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🏛️世界史講義:ウィーン体制の動揺と自由主義・ナショナリズムの展開

🌍 ウィーン体制の2大原則と反発の潮流

ナポレオン没落後のヨーロッパでは、古い秩序の維持を目指す体制が敷かれましたが、これに対する強い反発が各地で起こりました。

  • 👤 体制の守護神:オーストリアの宰相メッテルニヒがウィーン体制のリーダーであり、彼が失脚するまでこの体制は維持されました。

  • ⚖️ ウィーン体制の2大原則:フランス革命前の王朝や領土に戻そうとする正統主義と、大国間で力のバランスを保つ勢力均衡(バランス・オブ・パワー)がスローガンとなりました。

  • 💥 抵抗する2つの思想:フランス革命で達成された自由を求める自由主義(市民やブルジョワジーが主導)と、自分たちの国づくりを目指すナショナリズムが反発の原動力となりました。

  • 👥 新たな大衆運動:産業革命の進展に伴い、のちの時代には貧しい労働者による労働運動社会主義運動も加わることになります。

🇬🇧 イギリスにおける自由主義的改革

勢力均衡を支える5大国(イギリス、フランス、ロシア、プロイセン、オーストリア)の中で、イギリスはいち早く自由主義へと傾斜していきました。

  • 🏭 2大政党の対立:産業革命で躍進した産業資本家(のちの自由党 / ホイッグ党)と、土地や貿易で儲けた地主・商業資本家(のちの保守党 / トーリ党)が激しく対立しました。

  • 🌾 経済的制限の撤廃:国内の地主を保護していた穀物法が撤廃され、オランダ排除のために制定されていた航海法も廃止されて自由貿易体制が整いました。

  • 🗳️ 政治・社会改革:アイルランド人を差別していたカトリック教徒解放法が制定されて審査法が廃止されたほか、労働時間を規定する工場法も作られました。

  • 🛑 腐敗選挙区の廃止:1832年の第1次選挙法改正により、人口が激減していた腐敗選挙区が廃止され、産業資本家が議会へ進出しやすくなりました。

🇪🇺 ヨーロッパ各地の抵抗とギリシアの独立

ウィーン体制の原則に反発する動きがヨーロッパ各地で起こりましたが、多くはメッテルニヒらによって鎮圧されました。

  • 🇩🇪 ドイツの学生運動:宗教改革300周年を機に、学生団体ブルシェンシャフトが自由を求めて盛り上がりましたが、弾圧されました。

  • 🇪🇸 イタリア・スペインの反乱:スペインの立憲革命や、イタリアの秘密結社カルボナリ(炭焼き党)による反乱が起こるも、体制側に潰されました。

  • 🇷🇺 デカブリストの乱(12月党の乱):ナポレオンを破ったロシアの英雄アレクサンドル1世の急死後、不満を抱いた若い貴族将校らが蜂起しました。

  • 🇬🇷 ギリシアの独立:オスマン帝国からの独立運動に対し、南下政策を狙うロシアやエジプト方面に権益を求めるイギリスが支援し、独立を達成しました。

  • 🎨 芸術家たちの参戦:イギリスの詩人バイロンが義勇軍として参戦し、ロマン主義の画家ドラクロワは『キオス島の虐殺』を描いて世論を動かしました。

🌎 ラテンアメリカの独立とモンロー宣言

ヨーロッパの本国が混乱する隙を突き、大西洋の向こう側でも新たな独立国家が次々と誕生しました。

  • 🇭🇹 ハイチの黒人奴隷蜂起:フランス領のハイチで、トゥーサン=ルヴェルチュール(黒いジャコバン)の指導により史上初の黒人共和国が独立しました。

  • 👥 クリオーリョ主導の独立:本国出身の白人(ペニンスラーレ)に次ぐ身分だった現地生まれの白人(クリオーリョ)が、格差への不満から運動を主導しました。

  • 🗺️ 南米の2大解放者:北部ではシモン=ボリバルが大コロンビアを、南部ではサン=マルティンがアルゼンチンやチリ、ペルーを解放しました。

  • 🇧🇷 ブラジルの平和的独立:ポルトガル王室の王子ペドロ1世が現地に残り、ブラジル帝国として独立を宣言する独自の形式をとりました。

  • 🦅 モンロー宣言:アメリカ合衆国の第5代大統領がモンロー宣言を発表し、ヨーロッパと南北アメリカとの相互不干渉を提唱してラテンアメリカへの介入を牽制しました。


💡以下、無用のことながら

  • 🗣️ イギリスの旧二大政党:「ホは保でない(ホイッグは保守党ではない=自由党、つまりトーリーが保守党)」という、受験世界史で定番の覚え方があります。

  • 🇮🇹 カルボナリの語源:イタリアの秘密結社「カルボナリ」は「炭焼き党」を意味し、パスタの「カルボナーラ(炭焼き職人風)」と語源が同じです。

  • 🇷🇺 デカブリストの乱の背景:ナポレオンを追い返してパリの洗練された文化を肌で体験した若いロシアのエリートたちが、自国の遅れた現実(農奴制など)に絶望して起こしたという、非常に情熱的でドラマチックな背景をもっています。

  • 👑 居残り独立:ブラジルの独立は、ナポレオン戦争を避けてブラジルに来ていたポルトガル王室が本国に帰るときに、息子のペドロ1世が「僕はここに残るよ」と居残る形で行われたため、他の南米諸国のような血生臭い独立戦争を経ずに平和的に達成されました。


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