スクリーンにスキーム図が出た瞬間、スマホを構える人は、たぶんナニモわかっていない。
講演というものを、年に何十回とやらせていただいております。
まちづくりの話をし、ホテルの話をし、ときには資金調達の込み入った話までする。そうすると必ず、あるスライドで会場の空気が変わる瞬間があるのです。
それは、スクリーンに「スキーム図」が出た瞬間であります笑
SPCがあって、金融機関からの矢印がこう伸びて、自治体との協定がこう結ばれて――という、あの四角と矢印だらけの一枚。あれがスクリーンにパッと映し出された途端、それまで腕を組んで聞いていた紳士淑女たちが、一斉に、ほとんど反射的に、スマートフォンを構えるのであります。
パシャ。パシャパシャ。
会場のあちこちで、あの人工的なシャッター音が鳴り響く。まるでスクリーンの中に、明日から使える打ち出の小槌でも映っているかのように。
あえて厳しいことを言いますが、あの一枚を撮る人は、本質を掴めません
先に、あえて厳しい言葉を使うことをお許しください。
あのスキーム図を、食い入るようにスマホで撮っている方々の大半は、おそらく一生、経営の本質を掴めないのであります。
なぜなら、あの図の中には、経営はひとかけらも入っていないからです。
あそこに描かれているのは、あくまで「骨格」であります。SPCとGKの二層構造も、三段階に分けた調達計画も、たしかに設計としては美しい。私自身、あの図を一枚描き上げるのに、何ヶ月も胃を痛めながら組み上げてきたのですから、美しくないはずがない。
けれども、あの図をそっくりそのまま持ち帰って、ご自分の町でコピーしたところで、まず間違いなく回りません。断言いたします。
なぜなら、経営とは、どこまでいっても属人的なものだからであります。
私の会社は、講演で使った「儲けの設計図」を、あとから配りません
ここで、私の会社のルールをひとつ、恥を忍んで開示いたします。
私の会社では、講演で使ったスキーム図の類を、後日「資料ください」と請われても、原則としてお渡ししないことにしております。
出し惜しみをしているのではありません。むしろ逆で、渡したところで、その方のためにならないことを知っているからであります。
図というのは、恐ろしいもので、手元にあると「わかった気」にさせてしまう。四角と矢印が整然と並んだ紙を一枚持っているだけで、人はその事業を理解した気分になってしまうのです。そして、いちばん大事な問い――「この図の、どの矢印を、いったい誰が、どんな顔をして通すのか」――を、すっかり忘れてしまう。
あの資金の矢印一本を通すために、どれだけの金融機関の担当者と、どれだけ膝を突き合わせ、どれだけ「無理です」と言われ続けたか。あの協定の四角ひとつを結ぶために、どの職員の方が、どれだけ庁内で孤立しながら旗を振り続けてくれたか。
そこにしか、経営はないのであります。図には、その汗も、その孤独も、一滴も写らない。だから私は、渡さないのです。
では、背中を見て盗め、という根性論なのか
こう書くと、「なるほど岡崎は、結局は背中を見て盗め、という古い職人の話をしているのだな」と早合点される方が出てきます。
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