れているだけなのか。
そこを見なければ、
会話にはなりません。
これは、あとになって、
中国語やクメール語を学ぶ時にもつながっていきました。
そして、
カンボジアで人と人の間に入り、
仕事を作っていく時にも、
ずっと必要になった力でした。

うまく話せない人を、急がせたくない
💙フィーブルが言いました。
「では、今の相談室でも、まず正しい文章を出せばいいのでは?」
クラークくんも、
少し考えながら言いました。
「プロフィール、固定記事、導線。構造を整えれば、かなり改善できます」
私は、二人の言葉を聞きながら、
古いビデオテープに手を置きました。
「それも大事なんだ。
でも、
その前に聞かないといけない声がある」
noteを書こうとして、
手が止まる人がいます。
書くことがないと思っている人がいます。
自分の経験なんて、
誰が読むのだろうと思っている人がいます。
でも私は、
その人の中に何もないとは思いません。
まだ言葉になっていないだけかもしれない。
まだ誰かに話していないだけかもしれない。
まだ、自分でも価値に気づいていないだけかもしれない。
だから私は、
うまく話せない人を急がせたくありません。
まとまっていなくてもいい。
順番が違っていてもいい。
話が行ったり来たりしてもいい。
その中に、
その人にしかない声が残っていることがあるからです。

届かなかった声を知っているから
私は、
言葉が届かない悔しさを知っています。
言いたいことがあるのに、
相手に届かない。
伝えたい気持ちはあるのに、
口から出てきた言葉が違ってしまう。
🔷 笑われるのではないか。
🔷 間違っているのではないか。
🔷 こんなことを言っても意味がないのではないか。
そう思うと、
人は黙ります。
でも、黙ったからといって、
声が消えたわけではありません。
心の中には、
まだ言葉になっていないものが残っています。
私は、それを急いで形にしたいのではありません。
まず、受け取りたいのです。
その人が、
何を守ってきたのか。
どこで悔しい思いをしたのか。
なぜ、それでも続けてきたのか。
本当は誰に、何を届けたいのか。
その声を受け取ってからでないと、
文章も、プロフィールも、固定記事も、
本当の意味では整わないと思っています。

古いビデオテープが教えてくれたこと
アンコールが、
ゆっくりと古いビデオテープを見つめています。
その姿を見ながら、
私は思いました。
あの頃、
私は英語を覚えようとしていたのだと思っていました。
でも本当は、
言葉を届ける練習をしていたのかもしれません。
🔷 相手の音を聞く。
🔷 相手の気持ちを感じる。
🔷 自分の声を、届く形に変える。
その繰り返しでした。
そして今、
私はnoteの相談室で、
同じことをしているのかもしれません。
ただ文章を直すのではなく、
その人の中にある声を聞く。

ただ整えるのではなく、
届く形を一緒に探す。
古いビデオテープに残っていたのは、
英語の勉強の記録だけではありませんでした。
そこには、
届かなかった声を、
どうにか届けようとしていた私が残っていました。

仕事は、人と人の間に生まれる
このカンボジアの話は、
ただの海外経験の話ではありません。
私が伝えたいのは、
仕事は、
いつも人と人の間に生まれてきたということです。
言葉が届かないところに、
通訳のような役割が生まれる。
価値が見えないところに、
置き場所を変える仕事が生まれる。
誰かの経験が埋もれているところに、
それを読者へ届く形に整える仕事が生まれる。
私はカンボジアで、
何度もそのことを見てきました。
そして今、
noteを書いている人たちの中にも、
同じようにまだ見つかっていない灯りがあると思っています。
書けないのではなく、
まだ届く形になっていないだけかもしれない。
価値がないのではなく、
まだ置き場所が見つかっていないだけかもしれない。
私は、
その灯りを一緒に見つけていきたいと思っています。
古いビデオテープに残っていた、
届かなかった声。
それが、
私のカンボジアでの仕事の始まりにつながっていきました。
次回は、
英語が中国語とクメール語への扉になっていった話を、
少し書いてみたいと思います。
▼ 人生後半のnote相談室の羅針盤 V3.0
まずは15分だけでも大丈夫です。
プロフィールや固定記事を整える前に、
あなたの中にある言葉を一緒に見つける時間を作れたらと思っています。
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この言葉は、案内所時代から大切にしている私たちの合言葉です。
フォローとスキ、 いつも本当にありがとうございます。
この案内所は、 私ひとりで歩く場所ではありません。
💙フィーブルも、🟢クラークくんも、🟤アンコールも、💛クリスタルも、 そして、そばで見守ってくれる家族も。
みんなで手を取り合って、 このまま進んでいきたいと思っています。
「手を取り合ってこのまま行こう。」
Always。
ランタン親父より。

