小栗忠順の子孫が、ジャンプギャグ漫画家になったワケ⑩『今なら考えられないあの「幕張事件」の真相とその時に本当に僕が思った事』
同世代の二人の天才漫画家、尾田栄一郎先生と島袋光年先生の連載が始まると、いきなり大人気を博します。マガジンに部数で抜かれていた時代、まさにジャンプにとって新時代の幕開けとなりました。
「よ〜し、僕も二人に負けずに頑張ろう!!」
と気合を入れ直したある日、僕にとって忘れられない、悪夢の様な事件が起きたのです…。
◾️超異質なギャグ漫画『幕張』
エッセイの第6回でも説明しましたが、今回の内容をリアルに伝える為、あえてもう一度『幕張』について説明します。
ジャンプで連載していたギャグ漫画『幕張』は木多康昭先生による、ジャンプ史上類をみない漫画でした。
そのギャグは青年誌的なエグい下ネタや、露骨なジャンプ作品パロディとイジリ、そして現実にいる人間をモデルにしたキャラクターをそのまま登場させる、ドキュメンタリー風コントが特徴でした。
時には同時期に連載していた他作品を小馬鹿にしたり、実在する編集者の私生活まで暴露したり(真偽はわかりませんが)。プロレスラーでいうと、ずっと場外乱闘だけで闘う、または迷惑系YouTuberを漫画でやった…という感じ。こんな事をやった漫画は当然他に無く、型破りで刺激的な『幕張』はジャンプ内でコアなファンを獲得し、『すごいよ‼︎マサルさん』に並ぶ、人気ギャグ漫画のポジションを築いていました。

この表紙のキャラも実在する編集のYさんがモデル。たけしを立ち上げた人なので、服にたけしの顔が…
僕はそんな『幕張』を読者として毎週楽しく読んでいて、作者の木多康昭先生とは新人時代から付き合いがあり、「少し大人な先輩ギャグ漫画家」として好感も持っていました。ただ、無断で僕を『自称・小栗上野介の子孫でテンテンくんの作者 小栗又一郎(おぐり またかずろう)』として『幕張』に出演させた時、嬉しさと同時に不安も芽生えたのです。
僕は平松伸二先生がモデルの、板垣総理率いる変態集団『吉六会』メンバーとして登場しました。中には僕を木多先生に紹介してくれた、平松プロの同期アシのHさんもいました。(Hさんはどう思ってたんだろう…)
最初のうちは僕に似たキャラはただの大人しい青年で、特に目立っていませんでした。それが、少しずつ板垣総理と怪しい関係の雰囲気のキャラになって、たまにテンテンくんのネタをイジられたりする様になっていったのです。
「ん?これ、大丈夫かな…?」
僕は『幕張』を読みながら、だんだん不安な気持ちになっていました。
でも、僕は同じジャンプで連載中。毎週の締切り、過酷な人気アンケートバトルの真っ最中です。『幕張』を気にしている余裕はありません。
「木多さんは同じギャグ漫画家で仲間だし、きっとイジりの限度はわかってるはず。それに、編集部もちゃんとチェックしてるはずだし…」
僕はそう信じて、テンテンくんの連載に集中していました。
◾️起きた悪夢と、信じられない担当Mさんの対応
そんなある日、担当編集のMさんが仕事場に原稿を取りに来ました。原稿は昨夜のウチにアップして、アシスタントさん達はすでに帰っており、仕事場のアパートには僕一人。
Mさんは僕から原稿を受け取りチェックすると、いつものようにガラ刷り(自分の漫画のページだけを切り取った物)とジャンプの最新号を僕に渡しました。
しかし、なぜかその顔はニヤニヤしています。
「小栗くん、今週号の幕張で凄い事になってるよ」
意味がわからず、僕は言われるがまま『幕張』のページをめくりました。
するとそこには、信じられないシーンが描写されていたのです……。
それは、僕をモデルにしたキャラクターが、平松伸二先生をモデルにした板垣総理に、人間としての尊厳を完全に破壊された直後……の描写でした。僕似のキャラがお尻を押さえて泣いています。(※noteの規制でハッキリとは書けませんが、内容は察して下さい)
「………えっ?」
僕は信じられず、何度も『幕張』を読み返しました。その度にどんどん全身から脂汗が吹き出てきます。
そしてどうにか、声を絞り出しました。
「こ…これはちょっと、やり過ぎじゃないですか……?」
Mさんはそんな僕のリアクションを面白がっている様子でした。
僕が覚えているやり取りはこんな感じです。
「マジでコレがこれから、ジャンプに載るんですよね?」
「まぁ、そうだね」
「酷くないですか?」
「まぁ、酷いね」
「いや、酷いねって、テンテンくんは子供向け漫画ですよ」
「仕方ないよ。もう描かれちゃったから。嫌なら木多くんに抗議したら?」
「僕が自分でですか?編集部がじゃなくて?」
「木多くんの連絡先知ってるでしょ?直接抗議するのが一番いいんじゃない?」
「は…はぁ……」
Mさんは終始ニヤニヤしています。そして次の打ち合わせの日時を告げた後、ドアの前で立ち止まり、
「まぁ、オレだったら死んでるけどね 笑」
そう言い残して、ドアをバタンと締めて去りました。
僕は、そのまま呆然と立ち尽くしていました。
この時の僕の正直な気持ちを言います。
「木多とM、ぶっ◯す」
僕は自分でいうのも何ですが、普段温厚な人間です。人生で他人に明確な殺意を覚えたのはこの時が初めてでした。
もしかしたら、姉川の合戦で徳川家康の命を守り、常に先陣を切って勇猛でならした小栗家ニ代目・小栗忠政の血が滾ったのかもしれません。(エッセイ第一回参照)
僕は狭いアパートの部屋の中を、ぐるぐる歩き回りながら、必死で自分を落ち着かせました。
「もうジャンプに載るのは仕方がない。でも、これ以上『幕張』で酷く描かれたら、マジでヤバイ。テンテンくんのイメージにも支障が出る……
やっぱり直接抗議するしかない…!
木多さんだってきっと、僕が本気で怒ってるとわかれば、これ以上は描かないだろう」
◾️決意の電話
僕は意を決して、木多先生に電話をしました。
トゥルルル トゥルルル……
ガチャ『留守番電話サービスに接続します(自動音声)』
「……クソッ留守電か!どうしよう……。もう一度後で掛け直す?
でも、一刻も早く伝えないと、すでに僕の事をまた描いてるかもしれない」
僕は留守電に「小栗です。このメッセージを聞いたら連絡下さい」と入れました。
しばらくすると、木多先生から電話が来ました。
「もしもし、小栗さん?」
「……木多さん。
今週のジャンプ見ました。さすがにやり過ぎです。僕にも友人や家族もいますし、漫画にも影響します。
木多さん、いい加減にして下さい…‼︎」
あえて強めの口調で言いました。
木多さんからの返事は「そうですか、わかりました。ごめんなさい」といった、アッサリしたものだったと記憶しています。
そして、その数週間後に『幕張』を見ると、僕が「木多さん、いい加減にして下さい」と電話で怒っているシーンがそのまま載っていました。
正直、「それもネタにするんかい!やっぱりスゲーな木多さん‼︎」とズッコケましたが、僕が手紙で吉六会からの脱会を告げるシーンが載っていたので、正直ホッとしました。
そして、その後は僕に似たキャラが登場する事は無く、たまに僕の漫画のツッコミの古さを漫画の中でイジられたりするぐらいでした。(まだイジるんだ。とは思いましたが)
そして数ヶ月後、突然『幕張』は最終回を迎えます。
ラストは木多先生自身が登場し「やってられっかボケ!!!」と叫び、なぜかラッキーマンのガモウひろし先生を、この漫画の本当の主役だとイジっていました。
最後までやりたい放題で、数々の伝説を残した漫画でした。
後から聞くと、この頃は木多先生も精神的に限界だったみたいです。「週刊連載でギャグを描くのはキツ過ぎる…‼︎」と。「だったら、僕の気持ちもわかってくれよ」とは思いますが…。
ちなみに、木多先生がよく語る武勇伝(?)があります。
「あの時本当は、人気が低迷していた遊戯王が連載を打ち切られる予定だった。でも、オレが幕張を自分から『終わらせてくれ』と頼んで終わらせたから、連載枠が空き、奇跡的に遊戯王が生き残った。そしてその後超人気になり、カードが世界で爆発的に売れた。だからある意味オレは、誰よりも集英社に貢献した漫画家なんだ〜〜っ‼︎」…と。
正直「知らんがな」と思いますが(笑)

噂では「集英社で一番利益を上げたのは遊戯王カードでは?」といわれる程の超メガヒット作になった遊戯王ですが、初期は「魔太郎がくる!」の様な悪人にゲームで復讐するブラックな漫画で、人気が低迷していた時期があります
◾️検証:なぜ『幕張』は許されていたのか
今では考えられない様なヤバイギャグを日本一の雑誌で、堂々と繰り出し、それが掲載されていたのは、一体どうしてなのでしょうか?
『幕張被害者の会』代表(どんな団体だ?)である僕が、検証してみました。
まぁ、ぶっちゃけ一言でいうと……
それがあの時代の空気だったから
だと思います。
平成後期のあの頃は、一般的にコンプライアンスという概念もまだ無く、TVのバラエティ番組でもとんねるずやダウンタウンが、今では考えられないような暴力暴言、セクハラを平気でしていました。僕もそれを普通に楽しんで観ていましたし、「お笑いは危ないギリギリな事をやるのが面白い」という風潮でした。『幕張』はまさにその時代の最後に咲いた、漫画界の猛毒の花だったのです。(事実、その後他の出版社で木多先生は同じノリでパロディを描いたらボツをくらい、連載も短期で終わりました)
『幕張』を止めなかった当時のジャンプ編集部も、体育会系のイケイケの風潮で、「ギャグ漫画は面白ければイイじゃん」とバラエティ番組同様のノリを許容していたのだと思います。
でも、やはり最低限のルールは、あの当時でもあったと僕は思います。(太文字)
ポジションでいえば、テンテンくんは雑誌の中で一番年齢層の低い子供が読む『ドラえもん』の様な立ち位置の漫画です。(内容も近いし)
もしも、コロコロコミックの中で藤子・F・不二雄先生が、他の漫画の中で人間としての尊厳を奪われるような酷い目にあっているシーンがあったら、その後に載っているドラえもんを読んだ時、普通の感情で読めますか?
たとえ子供はそのシーンの意味がわからなくても、何となく察してしまうモノです。
一番不可解なのは、これを担当のMさんが抗議をせずに、一緒に面白がっていた事。
一緒に作ってきた『花さか天使テンテンくん』という漫画にとって、これが悪い影響になると想像出来ていない事が、僕にはショックでした。
助けてほしい時に助けてくれない。以前にも感じた、『突然、冷たく突き放すモード』(エッセイ第7回参照)。それがここでも出たのだと思います。
以上、これが僕が経験した『幕張事件』の全てです。
ちなみに僕と木多先生の現在の関係ですが………
なぜか仲良くしてます(笑)
(つづく)
※次回はちゃんとテンテンくんの連載の話です(笑)。もうこれ以上刺激的な話はないのでは?と思われるかもしれませんが、甘〜〜〜〜〜い‼︎今回の話がぬるいと思うぐらい、当時のジャンプ連載、アニメ化の裏側はもっとエグくて過酷です。乞うご期待下さい…‼︎
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更に今回、描き下ろしの新作漫画も3本追加で全24本収録。(ありがたい事に、多くの方から高評価頂きました🙏)
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