一冊の本を読む時間の最長記録更新だ。
アンソニー・ホロヴィッツの「死はすぐそばに」を読み終わった。
他の本も同時に読んでたせいと、主人公の探偵であるホーソーンの過去の事件を本にするという話で、事件の記録を参照しながら執筆をするという形のせいか、少しまどろっこしくて今まで読んだ本のなかで一番時間がかかってしまった。もちろん他の本とのページ数を比較をしてってことだけど。
お話は隣人問題を発端に殺人が起こっていて、その隣人たちに話を聞きながら解決していった事件の記録を読み返す感じ。
内容も後半に差し掛かるまで、隣人たちの話が繰り返し描かれていて、そうなんだ、へええ、そんな人いたら嫌だよねって感じ。
初っ端、人は死んでるし、途中でも死んだりするけれど、なんだかミステリー感が薄い。
それが、終盤、いきなり動き出す。
密室殺人の謎も動機も犯人も完璧なのに、証拠が捻じ曲げられて犯人を逮捕する事ができない。
いつもは完璧なラストを導き出すホーソーンが、初めて捕まえられなかった犯人になってしまう。
ホーソーンは以前は刑事だったけれど、今は訳あって探偵になってる訳だから、犯人を逮捕するのは警察にまかせるしかない。
ホーソーンの推理が完璧でも、証拠を捏造されてしまって警察が事件の終了を告げてしまってはどうすることもできない。
まどろっこしいなあと思いながら読んでて、ラストの部分で読むのをやめられなくなるくらい、おーそういう事なのかってなったのに、捕まらない犯人にムカついた。逃げおおせるのか。
これがまた、逃げおおせるのだ。
その時は、だけど。
その後、この犯人もホテルのテラスから転落して死んでしまう。
犯人を突き落とした犯人は捕まっていない。
当初、事件解決が出来なかったホーソーンが疑われたりしたけれど、ホーソーンは変わり者で心を開かないところがあって、とっつきにくいけれど、正義の人だから殺人なんて犯すはずはない。と、いつもホーソーンのことを近くで見ていて、自分に心を開かない事に対して文句ばっかり言ってるアンソニーが、声高に主張するのに私も賛成だ。
本の2/3近く、隣人家系のなんだかんだや、人々の隠された過去なんかをダラダラ書いているようにみせていたアンソニー・ホロヴィッツ。
ラストでお得意の仕込みに仕込んだ怒涛の伏線回収が始まる。
この作家のこのシリーズを読むと、いつも軽い感じがするなと思うのだけれど、それでもラストまで読むと「ほー、そうか」と思わされてしまう。
多分、アンソニー・ホロヴィッツ自身が本の中に登場して、ホーソーンにくっついて事件を解決しながら、その事件の最初から終わりまでを本にまとめる(ワトソンに近いけど、ワトソンは実戦でも役に立つ)という設定になっていて、その中でいつも「自分はちっとも事件を解決できないし、ホーソーンと一緒に行動して同じものを見ているのに犯人の目星すらつけられない、無能な探偵助手だ。いや、助手じゃなくて、自分はただ事件の本を書くために一緒に行動しているだけで、ヒット作「アレックス・ライダー」を書いたり、イアン・フレミング財団からボンドの新作を依頼されて書いている作家だ。警察でも探偵でもない!」っていうブレブレのスタンスをとってるせいで、上手いこと事件から上手に目を逸らされる事がちょいちょいあるから、小説の中に妙な現実味っていうか生活感が出てきてしまう。
そしてアンソニーの無能ぶりに読者が引きづらてオイオイってなってる間に、巧妙な伏線が張られていく。そして、気がつくとまんまとラストまで読まされて「なるほどー、そうきたか」と感心させられてしまう。
ホーソーンも作中のアンソニーも、アンソニー・ホロヴィッツが描き出している人間な訳だから、ようは作家に上手いことやられてるってわけだ。
ジェームス・ボンドやシャーロック・ホームズ、名探偵ポアロに刑事フォイル。
錚々たる名探偵達を本来生み出した作家が亡くなった今、その続きを書くことになった時、どんな風に感じたんだろう。
責任重大だけど、夢のような経験でもあるんだろうな。
この名探偵達に新たな命を吹き込むことが許されるなんて、何はなくともすごい。
かの名探偵達が、自分が書き出すセリフを話して、右を向いて左を向いて、天を仰いで、下手したらダンスを踊らせることだってできる。
はあー、世の中にはそんな人もいるんだなあ。
それに『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』の続編にあたるピーター・ジャクソン製作の『太陽の神殿』を原作とする作品も執筆中らいし。
タンタンとスノーウィーまで、手に落ちたか。
リズムと、いい意味での軽さがいいんだろうと思う。
でも、そう見せといて、それだけじゃないんだよみたいな。
とにかく読了だ。
なんだかんだ言って、次の本も読んじゃうんだけどね。
