【陰陽の理】「前向きに生きよう」という、吐き気のする呪いについて。
「笑顔でいれば福が来る」
「感謝の心を忘れずに」
「ピンチはチャンス」
SNSを開けば、今日もどこかで光を押し売りする自己啓発の念仏が響いている。
陰陽師として、あえて口を極めて言おう。
こんなものは信仰ですらない。
人間を内側から腐らせる麻薬であり、現代における最も悪辣な呪いである。
■光を求めるから、あなたは死にたくなる
陰陽の理において、この世に完全な陽(光)など存在しない。
光があれば必ず影が落ちる。生があれば死が隣り合う。
人間には誰しも、怒り、嫉妬、憎悪、そして救いようのない絶望という陰(闇)が内蔵されている。
だが、現代の薄気味悪いポジティブ至上主義は、この自然の摂理に真っ向から反逆する。
「ネガティブなことを考えてはいけない」
「人を憎む自分が許せない」
そうやって、自分の中にある陰の感情に無理やり蓋をし、見えすいた善人の仮面を顔面に縫い付ける。毎日毎日、心が悲鳴を上げているのに、必死に口角を引き上げて「いい人」を演じる。
その結果どうなるか。
行き場を失った陰(闇)は、あなたの腹底で腐敗し、熟成し、やがて巨大な鬼(バケモノ)へと姿を変えるのだ。
突然心がポキッと折れるのも、夜中に得体の知れない不安に押し潰されるのも、殺意すら湧く自己嫌悪に陥るのも、至極当然の帰結である。あなたが無理やり微笑もうとするその行為自体が、腹の中の鬼にせっせと餌を与え、肥え太らせているのだから。
■「いい人」という狂気の結末
勘違いするな。
あなたが苦しいのは、自分が未熟だからでも性格が悪いからでもない。
光(ポジティブ)でしかない完璧な善人になろうとする、そのおぞましい不自然さこそが元凶なのだ。
影を持たない人間など、ただの薄っぺらい書き割りの人形にすぎない。
少しのネガティブも許さないような人間関係は、無菌室のようでやがて息が詰まる。そんな空虚な光の世界で生きようとするから、自分の手で自分の首を絞めることになる。
「陰極まって陽となる。」
これは天地の絶対的な法則だ。
光を掴みたければ、あなた自身が自分の醜さから目を逸らしてはいけない。
「あの人を、心の底から引きずり下ろしてやりたいほど妬ましい」
「自分の人生を、狂ったように肯定してほしい」
「もう全部投げ出して、誰かに迷惑をかけてでも楽になりたい」
それでいい。
その生々しく腐敗した醜い欲望こそが、あなたが確かに生きている証拠だ。
■バケモノのまま、現実を支配しろ
無菌状態の天使など、現実世界では誰一人として必要としていない。
自分の狂気や醜悪な感情を他者への共感や優しい涙などという綺麗事に変換しようとするな。それはまだ、世間の正しさに媚びている証拠である。
あなたの中に鬼がいるのではない。
私自身が、どうしようもなくドロドロとした鬼なのだと自覚して、腹を括るのだ。
自分はいびつに歪んだバケモノだ。だから何だ?
そう完全に開き直り、バケモノとしての欲望を剥き出しにして動く人間だけが、結果的に他人の顔色というくだらない呪縛から真に解き放たれ、この現実を都合よく動かすことができる。
無理に前を向く必要はない。
感謝など、あなたが心底思えた時にだけすればいい。
綺麗事でコーティングされた無気力な天使になるくらいなら、絶望と怒りを抱えた血の通った悪鬼になれ。
すべてを破壊し尽くすほどの陰極まる絶望を味わい尽くした者だけが、自分という器の中にある本物の光を見る権利を得る。
このままポジティブの牢獄で笑いながら腐っていくのも、あなたの自由だ。 だが、もし息継ぎすらできないその苦しさから抜け出したいのであれば、今すぐあなたを殺しかけているその目障りな鎖を引きちぎれ。
