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読書記録:『レディ・ジョーカー』|髙村薫



「あんた、負けたいのか。今日ゴルフに行かなかったら、あんたは今後の地歩を失う。組織はそういうものだって、あんたが俺に言ったんだ。いつか落とし前をつける気があるんなら、今日のところはゴルフに行け!這ってでも行け!」

未だかつてこんなに熱く、直向きに「ゴルフに行け!」と他者に向かって怒鳴っている人を私は見たことがない——もちろん、怒鳴られたこともない……。

ゴルフといえば、「うちの人、休みはゴルフばっかりで……」とか、「休日なのにゴルフ接待で……」等々の愚痴を見聞きすることの方が多く、どちらかといえばネガティブな印象があります。
ですから、ゴルフに「行くな」「行きたくない」はよくある事例ですが、ゴルフに「行け」というシチュエーションはなかなかお目にかかれない。というよりも、見たことがない。

あるとするならば、ガチでやっている人たちぐらいでしょうか。
それでも、「這ってでも行け」と言われるぐらい状態が優れないのであれば、ガチでやっている人たちほど「行くな」「休め」と言いそうですけどね。

では、一体誰がこれほど調子の悪い人に向かって「ゴルフに行け!」と怒鳴っているのか——合田雄一郎です。


シリーズ三作目となる本作においても、主人公はこれまでと同様、合田雄一郎です。
しかし、前作『照柿』において”やらかして”しまった雄一郎は転属届を出し、警視庁捜査一課から大森署刑事課に移っております。

これは一体どういうことなのか?
具体的なイメージとしては、前作までの雄一郎は『踊る大捜査線』でいうところの、室井さんと一緒に本庁から湾岸署にやってくる、その他大勢の人でした。
逆に本作からの雄一郎は、湾岸署の青島、すみれさん、和久さん側のポジションです。

とはいうものの、青島よろしく所轄の刑事のわりにはガッツリと事件に関わってきます。もちろん、物語のキーパーソンでもあります。
しかし、本作の合田雄一郎はこれまでとは一味違います。
それは一体なぜなのか——


一言で言い表すならば「憑き物が落ちた」、というところでしょうか。
離婚後も一人で住んでいた赤羽の団地から、ようやく引っ越しました。
また、CS放送を観たり、進んで本や雑誌を読む余裕も生まれたようです。
過去にはヴァイオリンもやっていたらしく、休日には教会に行き、ヴァイオリンの演奏をしています。

前々作『マークスの山』では「しんどい職場で働いているな」と感じていましたし、前作『照柿』は「公私ともに煮詰まっとるな」ということがひしひしと伝わってくる——これが今まで合田雄一郎という人間から受ける印象でした。
それが前述のような状態に落ち着いたので、雄一郎を見守る私もこれまでより穏やかな気持ちでいられるというものです。

とはいえ、<鍛錬を出来、規律に馴染み、柔軟な適応力もある。しかし、個人の思考力や判断力も備えているため、埋没を要求する組織の中ではなかなか難しい場面もあるだろう>との評価もされており、刑事という職業上、そういった葛藤とは無縁ではいられないことが窺えます。

ですが、本作における見どころは何といっても義兄・加納祐介との関係性の変化ではないでしょうか。


大学の頃からの友人である二人。祐介の双子の妹と雄一郎が結婚したことで、彼とは義理の兄弟関係になりました。

その後、雄一郎は離婚しますが、祐介は何かにつけ雄一郎の世話を焼いてくれます。
加えて、祐介は東京地検の検事なので公私ともに頼りになる存在であります。

これが二人の概要ですが、前作『照柿』を読めば分かるように、実際はもうちょっと複雑で絡み合った関係です。
というのも、『照柿』を読んでいるときにふと感じたのが——「あぁ、祐介は雄一郎のことが好きなんだ」

いや、しかし、確証が持てない——反面、「絶対に好きやろう」と内なる囁きが聞こえてきます。
それゆえ、直感では「祐介は雄一郎が好きなんだ」と感じながらも、「読み違えているのかな?」という疑念もあり、モヤモヤモヤモヤしながら『照柿』を読んでいました。

それでも、自分の直感に素直に従えば、祐介の描写にうまい具合に整合性がつくな、と感じていました。
義兄ぶって世話を焼きたがる、雄一郎と妹の関係に未練がありつつも嫉妬しているという記述、要所要所で雄一郎をしっかりと支えてくれる等々。

それでも結局、「コイツは雄一郎のことが好きなんだ」とは言い切れなかったので、「複雑な関係」と言っておりました。


その関係性が本作で大きく進展します。
後述するように、本作はかなり複雑な事件となっています。それがために、地検も大きく事件に関与せざるを得ない。
畢竟、祐介の出番が増えますし、雄一郎との絡みも増えます。

そして、前述のように祐介は雄一郎の世話を焼きたがるし、唯一の身内でもあります。
その点から言っても、雄一郎はもちろん、読者から見ても「頼れるアニキ」です。これまで同様、いやそれ以上に、悩める雄一郎を支えてくれることが期待できそうですね——。

ところがどっこい、その祐介が大きなトラブルに巻き込まれます。
後半、とある場面において、いつものように雄一郎の部屋にふらりとやって来た祐介。開口一番、こう言います——「助けてくれ」

そして、訥々と事の経緯を話し、心情を吐露し、弱音を吐き、涙を流します。
その時に雄一郎から発せられた言葉が——「ゴルフに行け!」

いいですね。めっちゃいい!
まず、加納祐介という「頼れるアニキ」が弱音を吐く。今まで陰になり日向になり雄一郎を支えてきたアニキが——。
それを受けて、他者に対して前述のような接し方をするタイプではない雄一郎が、祐介に対してだけは冒頭のような叱咤をする——。

本当にベタなシチュエーションで、ベタベタな展開ですが、逆にそれでいいし、それがいいですよね。
各所で言われている”尊い”という概念を初めて強く実感できたと思える体験でした——こういうことなんだと!


このように長いことヤイヤイ言うていますが、本作の最大の特徴としては、やはり「グリコ・森永事件」を題材にしているという点でしょう。これに尽きると思います。

ざっと事件の概要を見ても分かるとおり、複雑怪奇な事件ですよね。
なによりも未解決事件ですし、未だにああだこうだ言われていますが、とどのつまり真相は不明

それがため、様々な推測や憶測が飛び交っていて、当時生まれていなかった我々後発組は益々よく分からない。
それを髙村薫は上手いこと換骨奪胎、昇華し、素晴らしい一つの作品にまとめ上げています。

もちろん、元の事件を知らなくとも十分に楽しめる作品ですが、事件の概要だけでも知っておくと、「このネタはここに使っている」というような楽しみ方も出来るのではないか、と思われます。
特に我々後発組は前提知識として、「グリコ・森永事件」の概要や大まかな流れだけでも押さえておくことに越したことはないでしょう。


それでも、本作の見どころは合田雄一郎と加納祐介の二人。これを私は推したい。
一作目から読んでいる身としては、合田雄一郎の心境やそれを取り巻く人間関係の変化に、どうしても目が行ってしまう

そこへもってきて、「ゴルフへ行け!」ですからね—。
いやぁ、一度はこんなセリフを言われてみたいものです——パターゴルフしかしたことないけど。

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