🏛️世界史講義:19世紀後半のフランス(第二帝政〜第三共和政)とロシアの近代化改革
🇫🇷ナポレオン3世の第二帝政とパリ大改造
ナポレオン3世は、国内の近代化と積極的な対外戦争を通じて「強いフランス」を演出し、国民の支持を維持しました。
🌆パリ大改造:セーヌ県知事オスマンとのコンビでパリの街を一新。下水道の整備や広大な直線道路の建設により、現在の美しい景観を作り上げました。
⚔️積極的な対外出兵:
クリミア戦争(1853〜56年):ロシアの南下を阻止するため参戦し、英・サルディーニャとともに勝利。
アロー戦争(1856〜60年):イギリスとともに中国(清)へ侵略。
イタリア統一戦争(1859年):イタリアを支援してオーストリアと交戦。
インドシナ出兵:ベトナムやカンボジアへの侵略を開始し、仏領インドシナ植民地化のきっかけを作りました。
メキシコ出兵(失敗):傀儡帝国を建てようとするも現地住民の猛反発に遭い撤退。置き去りにしたハプスブルク家出身の皇帝マクシミリアンは処刑され、大失敗に終わりました。
💥第二帝政の終焉:1870年、プロイセンとの普仏戦争が開戦。ナポレオン3世自身が捕虜となる大敗を喫し、第二帝政は崩壊しました。
🏛️混乱のパリ・コミューンと第三共和政の幕開け
第二帝政崩壊後のフランスは、第三共和政へと移行します。これ以降、フランスに君主は出現していません。
🚩パリ・コミューン(1871年):プロイセンへの降伏を認める臨時政府に対し、反発したパリ市民や労働者が組織した、史上初の社会主義的自治政府です。短期間で政府軍により武力鎮圧されましたが、世界に大きな衝撃を与えました。
⚖️不安定な第三共和政:明確なリーダーを欠き、ドイツ(ビスマルク)の外交統制にも苦しんだため、議会への不満が続出しました。軍部右派のクーデタ未遂であるブーランジェ事件や、ユダヤ系軍人がスパイ容疑で逮捕され世論を二分したドレュフィス事件が起こりました。
🇷🇺ロシアの近代化:クリミア戦争の衝撃と農奴解放
ロシアは欧州の大国として君臨していましたが、内実は西欧に比べ著しく立ち遅れていました。
⚓クリミア戦争での敗北:ニコライ1世(即位時にデカブリストの乱を鎮圧)の治世下で始まったクリミア戦争でしたが、敗戦により西欧の近代的な軍事力・工業力を前に「ロシアの遅れ」を突きつけられます。
🌾農奴解放令(1861年):敗戦を機に、新皇帝アレクサンドル2世は国家の近代化と自立した国民の育成を目指し、農奴解放令を発布しました。
📣ナロードニキ運動(ヴ・ナロード):知識人(インテリゲンツィア)のエリート青年たちが「人民の中へ」を合言葉に農村へ入りましたが、農民からは完全に無視され空回りに終わります。皇帝による弾圧もあり、行き詰まった運動の一部は過激なテロリズムへ走り、1881年にアレクサンドル2世は暗殺されました。この亡命メンバーの系譜が、のちのロシア革命へ繋がります。
🧭ロシアの次なる一手:シベリア鉄道と東アジアへの南下
🚄シベリア鉄道の敷設(1891年〜):ロシア最後の皇帝ニコライ2世の時代、東の果てへ兵隊を迅速に運ぶため、鉄路の建設が始まりました。
🗺️南下政策の行き先変更:クリミア戦争や、その後の露土戦争(1877年)で南下を阻まれたロシアは、ターゲットを東アジアへ変更。1860年には清から沿海州を奪い拠点化していました。
🇬🇧🇯🇵日露戦争への伏線:シベリア鉄道によるロシアの極東進出に恐怖を覚えたのが、当事国の日本と、アジアの海上権益を握るイギリスでした。両国の思惑が一致して日英同盟が結ばれ、歴史は日露戦争へと繋がっていきます。
💡以下、無用のことながら
🎨マネ『皇帝マクシミリアンの処刑』:印象派の先駆者マネが、メキシコ出兵の悲劇を描いた絵画です。フランスが間接的に殺したも同然という批判を込め、銃殺隊がフランス兵の制服風に描かれています。これは、かつてナポレオン1世のスペイン侵略を批判したゴヤの『1808年5月3日』の構図を意識したものです。
🔍農奴(のうど)とは?:4世紀にローマのコンスタンティヌス帝がコロヌス(小作農)の移動を禁止したことが起源とされます。西欧では中世のペスト大流行による人口激減に伴い農民が自立(フランスのジャックリーの乱やイギリスのワット・タイラーの乱などを経て農奴制が崩壊)していきましたが、ロシアでは西欧から400年以上遅れて残っていました。
🗺️ロシアの後進性:西欧で百年戦争が終わった1453年、東ローマが滅亡。ロシアはビザンツの正統な後継者(「モスクワは第3のローマ」)として自立を宣言し、やがてツァーリ(皇帝)を名乗ります。それ以前のロシアはモンゴルに支配された「タタールのくびき」の時代であり、西欧の近代化の波(農奴解放やルネサンス)から完全に取り残されていたため、19世紀まで深刻な遅れを引きずることになりました。
