賢さでは、まちづくりはできない。20年で確信した、三つの力。
もう20年近く前になります。まだ何もない土地を前にして、私はある人から、まっすぐにこう尋ねられたことがあります。
「これ、本当にうまくいくんですか」
私は、答えられませんでした。うまくいきます、と請け合うことも、いきません、と逃げることも、どちらもできなかったのです。なぜなら、その時点で「うまくいく」という保証など、この世のどこにも存在しなかったからです。答えは、まだ宙に浮いたままでした。
いまなら言えます。この仕事は、答えが出ないところから始まるのだ、と。答えが最初から見えている仕事など、そもそも誰かがもうやっているのです。答えの出ないその宙づりの時間を、逃げずに引き受けられるかどうか。そこに、この仕事の成否を分ける、たった一つの分岐点があるのだと、私は20年かけて思い知りました。
成績では測れない、三つの力
この仕事を続けてきて、私が心の底から確信していることがあります。まちづくりや公民連携に本当に要るのは、頭の良さでも、段取りの上手さでも、資料の美しさでもありません。学校の成績表では一点たりとも測れない、三つの力なのです。
一つ、相手の立場を理解する力。
二つ、答えの出ない曖昧さと共に生きる力。
三つ、保証なきまま信じて一歩を踏み出す力。
あえて言い切りますが、偏差値の高さは、この現場ではほとんど無力です。賢い人ほど、答えの出ない時間に耐えられず、拙速に白黒をつけて、かえって物事を壊していく。私はそういう場面を、数え切れないほど見てきました。この三つの力は、私がバレーボールのコートで選手たちに叩き込んできたものと、驚くほど同じ構造をしています。今日は、その話をさせてください。
相手の立場に立てないセッターは、名セッターになれない
一つめ、相手の立場を理解する力から始めます。
バレーボールで、いちばんの司令塔はセッターです。二流のセッターは、自分の上げたいトスを上げます。一流のセッターは違います。6人のスパイカーそれぞれの、その日の助走の速さ、肩の張り具合、さっきのミスを引きずっていないか、その気分の揺れまで読み切って、コンマ数秒のあいだにトスの高さと位置を変える。つまり一流のセッターは、常に「相手の立場」に立って、相手がいちばん打ちやすい球を届けているのです。
公民連携も、まったく同じです。行政の側は、民間には黒字がなければ一歩も動けないことを理解しなければならない。民間の側は、行政は利益では動かず、速くも動けず、多様な住民を背負っていることを理解しなければならない。この理解が抜け落ちたまま、自分の上げたい球ばかりを主張する人が、公共の現場には多すぎます。だから私の会社では、相手を論破して勝とうとする人間を、決して評価しません。論破は、相手の立場に立つことの、正反対の行為だからです。
答えの出ない曖昧さと、共に生きる
二つめ。ここが、20年やってきて、私がいちばん深く頷く力であります。
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