「飛鳥山北の眺望」−吉宗が望んだ景色かを明日確かめます。−『名所江戸百景』
やはりパーマが扱いにくいし、シャンプーした後の広がりとゴワゴワにイライラしてくるのでストレートパーマをやっちゃおうかと思います。
でも美容院でやるとなると1万円はかかるし、やっぱりもう美容院に多くはお金をかけていられないので市販のでやっちゃおうかと思います。
普段縮毛をかけていたり癖がある人には市販のだと傷みがちらしいですが、パーマを取る目的なら成功している人が多く、通常私の髪は特に癖もないのでやっちゃおうかと思います。
湿気とかで扱いやすくなるだろうと思ってかけたパーマが、額の上あたりから大きく4、5うねりかかって、傷んで、悲しくなる日々を終わりにしないとです。
そんなパーマとの訣別を立てた今日も広重。今回は『名所江戸百景』の「飛鳥山北の眺望」です。

◼️ファーストインプレッション
飛鳥山って確か渋沢栄一と関係のある場所でしたよね?去年の大河ドラマと紙幣の肖像に起用される話題のときにアド街でやっていた気がします。違う番組かもしれませんが。
この人々が集っている場所が飛鳥山でしょうか。
山として存在していたのか、山と名前のついた地名なのか、ちょっと私にはわからないです。
手前に桜が咲いていて、花見の様子だということがわかりますね。ここの桜は以前も木母寺あたりで見た、吉宗が植えまくった桜の一部かな?
もしそうなら、絵と絵で同じ人の意思が繋がっているという面白さを感じます。
飛鳥山(仮)から向こうを見てみると、非常に広大な土地が広がっているように感じます。
霞として描いているのか、本当に草原だったのか、いずれにせよその土地の広大さと山(仮)の高さが際立つ描写です。
一番奥の山は先日のような日光連山ではなく、筑波山ですね。コブ二つが特徴的です。
この霞または草原は筑波山と合わさって、広大な自然を象徴している一方で、手前の人々の集い、吉宗の(仮)桜を人工物として見たときに、山と草原で区切られて自然と人工物の対比が表されているのかと思ます。
でもそれは自然の破壊などの悲しさを表しているのではなく、人間が中に溶け込みながら人間らしい生活を実行できているかわいらしさを感じ取ることができます。
とは言いつつ、自分で何が言いたいのかわからなくなってきました。
人々の中には二人で舞っている描写や談話している人や寝そべっている人が見られて全員気を抜いている様子がより一層その花見の穏やかさを物語っていますね。
◼️飛鳥山
この飛鳥山について言及できることが少ないのでさっさと公式の情報を探します。
飛鳥山公園といえば「さくら」が有名です。
この地を桜の名所に仕立て上げたのは、八代将軍徳川吉宗でした。約300年前、吉宗が享保の改革の施策のひとつとして、江戸っ子たちの行楽の地とするため、飛鳥山を桜の名所にしたのです。こうして江戸の新しいお花見の名所として誕生した飛鳥山は、当時、桜の名所地では禁止されていた「酒宴」や「仮装」が容認されていたため、江戸っ子たちは様々な趣向を凝らして楽しみました。
飛鳥山は、明治6年、太政官布達によって、上野・芝・浅草・深川とともに日本最初の公園に指定され、令和の現在も「憩いと出会い」の場として親しまれています。
おおおお。この桜はやはり吉宗が植えまくった場所の一つ。
初の公園に指定されたという話が気になります。笑
飛鳥山といえば桜の名所。これは、徳川吉宗が1270本もの桜を植え、庶民に開放したことに始まります。飛鳥山での花見は、飲酒、仮装、唄、踊りといったことが許されており、この日ばかりは身分の上下や貧富の差に関係なく、無礼講で楽しむことができました。それまで、花見は上野に限ると思っていたものが、元文の始め(1736年頃)には飛鳥山に気押されてしまったと書物に書かれる程に、その人気は高まりました。
吉宗史のようなものを読んだらこのことについて意向とか趣旨については記載
がありそうですね。
調べたところ、『近世日本国民史. 〔第21〕』という民友社の書物に「吉宗時代」として、生まれてから将軍となり政治を執り行う全ての記録が載っているものが見つかりました。
しかし目次を眺めたところ、「桜」の一文字も見つけることができなかったので心に余裕があるときに見つけたいと思います。
飛鳥山はこんなところ。
↓山名は山中の地主山という小高い地点に飛鳥明神社が祀られていたことに由来するという。本来は滝野川たきのがわ村の領域で将軍が鷹狩するための御立場が設置された場所であったが、寛永一〇年(一六三三)幕府はこれを旗本野間家の地頭林にするとともに一部を王子権現の社領とした。飛鳥明神も同権現境内に移された(風土記稿)。以後飛鳥山は石神井川北岸の王子村のうちと認識されるようになった。飛鳥山は現在も桜の名所として広く知られるが、この出発点となったのは将軍徳川吉宗による享保改革の初期であった。
鷹狩のための場所があったのですね。
あー、そしたら見つかるかもなあ。
いやああ、『近世日本国民史』「吉宗時代」の放鷹の項目を見ても桜の一文字も花の一文字も出てきません。
この言及はまた後日にしましょう、あきらめよう。
ただ、人々に娯楽というか、遊興を提供するためとの記載はあったのでこの広重の絵はまさに吉宗が望んだ飛鳥山の光景だったかもしれませんね。
飛鳥山を描いた他の浮世絵を見ていきます。
やはり飛鳥山×桜は絶対コンビであるようでこのページの絵の全てに桜が含まれています。さすが。

国貞改二代目豊国の『江戸名所発句合之内 飛鳥山』
右と真ん中の女性二人は右の方向に手を伸ばしていますね。何をしているのでしょうか。
しかしこの桜は非常に満開の表現が全開です。桜としてではなく、綿飴みたいなモコモコ感。全く地面に桜が散っていないのは非現実的ではありますが、桜と人々の2点に集中してみることができるのでスッキリした絵に仕上がっていますね。

広重・豊国の『江戸自慢三十六興 飛鳥山投土器』です。
さっきの女性たちが立っていたのがこの投土器という行為でしょうか。
”まるで”舞っているような様子ですが、土器を投げているだけかもしれない。
この絵では桜は主張していない描かれ方ですね。
ただ、春の軽やかな空と自然の謳歌を感じられるエッセンスとして重要な役目を果たしているのは確かです。
今回は話題が多すぎて
・投土器
・『江戸名所図会』
・(可能なら)吉宗の植桜記録
を確認していきたいと思うので、初めての引き伸ばしですが明日に続きます。
江戸時代を勉強するならば知っておかなければいけない情報なので初めての延長をさせていただきます。
今日は定期的な体調不良に苛まれて眠くてしょうがないので寝ます!
ここまで!
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