「自分がもう一人ほしい」と思うのは、経営者の甘えか。
何度、そう思ったか分かりません。「ああ、自分がもう一人いてくれたら」。
火をつける自分はそのままに、もう一人の自分が、隣で着実に事業を回していてくれたら。出張で紫波にいない自分と、現場に立つ自分が、同時に存在してくれたら。同じ判断基準を持ち、同じ温度で人に接し、同じ覚悟でお金の算段をしてくれる、もう一人の私。これがいれば、すべてが回る——そう夢想したことが、私には数えきれないほどあります笑
そして、その夢想のあとには、必ず小さな自己嫌悪がやってまいります。それは要するに、人に任せられないという、経営者として最も恥ずかしい告白ではないのか。「自分がもう一人ほしい」というのは、ただの甘えなのではないか、と。このnoteは、その問いに、私なりに正面から答えてみたものであります。
なぜ我々は、こうも「もう一人の自分」を欲しがるのか
まず、白状しておきます。私がもう一人の自分を欲しがる理由は、そんなに立派なものではありません。突き詰めれば、「自分が一番うまくやれる」と、心のどこかで思い込んでいるからであります。
この案件のさじ加減は、自分にしか分からない。この相手との呼吸は、自分にしか合わせられない。この火加減は、自分にしか守れない。そう思った瞬間に、人は他人ではなく「もう一人の自分」を求めるようになるのです。任せるのが怖いのではありません。正確に言えば、自分以外の誰かがやることで、自分の色が薄まるのが怖い。私はケチなので、その色をなかなか手放せずにおります。
これを読んでいるあなたにも、心当たりはないでしょうか。部下に任せたはずの仕事を、つい横から覗き込んでしまう。任せると言いながら、最後は自分が引き取ってしまう。「自分がやったほうが早い」が口癖になっている。もしそうなら、あなたも私と同じ病にかかっているのです。そして、これは決してあなた一人の話ではありません。世の中の中小の経営者の、おそらく大半が、同じ夜を過ごしております。
残酷な逆説――もう一人の自分がいたら、会社はむしろ潰れる
ところが、です。ここに、認めたくない逆説があります。
仮に、本当に「もう一人の自分」が手に入ったとして、その会社は伸びるでしょうか。私は、伸びないと確信しております。なぜなら、もう一人の自分は、私の長所を二倍にしてくれると同時に、私の短所も、私の盲点も、私の苦手も、きれいに二倍にしてしまうからであります。
私は火をつけるのは得意でも、火を守るのが下手な人間です。その私がもう一人増えたところで、火付け役が二人になるだけで、誰も火を守りはしません。人事が苦手な私が二人いれば、組織の問題は二倍こじれます。同じ判断基準を持つ人間ばかりが集まった組織は、一見すると気持ちがよく、まったく摩擦がありません。けれども、摩擦がないということは、誰も自分を補ってくれないということでもあるのです。本当に必要なのは、もう一人の自分ではなく、自分とまるで違う一人なのであります。
監督は、どれだけ望んでも、コートには立てない
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