症状が見えない障害の難しさ

導入文

「元気そうに見えるのに、本当にそんなにつらいのだろうか」

「普通に会話ができているなら、配慮は必要ないのではないか」

「病気のことを説明しなければ理解されない。でも、知られるのも怖い」

精神障害のある人は、このような難しさを抱えることがあります。

けがのように傷が見えるわけではありません。

熱のように、数字だけでつらさを示せるとも限りません。

笑顔で話していることもあります。

買い物へ行ける日もあります。

短い時間なら仕事や学校に参加できることもあります。

その一場面だけを見た周囲から、「思っていたより元気そう」「もう大丈夫なのでは」と判断されてしまうことがあります。

しかし、外から見える姿と、本人が内側で抱えている症状は同じではありません。

人前で何とか振る舞ったあと、帰宅して動けなくなることがあります。

不安を隠しながら会話を続け、終わった途端に疲れ切ることもあります。

症状が見えない障害の難しさは、単に周囲が気づきにくいことだけではありません。

つらさを信じてもらうために説明を求められること。

配慮を受けるために、話したくない病気のことまで伝えなければならないこと。

調子の良い姿を見せると、支援が不要だと思われること。

反対に病名を伝えると、能力まで低く見られること。

こうした矛盾の中で、当事者は暮らしています。

この記事では、精神障害の症状が見えないことで生じる難しさを、当事者、家族、支援者、職場、学校、地域の視点から考えていきます。

見えないことと、存在しないことは違う

精神障害では、気分、思考、不安、意欲、集中力、疲れやすさ、睡眠などに変化が現れることがあります。

例えば、うつ病では、気分の落ち込みだけでなく、何かを始める力が出ない、判断に時間がかかる、強く疲れるといった状態が現れることがあります。

不安障害や社交不安障害では、周囲には落ち着いて見えても、本人の中では失敗や評価への不安が続いている場合があります。

パニック障害では、発作が起きていない時間は普通に見えても、「また起きるのではないか」という不安から、電車や店などを避けることがあります。
強迫性障害では、外からは几帳面に見える行動の裏で、確認や手洗いをやめられず、長い時間を使っていることがあります。

統合失調症では、症状が落ち着いて見える時期でも、疲れやすさや集中の難しさが残ることがあります。

双極性障害では、うつ状態と気分が高まる時期で、周囲から見える姿が大きく変わることがあります。

精神障害は、いつも同じ症状が表に出るわけではありません。

見えないことは、症状がないことを意味しません。

短い時間だけできることと、毎日安定して続けられることも違います。

元気に見せることが負担になる

精神障害のある人の中には、周囲に心配をかけないため、症状を隠して振る舞う人がいます。

職場で笑顔をつくる。

学校で友人に合わせて話す。

家族の前で「大丈夫」と答える。

病院でも、うまく説明できず「特に変わりません」と言ってしまう。

それは、うそをついているという意味ではありません。

弱いと思われたくない。

仕事を失いたくない。

友人に距離を置かれたくない。

家族を不安にさせたくない。

さまざまな理由から、つらさを隠すことがあります。

しかし、元気に見せるためにも力を使います。

表情を整え、不安を表に出さず、周囲の反応を気にしながら会話を続けます。

外で普通に振る舞えたとしても、そのために一日の力を使い切っている場合があります。

元気そうに見えたことを、回復した証拠と決めつけないことが大切です。

症状を説明し続けなければならない疲れ

見えない障害では、必要な支援を受けるたびに、自分の状態を説明しなければならないことがあります。

なぜ朝から参加できないのか。

なぜ人の多い場所を避けたいのか。

なぜ急な予定変更が難しいのか。

なぜ短い休憩が必要なのか。

本人にとっては毎日続いている困りごとでも、初めて会う相手には一から説明しなければなりません。

説明しても、「誰でも不安になる」「疲れるのはみんな同じ」と返されることがあります。

もっと詳しい理由を求められ、病名、治療、服薬、過去の体験など、話したくないことまで伝えなければならないと感じる場合もあります。

自分のつらさを証明し続けることは、大きな負担です。

しかも、調子が悪いときほど、考えを整理して説明することが難しくなります。
支援する側は、本人が説明できないことを、困りごとがない証拠にしないことが大切です。

口頭だけでなく、メモ、メール、支援者の同席など、伝えやすい方法を選べるようにする必要があります。

病気を伝えるか、隠すかという迷い

精神障害が見えないからこそ、本人は病気を伝えるかどうかを選ばなければならない場面があります。

職場に伝えれば配慮を受けやすくなるかもしれない。

しかし、仕事を任せてもらえなくなるのではないか。

学校に相談すれば参加方法を調整できるかもしれない。

しかし、友人や他の教職員に知られるのではないか。

こうした不安があります。

病気や障害について、誰に、どこまで、どのように伝えるかは、とても個人的な問題です。

配慮を求めるために、すべての病歴を公開しなければならないわけではありません。

「午後からの方が安定して参加できる」

「口頭の指示が重なると混乱しやすいので、優先順位を文章で確認したい」

「体調が悪化したときに、静かな場所で休みたい」

このように、病名だけでなく、困っていることと必要な調整を伝える方法もあります。

周囲が知る必要のない情報まで広げないことも重要です。

本人の同意を確認し、プライバシーを守りながら支援を考える必要があります。

調子の波が信頼を失わせることがある

症状が見えない障害では、調子の波も誤解につながります。

先週は出勤できたのに、今週は休んでいる。

昨日は友人と話していたのに、今日は連絡に返事がない。

午前中は動けなかったのに、夕方には買い物へ行けた。

このような変化を見ると、周囲は「本当に具合が悪いのか」と疑うことがあります。

しかし、精神障害の症状や使える力は、睡眠、疲労、緊張、人間関係、環境、服薬、予定の重なりなどによって変わります。

一度できたことが、毎回同じようにできるとは限りません。

また、ある活動ができても、別の活動に必要な力が残っているとは限りません。

自宅近くの店へ短時間行くことと、決められた時間に出勤し、何時間も判断や対人対応を続けることは、負担が違います。

状態の変化を矛盾と見るのではなく、どのような条件で症状が強くなり、どのような方法なら参加しやすいかを見ることが大切です。

家族だからすべて分かるとは限らない
家族は本人の近くにいるため、変化に気づきやすい存在です。

その一方で、家族だからこそ見えない部分もあります。

本人が家では横になっている姿だけを見ている場合、外でどれほど力を使っているか分からないことがあります。

反対に、家では元気に話せるため、職場や学校で困っていることを想像しにくい場合もあります。

「家では普通なのに」

「外出できたのだから大丈夫ではないか」

そのような言葉が、本人には「信じてもらえない」と感じられることがあります。

家族がすべてを理解できないのは当然です。

大切なのは、分かったつもりにならず、本人の話を聞くことです。

「外にいるときと家にいるときで、違いはある?」

「どの場面が一番つらい?」

「今は話を聞く方がよい? それとも一緒に方法を考える?」

このように確認することで、本人が話しやすくなります。

職場では結果だけで評価されやすい

職場では、仕事の結果や出勤状況が重視されます。

そのため、見えない症状による困りごとが、能力や意欲の問題として扱われることがあります。

集中力が落ちて作業に時間がかかる。

不安が強く、電話対応が難しい。

急な指示変更で混乱する。

人の多い場所で疲れやすい。

通院や休息が必要になる。

これらを本人の努力だけに任せると、無理を重ね、休職や離職につながる場合があります。

職場で必要なのは、病名から一律に対応を決めることではありません。

業務の優先順位を明確にする。

指示を一つずつ伝える。

相談担当者を決める。

静かに休める場所を用意する。

出退勤時刻や休憩、業務量を調整する。

本人と定期的に状況を確認する。

合理的配慮とは、本人だけを特別に優遇することではありません。

障害によって生じている働きにくさを減らし、持っている力を発揮しやすくするための話し合いと調整です。

学校では困ってから説明を求められやすい

学校でも、症状が目に見えないことで支援が遅れることがあります。

授業中は静かに座っているため、問題がないと思われる。

欠席が増えてから、初めて不調に気づかれる。

試験は受けられたため、毎日の授業にも参加できると思われる。

友人と話せるため、集団生活に困っていないと判断される。
しかし、本人は教室の刺激や対人不安に耐え続け、家に帰ると動けなくなっているかもしれません。

学校では、欠席や成績だけではなく、本人がどの場面で力を使い、何に困っているかを確認することが重要です。

登校時間を調整する。

別室やオンラインで参加する。

発表方法を変える。

課題量や期限を相談する。

安心して話せる担当者を決める。

一度決めた配慮も、状態に合わせて見直す。

本人、保護者、学校が対話しながら、その人に合う学び方を考えることが必要です。

支援者は「見える証拠」だけを求めない

支援者は、制度やサービスにつなぐために、本人の状態を確認する必要があります。

しかし、確認が「困っていることを証明してください」という形になると、本人を追い詰めることがあります。

一回の面談で落ち着いて話せた。

質問に答えられた。

身だしなみが整っていた。

その姿だけで、日常生活全体に問題がないとは判断できません。

面談のために何日も前から準備し、終わったあとに長く休んでいる可能性もあります。

支援者には、その場でできたことだけでなく、活動の前後に必要な準備や休息、継続の難しさを見る視点が必要です。

本人の話、生活記録、家族や関係者からの情報、医療機関の見立てなどを組み合わせ、生活全体を捉えることが大切です。

見える障害と見えない障害の間に線を引かない

私は視覚障害当事者であり、盲導犬と生活しています。

盲導犬や白杖などがあれば、周囲は視覚に障害があることに気づきやすくなります。

それでも、どの程度見えているのか、何ができて何が難しいのかまでは、外見だけでは分かりません。

障害が見える場合でも、必要な支援がすべて自動的に伝わるわけではないのです。

精神障害では、障害そのものが外から気づかれにくいため、さらに本人の説明へ頼りやすくなります。

だからといって、見える障害と見えない障害のどちらが大変かを比べる必要はありません。

共通して必要なのは、外見や思い込みだけで判断せず、本人に確認することです。

「何を手伝えばよいですか」

「どの方法なら参加しやすいですか」

その一言が、必要のない決めつけを減らします。

見えなくても支援できる社会へ

すべての症状を周囲が理解することは難しいと思います。
本人自身も、その日の状態をうまく説明できないことがあります。

必要なのは、完全に理解してから支援するという考え方ではありません。

分からない部分があっても、本人の困りごとを否定しないこと。

必要な情報だけを確認し、プライバシーを守ること。

一度決めた方法が合わなければ、話し合って見直すこと。

本人が説明できないときは、別の伝え方や支援者の力を借りること。

このような柔軟さが大切です。

見えない障害に配慮できる社会は、本人が常に自分のつらさを証明しなくてもよい社会です。

病名を知らなくても、困っていることを聞き、現実的な方法を一緒に考えられる社会です。

まとめ

症状が見えない障害の難しさは、周囲が気づきにくいことだけではありません。

元気に見える姿を、本当の状態のすべてだと思われること。

支援を受けるために、つらさを何度も説明しなければならないこと。

病気を伝えれば偏見を受けるかもしれず、隠せば配慮を受けにくくなること。

症状の波を矛盾やうそだと思われること。

こうした負担が、当事者の生活に重なっています。

精神障害では、病気によっても人によっても困りごとは異なります。

同じ人でも、日や時間、環境によって状態は変わります。

短時間できたことが、毎日続けられるとは限りません。

笑顔で話せたことが、不安や疲れがない証拠にもなりません。

周囲に必要なのは、見えない症状を想像だけで決めつけることではありません。

本人へ確認すること。

話せる範囲を尊重すること。

病名だけでなく、具体的な困りごとと必要な調整を見ること。

一度決めた支援を、状態に合わせて見直すことです。

家族も、本人のすべてを分かっていなければならないわけではありません。

職場や学校も、完全に症状を理解するまで配慮できないわけではありません。

支援者も、その場で見えた姿だけで生活全体を判断しないことが大切です。

症状が見えなくても、本人の言葉を信じ、対話を重ねることはできます。

困りごとが外から確認できなくても、参加しやすい環境を一緒に考えることはできます。

本人が自分のつらさを証明し続けなくても、必要な支援につながれる社会へ。

見えるか見えないかで支援の必要性を決めず、一人ひとりの生活と希望を見ること。
その積み重ねが、精神障害のある人もない人も安心して暮らせる共生社会につながります。

次回は、不登校シリーズの当事者編「学校が怖いと感じるのはなぜか」について解説します。

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