病気になって失ったものと得たもの
導入文
病気になる前は、当たり前にできていたことがありました。
決まった時間に起きること。
仕事や学校へ行くこと。
友人からの連絡に返事をすること。
休日の予定を楽しみに待つこと。
ところが、精神疾患を発症すると、それまでの生活が突然、あるいは少しずつ変わることがあります。
働けなくなった。
学校を休む日が増えた。
人と会えなくなった。
将来の予定を立てられなくなった。
失ったものを前にして、「以前の自分に戻りたい」と思う人もいるでしょう。
一方で、治療や支援を受けながら生活を立て直す中で、自分の限界に気づいた、人に頼ることを覚えた、本当に大切にしたいものが見えてきたと感じる人もいます。
ただし、病気になったことを無理に「よい経験」に変える必要はありません。
失ったものが大きければ、簡単に前向きにはなれません。
何かを得たと感じられない時期があっても当然です。
この記事では、精神障害によって失いやすいものと、その後の生活の中で新しく得ることがあるものを考えます。
病気を美談にせず、失った痛みを認めながら、それでも人生を組み直していく可能性を、当事者、家族、支援者、職場、学校、地域の視点から見ていきます。
病気によって失うのは健康だけではない
精神疾患によって失われるものは、症状が出る前の健康状態だけではありません。
仕事、収入、学ぶ機会、人間関係、生活のリズム、自信、将来への見通しなど、生活のさまざまな部分に影響が広がることがあります。
うつ病で集中力や意欲が落ち、仕事を続けられなくなる人がいます。
不安障害やパニック障害によって、電車や人混みを避けるようになる人もいます。
強迫性障害による確認や手洗いに時間を取られ、予定どおりに行動できなくなる場合があります。
統合失調症や双極性障害でも、症状や体調の波によって、以前と同じ生活を続けにくくなることがあります。
同じ病名でも、失うものや生活への影響は一人ひとり違います。
だからこそ、「病気なのだから仕方がない」と一言で終わらせず、その人が何を失い、何を取り戻したいのかを見る必要があります。
仕事や役割を失う苦しさ
仕事を休職したり退職したりすると、収入だけでなく、社会の中での役割まで失ったように感じることがあります。
朝起きる理由がなくなった。
同僚とのつながりが切れた。
家族を支えられなくなった。
自分だけが取り残された。
学校を休む場合も、授業、行事、部活動、友人との時間から離れていく不安があります。
仕事や学校は、単なる作業の場所ではありません。
自分が社会の一員だと感じる場所であり、人とのつながりや成長を実感する場所でもあります。
そこから離れる喪失感を、「今は休めばいい」と簡単に小さくしないことが大切です。
人間関係が変わることもある
病気になったことで、人との関係が変わることがあります。
約束を断ることが増え、友人と疎遠になる。
病気を伝えたあと、接し方を変えられる。
家族との会話が、体調や通院の話ばかりになる。
職場では、以前任されていた仕事から外される。
反対に、迷惑をかけたくないと思い、本人から距離を置くこともあります。
精神障害は見た目では分かりにくいため、「本当にそこまでつらいのか」と疑われることもあります。
説明しても伝わらない経験が続くと、人に会うことや相談すること自体を避けたくなる場合があります。
人間関係を失う苦しさは、病気の症状とは別の痛みです。
本人のペースで関係をつくり直し、新しいつながりを持てるよう支えることが必要です。
自分らしさや自信を失うことがある
以前は簡単にできていたことが難しくなると、自分への見方が変わることがあります。
働けない自分には価値がない。
家事ができない自分は家族に迷惑をかけている。
学校へ行けない自分は弱い。
このように、病気によってできなくなったことを、自分という人間全体の価値と結びつけてしまうことがあります。
周囲からの否定的な言葉を、本人が自分自身へ向けることもあります。
しかし、人の価値は、働ける時間、学校へ通える日数、家事の量だけで決まるものではありません。
支援する側は、「何ができないか」だけでなく、その人が大切にしてきたこと、今できていること、これから望んでいることを見失わないことが大切です。
将来の予定を失う不安
精神疾患を発症すると、将来の見通しが立ちにくくなることがあります。
いつ仕事へ戻れるのか。
学校を卒業できるのか。
一人暮らしを続けられるのか。
家族がいなくなったあと、どう暮らすのか。
回復の時期や形には個人差があるため、はっきりした答えが出ない場合があります。
「必ず元どおりになる」と言い切ることも、「もう戻れない」と決めつけることも適切ではありません。
先が見えないときには、遠い将来を一度に決めるのではなく、次の診察まで、今月の生活、週に一度の外出など、考える範囲を小さくする方法があります。
将来を失ったように感じるときでも、今の状態に合わせて予定を組み直すことはできます。
失ったものを悲しむ時間も必要
病気になったあと、「前向きにならなければ」「病気から学ばなければ」と急ぐ必要はありません。
失った仕事、関係、時間、健康、自信を悲しむのは自然なことです。
喪失を十分に受け止められないまま、「よい面もあったでしょう」と言われると、苦しさを否定されたように感じる人もいます。
家族や支援者は、本人を励ましたい気持ちから、早く希望を見つけようとすることがあります。
しかし、希望は周囲が与える結論ではありません。
本人が自分の時間の中で見つけていくものです。
何かを得たと思えない時期にも、治療を続ける、食事を取る、相談へ行く、今日を終えるといった営みがあります。
目立たない一日も、生活を守る大切な過程です。
「病気のおかげ」と思わなくてよい
病気になった経験を、「その経験があったから成長できた」とまとめられることがあります。
実際に、そのように感じる当事者もいます。
一方で、「病気にならない方がよかった」「失ったものは戻らない」と感じる人もいます。
どちらも否定されるべきではありません。
病気によって得たものがあったとしても、病気そのものが必要だったという意味ではありません。
苦しい状況の中で本人が考え、選び、支援を使いながら築いたものです。
「病気に感謝しよう」「つらい経験には意味がある」と周囲から求めることは、本人へ新たな負担をかけます。
前向きになれない日があっても、回復が止まったわけではありません。
自分の限界や体調のサインを知る
病気になる前は、疲れていても無理を続けていた人がいます。
頼まれたことを断れない。
休むことに罪悪感がある。
体調より仕事や周囲を優先する。
不調を感じても、まだ頑張れると思ってしまう。
治療や休養を通じて、自分がどのようなときに調子を崩しやすいかに気づくことがあります。
睡眠が乱れる。
予定を詰め込みすぎる。
人とのやり取りが続く。
急な変更が重なる。
一人で抱え込む。
こうしたサインを知ることは、自分を守りながら暮らすために役立ちます。
限界を知ることは、可能性を諦めることではありません。
力を使う場所と休む時間を選ぶための情報を得ることです。
人に頼ることを覚える
病気になる前は、人に頼ることを弱さだと考えていた人もいます。
しかし、一人で通院、家事、仕事、手続き、金銭管理を抱えることが難しい時期があります。
家族へ付き添いを頼む。
支援者と手続きを整理する。
職場へ業務調整を相談する。
学校で別の参加方法を検討する。
訪問看護や障害福祉サービスを利用する。
人に頼ることは、何もできない人になることではありません。
必要な支援を選び、自分の生活を維持するための力でもあります。
一人でできることだけを自立と考えるのではなく、人や制度とつながりながら、自分で生活の方向を選ぶことも自立です。
本当に大切にしたいものが見えてくることがある
生活が大きく変わったことで、それまで当然だと思っていた価値観を見直す人もいます。
肩書や収入だけでなく、安心して眠れることを大切にしたい。
多くの人と付き合うより、信頼できる少数の人との関係を守りたい。
長時間働くことより、安定して続けられる働き方を選びたい。
周囲の期待より、自分の体調や希望を基準にしたい。
これは、病気になれば必ず得られる気づきではありません。
以前の価値観が間違っていたという意味でもありません。
ただ、生活を組み直す過程で、自分にとって何が欠かせないかが少しずつ見えてくることがあります。
新しいつながりを得ることもある
病気をきっかけに、医療、福祉、当事者会、家族会、就労支援など、これまで知らなかった人や場所とつながることがあります。
同じような経験を持つ人との関わりにより、「自分だけではなかった」と感じる人もいます。
当事者同士が経験を共有し、支え合うことをピアサポートと呼びます。
すべての人に合うとは限りませんが、自分の体験を細かく説明しなくても伝わる場が支えになる場合があります。
家族も、家族会や相談機関につながることで、自分たちの生活や感情を話せることがあります。
支えは一人の家族や一人の支援者だけに集めず、複数のつながりを持つことが大切です。
回復は元の自分に戻ることだけではない
精神保健福祉の分野では、リカバリーという考え方があります。
ここでいうリカバリーは、症状が完全になくなることや、以前と同じ生活へ戻ることだけを意味しません。
症状や困りごとが残っていても、本人が希望や生きがいを持ち、自分の人生を自分なりに進めていく過程を指します。
以前と同じ職場に戻る人もいます。
働く時間や仕事を変える人もいます。
学校以外の方法で学ぶ人もいます。
支援を使いながら一人暮らしを続ける人もいます。
回復の形は、周囲が決めるものではありません。
本人が何を取り戻したいのか、何を手放し、どのような生活を選びたいのかを中心に考える必要があります。
家族、職場、学校、支援者にできること
家族は、本人の以前の姿を知っているからこそ、「早く元に戻ってほしい」と願います。
しかし、以前と同じ学校、同じ仕事、同じ生活リズムに戻すことだけが、本人にとってよいとは限りません。
家族自身も予定や役割が変わり、失ったものを抱えています。
本人と家族のどちらかだけが犠牲になる形ではなく、外部の支援を使いながら生活を組み直すことが大切です。
職場では、短時間勤務、段階的な復職、業務量や優先順位の調整、定期的な面談などが考えられます。
学校では、登校時間、課題量、提出方法、別室やオンラインでの参加などを検討できます。
支援者は、本人の経験を「病気を通じて成長した」という成功物語へ急いで変えず、何を失い、何を大切にしたいのかを聞く必要があります。
視覚障害当事者として思うこと
私は精神障害の当事者として、この文章を書いているわけではありません。
ただ、視覚障害当事者として、できないことや失う機会がある一方、支援や道具、人とのつながりによって生活を組み立ててきました。
盲導犬、iPhoneのVoiceOver、周囲の声かけなど、必要な支えを使うことは、私の自立を否定するものではありません。
精神障害と視覚障害の経験は同じではありません。
それでも、以前と同じ方法が難しくなったとき、方法を変えることは負けではないという点は共通していると思います。
必要な支援を使いながら、自分に合う暮らし方を選び直すことはできます。
まとめ
精神疾患によって失うものは、健康だけではありません。
仕事、学ぶ機会、収入、人間関係、役割、自信、将来への見通しなど、生活の多くが変わることがあります。
その喪失を簡単に「よい経験だった」と言い換える必要はありません。
失ったものを悲しむ時間が必要な人もいます。
病気にならない方がよかったと感じる人もいます。
何かを得たと思えない時期があっても当然です。
一方で、治療や支援を受けながら生活を組み直す中で、自分の限界や不調のサインを知る、人に頼ることを覚える、大切にしたいものを見直す、新しい人や制度とつながるといった変化が生まれることがあります。
それは病気が与えたご褒美ではありません。
苦しい状況の中で、本人が考え、選び、周囲の支えを使いながら築いてきたものです。
回復は、必ずしも病気になる前と同じ自分へ戻ることではありません。
症状や困りごとが残っていても、自分が望む生活を少しずつ取り戻し、自分の人生を再び選べるようになることも回復です。
家族は、本人を以前の姿へ戻すことだけを目標にせず、家族自身も支援を受けながら、新しい生活の形を探してよいのです。
職場や学校は、できなくなったことだけで本人を評価せず、参加方法を調整することで、役割や学ぶ機会を守ることができます。
支援者は、本人の経験を勝手に美談へ変えず、何を失い、何を大切にしたいのかを聞く必要があります。
失ったものが戻らなくても、人生のすべてが失われたわけではありません。
すぐに希望を持てない日があっても、今日を生きること、支援につながること、自分に合う方法を探すことが、次の生活へ続いていきます。
病気になった経験を無理に肯定しなくてもよい。
それでも、自分の人生をもう一度、自分の手に取り戻していくことはできます。
誰もが一つの回復像を押しつけられず、その人が望む形で暮らし、働き、学び、人とつながれる社会へ。
その積み重ねが、精神障害のある人もない人も、自分らしい人生を選べる共生社会につながります。
次回は、不登校シリーズの当事者編「周囲の期待が重荷になるとき」について解説します。
