学校や職場で傷ついた経験が残る理由

導入文

卒業して何年もたっているのに、制服姿の学生を見ると胸が苦しくなる。

退職した職場とは関係のない会社なのに、上司のような強い口調を聞くと体が固まる。

昔の同級生や元同僚の名前を耳にしただけで、当時の言葉や表情がよみがえる。

周囲からは、

「もう終わったことだよ」

「今いる場所は違うよ」

「いつまでも気にしていたら前へ進めないよ」

と言われるかもしれません。

本人も、頭では過去の出来事だとわかっています。

それでも、学校や職場へ戻ること、人と関わること、再び何かに挑戦することが怖くなる場合があります。

学校や職場で傷ついた経験が残るのは、本人が過去にこだわっているからとは限りません。

その出来事によって、人や集団に対する安心、自分への信頼、困った時には助けてもらえるという感覚まで揺らいでいることがあるからです。

今回は、学校や職場で受けた傷が長く残る理由と、本人、家族、支援者、学校、企業ができることについて考えます。

1.出来事が終わっても、心と体の警戒は終わらない

学校を卒業した。

会社を辞めた。

つらく当たってきた人とは、もう会わない。

状況だけを見れば、苦しかった出来事は終わっています。

しかし、心と体がすぐに安心を取り戻せるとは限りません。

教室で笑われた経験がある人は、別の場所でも小さな笑い声に敏感になることがあります。

上司から何度も大声で叱られた人は、関係のない人の強い口調にも緊張するかもしれません。

過去と似た音、言葉、場所、雰囲気を感じた時、心や体が「また同じことが起きるかもしれない」と警戒するのです。

フラッシュバックとは、過去のつらい体験が、今起きていることのように鮮明によみがえる反応です。国立精神・神経医療研究センターも、強い衝撃を受けた後、本人の意思とは関係なく記憶がよみがえったり、不安や緊張が続いたりする場合があると説明しています。

ただし、つらい経験が長く残っている人が、すべてPTSDに当てはまるわけではありません。

診断名を決めつけるのではなく、今の生活にどのような影響が出ているかを見ることが大切です。

2.一度の大きな出来事だけが傷になるわけではない
心の傷というと、誰が見ても深刻だとわかる出来事を想像するかもしれません。

しかし、目立たない出来事が繰り返されたことで、安心を失う人もいます。

毎日のように無視された。

質問するたびに嫌な顔をされた。

失敗を人前で笑われた。

自分だけ連絡を回してもらえなかった。

相談しても「気にしすぎ」と流された。

一つひとつは小さく見えても、逃げにくい環境で何度も続けば、本人の心は少しずつ削られていきます。

学校や職場は、一日の多くを過ごす場所です。

明日も行かなければならない。

簡単には人間関係を変えられない。

休めば理由を聞かれる。

そのような状況が続くと、本人は常に周囲を警戒するようになります。

傷つきの深さは、出来事の大きさだけでは判断できません。

どのくらい続いたのか。

逃げられる場所があったのか。

助けを求めた時に守られたのか。

そうした背景まで考える必要があります。

3.「自分にも原因があった」と責め続けてしまう

いじめやハラスメントを受けた人が、自分を責めることがあります。

もっと上手に話せばよかった。

仕事が遅かった自分にも問題がある。

空気を読めなかったから嫌われた。

学校を休まずに行けば、関係は悪くならなかった。

誰にでも失敗や苦手なことはあります。

しかし、失敗したことと、人格を否定されたり、集団から排除されたりしてよいことは別です。

文部科学省の基本方針では、いじめは単に謝罪を受けただけで安易に解消したと判断せず、行為が止まっていることに加え、本人が心身の苦痛を感じていないかを確認する必要があるとされています。

本人が自分を責め続ける背景には、周囲から、

「あなたにも悪いところがあった」

「もう少し周りに合わせればよかった」

と言われた経験があるかもしれません。

回復するためには、正しいか間違っているかをすぐ判断するよりも、

「それはつらかったね」

「怖かったと感じたことは間違いではないよ」

と、本人の苦しさを認めてもらえる関係が必要です。

4.助けを求めても守られなかった経験

勇気を出して先生に話したのに、「少し様子を見よう」と言われた。

家族に相談したのに、「もう少し頑張ってみたら」と励まされた。

職場の相談窓口へ伝えたのに、証拠が足りないとして対応されなかった。
このような場合、最初の出来事だけでなく、助けを求めた後の反応も傷として残ります。

本人は、

「困っても誰も助けてくれない」

「話せば、自分の方が悪く見られる」

「相談しても状況は変わらない」

と感じるようになります。

そのため、別の支援者が丁寧に声をかけても、すぐには信じられないことがあります。

相談を拒む姿だけを見て、「本人は支援を求めていない」と決めつけてはいけません。

過去に信じて話した結果、さらに傷ついた経験があるのかもしれません。

5.信頼は説明だけでは取り戻せない

「私は味方だから、信用してほしい」

そう言われても、失った信頼がすぐに戻るとは限りません。

信頼は、言葉だけではなく、実際の関わりの積み重ねによって生まれます。

話した内容を本人の許可なく他の人へ広げない。

約束した時間や方法を守る。

断られても態度を変えない。

できないことを責めない。

本人に確認せず予定を決めない。

このような小さな安心が繰り返されることで、本人は少しずつ、

「この人なら話しても大丈夫かもしれない」

と感じられるようになります。

一度会えたからといって、すぐに深い話を求めないことも大切です。

信頼関係を築くには、本人が考えるための時間も必要です。

6.場所や音、言葉が記憶のスイッチになる

過去を思い出すきっかけは、本人にもわかりやすいものばかりではありません。

学校のチャイム。

廊下を歩く足音。

電話の着信音。

スーツ姿の人。

「普通はできるよね」という言葉。

似たにおいや声の調子によって、当時の緊張が急によみがえる場合があります。

その反応は、気持ちだけに表れるとは限りません。

頭痛。

吐き気。

動悸。

手の震え。

体のこわばり。

急に何も考えられなくなる。

本人にも理由がわからず、「どうしてこんなことで苦しくなるのだろう」と自分を責めることがあります。

その時に、「もう安全だから」「考えすぎだよ」と説明しても、すぐには落ち着けないかもしれません。

まずは静かな場所へ移る。

会話を中断する。

帰る選択肢を示す。

安心できる人のそばで休む。

現在の安全を取り戻すことが先です。

7.避けることは、自分を守る方法だった

学校の話題を避ける。

求人を見ない。

同年代の人と会わない。
電話に出ない。

ひきこもり状態にある人のこうした行動は、周囲からは逃げているように見えるかもしれません。

しかし本人にとっては、再び傷つくことを防ぐための方法だった可能性があります。

避ければ、その瞬間の苦しさは軽くなります。

一方で、避ける場所や相手が増えると、学校や職場だけではなく、買い物、相談、家族との会話まで難しくなることがあります。

だからといって、急に怖いものへ向き合わせればよいわけではありません。

安全だと感じられる人と短く話す。

学校や就職とは関係のない居場所を利用する。

対面ではなく、文字で相談する。

途中でやめられる条件で試す。

自分を守るために必要だった行動を否定せず、別の安全な方法を少しずつ増やすことが大切です。

8.不登校になった後も学校での傷は続く

不登校になれば、つらかった教室から離れることはできます。

しかし、学校との関係が完全に終わるわけではありません。

担任からの電話。

同級生の訪問。

テストや進路に関する連絡。

近所で見かける制服姿。

本人にとっては、学校を思い出す機会が続きます。

復学だけを目標にすると、

「相談したら学校へ戻される」

「気持ちを話したら先生を連れてこられる」

と感じ、誰にも話せなくなることがあります。

最初に考えたいのは、学校へ戻れるかどうかではありません。

本人が何に傷つき、今は何を怖いと感じているのかを知ることです。

別室で学ぶ。

オンラインで学ぶ。

学校外の居場所を利用する。

進路を変更する。

学び方や人とのつながり方は一つではありません。

9.職場を離れても働くことへの怖さは残る

退職すれば、苦しかった職場から離れることができます。

しかし、

「次の会社でも同じことが起きるのではないか」

という不安が残る場合があります。

求人票の「明るく活気のある職場」という言葉に緊張する。

面接官の強い口調から、以前の上司を思い出す。

職場見学で大きな声が聞こえ、応募を取りやめる。

本人は働く意欲がないのではなく、再び傷ついた時に、自分を立て直せる自信を失っているのかもしれません。

厚生労働省の「こころの耳」でも、職場のパワーハラスメントによって、仕事への意欲低下、不眠、休職や通院などにつながる場合があると紹介されています。
再就職を急ぐ前に、以前の職場で何が負担だったのかを整理することが必要です。

指示の出し方。

勤務時間。

業務量。

人間関係。

相談方法。

休みやすさ。

同じ苦しさを繰り返さないための条件を探すことは、後ろ向きな行動ではありません。

10.発達障害などの特性と傷つきが重なる場合

発達障害などの特性がある人は、曖昧な指示、急な変更、集団での会話、音や光などに強い負担を感じる場合があります。

それを周囲に理解してもらえず、

「空気が読めない」

「やる気がない」

「何度言ってもわからない」

と責められてきた人もいます。

本人は、苦手な場面だけでなく、苦手さを説明しても受け入れてもらえなかったことにも傷ついています。

必要なのは、診断名だけで本人を判断することではありません。

口頭より文字の指示がわかりやすい。

静かな場所なら集中しやすい。

一度に一つずつ伝えてほしい。

急な変更は早めに知らせてほしい。

その人が力を発揮しやすい条件を、具体的に探すことが大切です。

11.家族が「もう忘れて」と言いたくなる理由

家族も、本人のつらい話を何度も聞くうちに苦しくなることがあります。

早く前を向いてほしい。

過去を思い出すほど悪化するのではないか。

何を言っても状況が変わらず、無力さを感じる。

そのため、

「もう忘れた方がいいよ」

「いつまでその話をするの」

と言ってしまうことがあります。

しかし本人は、まだ自分の中で終わっていないから話しているのかもしれません。

家族がすべてを受け止め続ける必要はありません。

まず「それはつらかったね」と気持ちを認めた上で、家族自身も相談先を持つことが大切です。

本人が直接相談できなくても、ひきこもり地域支援センターでは家族から相談でき、居場所や地域の支援につながる方法を一緒に考えてもらえます。

12.支援者は過去を語らせることを急がない

支援を始める時には、これまでの経緯を確認することがあります。

しかし、初対面の相手から、つらかった経験を詳しく聞かれることは大きな負担です。

話したくない部分は話さなくてよい。

途中でやめてもよい。

今日は現在の生活だけを話す。

口頭ではなく文章で伝える。

家族を通して伝える。

本人が方法を選べるようにすることが重要です。
「原因をすべて話せなければ支援できない」という形にしてはいけません。

過去を詳しく語らなくても、

眠れない。

外に出られない。

連絡が怖い。

食事が不規則になっている。

といった、現在の困りごとから支援は始められます。

本人のペースを守ることは、支援によって再び傷つく経験を防ぐことにもつながります。

13.学校や企業にも環境を見直す責任がある

傷ついた本人だけに、気持ちの切り替えや適応を求めてはいけません。

学校では、本人からの訴えを一人の教職員だけで抱え込まず、情報を共有し、組織的に安全を確保することが求められています。

企業でも、人格を否定する言動、仲間外れ、無視などを放置せず、相談した人が不利益を受けない環境を整える必要があります。厚生労働省は、人格を否定する言動や、職場で人間関係から切り離す行為などを、パワーハラスメントに該当し得る例として示しています。

復学や復職の際にも、元の環境へそのまま戻すことだけを目標にしない視点が必要です。

担当者を変える。

通う時間を短くする。

静かな場所を用意する。

連絡方法を選べるようにする。

困った時の相談相手を明確にする。

安心できる条件を整えることは、特別扱いではありません。

再び学び、働き、社会とつながるための土台です。

14.回復は「忘れること」ではない

回復というと、過去を思い出さなくなることだと考えられがちです。

しかし、完全に忘れることを目標にすると、思い出した日に、

「自分は何も変わっていない」

と感じてしまいます。

思い出しても、今は安全だと少しずつ感じられる。

苦しくなった時に休める。

信頼できる人へ伝えられる。

同じ状況を避ける方法を持てる。

助けを求める方法を知っている。

そのような変化も回復です。

進める日と戻る日があっても構いません。

過去を消すのではなく、過去だけに現在を支配されない時間を少しずつ増やしていくことが大切です。

15.本人へ伝えたいこと

もし、学校や職場で傷ついた経験が今も残っているなら、それを簡単に忘れられない自分を責めなくてよいのです。

名前を聞くだけで苦しくなる。

似た場所を避ける。

誰かを信じるまで時間がかかる。

また失敗するのではないかと怖くなる。

それは、あなたが弱いからとは限りません。
心と体が、もう同じ苦しみを経験しないよう守ろうとしているのかもしれません。

今すぐ学校や仕事へ戻らなくても、安心できる人を一人探すことはできます。

つらい経験を話さなくても過ごせる居場所を知ることもできます。

「これは嫌だった」

「この方法なら話せる」

と伝えることも、大切な一歩です。

眠れない、強い緊張が続く、過去の記憶が突然よみがえるなど、生活への影響が大きい場合には、医療機関や相談窓口へ助けを求める選択肢もあります。

一人だけで過去を整理しきる必要はありません。

16.まとめ

学校や職場で傷ついた経験が残るのは、本人が過去にこだわり続けているからではありません。

似た音や言葉に心と体が反応すること。

傷つく出来事が長く繰り返されたこと。

自分が悪かったと思わされていること。

助けを求めても守られなかったこと。

人や集団への信頼まで失われたこと。

こうしたものが重なっている場合があります。

必要なのは、無理に忘れさせることでも、すぐに元の場所へ戻すことでもありません。

今は安全だと感じられる時間を増やすこと。

本人が話す範囲や方法を選べること。

家族だけで抱え込まないこと。

学校や企業が環境を見直すこと。

安心できる居場所や地域とのつながりを持つこと。

その積み重ねが、失われた信頼を少しずつ取り戻す力になります。

就学や就労は大切な選択肢ですが、それだけが回復の証明ではありません。

安心して眠れた。

嫌なことを嫌だと言えた。

誰かからの連絡を読むことができた。

短い時間、人と同じ場所で過ごせた。

その小さな一歩にも、大きな価値があります。

あなたには、時間がたっても心に残っている言葉や、反対に苦しい時に救われた言葉がありますか。

当事者、家族、支援者、教育関係者、企業関係者など、それぞれの立場で感じたことを、無理のない範囲でコメントに残していただければと思います。

次回は「自分だけ取り残されたように感じるとき」について解説します。

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