銭を寄せて円とする。
娘の出産・育児(新生児期)支援に行ってきました <side story 東京お散歩記 2>
東京都心に向かう通勤ラッシュ時間帯の混み具合は、昭和の頃から報道写真で知っていた。身動きできないほど混んでいるというのに、物理的に強引に更に押し込まれる。その様子に、これはワタクシなど生き残れぬ、と思ったものだ。
上京した折、都内の移動には主に電車を使う。時間帯には気を付けた。何せ生き残れそうにないのだ。そもそも余所者、乗車位置に辿り着くまでで、大抵力尽きている。
チャレンジャーとなるにやぶさかでは無いが、通勤ラッシュはちょっと。なんとか避けていたのだが、どうしてもその最中に突入せねばならないスケジュールになった。気合いを入れるしかない。
気持ちの問題はどうにでもするが、物理的なものはどうにもならない。初体験の都心通勤ラッシュ。おおお。見知らぬ人と体を密着させて、身動きできない。避けようと思って避けてきた、田舎者にとってのレア体験。
本当に動けないんだなぁ。目線ぐらいしか動かせないではないか。みっちみちである。
ふと気がついた。ほんの数メートル先の人たちが、不思議な姿勢で頑張っている。上半身をぐうっと反らす、他の乗客の肩と肩の間に頭を押し込む、吊り手の下がる鉄棒を握って身体を捻る。
通勤ラッシュとなれば働く大人がほとんどだろう。その半分ほどの身長の、新しい制服とランドセルの男の子の周りにぐるりと、空間が作られていたのだ。
男の子は、周りの大人が作った空間に、押されることなく潰されることなく、まっすぐ立っていた。
やがてその子の近くから乗降口まで、誰が声をかけるでもなく、少しずつ、道筋が作られ。子ども1人が通れるぐらいの道が開けられたとき、男の子はその道を歩いて、降りていった。
途端にわさわさと空間が崩れ、ギッチギチの通勤ラッシュ状態である。余裕などカケラも見当たらない。身動きできない。
誰が声をかけることもなく、合図をすることもなく。ごくごく自然に、大人が子どもを守っている。
1人がちょっと無理して作る2センチ3センチを、ラッシュ時の人数分足し合わせて、守っている。
これが生活だ。何気ない日常というものは、暴くものでも喧伝するものでもなく、こうやって一瞬、姿を見せる。
気付けて良かった。
『わたしの日々が言葉になるまで』
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