心理学 : こころを科学する 笹野 完二 (著)
自分や他人の行動を客観的にみることで、洞察力を養う。
「記憶」や「意志決定」は、どのようにしてなされるのか。
私たちは日常生活の中で、さまざまな行動を繰り返している。行動の背景には、「こころの働き方」があり、そのしくみを解明しようというのが心理学だ。本書は心理学の基礎的な知識を身につけるだけでなく、自他の行動の意味を洞察する力を養う一助となる。ここでは、本書の内容から「記憶」と「意志決定」にフォーカスして紹介する。
記憶は、思い出すことができなければ活用できない
私たちの生活は、記憶に支えられている。
記憶は「感覚貯蔵庫」「短期貯蔵庫」「長期貯蔵庫」という、3つの貯蔵庫から構成されると考えられている。そして、一般的に記憶という場合は、長期貯蔵庫内の記憶情報を指す。長期貯蔵庫は容量に限りがなく、具体的・抽象的な物事や事象、知識、体験、感情、イメージなどが貯蔵されている。そして、その内容は、常時意識されることはないが必要に応じて注意が向けられ、意識化されるという。
それでは、どうしたら長期貯蔵庫に情報を入れることができるのだろうか?
私は、憶えるのが苦手なので知りたい。
「記銘時になされた処理が、物理的表層的なレベルから意味記憶内容と関連づけるなど、処理が精緻化されるほど記憶が安定すると解釈されている」(本書から抜粋)
つまり、情報として頭に取り込むときに、その対象に「どんな意味があるのか」「どんな文脈や状況と関連があるのか」といった情報と合わせるほど、記憶が安定するという。ここで、以前読んだ本の内容を思い出した。そこには、「情報を自分ごとにして知識の中に取り込むには、メモするときに自分が感じた『気づき』を加えるとよい」とあった。
これらは、頭から情報を引っ張り出すとき(検索)の重要な手がかりとなる。「記憶」と聞くと「憶える」ことをイメージするが、必要なときにその情報が引き出せないと活用できない。「検索」という客観性を持つことで、記憶の捉え方が変わった。
知識の偏りは誤った判断の原因になる
私たちは意志決定をするときに、いくつかの選択肢を比較検討し、選択することによって生じる結果を予測する。そのとき、何を手がかりに意志決定をしているのだろうか? そのひとつが「利用可能性ヒューリスティック」だ。
ヒューリスティックとは、緻密な論理で一つひとつ確認しながら判断するのではなく、経験則や先入観に基づく直感で素早く判断することをいう。また、LTSは前述の長期貯蔵庫のことを指す。つまり、ある物事や事象について“パッ”と思いつく事例がたくさんあるほうに、判断されやすいということだ。著者はこう書く。
「われわれの記憶した知識に片寄りがないときは有効な方略になるが、そうでない場合は、誤った判断の原因になる」
本書は、教養として心理学を学ぼうとする学生や一般の人たちのために編集されたものだ。行動を客観的に捉えるヒントが書かれており、自分が無意識に行っていることに目を向けるきっかけにもなる。
文・コクブサトシ
[著者プロフィール]
笹野 完二(ささの・かんじ)
まえがき
本書は教養として心理学を学ぼうとする学生や一般の人たちのために編集されたものである。内容的には一般心理学といわれる領域のもので,個人の全生活に関わる基本的問題が扱われている。今日,心理学は非常に分化発展を遂げ,多様化し,それぞれの領域が専門化されているが,各領域の専門書だけでは,初めて心理学に接する方には難解であるばかりでなく,個人としての全体像や各領域の関連性が見失われる恐れがある。そこで,本書ではそうしたことを考慮しつつ,一人の人間の心の働きを全体的にみる観点と機能別にみる観点の両面からとらえることができるように配慮した。構成的には,まず個人を全体的に眺める観点から,性格・知能などを含む人格の問題や一生涯における発達的変化の問題などをとり上げる。次いで機能別に,知覚,学習・記憶,思考,感情などの問題をとり上げ,その後で再び全体的観点から動機,適応と不適応などの問題をとり上げる。そして最後に,人間の社会的行動に関する問題を扱うように構成した。また,補章として脳とこころの関係を概説することにしている。一人の人間のこころの働きを心理学的に理解していただくためには,このような順序がもっとも効果的であると信じているが,この意図さえ汲んでおいていただければ,どの章から読んでいただいてもかまわないと思う。
初めて心理学に接する人の中には,「心理学」という言葉の響きと人間のこころを扱うということへの興味とで,過大な期待をもって学習に臨む人が多い。それらの人の中には,やがて興味を失ったり,期待はずれの感じを持ったりする人も多い。そうしたことがどうして生ずるかといえば,一つは,学問としての心理学,とくに科学的心理学においては,人間のこころの働きの普遍性に多くの関心を向け,それを法則的にとらえようとしているのに対して,学習者が個々人の独自性に興味の中心を置き,人のこころを特殊的にとらえようとするところから来るものと思われる。しかし,心理学を深く学べば,人のこころの働きには,個々人の特殊性がある反面,かなり多くの共通性(普偏性)があることに気がつくであろう。自分自身の心理的体験が他の人にも共通した問題であることを発見したことによって自分自身を見る目が変わっただけでなく他人を見る目も変わったということは心理学の学習者によってしばしば語られることである。今一つは,科学的心理学が,一見神秘と思われる人間のこころの解き明かしを目指しているのに対して,ことさら神秘的に見ようとする場合である。素朴心理学といわれるものの中にはそのような見方がかなり根づいているようである。今日の心理学の中には,科学的心理学に反対する主張をするものもあるが,本書は,終始科学的心理学の立場に立って論述することにしている。
また本書は,現代心理学の内容を,学習者に分かりやすく,できるだけ平易に概説することを旨としているが,単なる入門手引書ではなくこれ自体完結した内容のものである。そして,現代心理学の研究成果や現在直面している諸問題もできるだけ多く紹介することに心がけている。本書で学習することによって,単に心理学の基礎的な知識を身につけるだけでなく,人間のこころの働きの本質を理解し,自他の行動の意味を洞察する力を養っていただくことを願っている。
本書は,大学で現に一般心理学の講義を担当しているそれぞれの分野の専門家によって分担執筆されたが,執筆者の人数は最小限にしぼった。その理由は上述の主旨を徹底させることと内容の統一を図るためである。執筆に先立って意見の交換をし,限られた紙面に何を盛るかということを決める前に,まず人間を理解するための心理学としてはどの情報が最重要であるかということを話し合った。また,執筆の過程で出てきた問題についてもその都度話し合って意見の統一を心がけたつもりである。しかし執筆者の方には多忙な時に随分無理な注文をして執筆していただいたので,万一不十分な点があるとすれば,それはすべて編者の責任である。本書の計画段階から完成まで2年近い年月を要したが,その間私達を絶えず励まし,ご協力下さったナカニシヤ出版の中西健夫社長,宍倉由高編集長はじめ編集部の方々に心より感謝の意を表します。
平成5年4月
編 者
第1章 心理学とは何か
本章では,心理学とはどのような学問であるかということについて概観する。こころについての日常的で素朴な見方と,学問としての心理学,とくに現代心理学のような科学的な見方とは,求めるものが多少異なっている。そこには,こころを神秘的で不可解なものとする見方と解き明かしすることを期待する見方との違いがある。学問としての心理学についても,こころとは何かということを追求することからはじまった古代ギリシャ時代の心理学から,こころの働きを科学的にとらえようとする現代の心理学までこころに対する見方の歴史的変遷がある。
また,こころと身体との関係をめぐって,多くの議論がある。古くはこころは身体とは異なる単一の実体とみられていたが,今日では生命現象の一側面としてのこころを想定し,その基礎に生理的過程があることを前提として考えるようになってきている。近年,脳の働きについての研究が盛んとなり,脳の働きと行動や意識との関連が次第に明らかになりつつあり,その点からもこころの働きが見直されている(こころと身体との関係については巻末の補章を参照されたい)。
1. こころの科学としての心理学
現代の心理学は「こころの科学」であるといわれている。「こころの科学」という場合,そこに2つの問題が含まれている。すなわち,「こころとは何か」ということと「こころは科学の対象になりうるか」という問題である。
(1) こころについて
こころというものがあるかどうかをめぐって,いろいろな角度からの見解がある。こころは目に見えない。そこで形象を示して実証することはできない。しかし,こころがあることは昔から信じられてきたようである。
そのもっとも原始的で素朴な考え方は,こころはものとは異なるもので,こころという単一な実体があるという考え方であった。その実体であるこころとは霊魂であって,身体に宿って身体を支配し,死ぬとその身体から離れるが,それは不滅であるという見方をしていた。古代から中世にかけて,そうした考え方が一般的であった。古代ギリシャにはじまる哲学でも,終始,こころと身体とは別個の存在として扱った(物心二元論)。そして,こころという実体の存在を立証しようとして,哲学者は苦労した。16-17世紀頃のフランスの哲学者デカルト(Descartes, R. 1596-1650)も「人間は思惟する精神をもつ,“我思う,故に,我在り”つまり,どんな懐疑論をもってしても,人間の考える働き,すなわち理性,こころの存在は否定できない」といった。
こころというもの,すなわち,こころという実体があると信じると,今度はこころというものと,身体というものとの関係はどのような関係であるかということが問題になってくる。古代から中世にかけての頃は,こころ,すなわち,霊魂による身体の支配を強調して説明した。デカルトに至っては心身相互相関説を唱えた。しかし,こころと身体とはまったく存在のあり方が異なるので,こころと身体とをまったく等しい資格をもつものとして論じても,結局はこころというものを論理的に説明することはむずかしかった。
近代に至って,こころというもの(=こころという実体)とは何かということや,こころはどこにあるかということを探し求めることは無意味で興味がない。こころがどんなものであろうとかまわない。それよりもこころがどんな働きをするかということが重要だとしてこころの働きが興味の対象となってきたのである。
こころというものが何かわからなくても,人のこころの働きについて語ることは可能である。すなわち,こころという実体を想定することなしに,人のこころの状態を記述することができるからである。たとえば,「Aさんが怒っている」ということはAさんの示す行動のパターンである顔を赤くしてふるえている,テーブルを叩き行動が乱暴になるというのを見ればわかるのである。こころの問題は永い間,哲学において論じられてきたが,やがて哲学から独立して「心理学」という学問が誕生した。それは今から100年ほど前のことであるが,その時はすでにこころの実体というものは対象ではなくて,心的状態を扱う学問として生まれたのである。
(2) 科学としての心理学について
科学(Science)の特徴は客観性,法則性,予測性の追求である。確実な事実を多く集めてそれを整理し,体系化する。そのなかから因果関係,構造などに関する法則を見出す。さらには現在の状態から将来を予見するのである。現代の心理学に求められているのは,このような科学的な見方や科学的方法である。
ところが,人間のこころは形がなく,見ることができないので,直観的,経験的,主観的な見方をしてしまいやすい。たとえば,人の性格についても,ある人が主観的,直観的に「あの人は怒りっぽい」「あの人はおとなしい」ということができるが,また別の人が見ると,そう思わないかもしれない。このような場合,どのようにして,客観的に扱うことができるであろうか。誰が見ても納得できるような見方というのは客観的な方法に基づいて,客観的な資料が求められねばならない。そのために,自己をできるだけ客観視するための方法として,質問紙法や一定の作業を課して行動上の特徴をとらえる作業検査法,あいまい刺激を与え,反応を分析する投影法などが開発されている。
こころの働きを客観的にとらえるために,外部から当人の生理的変化,表情,態度,言語など(広義の行動)を通して当人のこころの働きを察知することも行われている。客観的にとらえることによって,こころのような目に見えないものでも科学的に扱うことができるのである。今日の心理学が「行動の科学」ともいわれ行動を対象とする由縁もここにある。
人のこころは本来,個人的主観的なものであるが,大勢の人の行動を通して得られた資料を客観的に眺めてみると,人のこころの働きにはかなり共通性があることがわかる。すなわち,人の行動の原因と結果の関係,その行動を始発させる条件の働き方,行動の示し方などに共通性がある。しかし,細かくみれば,人により,同じ原因でも多少異なった行動を示すことも明らかである。その場合,客観的な資料があれば何が個体差を起こさせるのかを知ることができる。
このように,人はいかなる場合にいかなる行動をするかという行動の法則,換言すれば,こころの働き方の法則を知ることができる。従来の研究の結果によれば,人のこころの働き方には,物理学的法則とは異なる独特な法則を見出すことができ,人のこころを理解するのに非常に役立つのである。
また,人のこころの働き方のしくみを法則的にとらえることができれば,現在の状態から将来を予測することが可能となるであろう。ある人の能力や人格特性から将来のその人が示すであろう業績を予測することは誰もが予想できることであるが,その他にも,あらゆる面で行動の予測は可能であろう。個人の行動だけでなく,集団の行動予測もでき,また,人類全体の行動予測もできるのである。
2. 心理学の扱う問題
心理学の対象が人間のこころであり,生きている人間の行動全体であるから,扱う問題も,日常,私達の関わる問題のすべてである。微視的にみれば,私達を取り巻く環境をどのように認知するかという問題(認知,知覚の問題),直面する問題をどのように理解し,解決するかという問題(思考),私達の行動は,どのようにして生じ,どのような経過が予想できるかという問題(動機づけの問題),私達の行動の仕方は何らかの経験によって変容するが,それはどのような仕組みによって変容するのかという問題(学習の問題)などがある。また,巨視的にみると,個人の性格や能力をどのようにとらえるかという問題(人格の問題),個人が他の人びとや集団・社会とどのように関わるかという問題(社会的行動の問題),人は生まれてから死ぬまでの間に発達的に変化していくが,それはどのような変り方をするのであるかというような問題(発達心理学の問題)などがある。
心理学はこのようなことに関わる人間行動の一般法則(共通性,普遍性)を探求することをひとつの任務としている。そこで,まず日常行動のあらゆる面についての観察,個々の事例の記録の集積と分析を通じて行動の原因と結果に関する仮説の設定,それを実験ないし調査によって検証する過程を経るのである。
一方,個人の立場に視点を移すと,行動の一般法則だけでは説明できない諸事情(特殊性)が存在する。それは個人差の問題である。さらに適応という視点からみるとき,情緒的,行動的に環境情況にうまく適応していけない場合がある。その原因が何であるか,どのようにすれば適応できるようになるかということが,心理学に課せられた課題である。これは個人の特殊な事情だけでなく,環境情況および,それらの関わり合いのために生じる結果であって,単なる個人差の問題ではない。また,不適応が生じる原因にも,多くの事例に共通する原因があって,その共通性を追求していくことも,心理学の課題である。
このように,心理学の扱う問題は非常に多くの領域にわたるので,学問領域(分野)もまた,分化してきている。上記の一般法則を追求する分野では,知覚(認知)心理学,思考心理学,学習心理学,人格心理学,社会心理学,発達心理学などのように,それぞれの分野に分かれて探求されている。また,不適応に関しては臨床心理学の領域で扱われ,個人の不適応の診断と治療に関わるとともに,不適応の一般理論にも関わっている。
近年,脳科学が飛躍的に発展し,脳の構造や機能がしだいに解明されてくるのにともない,脳の働きと行動や意識との関連を改めて見直す必要がおこってきた。またコンピュータの進歩によって,記憶,問題解決,パターン認識などの情報処理過程の研究がすすみ,心的機能のモデル化も新しい課題となった。このように今日では,他の研究分野との関連の中で,学際的研究を行うことが重要視されるようになってきた。
また,応用面が拡大し,教育心理学,体育心理学,犯罪心理学,家族心理学,健康心理学,経営心理学,環境心理学,交通心理学など,日常生活のあらゆる面にわたる研究が行われるようになってきた。これらは,心理学の基礎的研究の成果をそれぞれの分野に単に応用するのでなく,各応用分野で提起された問題を,心理学的に解明していくことを目指しているので,これから,ますます,応用範囲が拡大していくことであろう。
3. 心理学の歴史
(1) 心理学の起源
人間のこころの問題が組織的に学問として取り上げられたのは,紀元前4世紀のギリシャ哲学に起源をみることができる。しかし,哲学から独立した科学としての心理学の始まりに起源を求めるとすれば,19世紀後半の実験心理学の開始が心理学の誕生ということになる。エビングハウス(Ebbinghaus, H. 1850-1909)の「心理学は長い過去をもっているが,その歴史は短い」という言葉のように,心理学は古くから考えられていたが,現在のような心理学はいまだ100年あまりしか経っていないのである。
ちなみに,心理学(Psychologia, Psychology)の語源は,ギリシャ語のpsyche(心)とlogos(学)であるが,ラテン語のPsychologiaが最初に用いられたのは,16世紀末であるといわれている。また,「心理学」という日本語は1878年(明治11年)西周によって“Mental Philosophy”が「心理学」として訳されて以来,使用されるようになったといわれている。
本稿では,心理学の独立を一応の起点とし,それ以前とそれ以後に分けてみていくことにしよう。
(2) 独立以前の哲学的心理学
こころに関する最古の著書といわれている「De Anima(精神論)」はアリストテレス(Aristotle 384-322 B. C.)によって書かれたものである。彼はこころを生物の本質的な属性と考え,身体とは分離し難いもので,こころの働きは身体を通して具現されるとした。彼は経験的事実を重んじ,すべての知識は経験によってもたらされると述べている。また,感覚について,視・聴・嗅・味・触の五感のほか,それらに共通的に感じられる共通感覚をあげたり,連想の法則として,類似・反対・接近の3つをあげるなど経験論,連合論の元祖として,後世の心理学に大きな影響を与えた。
アリストテレス死後,中世にかけて,心理学の理論における進展はなく,こころや精神の問題も宗教的,倫理的観点からのみ論ぜられた。その内容はアウグスチヌス(Augustinus, A. 354-430)に代表されるように意識は神から与えられた霊魂の作用であり,身体にはないという心身二元論に立脚して,宗教的内的経験が重視され,内省的観察法が用いられた。
14世紀頃からはじまるルネサンスによって,これまでの宗教的権威から解放された人間研究の気運が高まった。天文学,物理学,生理学などの自然科学が誕生し,科学的精神が一般社会にまで拡がっていくなかで近世哲学が始まった。
フランス近世哲学の祖といわれるデカルト(Descartes, R. 1596-1650)は近世心理学の祖でもある。彼はプラトンの心身二元論を復活し,思惟する精神と物としての身体とをはっきり分離する立場をとったが,精神と身体は松果腺で結ばれ,相互に作用し合っていると述べた。この考え方は,従来の一般論であった精神が身体に影響を与えるという考え方に加えて,身体もまた精神に対して従来想定されていたよりも強い影響を与えることを強調した新しい見解であった。
デカルトは観念の生得説を主張したが,一方で,身体を精神と切り離して考えることにより,身体の生理的機能を物理的用語で説明したり,機械論的な解釈を行ったりして,身体の機械論について述べている。
英国で始まった経験主義哲学(経験論)も後の心理学の発展に大きな影響を与えた。ホッブス(Hobbes, T. 1588-1679)やロック(Locke, J. 1632-1702)に始まる経験論は経験を人間の知識の源泉と考え,デカルトの観念の生得説を排した。ロックは「人間悟性論」において,人間の心は元来白紙であるが,感覚と内省の経験によって,観念が生まれ,それが合成されて複合観念となると主張した。この考え方は,バークリー(Berkeley, G. 1685-1753),ヒューム(Hume, D. 1711-1776),ハートレイ(Hartley, D. 1705-1757),ミル(Mill, J. 1773-1836)へと発展し,経験的,要素的,機械論的色彩を強めていった。すなわち,彼らの主張するところは,感覚過程の重要な役割,意識的経験の要素への分析,連合の機制による諸要素の統合,意識過程への注目などであった。これは,連合心理学,構成心理学,行動主義心理学へとつながる一連の流れの源泉となった。
19世紀になると,科学的研究がヨーロッパ全域で盛んになったが,とりわけドイツにおける生理学の研究は心理学の独立と関連が大きかったので特筆されねばならない。まず,感覚生理学の分野では,チャールズ・ベル(Bell, C. 1774-1842)が運動神経と感覚神経の違い(反射弓)を発見し,「特殊エネルギーの法則」として展開し,ヨハネス・ミュラー(Meuller, J. P. 1801-1858)は当時の生理学を体系づけ「生理学提要」にまとめあげた。また,ヘルムホルツ(Helmholtz, H. L. F. 1821-1894)は神経興奮伝達速度の測定(1800年)をはじめ,音調感覚の研究や色感覚の研究など先駆的な研究を行った。一方,精神物理学的方法については,ウェーバー(Weber, E. H. 1792-1874)が触覚や運動感覚の研究を行い,丁度可知差異(弁別閾)の測定から,感覚の強さと弁別閾とが比例するというウェーバーの法則(Weber's law)を発見した。フェヒナー(Fechner, G. T. 1801-1887)はこれをさらに発展させ,感覚は刺激価の対数の1次関数になるというフェヒナーの法則(Fechner's law)を見出した。
いかなる知識でも,事実と観察との数が増加してくると,自然,自立の傾向を示してくる。そして,新しい科学が生まれる素地ができ上がったといえる。いわば,たゆまざる研究の集積と形而上学からの分離,これが哲学から独立した条件でもあった。
(3) 心理学の独立
1) 実験心理学の開始 ヴント(Wundt, W. 1832-1920)は心理学者と呼びうる最初の人といえるであろう。彼は哲学者でもあったが,独立科学としての実験心理学という考えを確立した最初の人であった。彼はドイツのアーデン地方の牧師の子として生まれ,12歳でチュービンゲン大学に入学し,その後,ハイデルベルク大学,ベルリン大学を経て,生物学,物理学を学んだ。彼ははじめ医者になろうと決心していたが,一生を研究生活に捧げることとなった。彼は実験心理学の最初の書である「感覚知覚説貢献」(1858-1862)を著し,1879年にはライプチヒ大学に世界最初の心理学の実験室を開設した。彼は心理学を経験科学であると考え,形而上学を攻撃した。心理学は直接経験の学であると論じている。すなわち,心理学と物的科学との差別は経験を眺める見地の差にあるのであって,経験そのものが違うのではないとした。そこで,彼は心理学の研究法は自己観察,内観であるといった。
しかし,彼は二元論者であり,精神と身体は全然違ったもの,両者は並行するものと考えた(精神物理的並行)。また,心理学の目標はこころを簡単に分析して,それらの質から成り立っている各種の形式を決定することであると述べた。その意味で要素主義者であった。さらに,心的要素の働きを結びつけるものとして,統覚という考えを用いた。そこで彼の心理学を統覚心理学とも呼ぶ。
ヴントの残した足跡の中で,実験的方法は今日まで受けつがれて発展をつづけたが,その要素主義は後の学派,すなわち,ゲシュタルト心理学や行動主義心理学から批判され,反発されるところとなった。
2) イギリスにおける新心理学 1890年から1910年に至る20年間にドイツとアメリカでは多くの大学に心理学実験場が開設されたが,連想心理学の元祖であるイギリスでは新心理学は容易に受け入れられなかった。
イギリスの新心理学の代表者は,ゴールトン(Golton, F. 1822-1911)であった。ダーウィンの進化論(1859)の影響を受け,心的遺伝の興味から出発し,人間能力の研究,優生学,相関研究を含む統計的研究法を発達させ,今日の個人的心理学の基礎をつくった。
彼自身は内観にすぐれた人であり,心像(image)の研究は有名である。しかし,彼は学派をもたなかったので,ヴントほどの影響は与えなかったが,やがて,キャッテル(Cattell, J. M. 1860-1944)らによる個人差の研究,mental testが,新大陸アメリカでめざましい発展をとげたのである。
3) アメリカの心理学 アメリカ心理学の開祖はジェームズ(James, W. 1842-1910)で,1875年,ヴントがライプチヒに移った年に,すでに生理学的心理学の講義をはじめていた。彼自身は実験家ではなかったが,ドイツの実験的方法をアメリカに移入するとともに,心の機能的意味を強調することによって,アメリカ的色彩を生んだのである。
アメリカの学生の多数がヴントの下で学び,帰米して,各地方に実験場を開設した。そこで表面上はドイツ的であったが,しかし,内容はヴントよりもゴールトンに近いものであった。キャッテルはアメリカ心理学の指導者の一人で個人差の研究に貢献した。彼の研究には反応時間の研究,連想時間の測定,読書時間,誤差の法則,mental testなどがあり,ハル(Hull, G. S.),ソーンダイク(Thorndike, E. L.),ワトソン(Watson, J. B.)などにも影響を与えた。
4) フランスの心理学 フランスでは,科学としての心理学の成立はやや遅れた。リボー(Ribot, T. A. 1839-1916)は精神の病気は自然が人間に与えた実験とみて,異常心理学の知見を正常な心の解明のために用いる病理学的方法を考えた。この方法はフランス心理学の伝統のひとつとなって,デュマ(Dumas, G.)の感情の研究やジャネ(Janet, P. 1859-1947)のヒステリーや異常心理学の研究に影響を与えている。また,ビネー(Binet, A. 1857-1911),シモン(Simon, T. 1873-1961)による知能検査の作成は有名である。
(4) 現代心理学と学派
1) 行動主義心理学(behaviorism) 当時の意識内容の分析を中心とする伝統的な心理学に反対し,心理学が科学的であるためには客観的に観察可能な行動を対象とすべきであるとして,ワトソン(Watson, J. B. 1878-1958)は行動主義心理学を提唱した。ワトソンは心理学の目的は行動の法則を定式化し,行動を予測し,それをコントロールすることであると論じ,行動の単位は刺激―反応の結合からなるとした。彼の主張は,当時のプラグマティズムや実証主義の流れと合流してアメリカ心理学の客観主義への移行を助けた。しかし,ワトソンの行動主義は,微視的な原子論,要素論に根ざしており,刺激と反応の関係があまりにも直接的であった。それを克服するものとして,刺激―反応の間に介在する有機体内の諸条件を考慮する新行動主義が登場した。
トールマン(Tolman, E. C. 1886-1959)は巨視的立場から目的論的行動主義を唱えた。彼は,すべての行動が目標に方向づけられているとし,学習は目的に関わる高度に客観的な行動の証拠事実であると述べている。そして,行動は単なる刺激(独立変数)と反応(従属変数)の結合(S-R)ではなく,その間に媒介変数としての内的過程が介在するとして,S-O-Rと修正した。
ハル(Hull, C. L. 1884-1952)は先に仮説を立て,それを実験によって検証する仮説演繹法を導入し,行動や学習の過程を数式で表す体系化を行った。またガスリー(Guthrie, E. R. 1886- 1959)はS-R接近理論を立て,刺激と反応の結合の強さは時間的・空間的接近に依存することを主張した。一方,スキナー(Skinner, B. F. 1904-1990)は,条件づけの新しい形態で,生活体が自発する反応を選択的に強化するオペラント条件づけの研究を行ったが,彼の方法は帰納的で,直接観察しうる刺激と反応のみを扱った。したがって,刺激,反応間に媒介変数を置くことを認めず,その点ではワトソンの行動主義に近いが,生活体の能動的な行動を出発点にしているところが異なっており,独特である。
2) ゲシュタルト心理学 ワトソンが行動主義を唱えていた頃,ヨーロッパでは別の動きがあった。ヴェルトハイマー(Wertheimer, M. 1880- 1943),ケーラー(Köhler, W. 1887-1967),コフカ(Koffka, K. 1886-1941)らを中心とするゲシュタルト心理学(Gestalt psychology,形態心理学)の一派である。
ヴェルトハイマーは仮現運動の研究から,心理現象は要素を越えた全体的性質(形態,Gestalt)を形成しており,要素には分析できないと主張し,要素主義心理学が根拠としていた個々の刺激と感覚との間の固定的な対応関係(恒常仮定)を否定した。
部分に対する全体の優位性の主張は,ケーラーによるチンパンジーの学習実験の解釈に洞察(課題事態の構造の了解)という概念で用いられ,コフカによる発達心理学の所説にも用いられた。レヴィン(Lewin, K. 1890-1947)はまたそれらの原理を動機づけ,人格,社会的過程などに適用し,“場理論”として発展させた。グループ・ダイナミックス(集団力学)もそのひとつである。
ゲシュタルト心理学はこのように心理学のいろいろの分野において適用され,一方で要素主義心理学を,また他方で行動主義心理学を批判した。
3) 精神分析学 行動を支配する無意識の過程に着目し,これを重視して研究主題としたのはフロイト(Freud, S. 1856-1939)であった。彼は臨床で精神疾患の診療を行っている過程でこのことを発見したのであった。人の精神作用は意識,前意識,無意識の三層からなり,無意識は欲望が抑圧され,意識から分離された心の世界である。それは無意識的動機となって人間の行動を左右する。その中核となるものがリビドー(libido,汎性欲)であるとする。その無意識界の原始的衝動であるイド(id)をコントロールする自我(ego)が生まれ,さらにその自我が教育されたり社会的規範の影響を受けて超自我(super-ego)が形成されると,人格にはイド,自我,超自我の3領域ができる。自我はイドを統制し,超自我はイド,自我を統制する。無意識界に抑圧され,閉じ込められた願望は,時にコンプレックスとなり,精神異常の原因となるので,催眠,自由連想,夢の分析などの方法によって,このコンプレックスを無意識界から解放し,意識の統制下におくように患者に働きかけるのが精神分析である。
精神分析学派は,S.フロイトの理論を比較的忠実に受け継ぎ,発展させたA.フロイトやエリクソン(Erikson, E. H.),リビドー論に対する批判から訣別し,独自の理論を展開したアドラー(Adler, A. 1870-1937),ユング(Jung, C. 1875-1961)の他に,フロイト理論を修正したり,乗り越えようとしたホルネイ(Horney, K. 1885-1952),フロム(Fromm, E. 1900-1980),サリヴァン(Sullivan, H. S. 1892-1949),クライン(Klein, M. 1882-1960)らの新フロイト派の人達がいる。
(5) 拡大と統合の時代
上記のような学派は,独自の明確な主張をもっているため,台頭した当時は必ずしも容易には受け入れられなかったが,時を経て,その意図が一般に理解されてきたことや極端な主張が多少修正されてきたことなどにより,心理学のより大きな体系の中に吸収され,ひとつの学説として今日に受け継がれている。今日では,以前のようにひとつの学説にとらわれず,多方面にわたる研究が行われており,隣接科学との連携による学際的な研究も活発に行われていて,新しい視点から見た学問再編の動きもある。そうしたなかで,古い学説を見直しながら新しい理論化を進めることもこれからの課題であろう。
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物心二元論,心身相互相関説,行動の科学,哲学的心理学,実験心理学,連想心理学,異常心理学,行動主義心理学,ゲシュタルト心理学,精神分析学
第2章 人格
あなたの身近な人を数人思い浮かべてみよう。よく似ているといわれる人でも,まったく同じ人はいないことに気づくであろう。私たちのまわりの人は実にさまざまで「十人十色」とか「百人百様」といわれていることがうなずける。わが国では,この人さまざまの面を「知・情・意」で表すことが多い。夏目漱石の『草枕』に「智に働けば角が立つ。情に桿させば流される。意地を通せば窮屈だ」という名文があり,人間のこころの働きを巧みにとらえていると考えられる。
心理学では,この「知」の働きの面を「知能」の分野で研究している。「情」は「感情・情動」の分野で,そして「意」は「意志・動機づけ」の分野ということになる。本書ではこれらを各章に分けて取り上げているところである。しかし,具体的な人物を考えるとき,これら知・情・意はばらばらにあるのではなく,その人のうちではまとまっていて,全体としてユニークな姿として現れてくる。しかもそれは比較的一定しているので,「あの人らしい」といわれるのである。しかし,ときにそれが崩れると「人が変わったみたい」「いつものあの人らしくない」といわれることにもなる。この人さまざまの面を心理学では「人格」という用語で取り上げて,いろいろな角度から研究しているのである。
1. 人格とは
「人格」は英語のpersonalityの訳である。日本語では日常的に「人格者」というように価値概念が入ったものとして使用されることが多いが,心理学用語では,善悪などの道徳性の価値の意味を含めないで使用している。オルポート(Allport, 1961)は「人格とは,個人のうちにあって,その人の特徴的な行動と思考とを決定づけるところの,精神身体的体系のダイナミックな組織である」と定義している。こころと身体の両機能がからみあったまとまりのある統一体としてとらえ,環境に対して独自的にふるまうその人らしさを,人格(パーソナリティ)というのである。
「性格」(character)は,人格とほぼ同義的に使用される用語であるが,人格の下位概念として位置づけられている。すなわち,人格の知的な面を「知能」で,情意的な面を「性格」で取り上げることが多い。したがって,日本語の語感では,「性格」の方がパーソナリティの意味に近いともいえる。
また,「気質」(temperament)という用語は人格の下位概念であるが,性格の基礎部分としての体質的・情動的反応の特徴の面を指し,遺伝的素質とみることが多い。
2. 人格の理解に関する理論
人格を理解するために,これまでに多くの研究者たちがさまざまの角度から検討して,優れた人格理論を構成している。ここではまず,タイプに分ける考え方や特性を見つける考え方を検討し,さらに,特定の構造をモデル的に想定するものなどを紹介する。
(1) 類型論(タイポロジー)
一定の基準に従って,限られた少数のタイプに分類して人格を理解しようとする考え方である。古代ギリシャ時代のヒポクラテスが,体液の種類によって,多血質,憂うつ質,胆汁質,粘液質の4つの気質を想定して分類したと伝えられているが,2000年以上も昔から発想されていた考え方といえる。
1) クレッチマーの体格と性格 科学的な方法で類型を提唱した人はクレッチマー(Kretschmer, 1921, 1955)が最初であると考えられる。精神病理学の臨床経験から,精神分裂病患者にやせ型の人が多く,躁うつ病患者にふとり型が多いことに気づき,図2‐1のような統計を取った。その後に,てんかん患者と闘士型の相関も認め,細長型(やせ型),肥満型(ふとり型),闘士型(筋骨型)を主要な3体型とした。図2‐2はクレッチマーの明らかにした3体型である。

これらの患者の発病前の性格について関連があることを認め,さらに正常な人にも同様な対応関係があることを認めた。こうして,「分裂気質」とやせ型,「躁うつ気質」とふとり型,「粘着気質」と筋骨型という,3気質と3体型の結びつきを明らかにしたのである。クレッチマーは,気質は脳の状態とホルモン群に依存していると考え,正常な人では比較的おだやかな形をとっているが,病的な人ほどその傾向が極端に現れるものだと考えたのである。
3つの気質とその特徴は,次のようにまとめられる。
①分裂気質 非社交的,静か,控え目,まじめ,変人という自閉性を一般的特徴として,過敏性(臆病,恥ずかしがり,敏感,神経質,興奮しやすい)の徴候と,反対の極の麻痺,鈍感,自発能力の減退(従順,気だてよい,正直,無関心)の徴候を合わせてもっている。
②躁うつ気質 社交的,善良,親切,温厚という特徴を基本にして,明朗,ユーモアがある,活発,激しやすい(躁状態の特徴)と,寡黙,平静,陰うつ,気が弱い(うつ状態の特徴)との間で波のように交代する。
③粘着気質 静かでエネルギッシュ,きちょうめん,硬いという一般的特徴があり,平素はくそまじめ,ばか丁寧,まわりくどいという粘着性を示すが,時として,自己主張,興奮すると夢中になる,激怒しやすいという爆発性が現れる。
2) シェルドンの体格と性格 シェルドンら(Sheldon et al., 1942)は,健常な大学生を対象に調査して,体格と性格に統計的に高い相関のあることを見出した。体格を胎生期の胚葉の発達に求め,内胚葉型,中胚葉型,外胚葉型の3体型に分類した。内胚葉型は内臓が発達してやわらかでまるい体格であり,中胚葉型は筋骨が発達して角張ったがっちりした体格であり,外胚葉型は神経系が発達して細長く弱々しい体格である。性格も3つに分類して,それぞれの体格に対応させている。「内臓緊張型」は安楽を好む,社交的,寛容であるといい,「身体緊張型」は精力的,運動好き,自己主張が強い,そして,「頭脳緊張型」は控え目,心配性,社交をさける,という特徴があるとした。
研究の方法は異なるが,クレッチマーとほぼ同じような成果を得ているのは興味深いところである。
3) ユングの外向型と内向型 ユング(Jung, 1921)は,一般的な心的エネルギーが,主として外に向けられて,外部の人や事物に関心が集まる傾向をもつ人を「外向型」と呼び,それとは逆に,その人の興味や関心が内面に向けられて,自己に集まる傾向をもつ人を「内向型」と呼んだのである。
外向型の人の一般的態度は,社交的で活動的であり,決断が速く,統率力があって実行力に富むという特徴をもつ。内向的な人の一般的態度は,控え目で思慮深く,非社交的であり,決断がつきにくく実行力に乏しいという特徴がある。また,「意識の態度」と「無意識の態度」を考えて,意識の態度で外向的な人は,無意識の態度では内向的であり,意識の態度で内向的な人は,無意識の態度では外向的であるというように,外向と内向は,ひとつの人格のなかでは補償的関係にあるとしている。
さらにユングは,この外向・内向の一般的態度とは別に,思考・感情・感覚・直観の4つの心理機能類型を考えており,これらの組み合わせから次の8つのタイプ,すなわち①外向的思考型,②内向的思考型,③外向的感情型,④内向的感情型,⑤外向的感覚型,⑥内向的感覚型,⑦外向的直観型,⑧内向的直観型を基本類型とした。
(2) 特性論・因子論
類型論が典型的なタイプを設定し,それに各人をあてはめて理解しようとしたのに対し,特性論はすべての人に共通する特性をあげて,どの特性が強く,どの特性が弱いかで個人の特性を見出そうとする考え方である。
オルポート(1937)は,英語の辞書のなかから,特性に関係しそうな単語を分類・整理して,人格のプロフィールを描くのに必要なだけの特性の尺度軸を見つける努力をした。この特性(trait)とは,人の示す行動特徴として習慣的に一貫して現れる,かなり安定した行動傾向のことであり,誰もが多かれ少なかれもちあわせているものである。オルポートは,図2‐3のように,3つの「表出的特性」と11の「態度的特性」とを抽出して,これを人間の基本的「共通特性」とした。

特性論は,さらに因子分析の手法を採用することで,因子論へと発展した。キャッテル(Cattell, 1955)は次の12の因子を抽出した。①躁うつ気質―分裂気質,②一般的精神能力―知能欠如,③情緒安定性―神経症的情緒不安定,④支配性―服従性,⑤高潮性―退潮性,⑥積極的性格―依存的性格,⑦冒険的躁うつ気質―退嬰的分裂気質,⑧敏感な小児的な空想的な情緒性―成熟したしっかりした落ちつき,⑨社会的に洗練された教養ある精神―無教養,⑩信心深い躁うつ気質―偏執病,⑥ボヘミアン風の無頓着―月並みの現実主義,⑩如才なさ―単純さ。
このような考え方は,「矢田部・ギルフォード性格検査」(矢田部,1955)でわが国でもよく知られているギルフォード(Guilford, J. P.)や,次の項で紹介するアイゼンク(Eysenck, 1967)などによって発展的に研究され,類型論の利点も取り入れられた優れた人格検査が構成されている。

(3) 構造論
人格が特定の目に見える形をもつものではないが,模式図的に表して,いくつかの部分に分けたり,階層を想定して考察する立場である。多様な角度のものがあるが,ここでは代表的な3つの理論から4つの図を紹介する。それぞれの特徴は,各図に書かれた解説を参照されたい。


3. 人格の測定法
前の節で紹介したように,人格を理解する考え方も多彩であるが,人格を測定しようという試みもさまざまの角度から試みられている。わが国では,「人格検査」ともいわれるが,「性格検査」と呼ばれることが多い。
検査の形態からすると,大きくは質問紙法・作業検査法・投影法の3種類に分けられる。次にそれぞれの代表的な検査について,概要を説明する。
(1) 質問紙法
いくつかの質問項目に「はい」「いいえ」などで答えることによって,測定したい性格の側面を,数量的に把握し,プロフィールを描いたり,パターンを特定したりする方法である。回答者が質問項目の意味を正しくとらえて答える能力をもたない場合は,結果の信頼性が乏しくなったりするし,解釈や判断をする人の意識的ないし無意識的な作為によるゆがみが生じる可能性のある点が短所であるが,客観的に判定することができ,比較的短時間で処理でき,集団的にも実施できるという長所をもっている。
矢田部ギルフォード性格検査(通称YGテスト),ミネソタ多面性人格目録(MMPI),モーズレイ性格検査(MPI),顕在性不安検査(MAS)などはよく利用される代表的な質問紙による検査である。質問紙法を体験してみるために28ページに「エゴグラム」を掲載したので各自演習してみるとよい。これは精神分析の流れをくむ「交流分析」のうちの自我状態をチェックするための質問紙である(この章の末尾に解釈の例があるので参照されたい)。
(2) 作業検査法
一定の作業を連続して行うときの経過あるいは結果によって,人格を検査しようとするものである。ダウニーの意志気質検査,クレペリンの精神作業検査などがある。図2‐8は,内田クレペリン精神検査の結果の一例である。この検査は,数字の行列が印刷された用紙で加算作業を行うものである。1分毎に行を替えながら,前半は15分間連続して加算作業をし,5分間の休憩の後,後半10分(15分もある)作業をする。作業量によって5段階(AU,A,B,C,D)に分類される。また,各行の作業末尾を結ぶことで,作業曲線が描かれ,初頭努力,休憩効果,動揺,エラーなどの状態に基づき,質的な判定がされる。

(3) 投影法
あいまいで多義的な刺激を与え,それを自由に意味づけさせることにより,その人の内面的欲求や感情がとらえられるとして,間接的に人格を理解しようとする方法である。無意識的な深層心理を含んだ人格を全体的,力動的に理解できる長所がある。しかし,検査者に高度の経験や洞察力が要求されること,主観が入りやすいことなどが難点である。主なものに,ロールシャッハテスト,主題統覚検査(TAT;児童版はCATという),絵画欲求不満検査(PFスタディ),文章完成法(SCT)などがある。図2‐9は投影法の検査の図版例である。



4. 人格の形成
人格の形成は,多くの規定因に基づくと思われるが,大きく2つの観点から考察する。ひとつは遺伝的規定性に負うことの多い生物学的要因であり,もうひとつは環境的な影響の面で,社会文化的要因である。
(1) 生物学的要因
生物には多くの種があるが,人類もそのうちの一種として過去何世代もの生命の営みを繰り返してきた。いくら科学万能の現代で,試験管ベビーができるといっても,哺乳動物であり人間であることに変わりはない。この世代間の継続性について遺伝の概念が提唱されて久しいが,最近の分子生物学は,遺伝情報を伝える化学物質の存在を明らかにしている。たとえば,DNA(デオキシリボ核酸)の構造を解明したり,その役割として,たんぱく質の合成を決定する情報をもつことなどが判ってきた。したがって,脳・神経系が形成されるのもDNAの情報に基づくのであり,神経系の活動のちがいがそれぞれの人の特徴を示すことになる。人の環境への適応は,次のことにより果たされる。すなわち,外的には脳幹網様体の機能により調整され,内的には大脳辺縁系のコントロールにより自律神経系と内分泌系の機能により,調節される。
アイゼンクは,内向性―外向性の人格特性が,大脳皮質の興奮と制止のレベルに規定された,喚起水準に関連があることを明らかにしている。
(2) 社会文化的要因
その人を取り巻く環境には,気候,風土などの地理的,自然的な環境と共に,人間の構築した社会や文化といういわば人的な環境が考えられるが,個人の人格形成にはこれらが多面的に影響していると考えられる。発達の初期すなわち幼少期には,とくに母親を中心とした養育者がその子の最重要な環境となっている。社会的存在である人間は,社会という集団のなかで育つのであり,養育者を窓口として,その社会や文化に規定された行動の仕方,ものの考え方などを取り入れているといえる。取り入れの窓口はその個人の成長と共に拡大していくのである。
(3) 家族関係と人格形成
上述の生物学的要因と,社会文化的要因とは切り離されるものではなく,密接に関連しているのであるが,家庭というある程度限られた空間のなかで家族と生活を共にする幼少期を中心に考察してみよう。
精神分析の立場でフロイト(Freud, S.)は,性格形成は周りの人との愛情交流のしかたによると考えて,いくつかの発達の段階を想定して,各段階にこだわりが残れば特有の性格が見られるようになるとした(表2‐2参照)。

エリクソン(Erikson, 1959)は,フロイトの考えを発展させ,世代から世代へと受け継がれるライフサイクルの観点から,個人の人格の形成をとらえた。ライフサイクルは8段階に区分され,漸成原理という内的法則に従いながら,環境との相互作用のなかで成長していく姿を示している(第4章参照)。
[キーワード]
人格,性格,気質,類型論,特性論,構造論,人格検査(性格検査),質問紙法,作業検査法,投影法
[エゴグラムの見方]
CP:厳格で批判的な親の心(父心)。低い場合はルース,まあまあ主義。
NP:世話好きでやさしい親の心(母心)。低い人は淡泊,面倒見が良くない。
A:合理的で現実的なおとなの心。低い人は詩人的,お人好し,世間知らず。
FC:自由奔放,天真らんまんな子ども心。低い人は畏縮型,若年寄り。
AC:優等生,素直な良い子の子ども心。低い人はひねくれ,反抗的。
[パターンの見方]
自分と他人の見方が肯定的か否定的かによって,次の図のような4つの基本的なパターンが分類される。
(1) 自他肯定型は,平ら型,ベル型(山型)となり,問題の少ない健全なタイプといえる。FCが高くなったM型は,子どもからすると良い母の型となる。
(2) 自他否定型は,U字型となり,自分にも他人にも否定的で,自分の殻に閉じ込もり,虚無的,絶望的に考えやすいタイプといえる。この型からAが高くなってW型になると,自己破壊型といわれるようなタイプともなる。
(3) 自己肯定・他者否定型は,逆N字型になる。支配的で独りよがりである。
(4) 自己否定・他者肯定型は,N字型になり,ノイローゼタイプといえる。

第3章 知能
人間はもっとも知性の発達した生物であるといわれている。心理学用語としての知能(intelligence)は,人間の能力のうち知的機能の個人差をあらわす指標として使われている。日常的にも,知能が高いとか低いといって,頭のよさを表わすものとして使うが,実際には何を指して「頭がよい」というのかが問題であり,この点をまず掘り下げてみる必要がある。これは知能観の問題であり,心理学の課題のひとつである。
また,知能はどのようなしくみになっているかということも興味ある問題であるが,これに関しては知能因子の発見や,知能の構造を明らかにしようとしたこれまでの研究を通して検討してみよう。知能を測定し,評価するということも科学的心理学の課題であった。知能が身長や体重と同じように測定可能であろうか。この課題の解決のために一世紀に及ぶ研究の歴史があり,知能検査が発展してきている。また,知能は発達的に変化するというがそれはどのようなことと関係しているであろうか,あるいは性差や地域差が見られるのであろうか。知能の発達について,いくつかの角度から検討してみよう。
1. 知能とは何か
知能とは何か,という問題を追求して,多くの定義が試みられてきた。これまでの定義を大別すると次のようになる(シンポジウム,1921)。
①知能は学習能力であるとする説(ウッドロー Woodrow, 1921)
②知識への能力および所有される知識であるとする説(ヘンモンHenmon, 1921)
③高等な抽象的思考能力であるとする説(ターマン Terman, 1921;サーストン Thurstone, 1938)
④新しい環境への適応能力であるとする説(シュテルン Stern, 1928)
さらに,これらの諸定義を包括するような説も提唱された。その代表的なものにウェクスラー(Wechsler, 1939)の定義がある。すなわち「知能とは,各個人が目的に合うように行動し,合理的に思考し,自分の環境を効果的に処理できる総合的,または全体的能力である」としている。
ウェクスラーの定義は上記の①から④までのすべてを含んでいるだけでなく,力動的知能観に基づいている点に特色がある。彼によれば,知的能力以外の,動機づけ,感情,性格などが,知能には入ってくることを指摘しており,実体的知能観と対比的である。
また,「知能とは知能検査が測定するものである」という操作的な定義がある(ボーリング Boring, 1923)。これは測定論的知能観の基礎になる考え方であるが,今日の幅広い知能観と一致するようなすべての領域を測定する知能検査が作成されるまでには至っていないのが現状である。
2. 知能の構造
知的行動を起こさせる基本的要因を知能因子に求める考え方は,スピアマンの2因子説に始まり,ギルフォードの構造モデルの考え方に発展している。
(1) スピアマンの2因子説
スピアマン(Spearman, 1927)は,はじめて知能の因子分析を行った人である。1,100名の児童に94種の検査を実施して,その相関を調べた。その結果,一般因子general factor(g因子)と特殊因子specific factor(s因子)の2因子を仮定した(図3‐1)。一般因子は,経験の理解・関係の抽出・相関の抽出の働きをする「精神的エネルギー」である。特殊因子は,その精神的エネルギーが各種検査毎に働くものである。知能の個人差はg因子とs因子の種類と量によって決まると考えた。

なお,スピアマンは後にこの2因子の他に,言語,数,精神的速度,注意,想像の5因子を認めて,これを群因子と名づけた。
(2) サーストンの重因子説
サーストン(1941, 1947)は,57種の知能検査を218名の大学生に実施して分析したところ,すべてのものに共通する因子,すなわち一般因子は見出せなかった。そして独立した因子を13取り出した。さらに710名の中学生に93種の検査を実施して10個の因子を抽出した。この両方に共通の因子は次の7つであり,基本的精神能力と名づけた。
①空間的因子(S因子)……図形を視覚的に正確に知覚し,比較する能力
②知覚的因子(P因子)……対象を正確に速く知覚する能力
③数的因子(N因子)………簡単な数的操作を巧みに行う能力
④言語的因子(V因子)……語の意味の正しい把握や文章理解の能力
⑤語の流暢さの因子(W因子)……語発想の流暢さの能力
⑥記憶的因子(M因子)……簡単なことを機械的に記憶する能力
⑦推理的因子(R因子)……法則や原理を見出し,計画を立てる能力

図3‐2は重因子説の図解であるが,中央にスピアマンの図と同じg(一般因子)があることに気づかれよう。これは当初相関のなかったはずの7因子のうち,知覚(P)因子を除く6つの因子に共通の因子が二次的に抽出されたので,二次的一般因子としたのである。
(3) ヴァーノンの階層説
ヴァーノン(Vernon, 1950)は,スピアマンの2因子説をさらに展開して,図3‐3のように,すべての検査に共通の一般因子(g)があり,その下に2つの大群因子があり,さらにその下に小群因子が分けられ,一番下に,特殊因子があるという階層構造をなすという考えを示した。
大群因子は,言語的・数的・教育的因子(V:ed)と,実際的・機械的・空間的・身体的因子(K:m)の2つである。
V:ed因子は,言語因子,数因子などの小群因子に分けられ,K:m因子は機械的知識因子,空間因子などの小群因子に分けられる。
小群因子はいくつかの特殊因子に分けられる。たとえば,言語因子の特殊因子は,言語理解,語の流暢さ,言語的演繹,言語的帰納などである。この特殊因子は,特殊な才能,適性,気質,性格特性などを含んでいるので,具体的問題にあたっては重視すべきだとしている。

(4) ギルフォードの立体モデル論
ギルフォード(Guilford, 1967)は,知能を3次元の立体構造モデルでとらえ,3軸の組み合わせから理論的に知能因子を特定しようと試みた。
図3‐4はその構造モデルである。第1の軸の「操作」は,知的な処理のしかたであり,評価能力,収束的思考能力,拡散的思考能力,記憶能力,認知能力の5つの方法に分けられる。
第2の軸の「内容」は,知的操作のおよぼされる対象の種類であり,知覚的にとらえられる「図形的」内容,文字・数・音符などの「象徴的」内容,意味のある単語・観念などの「意味的」内容,表情・動作などの「行動的」内容,の4種類に分けられる。
第3の軸の「所産」は,取り出される情報の形式であり,1つのまとまりをなしている情報の「単位」,単位のまとまりとしての「分類」(クラス),2つの単位を結合する「関係」,単位が組織化されて集まっている「体系」,既知の情報を見直したり解釈したりする「変換」,ある情報から生じる予想や期待などの「含意」の6形式に分けられる。
この組み合わせ(5方法×4種類×6形式)で120の知能因子の存在が仮定されることになる。彼はひとつずつこの因子を検証する作業を行って,これまでに90個程度は確認したが,あとは未確認であり,今後新たな知能因子が発見される可能性がある。
また,ギルフォードの考え方は,知能の測定方法についての反省と,今後の指針を与えてくれる。例をあげれば,従来の知能検査では,収束的思考を要する問題は多いが,拡散的思考をテストする問題は少なかったこととか,行動的内容に関する社会的知能が測定されていないことなどである。

3. 知能の測定
知能の測定は,個人の現在の知能水準や内容を把握することと,将来の発達水準を予測することを目的として行うが,知能検査の開発と進歩によって,それらがほぼ可能な状況になってきた。
(1) ビネー式知能検査
1905年にフランスのビネー(Binet, A.)がシモン(Simon, T.)の協力を得て,はじめて「知能検査」を発表した。それまでビネーは,自分の2人の娘の個人差について実験的研究などをしていたが,フランス政府から精神薄弱児の教育問題を検討する委員に選ばれたのを機に,当時の教育界で要請されていた知恵遅れの子どもを判別する客観的尺度を構成する研究を続けていたのである。1905年のものは「異常児の知能を診断するための新しい方法」と表題され,30の検査項目が記載されていた。1908年には大改訂して表題も「子どもの知能の発達」と改められ,子どもの知能を発達の遅れているものから正常以上のものまで4分類できるものとした。1911年には小規模の改訂をしている。
1) 生活年齢(CA)と精神年齢(MA) ビネーは,自分の作った,記憶力,理解力,推理力,手先の器用さなどを調べる多種類の問題を,3歳から13歳までの300名の子どもに実施して,標準化の作業をした。表3-1のように,子どもの年齢に応じた問題を設定したのであるが,その年齢集団の4分の3すなわち75%の子どもが正答できるものを,その年齢の問題とすることを基本とした。検査を受けた子どもは,そのときの年齢を生活年齢(CA:chronological age 暦年齢とも呼ばれる)として,検査に合格した年齢を精神年齢(MA:mental age 知能年齢とも呼ばれる)との年齢差[MA‐CA]で,年齢に応じた知能をもっているかどうかが判定された。ビネーは,9歳まででは2年以上の遅れを,9歳以上では3年以上の遅れを精神薄弱とした。

2) 知能指数(IQ) ビネーのこの検査は,各国の反響を呼び,アメリカでは,スタンフォード大学のターマン(1916)が改訂して,スタンフォード・ビネー知能検査を発表した。この検査からはシュテルン(Stern, 1928)の提唱に従い,IQ(intelligence quotient)の表示が具体化された。MAとCAの単なる差ではなく,比率で見ることにより知能の遅れ(あるいは進み)の程度を正確に知ることができるとともに,知能の予測を可能としたのである。IQは次の式で計算される。

この知能検査は,メリルの協力のもと1937年に改訂版(Terman & Merrill, 1937)が出され,さらに1960年に改訂されている。わが国にも多くの研究者によって紹介されたが,スタンフォード・ビネー1916年版を改訂した鈴木ビネー式知能検査法(鈴木,1930)や,同1937年版に基づく田中ビネー式知能検査法(田中,1947)などがよく知られている。
(2) 団体式知能検査
1) アルファ式とベータ式(A式とB式) ビネー式知能検査法は,個別に検査するように作られていたが,多人数を同時に実施できる方法が研究された。1917年第一次世界大戦に参戦したアメリカでは,多くの志願兵を適正配置するため,短時間でできる知能検査の作成が求められたのである。ヤーキーズ(Yerkes, R. M.)を中心に多くの心理学者の協力で完成されたが,文字を使用する検査Army α Testと,文字を使わず数字,図形,符号などで検査するArmy β Testとの2つの形式が作られた。後者のベータ式は文字や英語の解らない人にも実施できるようにと考案されたのである。実際アメリカでは短期間に172万人の兵士に実施され非常な成果をあげた。
その後いろいろの種類の団体式検査が考案され,1920年には児童を対象にしたターマンらの国民知能検査が作成されている。わが国でもこれを久保良英が標準化している。1947年に学校教育法が制定されて以後,教育界で広く使用されるようになり,さらに多くの検査が開発された。
団体式知能検査には数種の下位検査があり,その総合得点で評価されるが,近年では,下位検査毎の成績によってプロフィールに示し,診断的にみることもできるようになっている。しかし次のような欠点もある。一定の制限時間があるため,時間をかけて解決する力は測定できないこと,解答だけ示されそれまでの過程がわからないこと,個別式検査に比べて練習効果が大きいことなどである。
2) 知能偏差値 その子どもと同じ年齢集団のなかで,本人の相対的位置を知るために,知能偏差値(ISS)が示される。次の式で求められるが,集団の平均点を50として,集団の標準偏差値を単位として算出する。

(3) ウェクスラー式知能検査
ニューヨーク大学付属ベルヴュー病院に勤務していたウェクスラーは,1939年にウェクスラー・ベルヴュー検査を発表した。その後改訂して成人用知能検査WAIS(1955)となった。Wechsler Adult Intelligence Scaleの略で,ウェイスと呼ばれる。この検査は,彼の長年の臨床経験に基づく知能観から,言語性検査と動作性検査の2系列から構成されている。図3‐5のように各検査の成績がプロフィールに描かれ,その人の知能構造が診断できるようになっている。

ウェクスラーの知能観は,この章のはじめのところでも紹介したが,知能は質的に異なるいくつかの要素または能力によって構成されているので,それらを測定することで知能が評価できるとした。ただし,これら諸能力の単なる集計ではなく,結びつきかたが知的行動を決めるのである。さらに,抽象的推理力,言語,空間把握,数的処理などの知的能力の他に,意欲とか性格のような非知的要因も知能には含まれているので,考慮すべきであるとしている。これは知能検査によって意欲や性格が測定されるという意味ではなく,知能検査の結果にはそれらの要因が含まれているということである。たとえば,神経症の人が数の復唱の成績が悪い場合,それは記憶力が悪いためではなく,検査を受けるときの不安状態による可能性が高いのである。
検査結果はIQで示されるが,ビネー式のものとは違って,偏差IQで表示される。

この検査の特徴は,全検査IQとともに,言語性IQと動作性IQが表示されるので,この言語性と動作性の得点差を検討することでパーソナリティ障害などの診断に役立つ点にある。さらに,それぞれの下位検査の得点を比較したり,個々の検査項目に対する反応の質的な分析をすることが診断上の意味があるのである。
ウェクスラー検査の子ども用が是非欲しいとの要望にこたえて,1949年に児童用のWISC(Wechsler Intelligence Scale for Childrenの略でウィスクと呼ばれる)が,そして1963年には幼児用のWPPSI(Wechsler Preschool and Primary Scale of Intelligenceの略でウィプシィと呼ぶ)が開発された。1974年にはWISCの改訂版WISC-Rが発表されている。わが国でもそれぞれの日本版が作成されて,広く利用されている。
4. 知能の発達
(1) 発達曲線
知能検査を多数の人に実施して,知能の発達曲線(図3‐6)を描いて見ると,年齢とともに変化する様子がわかる。12~13歳までは直線的に急激に上昇するが,次第にゆるやかになり,20歳前後にはピークに達し,その後はむしろ下降する。
しかし,この発達モデルは横断的測定法によって描かれたものであり,対象者の質も年齢によって異なる(特に中高年の被験者が全体を代表していない)などの問題点が指摘されている。また,発達の個人差も著しく,高知能者は発達の速度が速く,しかも比較的高い年齢まで発達が続き,低知能者は発達の速度が鈍く,早期に上限に達する傾向がある。

しかし,少し詳しく内容を見ると,注意,知的柔軟性,速さなどが関与するものは17~18歳頃が上限で,以後は下降するのに対し,計数能力,言語能力などはほとんど下降しないものもある。
(2) 流動性知能と結晶性知能
キャッテル(Cattell, 1971)は,知能を流動性知能と結晶性知能とに2区分して検討している。流動性知能とは,基本的情報処理としての知能であり,関係の知覚,記憶,推理,抽象的概念の形成などの情報処理と問題解決に関わる認知過程に働く知能である。結晶性知能とは,文化的知識としての知能であり,特定の文化に特徴的な言語や知識などの認知技能に関する知能である。

図3‐7は,生涯にわたっての精神測定知能のモデルを示すものである。図の破線は流動性知能を表し,青年期までは急速に上昇し,成人期の中ごろから衰退が始まり,老年期にはかなり減衰する。しかし,実線で示す結晶性知能は青年期以後も衰えず,成人期から老年期までゆるやかながら上昇を続けるというのである。近年,中高年の知能の研究が進み,それらの結果からもこのキャッテルの説は支持されている。
(3) 個人差・性差
キャッテルのモデルは平均値的なものであり,個人差のあることを忘れてはならない。

図3‐8は知能の発達に個人差が大きいことを示す一例である。ディアボンとロスニー(Dearborn & Rothney, 1963)は,8歳時にかなり高いIQを示した8人の少女たちの16歳までの変化を調べたものであるが,同じ者はひとりもなかった。
次に,知能発達の性差については,これまでの研究では総合的な知能水準においては明確な差は認められていない。しかし,シーショア(Seashore, H.)の研究では,図3‐9のように,女子は言語使用や書記の能力に優れているのに対し,男子は推理,空間関係の把握,数理の各能力において優れているとして,知能構造において差のあることを示唆している。

(4) 知能構造の質的転換
ピアジェ(Piaget, 1949)は,生活体と環境との間の相互作用の過程で均衡状態を形成しているものが知能であるとして,大きく3つの質的に異なる時期に分けて,順にたどって発達すると考えた。図3‐10に見るように,誕生から2歳頃までの最初の時期は「感覚運動的知能の時期」で,直接的に扱える感覚と運動に頼る原始的な知能の段階である。

次の「前操作的表象の時期」では,頭に思い浮かべた映像的なイメージを使ったり,ことばや数字などのシンボルを使った思考ができるようになる。しかし,論理的な思考は無理であり,自己中心的に考えるのが特徴である。前半の2~4歳頃を「前概念的思考」段階,後半の4~7,8歳の頃を「直観的思考」段階と区分している。
次に「操作的時期」に至りようやく論理的な思考が可能になるが,7,8歳から11,12歳頃の「具体的操作」の段階では,具体的なものや経験などの現実場面を離れての思考は困難である。それは「形式的操作」の段階で可能になる。
(5) 知能発達の規定要因
知能の発達を規定するものは,遺伝と環境の両要因である。これらは相互に関連しているので,切り離して考えることは困難である。知能の遺伝についての研究には,動物による選択交配の実験(図3‐11)や,家系研究,双生児研究(表3‐2,3‐3)などがあり,遺伝要因の重要性を示唆している。また,環境の影響について,居住地域の影響と考えられる結果を示すもの(表3‐4)が報告されていて,地域差の存在が想定される。しかし,これらが直ちに遺伝あるいは環境のいずれか一方だけの影響とすることはできない。


表3‐3についても,知能の高い親の子どもには,優れた遺伝子が伝えられる可能性が高いこともあるが,同時に子どもの知的環境を良くしている可能性も高いのである。また,表3‐2でも,一卵性双生児は異なる環境に育っても,二卵性双生児よりも高い相関があるが,同じ環境で育った一卵性双生児と比べると相関に差が生じてくるのである。

これらのことから,遺伝と環境の相互作用が理解されよう。すなわち,知能の発達においては,遺伝的なものに環境の要因がただ加えられるものではなくて,同じ環境条件でも遺伝的な性質が異なれば,異なった効果を生ずるというように,お互いに影響を及ぼしあう関係にあるのである。

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第4章 発達
この章では,人間のこころの働きが齢を経るに従って変わることを明らかにし,その変化が何を意味するのか,何がどのように変わるのかなどについて考察する。人は誰でも幼児期には幼児らしくふるまい,青年期には青年らしく行動するのが普通であって,個人差はあるが大体共通した変化の経路をたどる。
一口に発達といっても,多くの側面をもっており,自我の発達をはじめとして人格的・知的・情緒的・性的・社会的諸機能の発達などすべての面にわたっている。また,こころの発達は,身体発達や運動機能の発達ときわめて密接に関連しており,切り離すことができないので,それらも含めた全人的な変化過程が心理学の課題とされている。
近年,発達心理学研究の進歩にはめざましいものがあり,従来,比較的よく研究されていた幼児期,児童期,青年期に加えて,乳児期,成人期,老年期の研究が盛んに進められている。その結果,人間の発達ということを生涯の問題としてとらえ直す必要が起ってきた。また,そのことは発達観を変え,発達研究の方法をも変化させるということになった。本章では,こうした生涯発達の視点から人間の発達をとらえてみよう。
1. 発達とは
人は,受精の瞬間から死亡するまでの間,漸進的に何らかの変化を遂げている。それは個人の親から受け継いだ遺伝的素質が発現する過程でもあるし,その人のおかれているさまざまな状況によりよく適応するための経験的変容の過程でもある。前者の過程のみについていえば成熟の過程であり,後者の過程は学習の過程ということができるが,実際にはこれら2つの過程が相互作用しつつ変化を生み出していくのである(「成熟と学習」を参照)。このような変化,つまり個人の一生における心身の形態や構造,機能などの漸進的な変化のことを発達という。
この場合の変化は,個人にとってよりよく適応する方向への変化であるが,必ずしも進歩・発展を意味するものではない。乳幼児期から青年期にかけての成長・進歩・発展に対して,成人期から老年期にかけての変化は,身体的・知的機能の一部低下などむしろ後退といえる面を含んでいる。しかし,知恵や問題解決能力の深まり,自己の探究,愛情の広がりなど精神的には中高年期により高められるものも多いので,全人的には一生涯進歩・発展を続けるといってもよかろう。また,進歩・発展といってもその基準は社会の要求や期待が先行するのではなく,その人の個人的な基準から見た進歩・発展である。発達という問題は,何よりもまず,人間ひとりの問題であり,その人が自分の生涯を生きるということのなかで考えられねばならない。けれども,生きるということは,個人の問題であると同時に,社会のなかで他人と共存していくことでもあるから,発達には他人とともに育っていくという面のあることも考慮しておく必要がある。そこで,発達は,個人が社会のなかで,他人との共存において自分なりの適応を達成していく過程とみることもできよう。
2. 発達過程の諸問題
(1) 発達の段階区分
人の一生における心身の発達は,常に同じ早さで一直線に進行するものではない。ひとつの機能についてみれば,ある時は急速に,ある時は緩慢に発達し,時には停滞することもある。ある特定の機能にとっては,その発達に適した時期(発達の臨界期)というものがあり,その時期でなければ十分に発達しないものもある。そして,いろいろの条件に左右されながら,各種の機能が相連関しながら発達する。このような複雑な発達の経過をいくつかの時期に分け,段階づける試みが多くの学者によってなされてきた。
段階という概念は,その変化が非連続的で質的なものであることを意味している。発達の各時期で異なった原因が働いて,そのために異なった行動が生ずるであろうということを予想した見方である。たとえば,母親に依存して母親との密接な関係を求める時期と母親から分離して自由にふるまうことを求める時期とでは子どもの母親に求めているものが異なるのであり,行動の原因が変わってきていると考えられる。発達の過程で起こるこのような行動の原因や構造の変化,あるいは目立った行動の生ずる時期を基準として発達の段階づけが行われる。何を基準として段階を区切るかについては,研究者によって説が異なるが,一般的には表4‐1のような発達区分が多く用いられている。ただし,この表での年齢範囲は大体の基準を示すだけであり,とくに表中に引用されている理論ではもともと年齢範囲は明確に示していない。

(2) 各期の特徴
1) 乳児期 受精後40週を母胎内で過ごして出生する。新生児はすでに味や匂いを選択できるだけでなく,母親の呼びかけに反応し,人の顔や目を見つめるなど特定の刺激パターンをまとまりとして知覚し,応答する能力をもっている。また,乳首探索活動や吸乳行動,手で物を握る動作などの協応動作も反射的ではあるが可能であるし,大人の舌だしに模倣反応ができることも知られている(バウアー Bower, 1979)。このように,新生児も多様な能力をもっていて,無力無能の存在ではないことを近年の研究は明らかにしている。
新生児期を過ぎてからの発達もめざましく,わずか1年ほどの間に,身長は出生時の1.5倍,体重は約3倍となり,ひとり歩きができる程に成長する。生得的反射は生後4~5カ月頃までに消失し,それに代わって意図的な随意運動ができるようになる。基本的知覚機能はほぼ完成し,動作を模倣したり意味のある言葉(一語文)を発する。また,情緒の分化や養育者(主に母親)への愛着(アタッチメント)の形成が進み,親とのよい関係に支えられて信頼感をもつようになる。
2) 幼児期 幼児期に入ると感覚運動能力は著しく発達し,生活空間は拡大する。歩行運動は比較的早期に完成し,その他の全身運動や手指運動なども5歳頃までにほぼ基礎が完成する。表象的能力が伸び始め,心像や言語の発達が著しく進展するが,自己中心性が強く,直感的で,主観的なとらえ方をするのが特色である。人格面では,自我意識が芽生え,自我が急速に発達する時期である。何事も自分でやってみたくなったり,自分の思うとおりにしたくなるため,自己主張が強く,親の指図にも従わないこと(反抗現象)がしばしば起こるが,それはまた自律性や自発性を発達させる契機でもある。幼児期は基本的生活習慣のしつけを受けたり,欲求不満への耐力を養う適期であるが,それらがよりよく達成されるためには,大人による指導が幼児の自我発達を阻害することなく,むしろ自我発達を助ける方向で適切な援助を与えることが必要である。また,感情の基礎が完成する時期でもあるので,安定した生活環境と豊富な生活体験を与えることによって,情緒の安定を保ち,豊かに感じる心や情操を発達させることが課題となる。一方,社会性の形成においても重要な時期であり,母親への愛着の形成を基礎にして母子分離,友達との交流へと発展する。さらに,幼児期後半での集団生活の経験は,自己中心性の発展的解消(脱中心化)を促進させる効果がある(図4‐1)。

3) 児童期 初期の頃はいくらか幼児性が残るが,次第に児童期らしい特徴を示すようになる。児童期は,身体発達がゆるやかであり,情緒も安定していて現実肯定的な傾向をもっている。知能の成熟と学校教育の影響により知的発達は著しく,自己中心的思考を脱却して具体的・客観的思考の形成が行われる時期である。時間的・空間的判断が正確になり,物理的な理解や道徳判断,事実と幻想との区別などができるようになる。このような客観的思考の特徴は単に認知面だけでなく,人間関係や社会性の面にも表われ,相手の立場にたってものを考えるとか他の人と比べて反省するなど他我を知り,相互誘発の態度が生れる。集団行動への自発的な参加や仲間集団(ギャング・グループ)の形成も進み,社会的行動は一段と拡大する。それだけに,社会的承認の欲求や集団所属の欲求は高まり,家庭内だけでなく教師・仲間たちにも認められたい,家庭・学級・集団の一員でいたいなど存在感・所属感を重視するようになる。それは集団への協調心や自己抑制力を高める絶好の機会でもある。
児童期は,親・教師・友達から多くのことを学び,いろいろな技能を身につけることに興味をもち,学習意欲も旺盛である。しかし,競争に負けたり目標到達への失敗などにより自分の能力に絶望するようなことがあると,劣等感を抱いてしまうという危険がある。すすんで学ぼうとする勤勉感を発達させ,劣等感を払いのけることがこの時期の重要な課題とされている(エリクソン Erikson, 1950)。
4) 青年期 第二次性徴が出現し,心身の大きな変化期を迎える。いわゆる子どもから大人への過渡期である。中学年齢に相当する前期はとくに変化が激しく,身体的精神的に不安定である。自我が急速に発達し,もはや子どもではないという意識から親の管理や支配からの解放と自己管理を強く望む時期である。自己主張は強くなり,親や教師の指図への反抗がしばしば見られる。しかし,前期の終り頃になり,社会認識や両親への人間的共感性が増大してくると,いわゆる虚勢的反抗はあまり示さなくなる。自我意識も増大し,他人とは異なる自分を意識し,自分について自覚できるようになるが,自己像を統合的にとらえることができるようになるのは青年後期を待たなければならない。
青年中期は典型的な青年期的行動を示す時期であり,主観性の高揚,理想の追求と現実批判を特徴とする。理想の追求は自己にも及び,理想的自我を求めて自己の可能性を探究したりするが,現実の自己を卑下したり,理想と現実とのギャップに悩んだりする。そして,文学,思想などの書物との出会いや友人たちとの親密な対話を通して,自分の生き方を模索し,将来の進路や自分にあった生き方を追求していく。それは,自分自身の内的秩序の組み直しである。一方,自分の生き方に悩んだり自分で進路を模索するようなことをしないで,親の選択に任せ,与えられた立場に安住してしまう早期完了タイプの青年もおり,それが近年増加しているといわれる。彼らは,根が明るく,深く悩むことを知らない一見健康そうな青年であるが,ひとたび障壁にぶつかった時は,混乱し,自分で解決できないことが少なくない。また,異性への関心は,前期の漠然としたものから具体的な異性に対する関心に変わり,特定の異性との交際も行うようになる。
大学生の年齢に相当する青年後期は,青年期の総決算の時期であるとともに成人期への移行期でもある。在職者は比較的早く青年期が終る傾向がある反面,普通よりも長い青年期を望む青年もいる。この時期は,今までに模索した自分の生き方を真に自分のものにする大切な時期である。そのために,まず「これがまさしく自分である」という自我同一性(identity)を確立し,自分は何になりたいか,自分に何ができるかを明確にしなければならない。その上で,自分なりの職業観,人生観をつくりあげることがこの時期の課題である。もはや,青年中期のような現実蔑視の態度は改めて,理想を失わずに現実との調和を心がけるようになる。
このように,青年期は多くの課題をもっているが,もっとも重要な課題は親への依存から精神的に独立し,社会的人間としての自己の役割を発見して今後の方針を立てることであり,これができれば成人期への移行が可能となる。
5) 成人前期 生物的な機能や体力が最高レベルに達する20代,30代は,就職,結婚,子育てと人生における重要なイベントに直面し,社会的,人間的な成長の基盤づくりをする時期である。エリクソンは,この時期の発達課題として親密感の獲得と孤独への取り組みを挙げている。すなわち,他人と親しく交わる能力を身につけることが重要であり,そのためにはある程度の時間的,経済的な犠牲や相手の話に耳を傾けるなど社会人としての自己拡大の努力が要求される。職業生活を軌道にのせ職場に適応すること,異性と交際し配偶者を選択すること,結婚生活を開始しそれを維持すること,子どもを生み育てることなどこの時期の多くの課題に取り組むことによって社会的自我が発達し,同時に,青年期に確立した自我同一性の具現化と問い直しが行われる。また,職業的地位の向上に伴う新しい役割,結婚による夫または妻の役割,出産による親の役割など多くの役割を取得することになる。そこで多面的な適応,つまりそれぞれの役割の遂行が求められるのであるが,そうした役割変化に対応した行動が取れなかったり,役割が果せなかった場合には,心理的・社会的不適応に陥る危険性が大きい。
6) 成人中期(中年期・壮年期) ユングによって「人生の正午」といわれたこの時期は,人生の転換期である。社会でも家庭でも主導的で,活動の最盛期であり,これまでの豊かな人生経験と人間関係を基盤として自分の目標に向かって現実的,効果的に取り組むことができる年代である。職業生活では知恵の発達とキャリアによって創造的な仕事をし,指導的な地位につく。この時期はまた,後進を育成し後継ぎをつくることや子どもを一人前に育て独立させるという重要な課題がある。一方でこの時期は,人生における大きな危機をはらんだ時期でもある。とくに後半において,身体的生理的機能の減退や病気を体験したり,親子関係,配偶者関係,職場関係のなかで必然的に生じてくる役割変化にうまく適応できなかったり,あるいは青年期や成人初期の夢の実現に限界を感じたりしたときには自我同一性の危機に直面することになる。ここで,もう一度自我同一性を問い直し,自己像を修正して,残りの人生に対する新たな方向づけ(再体制化)をすることによって危機を脱し,再び安定化するが,自己の役割の修正や新たな役割の取得ができなければ,自我同一性に混乱が生ずる。またこの時期は,親や同年輩の人達の死に直面して人生の悲哀感と対決したり,自分の若さの喪失に対して自分自身を受容するなど多くの課題がある。
7) 成人後期(老年期) 老年期は,生物学的には老化の時期であるが,人間性発達の点からみると,自我発達の完結期にあたり,人格的な円熟や平安の境地に達することのできる時期である。エリクソンによれば,統合感を獲得し,絶望感との戦いの時期である。すなわち,自分の生活をトータルに評価して,生涯を肯定的に統合し,自らその価値を認めることができれば,充実感や統合感を獲得することができ,自分の生き方に確信がもてるが,回想のすべてが挫折感や後悔の念に満ちているような時は絶望感を感じ,自己の人生の意味を見失う。しかし,人は誰でも一度ならず生涯をふり返って後悔するといわれ,むしろそれに立ち向かうことによって深い統合感と英知のかがやきを手に入れることができるのである。
老年期にあっても,精神的能力は必ずしも低下しないし,むしろ向上するものもあることに注目しなければならない。知能でも,言語能力,社会的知能,常識的推論のような結晶性知能は低下せず,情報処理に関わる流動性知能なども訓練によって向上するし,いったん低下した機能の回復さえも可能なことが知られている。判断能力や問題解決能力なども高い水準で維持されるが,こうした能力を発揮する機会が与えられないとその有能さを維持できない。
さらに高齢化が進むと,老化によって体力や知力が低下することは避けられない。ただ,衰退の始まる時期と程度には個人差があり,それは平素どのような活動をしているかによっても影響される。また,老年期は,役割交替の時期であって,退職によって職場の現役から退き,社会的にも社会や家族の中心から引退する。こうした老化や役割交替を自らが受容し,それらの変化に自己を適応させていくことは老年期をよりよく生きるために重要なことである(図4‐2)。

(3) 移行期の問題
人生移行(life transition)とは,人生の移りゆきのことであるが,その移行の過程にはいくつかの節目が存在する。ある発達段階からつぎの発達段階に移る時のような節目もあれば,入学,卒業,就職,結婚,出産,退職のような人生における重要なイベントが節目になることもある。そのような節目の前と後とでは,本人にとっても,その人を取り巻く環境においても大きな変化が生じる。そうした変化に対処して新しい役割を取得し,それにふさわしい行動をとることができれば,その人は移行期にうまく適応したといえる。
ところが,移行期の変化にうまく対応できず,衝撃を受けたり混乱を生じるようなことになると,まさに危機的状況となる。移行期の変化とは,その人にとってみると「生活空間」や「生活世界」の変化であって,判断や行動の枠組みの変化であるから,その人が移行期の変化をどのように認知し受けとめるかによって対応の仕方が変わってくる。もともと人生移行は危機を内包しており,移行によってこれまでの平衡の状態が破られ,新しい平衡を築くことによってその危機は解消されることになる。危機はその分かれ目であり,それに適切に対処すれば人間成長につながるし,それに失敗すると破局につながるのである。危機的移行は多様であるが,その過程には共通性がみられる。それは,人が新しい事態に直面して,それに応じる手段をもっていないことに気づいた時,これまでの習慣や適応様式を捨て,新しい適応様式を求めていく過程である。
人が一生涯に経験する移行には次のようなことがある。まず幼児期の急速な自我発達と身辺の自立,そして母子結合から母子分離への発達的変化,入園入学による生活環境や社会環境の変化,小・中・高校を通した環境移行,大学生活による行動環境の拡大と分化,就職による職業生活の開始と社会的自立,結婚,出産にはじまる家族システムの形成,子の結婚と独立による家族システムの再編成,退職と生活環境の変化など誰もが経験するような変化の他に,友人との関係,恋愛・失恋,家の住み替え,子どもの問題,転職,離婚,罹災,病気や障害の発生など個人的経験による移行も数多く存在する。これらのなかには自我同一性を揺るがすものもあり,その都度,同一性の再体制化が要求される。岡本(1989)は,移行に伴う自我同一性の再確立について図4‐3のような発達モデルを提供している。

3. 発達における成熟と学習
(1) 遺伝要因と環境要因
人の発達に関わる議論の中でもっとも長く続いたのは遺伝要因と環境要因のどちらが優位かの論争であった。初期の論争では,発達は遺伝によって規定され,内部的な成熟が決定因となるとする遺伝説(生得説)と,発達はまったく環境に依存し,環境的に操作可能とする環境説(経験説)とが対立した。遺伝的要因の重要性を強調したのは,天才の家系研究で知られるゴールトン(Galton, F.)やカリカック家の研究を行ったゴッダード(Goddard, H. H.),一卵性双生児の研究に基礎をおくゲゼル(Gesell, A.)らであった。一方,環境説を主張したのは,行動主義心理学者のワトソン(Watson, 1930)で,子どもにさまざまな刺激を与え,その刺激に反応を結合させることによってどんな状態にでも発達を操作することができると主張した。ところが,シュテルン(Stern, 1930)やゴッチャルト(Gottschaldt, 1936)らの頃になると「遺伝と環境と」という輻輳説が出てきた。つまり,遺伝と環境とが相互に加算的に作用するという説で,人のどんな特性が遺伝的でどんな特性が環境によるものか,またどんな特性は両者の組み合わせによるものかというような問題が議論された。これにもつぎの諸説がある。シュテルンは,遺伝説と環境説とを調和させることを考え,遺伝的素質を主とする内部的要因と外的環境に基づく外部的要因とが協合すると説明した。そして,どれだけが内的なものであり,どれだけが外的なものであるかという双方の程度を重んずべきだとした。ゴッチャルトは,多くの双生児の行動観察と実験に基づいて種々の機能の卵生別一致率を算出し,環境と遺伝の関わる割合を想定した。その結果,内部的・核心的感情層部は環境の影響を受けにくく,知的上層部は相対的に影響を受けやすいとした。
近年,発達に及ぼす環境要因と遺伝要因は,それぞれ独立的に作用するのでなく相互作用的であるとする説が有力視されるようになった。オルポート(Allport, G. W.)は,「環境のない遺伝はなく,遺伝のない環境はない」と述べているが,問題はどのように相互作用するかということである。ジェンセン(Jensen, 1968)は,遺伝的資質の顕現に対して環境はひとつの閾値要因として働き,特性の種類によってその閾値が異なるという環境閾値説を唱えた。たとえば,身長のような特性では環境条件がきわめて悪くても顕在化するけれども,絶対音感のような特性ではきわめて豊富な環境条件をもって初めて顕在化することができ,知能や学業成績などの特性は中程度の環境条件のところに閾値があると考えた(図4‐4)。個体と環境との関係について,これまでの研究成果を総合すれば,環境が個体に一方的に働きかけて影響を与えるのではなく,個体の側から個体の条件に応じて特定の要因だけを選択的に受入れると考えるべきであろう。同じ環境のなかにいても人それぞれに遺伝的素質の違いによって受ける影響は違うからである。また,遺伝的素質の違いによって環境の影響の浸透度が左右される傾向がある。そして,両要因は,ある特徴の発現に関して同じ方向に働き,相乗的効果をもつと考えられる。

(2) 成熟と学習
発達は,成熟(maturation)と学習(learning)の二側面をもち,前節でみた遺伝要因と環境要因にそれぞれ対応している。成熟は生得的・遺伝的要因によって一定の経過で出現してくる行動型を意味し,学習は経験的・環境的要因によって生ずる持続的な行動変容の過程を意味している。しかし,それらの両過程が,それぞれ単独に発達過程を支配することはなく相互作用的であることから,両者の区別は可能的概念としての区別にすぎない。
1950年代頃までは,成熟を重視する見方が強く,ゲゼルの成熟優位説はその代表的なものであった。ゲゼルは,一組の一卵性双生児に階段昇りの訓練を行った。生後46週のA児に6週間の連続訓練を行ったところ,26秒でのぼれるようになったが,訓練を受けなかった方のB児は45秒かかった。その後でB児に2週間の訓練を行ったところ,今度は10秒で昇れるようになったという。ヒルガード(Hilgard, 1933)も,輪投げ,ハサミの使用,ボタンかけ,数字の記憶などの訓練でゲゼルと同様の結果を得ている。これらの結果は,学習に際してその学習に必要なレディネス(準備),すなわち生理的な成熟ができていなければ学習の効果が上がらないことを示すものである。つまり,発達は,個体の内在的形成化により決定されるもので,環境要因はそれらを促進する効果を与えるにすぎないというのが成熟優位説の主張するところであった。
これに対してヴィゴツキー(Vygotski, 1935)は,学習過程が計画的に組織化された制御環境のもとで学習した場合は,放任環境のもとでの発達と違って,その発現時期が可変的であると指摘している。ブルーナー(Brunner, 1963)もまた,発現時期は可変的であるという立場をとっている。彼によれば「どのような年齢の子どもに対しても,適当な方法を用いるならば,どんなことでも効果的に教えることができる」という。つまり,子どもたちにある考えを伝えるためには,その年齢に適した何らかの方法があるのであって,レディネスができ上がるまでただ手をこまねいているだけというのは教育的に見て無益であるという訳である。
今日では,成熟要因を認めながら,学習条件を大幅に承認し,さらにその相互作用としてみていくのが通説である。基本的には,①学習における成熟的基礎(レディネス)の重要性を認める,②レディネスの発現時期は可変的である――すなわち,学習によって成熟の時期を若干早めることができる――という2点が基準となる。つまり,個体の発達は,ただ一定の時期が来れば発現してくるというものではなく,発達にはある特定の刺激が必要であり,しかもその刺激の与えられる時期が大切である。このタイミングこそ学習の臨界期の問題である。
4. 発達における個性化と社会化
個性化とは,個人が,他の誰とも異なった個性的存在となっていく過程であり,社会化とは,その人が属する社会の他の人々と共通的要素をもち等質性を生じていく過程である。個性化の進む過程の中で社会化も行われるということは,一見逆説的で矛盾しているように見える。しかし,実際にそういうことが起こっているわけであり,いかにしてそれが可能なのであろうか。
個人の発達を概観すると,乳幼児期からすでに自我発達を基盤として自立性や自発性を発達させ,親から離れて独自の行動空間を形成していくが,同時に他の人達との強調や協同を学んで社会性を身につけていく。青年期になると,個性化はかなり顕著になり,一方で社会文化的規範への同調圧力が強く個人に課せられてくるので,それに反発して一時的な脱社会化(desocialization)を生じることがあるが,やがてそれを克服して再社会化(re-socialization)されていく。すなわち,以前から保持されてきた自分の行動に対する価値観を否定したり,新しい行動基準を受容しながら,新しい社会的ネットワークを拡大的に構築していくのである。この過程では,それまでに個人の内面に築かれていた社会的枠組みが崩壊したり,ばらばらになっていくことがある。そのような危機的状況を乗り越えて,再社会化への道を歩むことによって,青年期にある個人は,一層独自の個性を備えていくのである。その意味からいえば,個人が,誰とも異なった個性的存在となっていく過程において生ずる現象が社会化であるといえるであろう。個性化をあたかも反社会的あるいは社会化からの退行とみなすのは適切でない。
従来,社会化は大人の行動をモデルとする学習過程とのみ見られてきたきらいがあるが,今日のように社会が激しく変動したり,人々の価値観が多様化してくると,大人たちの行動が必ずしも適切な行動モデルであるといえなくなるので,もっと積極的,創造的な意味での社会化の過程を見ていかなければならないであろう。近年の発達研究は,個人が単に環境から影響を受けるだけでなく,積極的,能動的に環境に働きかけながら自己を発達させていく主体的存在であることを明らかにしている。つまり,個人の発達は環境との相互作用を基盤として成立するのである。そして,個性化の過程と社会化の過程とは相互作用しながら進展する。しかしながら,能動的,主体的な存在として子どもを認めない児童観や人間観が支配的な時代や社会においては,社会化とは,大人の価値観や規範を一方的に付与することであり,子どもは受動的にそれを内在化していく過程にすぎないのである。このような場合は,上述のような相互作用による個性化,社会化は行われなくなる。
社会化の中で,基礎的なものは言語能力(言語的社会化),対人態度や対人技能の社会化,性役割の学習,道徳的社会化などである。これらは交友関係,職場の人間関係,結婚生活などでの適応の前提条件となるものであり,また社会的能力の形成に関わるものである。これらの基礎の上に,職業的社会化,政治的社会化,経済的社会化などが形成される。そして,このような社会化は大人になるとさらに再社会化(成人期社会化)されるのである。
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第5章 知覚
向こうから来た人をみて「友達の○○君が来た」,後ろから近づいてくる物音を聞いて「自動車が来たらしい」など,外界の様子を知る働きを知覚と呼んでいる。どれも毎日何気なくやっていることなので,こんなことが心理学の重大な研究テーマだといったらびっくりされるかもしれない。これは生理的・自動的に決まっている事柄で,眼はカメラのように外界を映しているだけだ,と思われるかもしれない。網膜は本当に外界を忠実に映しているだろうか。網膜に映った外界の似姿をみて○○君だと誰が判断するのだろう。もちろん網膜ではない。網膜の情報は大脳に伝えられ,そこで判断されると考え,感覚器で生じた感覚を加工してゆけば私の外界の意識は説明できるのだろうか。
どのような変換があるにせよ,外界は感覚器を通して私にみえており,通常私たちは世界がみえる通りに存在している,と思っている。他方でまた,感覚はそれほど信頼するに足るものでないことも知っている。寒さにふるえながら衣服を脱いでお風呂に入るときにはお湯は熱く感じられるが,やがて体が温まってくるとちょうどよい湯加減になる。お湯に入った当初の感覚はあてにならないことを私たちは承知している。私たちの知っている「正しい」外界の知識は,どのようにして不正確な感覚から導き出されるのだろうか。
この章ではこれらの問題を検討する。
1. 知覚研究小史
(1) 大陸合理論とイギリス経験論
これらについてはギリシャ時代以来さまざまに論じられてきたが,大きく2種類の回答が考えられてきた。
ひとつはプラトン(Plato)やデカルト(Descartes, R.)の大陸合理論である。三角形の観念は人がもともともっているもので,経験的に獲得できるものではない。なぜなら,経験できるのは個々の三角形であって三角形一般ではないからである。同様に他の,たとえば椅子についても椅子一般を経験することができない。このように言葉の表す観念がどれも感覚経験よって獲得されたものでないとすれば,もともと生得的にあると考えるしかない。意味は感覚データをこの生得観念に対応させることができたときに成立する。観念なしの経験は単なる混沌である。観念はもともとあるので説明しなくてよく,説明できるものでもない。
もうひとつはロック(Locke, J.)やバークリー(Berkeley, G.)のイギリス経験論である。すべては生後の感覚経験から始まる。観念は感覚から得られたものを記憶し,比較し,名前をつけ,一般化してできたものである。経験は具体的感覚経験と,そこから一般観念を抽象する反省(大陸合理論の理性に対応するといわれている)の2つからなる。ただし,この説は最近一部修正されるべきことがわかった。超音波を飛ばして胎児の様子が観察できるようになった結果,体内にいるときからすでにさまざまな学習が可能であることがわかってきたからである。「生後」は「妊娠以後」に改められるべきである。
最近のコンピュータの情報処理をモデルにした心理学では,大陸合理論的な思考をTop-down型,イギリス経験論的な思考をBottom-up型と呼んでいる。Top-down型では,決定するべき観念がA,B,C,……のいずれかであることがわかっているとき,感覚からの信号を契機にしてどれかを決定する課題を扱う。したがって,感覚は決定される内容とはまったく別のものであってよい。他方Bottom-up型では,感覚がいろいろに加工された結果観念になるのであるから,感覚と観念は多少とも似ていることであろう。
心理学はイギリス経験論的な考え方に大きく影響されて始まった。さまざまな実験を通してこの考え方が検討された。ついでそれらの研究への批判的吟味がなされた。現在はこれらの研究をふまえて次の段階に入っている。これらについて順に紹介しよう。
2. 感覚要素とその連合による説明
(1) 感覚要素
物理学で対象は点の集合としてとらえられたから,こころも点のような要素の集合としてとらえてみようとするのは自然ななりゆきである。要素にもいろいろあるだろうが,さしあたり感覚要素が神経系との対応関係もとらえやすく,研究しやすそうである。そこでまず,対象の知覚が感覚要素の集合として説明できるかどうかの検討が始められた。この問題がこころの問題として最も重要であるとか,最も興味深いものであるという理由からではなく,ただロック的な仕方でこころを検討しようとする場合には,感覚・知覚の問題が最も容易に検討しやすそうであるという理由で研究が始まった。こころは物理学のように厳密な実験や論理で理論的に研究できるのだろうか。
対象は感覚器を介して「知覚対象」に変換されるが,対象の各点に対応して感覚要素があると考える。たとえば,バラの花は眼を介して網膜細胞の興奮とそれに続く神経の活動を引き起こし,「バラの花」の意識を生じさせる。「私はバラの花を見ている」は,バラの光パターン,網膜の感光細胞の興奮,神経発火,大脳の特定部位の興奮を経由して「バラの花」の意識が成立する,その最終段階について叙述しているのである。ところで,たとえば眼の感光細胞についてみれば,各細胞にはそれぞれ特性があり,ある細胞は一定以上の強度の長波長の光で照射されたときにだけ発火する。そして私の意識はこれらの生理的機構が許す範囲内でだけ外界と対応しているのである(ミュラー[Müller, J.]の神経特殊エネルギー説)。すなわち私の意識の機能とその限界は,それぞれの神経の特性に規定されるのである。
(2) 感覚量と精神物理学
感覚神経が発火してはじめて一連のこころの過程が始まるのならここを出発点に考えればよいのだが,神経発火の計測には周到な準備が必要で,いつでも手軽に計測できるわけではない。そこで物理刺激のうち感覚受容器に直接に影響すると想定される部分を特に近刺激と呼んで,神経状態の計測に代用する習慣ができた。視覚の場合には網膜像がこれにあたる。近刺激に対してもとの物理刺激を遠刺激と呼ぶ。
近刺激の物理量のある側面,たとえば光刺激の光量を増加させると,より明るくなったと感じる。このような物理的変化と感覚の対応を研究する分野を精神物理学と呼んでいる。精神物理学ではまず閾(境を意味する)を測定する。物理的に等しい2つの刺激から出発して一方を少しずつ変化させてゆくと,ついに2つはもはや等しくみえなくなる。そのときの変化量を弁別閾(jnd:just noticable difference)と呼ぶ。それに対して,物理エネルギーをゼロから始めて観察者が気づくのに必要な最小量を得たとき,これを絶対閾と呼ぶ。概念としてはまったく単純だが,実際にやってみるとそのような境は見出しにくい。観察者の判断は始終揺れるからである。人為的ではあるが,2種の反応が50%の割合で出現するところを伝統的に閾と定めている。
さて,仮にlOOgの重りに対する弁別閾が2gであったとする。つまり,102gの重りはlOOgの重りより50%の確率でより重いと判断された。ところでもとの重りが150gになれば,弁別閾も3gに増え,もとの重りが250gになれば弁別閾も5gになることがわかっている。一般に,もとの重さR(Reiz,刺激の物理量)と弁別閾⊿Rの間には
⊿R/R=k(一定,ウェーバー比という)
の関係が成立する(Weber, 1840)。上の例ではk=2/100=3/150=0.02となる。これをウェーバーの法則と呼んでいる。この⊿Rに感覚量Sの微分素⊿Sが対応するという仮定を加えて数字的操作を施すと,SとRと次の関係式で表される(Fechner, 1860)。これをフェヒナーの法則という。⊿Sは感覚要素,Sは⊿Sを足しあわせた(統合した)心理量と考えることができる。
S=alogR+b (a, b:定数)
(適用例)反射率80%の白紙と5%の黒紙のちょうど中間の灰色紙は何%か。42.5%ではない。マンセル系の中灰色(5N)の反射率は20%程度である。これをフェヒナーの法則から示してみよう。
80%に対してS白,5%に対してS黒を感じたとすれば,S中灰=(S白+S黒)/2となる。S白=alog80+b,S黒=alog5+bを代入すれば,S中灰=alog20+bとなる。つまり,物理量の平均でなく,感覚量の平均値を計算すれば,中灰と感じるであろう反射率は20%程度になるのである。
フェヒナーの法則はその他のいろいろな感覚に関しても近似的に成立することが知られている。音の大きさの単位デシベル(db)もこの法則を用いている。dbとはlogの値を10倍したものである。この説からすると,今かりにbを無視して考えれば,物理量を2乗倍すれば感覚量は2倍,3乗倍すれば感覚量は3倍になることになる。また,2つの刺激R1とR2の比率R1/R2はalog(R1/R2)=S1-S2となるから,2つの感覚量S1とS2の差にみえることになる。

ウェーバー・フェヒナーの法則はもう100年以上もの間,感覚の尺度として実際に用いられており,感覚量が物理量を測るように厳密に測り得ることを示した。これが妥当である限りにおいて,心理量は要素の集合として考えるのが妥当であることになる。スティーブンス(Stevens, S. S.)はこれに対して疑問を呈し,新たにスティーブンスのベキ法則を提案した。現在ではこれも用いられている。たとえば騒音をフォン(phon)という単位で示すときにはこの法則によっている。
(3) 感覚要素の種類
次に感覚要素の種類について,色覚の例で説明する。ヤング(Young, T.)とヘルムホルツ(Helmholtz, H. von.)は,赤,緑,青の3種の色光を適当な比率で混色すればほぼ任意の色光を作り出せることから,網膜に赤,緑,青のそれぞれに敏感な3種の感覚細胞を仮定し,3種の細胞の興奮の度合いの比率から見えの色が決まると説明した。白は3種とも最大に興奮した場合,黒は3種とも反応しなかった場合と考える。私たちに見える色のすべてをわずか3種の感覚細胞の組み合わせで説明したのである。この説明からすると,ミュラーの指摘するとおり,眼は外界が実際にそうあるとおりにではなく,3種の細胞の対応できる限りにおいて見ているのである。ウシやネズミには明暗に反応する細胞だけしかないから,彼らの世界には色は存在しない。
(4) 精神物理学の限界と無意識的推論
一定の物理的エネルギーが一定の感覚に対応し,私たちに意識される外界はこのような感覚要素の集合として説明される,という考えは単純で理解しやすいが,それだけではすぐにゆきづまってしまう。
昼間の太陽に照らされた石炭と,夜の月に照らされた雪の色を比較してみよう。太陽光10万lux,月光100luxの照明とし,石炭反射率1%,雪反射率100%とすれば,近刺激での光量は石炭からは1,000lux,雪からは100luxになる。しかしそれでも私たちには石炭は黒く,雪は白く見える。これをヘルムホルツは「無意識的推論説」(1865)で説明した。
私たちには格別に努力したという自覚はないが,近刺激を照明と対象表面の反射率の2項目に分け,照明条件を考慮したうえで対象反射率を(または反射率を考慮したうえで照明を)知覚している。このような考慮には経験的に雪が白いと知っていることが大きく影響する。刺激が幾何学パターンなど経験的知識が効果を発揮できない場合には,たとえば,視野全体からもたらされる光全部の平均を照明分とする,などの新たな方式を工夫しているかもしれない。
これらの判断方式は生後の経験の積み重ねから習得される。推論ははじめは意識的であったのが経験を重ねるうちに無意識的・自動的に行えるようになり,今に至っているのである。
(5) 経験効果
無意識的推論説は現代の心理学でもしばしば大きく取り上げられるが,実はこれはロックの考えであり,18世紀のバークリーの説でもあり,つまり数百年にわたって信奉されている伝統的な説なのである。これについて検討した例をいくつか紹介してみよう。
1) 先天盲の開眼手術 モリヌークス(Molyneux, W.)はロックに手紙を書いた。先天性盲人が大きくなってから開眼手術を受けた場合,眼で見るだけで球と立方体を区別できるだろうか。視覚像だけあってもそれに意味を付与する経験がなければ知覚は成立しないであろう。
さて,近年は医学の進歩と共に実際にこの開眼手術を行った患者が出現し,モリヌークス説を直接に検討することができるようになった。鳥居(1972)は生後10ヵ月で失明,12歳で開眼手術を受けた少女について観察し,25㎝平方の白紙上の直径5㎝の円が赤か緑かを正しく弁別できるまでに2年もかかったことを報告した。立体視はさらに難しく,手術後10年を経過してもなお顔の凹凸を判断することが困難であった。これらの現象は単に視覚に意味を付与する経験の有無だけでないことを示す。経験をもつ時期も問題であろう。
2) 逆さの網膜像 ケプラー(Kepler, J.)はあるとき天体望遠鏡を地上に向けてみて,上下左右が逆転してみえることに気づいた。眼にもレンズがあるから,網膜には外界の映像が逆転して映る。なのにどうして人は正立した世界を知覚できるのか。ドイツの医者シャイナー(Scheiner, C.)は牛の目玉を取り出して光にかざし,網膜に外界の映像が倒立して映っていることを確認した。
バークリーはケプラーの問いに経験説から回答を示した。眼は元来上下を決定する能力をもたない。触覚(筋肉運動感覚)は重力に従う方向と反する方向を区別できる。視空間と触空間は本来は別のものであるが,みえたものに手を延ばしてさわる経験を介して,視空間と触空間の対応関係が習得される。その後には,触覚に相談することなしに視覚だけで無意識的に上下左右を判断できることになるという。これはヘルムホルツの無意識的推論の論法である。
ストラットン(Stratton, G. M.)は,外界が逆転して見える眼鏡を右眼にかけて(左眼には覆いをしておく)1週間日常生活を行い,この説を実験的に検討した。視覚での上下左右の判断は触覚との連合からもたらされたのだから,この新たな状況において触覚との関係をもう一度習得し直せば外界はふたたび正立してみえるであろう。眼鏡をかけた最初の日は外界はすべて逆転して知覚され,手を下から出すと上から引っ込むようにみえた。一般にスクリーンに映ったイメージを見ているように現実味が乏しかった。しかし1週間もするとこのような状況にも次第に慣れて,すべて正立して見えるようになったという。バークリー説は正しかったことになる。しかしその後の追試では現象はこれほど簡単ではない。
牧野(1963)は,台形プリズムを使った上下反転眼鏡で15日間観察した。2,3日すると次第に慣れてきて本棚も本も正立してきたが,本の背表紙の文字は逆さであり,部屋のなかは正立してきたのに窓の外は相変わらず倒立していた。視野全体が正立することは最後までなかった。
慣れてくると倒立を意識しなくて行動できるようになる部分ができてくる。慣れる領域は自分の体から始まり,次第に近辺の外界に広まっていく。倒立を意識しないで処理できたとき,だから正立だったのだ,と考えるのかもしれない。正立・逆転はもともとこのようなことを意味しているだけかもしれない。
3) 奥行き次元の知覚 バークリーはまた,眼には元来対象までの距離を知覚する能力も備わっていないと述べた。たしかに対象の姿は眼に映っても,対象に至るまでの距離は網膜のどこにも映らないからその感覚も存在しないはずである。しかし眼に映っている対象が何かを経験的に知っていれば,網膜像の大きさから距離を推定できる。奥行きの印象の形成に経験が大きく関与しているなら,それを逆に利用して錯覚を生じさせることもできよう。昔から画家達は2次元のキャンバスに3次元を描き出そうと努力して,たとえば遠近法で遠くのものを小さく描いたのである。
これらを使えば錯覚を引き起こすこともできる。エイムズの「歪んだ窓」(Ames, 1951)はその例である。台形の窓枠を作成してゆっくり回転させると,長方形の窓枠が前後に揺れてみえるだけで回転しているようにはみえない。この錯覚は「窓枠は長方形だ」という経験的知識を前提にして,それに合致しない部分を奥行きの変化のせいにするために生じるのである。

3. 体制化された構造による説明
(1) 経験論の吟味・批判
先の議論の前提条件は正しいか。こころは,①要素的感覚の集合である,②感覚の解釈は経験を通してかなり自由に修正できる,の2点について,さまざまの現象観察から批判を試みよう。
(2) 心的要素説への素朴な疑問
感覚要素は物理学の原子論から思いつかれたもので,こころの現象の観察から直接に導かれたものではない。またこの発想でとらえられたこころは,通常直感的に理解されるところとはかなりかけ離れている。こころの要素が本来バラバラに存在し,単に習慣や偶然の「と(und)」だけで結びついているものだとは常識的に考えにくい。物質は分割可能でも,こころは私の内部で有機的な体系をなしており,分割できないのではないだろうか。
(3) 心的要素の存在しない現象がある
電球のたくさん並ぶパチンコ屋の看板で,多くの電球が一定の時間系列に従って規則的に点滅すると何か大きなものが看板の上を動いているような印象が生じる。ヴェルトハイマー(Wertheimer, 1913)は2個の光点を適当な時間間隔をおいて点滅させたときの運動印象を測定した。物理的には何も移動していないのだから(だから「仮現運動」と命名した),経験説でいう心的要素はこの場合には存在しない。したがって,現象は心的要素がなくても生じるのである。運動印象成立に不可欠なのは2個の光点とその時間的空間的な条件(組織)である。
ヴェルトハイマーの実験を手伝ったケーラー(Köhler, W.)とコフカ(Koffka, K.)も,要素が接近・反復などの原理で連合してこころが構成されるという考えになじめないでいた。そこで彼らもヴェルトハイマーに賛同し,「一般にこころには要素が存在しない」と主張してゲシュタルト(Gestalt)学派を形成するに至った。ゲシュタルトとは「体制化された構造」を意味するが,翻訳しないで用いる習慣である。こころは部分が組織に組み込まれてはじめて成立するということである。
(4) 感覚要素の非独立性①(白と黒)
先のフェヒナーの法則では,反射光を少なく反射する対象は黒であった。しかしこの原理では次の観察結果を説明できない。
黒ビロードで作成した円盤を速いスピードで回転させ(円盤領域の肌理をわかりにくくする手続き),この円盤部分だけに光をあてて観察したところ,円盤は白ないし明灰に見えた。円盤の手前に白の小紙片をかざすと,円盤は強く照明された黒であることがわかった。しかし小紙片を取り除くと円盤はふたたび白く見えた。照明を弱くすると輝きの度合いは減少するものの,白に見えること自体は変わらなかった。円盤は白紙片を提示したときにだけ黒く見えるのだから,黒とは白との関係においてのみ成立する現象である(ゲルプ Gelb, 1929)。
先に述べた照明の考慮で説明しようとすると,照明は白の部分で弱く,黒の部分で強いと考慮していることになる。これらの現象にはむしろ対比(テスト領域と周囲の差異を強調して意識する傾向)原理を考えるべきであろう。
ジェイムソンとハービッチ(Jameson, D. & Hurvich, L.)は,白黒の濃淡からなる十字形パターンのスライドを作成し,スクリーンに投射した。プロジェクターの光が弱いときにはどの部分も似たような暗灰に見えるが,光を強くすると白はより白く,黒はより黒く見えた。月明かりで見るよりも直射日光下で見るときの方が雪はより白く,石炭はより黒く見えるのである。
(5) 感覚要素の非独立性②(色)
先に説明した3原色説では,赤,緑,青に対応する3種の網膜細胞は独立に行動し,それらに活動を加算した(統合した)最終結果が意識に示されるのであった。他方,原色は3色ではなく,赤黄緑青の4色だとする人も,レオナルド・ダ・ヴィンチやゲーテなど昔から多くいる。
ヘリング(Herring, E.)はこれらの4色が独立ではなく,赤―緑,黄―青の反対色のペアをなしていることを指摘した。赤と緑は反対の色だから,黄がかった赤(朱)や青みのある赤(紫)はあっても緑がかった赤などというものは存在しない。これについては読者諸氏は自分の色覚経験で確かめていただきたい。さて,次の2例は,黒が白との関係でのみ成立する現象であったように,緑は赤との関係で,青は黄との関係でのみ成立し,つまり,色とはすべて諸関係のなかでのみ成立する現象であることを示す。
1) ガンツフェルト 一様な全視野を原語でガンツフェルトと呼んでいる。感覚要素の集合で考えるなら,視野一面に,たとえば赤(一様でありさえすれば他の色でも同様)を提示するときには一面に赤が見えると期待されるが,メッツガー(Metzger, W.)が実際に一様に赤く照明された大きなスクリーンを観察して見たところ,眼を開けたとたんに「至るところから光が自分をめがけて襲いかかってくる」ように感じられた。光は感じられても光の色も照らされている対象も見えず,観察者自身が光の霧のなかを泳いでいるようである。またこの光は,身体の外部からくるようには感じられず,自分が見ているという感じもなかった。「対象の色」としては何もなく,「体感」として意識された。
2) 図と地 コーエン(Cohen, W.)は直径1mの積分球2個を接合して刺激パターンを作成した(Cohenの装置は図のとおり。光1は手前の球の内部を光2は奥の球の内部をてらしている)。一方の球のなかをのぞき込むと,視野の中央に被験者の眼から1mの距離に直径8㎝の円が見える。この円は,実は手前の球の内壁にあけられた穴を通して見える向こう側の球の内壁である。円と外部の輝度差を大きくすると円が手前に見え,しばしば「堅い」と形容された。円を無彩色光,周囲を赤色光で照明すると,ほとんど無彩色の背景の上に鮮やかな青緑(赤の反対色)の円が見えた。

囲まれる領域は色づいて物的,囲む領域は色が消えて空間的になる。ルビン(Rubin, 1921)は,物的領域を「図」,空間的領域を「地」と呼んだ。メッツガーのガンツフェルト条件では囲まれる物が存在しないので,すべてが空間的に現れて色が成立せず,自分の身体が図になって妙に生々しく感じられることになる。後のコーエンの例では鮮明な青緑と淡い赤の関係から,色は主に図の領域の特徴を示すものであることがわかる。
(6) 感覚要素の非独立性③(自動運動)
面は線の集合であり,線は点の集合なのだから,個別に感覚要素を検討しようとして暗黒中に静止光点を1つだけ提示しても,それほど突飛な実験手続きでないであろう。ところがそれを実際にみつめてみると,光点がブルブル動いて見える(自動運動現象)ので,てっきり実験者が動かしているのだと思いこむほどである。
運動とは,先の仮現運動の項で述べたように,関係から生じるのであった。この場合,刺激は光点1つだけなので観察者との関係をもち出す必要がある。観察者の眼球は絶えず動いており,一般に網膜像は絶えず変化することになるが,この変化のうち外界の運動による分と眼球運動による分を区別しなくてはならない。眼球が動くときには網膜像全体が動くが,外界が動くときには一部だけが動く。だから視野全体の運動との相対的関係だけを拾い上げることにすれば外界の運動だけを拾える。したがって光点1つの条件で,暗黒の視野全体が静止しているとみなすときには,眼球運動による網膜像の運動をすべて光点の運動として知覚することになる。
嵐の後,雲間を月が走り抜けていくように見える現象は同様に説明できる。雲の視野に占める面積が大きいことから,雲の運動を眼球運動による成分とみなして無視するなら,月と雲の相対的関係の変化はすべて月の運動になる。
(7) 体制化の法則
ヴェルトハイマーは複数の点や線分を提示して,まとまりがどのような法則に従って形成されるか観察した。部分は,近接,類同,共通運命,よき連続,プレグナンツ(簡潔性)などの体制化の法則(ゲシュタルト法則ということもある)に従ってまとまる(図5‐3a参照)。
佐々木(1989)は音楽の例をあげている(図5‐3b参照)。チャイコフスキー作曲第6交響曲「悲愴」の冒頭部分の弦楽器のパートはAのように記譜されているが,実際に演奏されるとBのように聞こえてくる。高さの近い音同士がまとまる結果である。

(8) 経験効果の否定:錯視と恒常性
感覚が体制化法則に従ってまとまった意識の世界は,必ずしも物理的に確かめられた世界と一致するとは限らない。感覚から対象を正しく知覚しない場合は,錯覚(視覚の場合は錯視)と呼ばれる。上に示した仮現運動や自動運動も錯視の一種であるが,多くの例が知られている。ミュラー・リヤーの錯視,ポッゲンドルフの錯視,マッハの輪,エーレンシュタインの錯視,カニッツァの主観的輪郭線,ヘルマンの格子,等々。
逆に,感覚と物理対象との関係がひどく変形しているにもかかわらず,対象を正しく知覚できる場合を恒常性と呼んでいる。距離が遠くなって網膜像が小さいのに,対象の大きさを正しく知覚でき(大きさの恒常性),照明量が変化しても,白は白,灰は灰と正しく知覚できる(白さの恒常性)。

こころが自ずから従う「体制化の法則」の成立に経験が果たす役割は皆無ではないにしろ大きいものとは考えていない。こころを生得的体制化の法則で記述しようとする試みは,デカルトやカントがこころを生得的理性の法則で記述しようとした試みを思い出させる。ただしここでのこころは動物のこころをも含む。たとえば錯視は動物が敵から身を隠すためのカモフラージュとして意義づけるから,肉食動物が経験を積んで容易に発見できるようになっては,弱い動物は逃げ場がなくなってしまう。体制化の法則は本能や生理的反射レベルで考えるべきものであるかもしれない。
経験論か生得論かをめぐる議論は一時は盛んに行われたが,最近は下火になった。正常な成人だけでなく,赤ん坊や障害者,動物などを研究してみると,経験や生得という言葉の意味自体を定義し直さねばならなくなるような事例が次々に発見されるからである。このような事情の一端は,すでに述べた先天盲に開眼手術をして示された視覚獲得の経過の様子からも窺えるであろう。2歳頃までの視覚経験の欠如は後では何十年かかっても取り戻せそうにない。
4. 認知
従来の感覚,知覚などといった用語に代わって,最近は認知という用語が頻繁に用いられるようになった。認知はcognitionの訳語であり,知覚,記憶,学習を含めた知的作用一般を指す。
1930年代から1960年頃までは,物事をいかに認識しているかを中心的問題とした。それ以降の年代になると,外界から入力される情報に対して内部から積極的に仮説を設定し,意味づけ,働きかけていく過程を示す用語になった。さらに近年では,コンピュータでの人工知能の研究が発展して,「人間,動物,機械を含めた知的構造物の知的活動」(ノーマン Norman, 1980)を研究対象とすることになった。初期の運動について2,3を紹介する。
(1) 知覚の発達と経験効果
1) ピアジェの生得論批判 ピアジェとイネルデー(Piaget & Inhelder, 1964)は,子どもに幾何学図形を描かせた結果から,3,4歳頃の空間概念はトポロジー空間であると述べた。接近(顔のなかのものは顔にある),分離(2つのものが離れているかくっついているか),包囲(囲む,囲まれるの関係)などの特徴が把握されている。
また,テーブルの上に置かれた3つの砂の山が,子どもの向かい側に座った人形にはどう見えているかを推測させた結果から,7,8歳までの空間概念は射影空間であると結論した。回転移動や平行移動によって対象の形や大きさが変化しない「ユークリッド空間」の概念は10歳以降になってやっと習得されるものであるという。デカルトやカントが生得的(先験的)とした時間や空間の概念は,知能の発達を待って10歳以降にようやく可能になるものである。
2) バウアーらの経験論批判 バウアーら(Bower et al., 1970)は,生後10日の赤ん坊が,ものを近づけると手を上げて顔を背ける反応を示した。二次元網膜像の拡大運動から,対象が近づいてくることを読みとる能力(網膜像に存在しない奥行き次元の理解)は生得的なものであろう。
(2) ギブソンの生態学的視覚論
外界は,眼の網膜に絵のように映されて神経興奮に変換され,その興奮は,大脳局部の興奮に変換されるという。しかし脳の興奮から意識への翻訳は誰がどのようにするというのか。この比喩は間違っている。絵が何かによって伝達されるものではなく展示された中から人が能動的に情報を読みとるべきものであるように,世界は私に光の配列で展示され,私がそこに情報を読みとっているのである。
ギブソン(Gibson, J. J.)は第二次大戦時は空軍にいた。飛行機が着陸するときパイロットの眼下には,肌理がほぼ一様な広い大地が広がっている。時間と共に,上の細かかった肌理が下に移動し,荒くなっていく。この肌理の空間的時間的変化からパイロットは大地までの距離についての情報を引き出す。距離の見積もりは両眼視より単眼視の方が正確にできる。奥行き距離に関する情報は単眼視野のなかに十分含まれているのである。人間は実際場面で何をどのように読みとっているか,その生態を観察することが重要である。
(3)神経生理学と計算理論
経験論の原子モデルは,今から300年も昔のロックの時代の神経生理学に基づいている。それ以来神経生理学も進歩した。
ヒューベルとウィーゼル(Hubel & Wiesel, 1962, 1965)は,網膜から大脳皮質に至るまで種々の段階で,同心円型や格子縞などさまざまなパターンに反応する細胞の存在することを示した(補章参照)。したがって今では感覚要素も点でなくてよいし,組み合わせも複雑になった。点の場合には,加えあわせても線や面になる程度であるが,パターンを組み合わせていくには複雑な計算をしなくてはならない。
この分野の研究例を1つ示す。キャンベルとロブソン(Campbell, F. W. & Robson, J. G.)は,ある格子縞パターンに順応した後には,その格子縞程度の太さの縞に対する感度が,他の太さの縞に対するより低下することを発見し,ここから,縞の太さ(空間周波数)に選択的な「チャンネル」(色刺激の場合の3種の感光細胞に対応する概念)が存在すると結論した。その後の多くの議論から,今では格子縞の太さに対して選択的な4種のチャンネルが存在することが知られている。
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第6章 学習
生物は,遺伝や本能,学習など,さまざまな仕方で環境に適応し,生き延びてきた。魚は一度に何億もの卵を産み,短期間に成長してしまうという遺伝方式を備えている。昆虫では本能が適応を促している。しかしこれらの方式は,生まれついたときから利用できるものの,現在の環境に合わせて柔軟に調整することはできない。系統発生の進化につれて,手間はかかるものの後天的に調整できる適応方式の学習が現れた。哺乳類では無力な子ども時代は親に保護してもらえるので,誕生して後にいろいろと学習して一人前になっていく方式で生涯を過ごす。とくに人間ではこの学習部分が大きな役割を果たしている。
学習とは通常「経験の結果生じる比較的永続的な行動の変化」と定義されている。行動の変化の習得,保持,再生のすべてが学習の問題であるが,ここではやや狭く,とくに習得の部分を中心に扱う。実験的に観察するには人間よりも動物を取り上げた方が都合のよいことが多いので,しばしば動物が登場する。動物は単純で観察しやすい。誕生直後から24時間中観察できる。学習は単に心理的変化にとどまらず,神経回路の形成など生理的変化をも伴うことだろうが,動物なら脳を解剖してそれを確認することも許される。
学習にはほとんど反射と変わらないような単純なものから,思考と呼んだ方がよいような複雑なものまで多くの種類がある。本章では古典的条件づけ,道具的条件づけ,認知学習,学習の転移などの問題を中心に説明する。
1. 学習の方式
「動物は単なる機械ではない」というときに私たちは通常何を期待するだろうか。動物がいつも決まりきった反応をするのでなく,自分によりよい結果をもたらすように,その都度いろいろ工夫して反応することであろう。すべての生物にとってもっとも大事なことは環境に適応して生きのびることであるが,学習方式では,行動結果からフィードバックされた情報を取り込み,必要に応じて行動プログラムを修正して次回に備えるのである。次回をしのげればそれでよし,しのげなければその情報を取り入れてプログラムを修正する。このような生物については,もはや自動機械と呼ぶわけにはいかないであろう。
しかし,動物の話は所詮動物の話で,つまり大変に原始的な水準の話で,高度の文明を誇る人間には関係がないと思われるかもしれない。西洋でも長い間,動物はただ機械的に動いているだけだと思われてきた(たとえばデカルトDescartes, R.)。しかしこの考えは,ダーウィンの進化論(Darwin, 1859)以降に改められた。それ以来動物研究が本格的に進められ,現在まですでに1世紀余りが過ぎた。動物で人間の代理をさせることはできないが,動物の行動に人間のそれと共通している部分も多く認められる。ここでは代表的な3種の学習方式を中心に紹介しよう。
(1) 古典的条件づけ
パブロフ(Pavlov, I. P.)は,イヌが日常生活を送っている状態で消化腺の分泌活動を測定して,1904年ノーベル賞を授けられた。イヌの唾液分泌は不規則に起こり,たとえばいつも餌をくれる人の顔を見るだけで直ちに唾液を分泌し始めたので,生理的というより心理的なものに思われた。彼はこれを精神的唾液分泌と名づけ,1900年頃より死の1936年に至るまでこればかりを研究し続けた。
1) イヌの条件づけ実験 イヌは四肢を固定され,唾液腺からの分泌が外から観察できるように,6つある唾液腺の開口部の1つに管をつないである(図6‐1a)。「餌をくれる人の顔」の代わりに,たとえばメトロノームの音が提示され,しばらく後,たとえば0.5秒後に肉粉が口中に吹きつけられる。いま問題にしている唾液分泌に対し,それを生得的に引き起こす餌刺激を無条件刺激(US),通常は引き起こさない音刺激を条件刺激(CS)と命名する(図6‐1b)。
はじめは音がなっても,聞き耳をたてたりそちらを向いたりするだけで特別な関心を示さないが,音‐餌のペアを反復提示しているうちに,音だけでも唾液を分泌するようになる。餌に対する唾液分泌を無条件反射(UR),音に対する唾液分泌反応を条件反射(CR)と呼ぶ。条件反射は音と餌が接近反復提示されることで連合し,音が餌と同様の機能を果たすようになった結果であると解釈された。
音‐餌の連合の程度は,音がなって以後餌を提示しない試行で一定時間,たとえば30秒間を経過するまでに分泌された唾液量で定義され,条件反応量と命名される。音‐餌のペア提示を反復すると条件反応量は次第に上昇し,連合がより強固になることを示す。途中で実験と無関係な室外の物音など(無関刺激)が挿入されたりすると,一時的に唾液分泌が抑制されることがある(外制止)。ここまでが条件反射形成の手続きである(図6‐1c左部分)。
さて,いったん連合が成立しても,音をならすだけで肉粉を与えないでおくと,次第に音がなっても唾液は分泌されなくなる。この手続きを消去という(図6‐1c中央部分)。消去の途中で無関刺激(たとえば室外での人の話し声)が挿入されると一時的に唾液分泌の抑制が中止されることがあり,これを脱制止という。条件反応量が一定水準以下になったところでパブロフは実験を打ち切り,休憩した。その後戻ってきて,後かたづけをしようとしてうっかりメトロノームの音をならしてしまったところ,イヌはふたたび唾液を分泌した。何度か音をならすだけで餌を出さないでいるとやがて唾液は出なくなった。しかし再び休憩した後に音をならすと,またもや唾液が分泌された。新たに強化試行を加えないで反応が回復する現象を自発的回復という(図6-1c右部分)。
パブロフはこの研究によって大脳の神経回路の形成過程を解明できると考えていた。まず,音は耳で神経信号に変換され,求心神経系を登って大脳のある部位Aにいたる。次にそこから発せられた信号は遠心性神経を伝わって耳に至り,耳をそばだてさせる。同様に餌は舌との接触を通して神経信号に変換され,大脳の部位Bに至り,そこから発せられた信号は遠心性神経を伝わって口に至り,唾液を分泌させる。

さて音‐餌が接近反復提示されると,池に石を投げ込んだときに水面上に波紋が広がっていくように,大脳のA点とB点を中心に興奮の波紋が広がっていく。2つの波紋がぶつかると一種のショート現象が起き,新回路が形成される。その後は,音によって始められた神経活動は,大脳のA点に至った後に新回路を通ってB点に至り,唾液を分泌させることになる。つまり条件反射の成立は,大脳のA点‐B点間に新回路が形成された証拠なのである。
パブロフはさらに進んで,この新回路が大脳のどこで成立したかを解剖学的に検討した。彼は条件反射は大脳で成立しているが,無条件反射は大脳の下部位で成立しており,成立部位が異なっていると結論している。また,条件刺激のうち,視覚刺激や聴覚刺激を第一信号系,言葉を第二信号系と呼び,言葉は現実の信号を一般化したもので,いわば信号の信号であると述べた。このようにして,客観的な研究は不可能とされていた言語で記述される主観的領域についても同様に研究できると主張した。しかし彼は第一信号系と第二信号系の違いを解剖学的に示すことはできなかった。
2) 連合論(イギリス経験論)との関連 条件反射は,CS(音)‐US(餌)の2つの刺激が接近反復提示されて連合し,CSがUSと同等の機能をもったことを示すと解釈される。ところで,「接近反復提示による連合」といえばイギリス経験論で数百年間も論議されてきたテーマである。しかし彼らは,ただそうも解釈できると指摘するだけで,実験データに基づいて論証することはなかった。こころが要素の連合からなるのなら,こういった条件反射の組み合わせに分解できるのかもしれない。ただし経験論で議論されたのは観念間の連合であり,この実験で取り上げられたのは刺激間の連合である。もし観念間連合を刺激間連合でおき直してもよいと仮定してよければ,連合論を実験的に吟味できることになった。
提示刺激の順序 連合論では順序が問題にされたことはない。しかし実験では,音の後に餌がくるときには容易に条件づけが成立するが,餌の後に音がくるときには条件づけは成立しなくなるか,少なくとも著しく困難になった。何種類もの説明があるが,ここでは「情報説」で説明しよう。音がなれば餌がもらえると期待できる場合には音に情報価値があるが,餌をもらってしまってからでは音に何の値打ちもなくなるからである。
部分強化条件での消去過程 音と餌の間の連合を強める手続き,つまり音を提示した後に餌をやる手続きを強化というが,強化を部分的にして,たとえば音が4回なっても1回ぐらいは餌のもらえないことのある条件でイヌを訓練すると,常に餌のもらえる連続強化条件よりも反応量は明らかに少なくなる。したがって十分に強い連合が得られていないのだと解釈し,この反応は速やかに消去されると予測するのは自然であろう。しかし実際に消去しようとすると連続強化の場合よりもずっと手間取る。なぜか。ここでも音の餌出現に対する情報価値だと説明しよう。連続強化条件で音がなると必ず餌がもらえることを学んでいるイヌは,途中から急に餌がもらえなくなれば事態が違ってきたらしいと気づくだろう。しかし部分強化条件のイヌはこれまでにも餌のもらえないことがあったから,事態の変化に気づきにくいだろう。
外制止,脱制止,自発的回復 単純に連合論で考えるなら,無関刺激に対しては特別な反応は一切期待できないはずである。しかし室外で物音がしてイヌが無条件反射から聞き耳をたてる(定位反射,または俗に“おやなんだ”反射などともいう)と,とたんにメトロノームに対する唾液分泌量が少なくなる(外制止)。消去過程に入り,メトロノームに対しては餌を期待できないことを学んでいるときに無関刺激が提示されると唾液を分泌してしまう(脱制止)。どちらの場合にも,無関刺激に対して定位反射が起こって学習中の反応が一時抑制された,といえる。自発的回復現象についても諸説があるが,休憩が入ったのでメトロノームに条件反射の代わりに定位反射を起こしたから,と脱制止と同様に説明できる。
脱制止や自発的回復は定位反射によって抑制が抑制されていることを示すから,消去は単に受動的に連合が消失するのを待つ手続きではなく,音に対する条件反応を抑制することをイヌに学習させる手続きであろう。イヌは今は条件反射で応答しよう,次は定位反射で応答しようと意識するわけでもないだろうが,結果的には状況に即してそのように行動してしまっている。
3) 人間での条件反射 条件反射はもちろん人間でも生じる。梅干しを見るだけで,また鰻の蒲焼きの匂いを嗅ぐだけで唾液が湧いてくるのは自然的条件づけである。人間での実験も盛んに行われている。唾液分泌,皮膚電気反応(GSR),光に対する瞳孔の開閉,脳波,血管運動,心拍など,さまざまな不随意的な自律反応が条件づけられることがわかっている。言語を用いずにできるので,乳幼児で実験することもできる。また,バイオ・フィードバック法を用いて訓練すれば,「暖房具に手をかざしている」といったイメージで実際に手の皮膚の温度を上昇させることもできることから,イメージを用いた条件反射実験も可能である。
(2) 道具的条件づけ
アメリカのジェームズ(James, W.)は,ヨーロッパに留学した際,イギリス経験論よりもダーウィンの進化論に感銘を受け,帰国して適者生存の思想を重視した実用主義(Pragmatism)を説いた。これは抽象的な普遍的真実よりも,具体的に実践上で役立つ真実を重んじる立場である。
電気とは何かを原理的に説明することは難しいが,このスイッチを押せばこのように電灯がともる,これは電気によるのだというだけならたやすく伝えることができる。この知識は次の仕方で定式化できる:「□□とは何か」→「もし私が□□に対して○○という仕方で働きかければ,△△という結果を得るであろう,それが□□だ」。これはまたブラック・ボックス的知識ともいう。コンピュータに関して,ソフトウェアだけを知っていてハードウェアは何も知らない場合がこれにあたる。機能だけを問題にすることから,「機能主義」といわれることもある。
1) ソーンダイクのネコの道具的条件づけ アメリカで動物研究が始まったのは,ソーンダイク(Thorndike, E. L.)がネコに試行錯誤学習をさせた学位論文「動物における連合過程の実験的研究」(1898)をジェームズに提出して以来である。
彼は要素の連合について動物で検討した。理性のないネコでも,「偶然に扉の掛け金をいじる→掛け金がはずれて扉が開き脱出できる→餌がもらえる」を繰り返し経験すると,理由はわからなくても接近・反復の原理によって,「掛け金(S:stimulus)→はずす(R:responce)」のS‐R連合を習得できる。このSとRの要素が効果を媒介にして連合することでネコの知識は説明される。

これはまたジェームズ流実用的知識でもある。彼は,連合成立には「効果の法則」(効果があればそれを覚える)と,「練習の法則」(反復練習して上達する)の2つが重要であり,接近反復だけあっても効果がなければ連合しないと述べた。
以上は「知能が低く理性をもたない」ネコの話であるが,少なくともここまでは客観的に科学で説明できたことになる(誰が何度試みてみても同様の現象を確認できることであろう)。万物の長で理性的な人間は到底これだけでは説明しきれないだろうけれど,その一部分ならこれでも説明できるだろう。
2) ワトソンの行動主義 人間で実験するときには言葉を用いることができるが,動物相手では行動を観察するしかない。ワトソン(Watson, J. B.)は,これを逆に利点として,科学としての心理学に必要なのはこの客観的に観察可能な行動であり,言語報告の主観的記述の部分は科学の対象にはならないと主張した。
感覚・知覚→弁別反応,学習・記憶→条件づけ・S‐R連合の保持,思考→課題解決,動機づけ・価値→選択行動,情緒→腺の分泌など,意識の記述を退け,科学としての心理学は行動のみを取り上げるべきである。言語報告はその言語行動が生じたという行動データとしてのみ意味がある。S‐R連合とは自分の目的を達成するために環境にどのように対処すればよいかについての実用的知識ないしその実践を指し,「生得性のもの」と「経験を介して獲得されたもの」の2種類がある。言語も赤ん坊が母親とのやりとりを通して獲得したS‐R連合の一種であり,思考とは自分に向かって話すことである。ある刺激Sに対してどのような反応Rが連合することになるかは強化の与え方次第で決まる。「私に健康でよい体をした赤ん坊と,彼を育てるための私の特殊な世界を与えたまえ。そうすれば私はその子を訓練して,私が選んだいかなる専門家にでも,医者にでも乞食にでもきっとしてみせよう」と豪語した(1930)。
彼の学説は単純明快でわかりやすいこと,ヨーロッパの心理学を客観性を欠くと批判する視点をもっていたこと,まだ研究が始まったばかりの動物心理学と若い国アメリカ合衆国のイメージが重なったことなどから,20世紀前半には大変もてはやされた。
3) スキナーの行動工学 パブロフ型の自律神経系を中心とする条件づけを古典的条件づけ,ソーンダイク以降アメリカで研究された随意運動の条件づけを道具的条件づけないしオペラント(操作的)条件づけと命名したのはスキナー(Skinner, B. F.)である。彼もまた行動だけを取り上げることを主張し,トールマン(Tolman, E. C.)の認知論(後述)を科学以前の時代に戻ろうとするものだと非難した(1950)。
彼の目標は行動変化に影響を及ぼす変数を経験的,実験的に知ることであり,生理的機構などについては一切問わない。ダーウィンでは自然が種を淘汰するが,スキナーでは環境(自然環境と社会・文化環境)からの強化が行動を淘汰する。彼の関心事は強化の随伴性(ある行動に時間的に接近して正または負の報酬を与えること)を操作することによって動物の自発的行動を選択的に統御することであった。ハトのペッキング(窓をつつく)行動でなされた研究例を紹介しよう。
まずハトに窓をつつくことを教える(行動のシェイピング)。窓に関することを少しでもするとすかさず餌をやる(窓の下の皿に餌が1粒落ちてくる)。窓の方を見る,窓に近づく,窓にさわる,窓をつつくなど,どれに対しても餌を与える。そのうちにハトが窓を盛んにつつきだすと,つついても餌をやらない場合をつくり,次第にあらかじめ決めておいたスケジュール(5種の強化のスケジュールを用意)に従って餌をやるようにする。
FR(fixed ratio):200回つつくと1回強化される。
VR(varied ratio):平均すると強化頻度はFR条件と同じであるが,強化率は一定せず,30回で強化されることもあれば,300回つついてやっと強化されることもある。
FI(fixed interval):10分間に1度強化する。
VI(varied interval):平均すると10分間に1度程度であるが,時間間隔は特に決まっていない。
DRL(differential reinforcement of low rate):前回強化されてから少なくとも一定時間が経過するまでは次の強化がない。
結果は図6‐3に示した。
FRやVRのように報酬の量が努力量に比例する条件では,強化率がわずか1/200であってもハトは随分努力してつついている。報われることがわかっているときには限界近くまで努力する。FRは封筒の宛名書きのような出来高払いの単純労働によくあてはまるだろう。
FIやVIの条件では努力しなくても時間がくれば報われるので,あまり努力しない。FIはたとえば集金係りの行動を説明するだろう。月給をもらったばかりの頃をねらって集金に回ればもっとも効率よく仕事できよう。
FRとVR,FIとVIの比較から,規則的に報われるときの方が不規則的に報われるよりもよく努力することがわかる。目標が立てやすいからだろう。
自発的ペッキングの回数は,その行動にどのようなスケジュールで強化刺激を伴わせるかで,このようにコントロールすることができる(stimulus control)。

4) 古典的条件づけと道具的条件づけの比較 古典的条件づけでは接近・反復提示によってCSとUSが反射的に連合したが,道具的条件づけでは試行錯誤を繰り返してSとRが意識上で連合した。連合論はどちらかで考えていくべきか。しかし,この2つは見かけほど別々のものでもない。連合が反射的になされようと意識的になされようと,結局は経験を重ねるうちに状況にふさわしい行動が出現するようになって,環境への適応を促進するのである。動物の適応行動がこれらの単純な連合原理だけで説明されるなら,動物に理性や観念を考える必要はないであろう。

(3) 認知学習
学習は,しばしば外部からは観察不可能なところでなされる。たとえば記憶や思考は,直接には観察できないが学習で大事な役割を果たしている。認知学習というとき,こころは外部から直接には観察できないという考えが含まれている。
1) トールマンの潜在学習(1930) ネズミでなされた迷路学習実験を紹介しよう。グループ1のネズミはゴールに到着すると,餌を与えられないでホーム・ケージに戻される。グループ2はゴールに到着すると,餌が与えられた後,ホーム・ケージに戻される。グループ3は10日目まではグループ1と同様,11日目からはグループ2と同様である。結果は図6‐5に示す。
10日目までの成績は,期待通りグループ2がもっともよく,グループ1,グループ3はほぼ同じ成績であった。12日目からグループ3のエラー数は急激に減少し,グループ2よりさらに少なくなった。グループ3のネズミは12日目からは報酬のせいで学習の成果(迷路の構造はしかじかでどこにいけばゴールになるという知識)を示したが,それまでに知識を蓄えてきたからこそ示せたのであって,この日に急に習得したわけではない。したがって10日目までネズミは餌なしで迷路を学習していたことになるから,ソーンダイクの効果の法則は否定される。またワトソンの「外部から観察可能な行動だけを取り上げるべきだ」という主張も否定される。報酬なしの学習は,12日目以降の行動からの間接的推測によるもので,外部から直接に観察することができないからである。

この結果からトールマンは行動を,学習(迷路についての認識)と遂行(学習した成果を外部に表現して報酬を獲得すること)の2段階に分けて考えた。学習に報酬は必要でなく,学習成果も常に外部から観察できるとは限らない。ワトソンやスキナーでは,学習とは報酬を媒介にS‐R関係を習得することであったが,トールマンでは学習は外界についての知的理解(刺激同士の関係の理解)を意味している。
2) 観念 デカルトが「動物にはこころがない」といったのは,「動物は言葉を使えない」ないし「動物は観念をもたない」という意味であった。観念とは何か。ロック(Locke, J.)によれば,言葉で表せるものなら何でもよく,鉛筆も象も観念であるが,ただし「この鉛筆」ではなしに「鉛筆というもの一般」でなくてはならない。理性の役割はこの観念を操作することにあるから,動物が観念をもたないなら理性ももたない。理性こそこころの肝心な部分だと考えれば,デカルトの結論は一応はうなづけるものである。ところで動物は本当に観念をもたないのだろうか。下の観察例からは,単純な観念ならもっているようにもみえる。
数観念 動物が試行錯誤を繰り返しながら学習していく様子を調べる実験のひとつに迷路学習がある。さて,この解答が右左右左・・の迷路を習得できれば,動物には“1”の観念があり,右右左左右右左左・・の迷路を習得できれば“2”の観念があるとする。調べてみると,ネズミは1は容易であったが2は困難であり,サルでは3にも成功した(ハンター Hunter, 1920)。
遅延行動 チンパンジーが見ている前の檻の外の砂にバナナを埋める。翌日檻から出してやると,砂のなかからバナナを掘り出すことができた。ずっと覚えているにはバナナのイメージが必要だろう(ケーラー Köhler, 1917)。
洞察 天井高くバナナが吊り下げてある。チンパンジーは跳び上がって取ろうとするけれども届かない。ふと向うに箱のあるのに気づき,運んできてその上に登ってバナナを取った。試行錯誤によってでなく,論理的に一挙に解決できた(ケーラー,1917)。これが高度に知的行動であることは疑えない。
(4) その他の学習
1) 知覚運動学習(技能の習得) 自転車やテニス,ピアノ,タイプなどでは,感覚で外界を知覚して自分の運動反応を制御するので,これらを操る技能の習得を知覚運動学習と呼ぶ。
プラトー たとえばタイプの場合,基本動作の1つ1つは練習なしでも行えるが,何度も練習を重ねるうちに個々の動作が半自動的に行えるようになり,次第に全体がまとまりをもって現れるようになる。練習の成果はしばしば一本調子では現れない。ある程度上達したところでいくら練習を重ねても進歩しなくなる時期がくる。これをプラトー(高原)という。それ以上の向上を求めるなら練習方法を見直す必要があるかもしれない。プラトーは,今まで文字単位で打っていたのに単語単位で打つようになるとか,文章単位になるといったように,基本単位が変化する時期にしばしば現れるようである。
集中学習と分散学習 一気に長時間にわたって休憩なしで練習する場合を集中学習,練習時間を短く区切って頻繁に休みをいれる方法を分散学習と呼んでいる。一般に内容が複雑なときには集中学習が,単純・単調なときは分散学習がより効果的だといわれている。ピアノの練習で,バイエル程度なら30分もすると飽きてしまうが,ソナタなら数時間続けても飽きない。
2) 社会的学習 もし自分がモデルであるならと,モデルを自分の代理にみたてて行う学習をいう。親をモデルにした生活習慣のしつけや親方をモデルにした「見習い」制度など実際にも用いられているが,社会的な人間相互の関係の下で展開される複雑な問題である。他人を観察して眼や耳で学ぶ学習はこれまで取り上げた本人の直接体験に基づく学習と同じではないであろう。
模倣 動物は仲間を模倣できるか。ウグイスが名人のさえずり方を手本にして,ついにはそっくりに鳴くことはよく知られている。ミヤマシトドは孵化後10~50日に正しいさえずりを聞くなら,200~250日で正しくさえずるが,この時期をはずすと正しくさえずれなくなる。こういう時期の限定された模倣は刻印づけ(imprinting)といってもよいだろう。チンパンジーは時期の限定なしに,仲間だけでなく人間のすることも模倣できる(ケーラー,1917)。人間では同様なことが1歳半頃からできるようになる(ピアジェ Piaget, 1948)。これらの模倣では,対象がイメージでとらえられている点で,先の模倣とは区別される。
モデリング学習実験 バンデューラ(Bandura, 1977)は幼稚園児に映画をみせてモデリング効果を調べた。映画では,同年齢ぐらいのモデルが,等身大の人形を殴ったり馬乗りになったりして攻撃している。最後にモデルは褒美をもらい(+強化群),罰せられ(-強化群),あるいは何事もなく終わる(無強化群)。映画終了後子どもはプレイ・ルームで遊ぶが,ここには映画に出てきたのと同じ人形が置いてある。子どもが人形に対して行う攻撃行動,とくにモデルの行った攻撃行動を模倣した行動の出現について10分間観察する(図6‐6)。

他者の攻撃行動を観察することで通常よりも人形に対する攻撃性が全般に高まり,モデルの攻撃行動に対する模倣は+と無の強化群で-強化群よりも多くなった。強化は自分でなくモデルが受ける(代理強化)のであっても有効であるが,無強化でも攻撃行動は増えたから,代理強化は必須ではない。
教える 発達のある段階で,子どもが親や仲間のふるまいをとくに模倣することは広く認められているが,おとなが子どもに手本を示して教えようとする行動はそれほど頻繁に認められるわけではない。クオ(Kuo, 1930)はネコの例を示している。母親ネコがネズミを殺すところを見た子ネコは大部分ネズミを殺すようになったが,見ないで育ったネコは約半数しか殺さなかった。母ネコが手本を示そうという意図をもっているかどうかはわからないが,獲物を子ネコに見せる光景はしばしばみかけられる。
2. 学習の転移
中学生時代に卓球に熱中していた人が,高校に入ってテニスを始めたところたちまち上達したり,福沢諭吉がオランダ語を習得した後に英語が必要なことに気づいてその勉強にとりかかったところすぐに習得してしまったというような現象を学習の転移という。卓球とテニスでは球の扱い方が似ているのだろう。オランダ語と英語では文法構造が似ている。1つのことの学習はそれで終わるのではなく,類似する次の学習を促進する(正の転移)。極端な促進の例は洞察で,練習がいらない。もちろん課題次第では妨害的に働く場合もある(負の転移)。
(1) 過剰訓練効果
動物にたとえば○を選べば報酬を出し,△を選べば何も出さないで,2つを弁別して反応するよう訓練する。10試行中9回正反応の基準に達したところですぐに課題を逆転し,○を選べば何も出さず,△を選べば報酬を与える場合(統制群)と,基準に達してからさらに(たとえば)100試行過剰に訓練してから課題を逆転する場合(過剰訓練群)を比べると,一般に過剰訓練群は速やかに逆転課題を習得する。過剰訓練により動物は単に弁別以上の何かを習得するらしい。
(2) 学習することの学習
ハーロー(Harlow, 1949)はサルに弁別学習をやらせた。1つの問題は6試行よりなり,2つの刺激のうち1つを選ぶよう訓練する。たとえば,引き出しの取っ手とたばこのケースが提示され,取っ手を選択すれば餌(下の穴にホシブドウが置いてある)がもらえるが他方ではもらえない。第1試行の正答率は確率50%であり,第6試行が終わってもはじめのうちは正答率は75%程度であった。ところが,類似の問題を300問ほどやった後には,第2試行で正答率がほぼ100%になった。弁別学習のコツがわかったのである。第1試行で餌がもらえれば次もそれを選択し(win-stay),もらえなければ他方を選択すればよい(lose-shift)。多数の試行錯誤学習は洞察を産むのである。
この話には後日談がある。スロートニックら(Slotnick, et al., 1974)はネズミに花の香りの弁別学習をさせた。2種類の香りを継時的に提示する。正刺激が提示されている時にバーを押すと報酬がもらえるが負刺激では何ももらえない。ネズミはまたたく間にwin-stay,lose-shift方略を習得した。ネズミの方が知能が高いからではなく,刺激の種類や提示方法からもたらされた結果であろう。
(3) ハトの洞察
エプシュタインら(Epstein, et al., 1984)はハトにオペラント条件づけで紙箱を動かしてその上に立つことを教え,また別に天井から吊り下げられたバナナをその下に置いてある紙箱の上に乗ってつつくことを教えておいた。さてテストでは,バナナが天井から吊り下げられ,紙箱は少し離れたところにおいてあった。ハトははじめは箱に乗ってむなしく首を伸ばしていたが,やがて箱をバナナの下まで動かして,その上に乗ってバナナをつついた。問題を分析し段階を追って教えてやったりすれば,その転移効果からハトにも洞察ができる。
* * * * *
こころの要素の連合は,ミミズから人間に至るまで一般に通用する原理なのだろうか。神経系については動物から人間まで進化の過程を体系づけることができるのだから,こころについても同様に何か一貫した原理があるのかもしれない。他方,これまでの心理学は,人間について知るために動物を利用する側面が強かった。報酬などで強制的にやらされるのでない,動物の本来の生活で用いられている行動の観察から得られる知見(動物生態学の観点)も大事にしたい。
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第7章 記憶
われわれのこころは記憶に支えられている。このことは,事故などによって記憶喪失した人のこころが一変するのを見てもわかる。しかしこのような特殊事例によらなくても,「毎朝自転車で大学に来る」「友人に好きな音楽を説明する」「昨日負けたテニスの試合を思い出す」という日常的な行動を見ても,このことは明らかである。われわれの記憶のなかには,種々の具体的,抽象的な事物や事項,事象に関する莫大な知識だけでなく,われわれの過去のさまざまな体験,日頃意識せずやっている技能のやり方に関する知識も貯蔵されている。さらに,10年前の私と今日の私が同一であるという意識,その意味では,私のこころの連続性を可能にしているのも,この記憶過程なのである。先に学んだ「知覚」や「学習」も,この記憶過程がなければ成立しない。記憶なしにはこころはありえないといってもよい。この意味で,記憶研究は,こころの働きの理解には不可欠である。
本章では,人間の記憶系の構造の問題と,記憶系の内部で生じている過程の問題を取り上げる。構造と過程の問題は密接に関連しており,記憶過程に関する種々の知見をもとに構造が論じられる。
1. 記憶の構造
(1) 記憶の多段階貯蔵モデル
人間の記憶系は,機能の異なる複数の貯蔵庫から構成されていると考えられている。研究者によりその詳細は異なるが,総じて,感覚貯蔵庫,短期貯蔵庫,長期貯蔵庫の3種の貯蔵庫を仮定している(図7‐1)。

1) 感覚貯蔵庫(SS:sensory store) これは,感覚器官から入ってくる情報の残効ともいうべき記憶で,われわれがこれを日常自覚することはほとんどない。暗室で懐中電灯を適度な速度で回転すると光の円を見ることができるが,この知覚を支えているのがこのSSである(ゴードンら Gordon et al., 1987)。
SSの存在は,スパーリング(Sperling, 1960)によって実証された。彼は,3文字から12文字のアルファベットの子音(一部数字を含む)を50ミリ秒呈示した後,被験者に見えた文字とその位置の報告を求めた。その結果が図7‐2である。呈示文字数が4文字までは正確に報告されているが,それ以上呈示されても成績は上昇していない。しかし,被験者は報告できた文字数より実際は多くの文字が見えていたという印象をもつ。実際の成績とこの印象とのギャップを,彼は部分報告法で取り出そうとした。この方法では,たとえば4文字3行からなる文字刺激では,12文字全体の報告を求める(全体報告法)のではなく,3種の信号音を発して報告すべき行を指定する。こうすれば,各行4文字であるから報告できる文字数の範囲に納まることになる。この信号音を文字刺激とほぼ同時に500ミリ秒呈示した。刺激が呈示される50ミリ秒間に,眼球運動はほとんど起こらない。ここで3種の信号音はランダムに呈示されるので,報告すべき行が当たる確率は1/3になる。したがって,もし被験者が3文字報告できたとすれば,実際は3倍の9文字が報告できたことになる。この仮定のもとで得られたデータも図7‐2に示されている。これより,潜在的には多量の文字が利用可能であることがわかる。
それでは,この多量の情報は,どの程度の期間にわたって利用可能な状態にあるのだろうか。刺激呈示から信号音までの時間間隔を刺激呈示前0.1秒から,呈示後1秒までのいくつかの時間間隔で変化させてみると,利用可能な推定文字数は急速に減少し,1秒もすれば,全体報告法で得られた水準に達する(図7‐3)。以上の結果から,多量の情報が貯蔵されながらも,数百ミリ秒で消失するような過程の存在が推定される。これがSSと呼ばれているもので,視覚に限らず聴覚でも報告されている(ダーウィンらDarwin et al., 1972)。ただ,聴覚情報の減衰に要する時間は約2秒から4秒と長い。この点で,SSは各感覚器官でその機能特性が異なるようである。

2) 短期貯蔵庫(STS:short-term store) SSに入った情報のうち注意を受けた情報は,STSに入るとされる。クラスメイトの電話番号を名簿で調べてダイヤルするまでの間,われわれは普通その番号をこころのなかで反復(リハーサル)しているが,用件が済んで,その番号を思い出そうとしてもまず思い出せない。この意味では,STSのなかの情報は,リハーサルしないと消衰しやすいし,妨害に弱いという特徴をもつ。STSの存在を示す根拠としては,直接記憶範囲(メモリースパン)や自由再生における系列位置曲線の特徴などが指摘される。
任意の数字や単語などの項目を次々に読み上げた後に再生を求めると,再生できる項目数には限度がある。ミラー(Miller, 1956)は,このスパンを7±2とした。しかし,この数字はチャンクを単位としている。たとえば,OECDPKOUNUCLAGLDとアルファベットの連鎖を聞いて,OECD,PKO,UN,UCLA,GLD(ギルダー)と5つのまとまり(チャンク)に区切ることができれば,STSの容量内に入ることができるが,このまとまりを知らない人にとっては全体で16チャンクとなり,限界容量内に納まりきれない。その結果,部分的な再生しかできなくなる。
図7‐4に,自由再生で得られる典型的な系列位置曲線を示す。等質な項目を次々に呈示した後,被験者に思い出せる項目を呈示順序を無視して再生してもらう(自由再生)と,再生率は系列位置のはじめの部分(初頭効果)と最終部分(新近効果)が高く,中間部で低くなる。この種の実験で,1項目の呈示速度を遅くすると,その効果は初頭部や中間部に現われ,新近部への影響はない(図7‐4の20‐1と20‐2を比較せよ)。これとは逆に,項目呈示終了後に数字の逆唱などの妨害課題を挿入すると,その影響は新近部に著しく,初頭部や中間部への影響は弱い(図7‐5)。また,リハーサル回数と再生率は,初頭部では対応が見られる(リハーサル回数が多いと再生率も高くなる)のに対し,新近部では両者間に関係はない。このように,心理学的変数の操作に応じて,系列位置曲線は異なった応答をする。全体的に見ると,初頭部と中間部は安定しているのに対し,新近部は不安定である。これらの事実から,新近部の再生はSTSから取り出された情報であり,初頭部と中間部は長期貯蔵庫から取り出された情報ではないかと考えられている。


この他にも,正常な直接記憶範囲や新近効果が得られる,つまり正常な短期記憶をもつにもかかわらず,情報の長期記憶化に異常が見られるという臨床データ(バッドレーとウォリントン Baddeley & Warrington, 1970)なども,STSの存在を示唆すると解釈されている。
3) 長期貯蔵庫(LTS:long-term store) STS内の情報が能動的にリハーサルされたり,受動的にも反復して経験されると,その情報は安定してくる。このとき,この情報はLTS内にあるとされる。われわれが一般に記憶というのは,このLTS内の記憶情報のことである。LTSの容量には限りがなく,ここには具体的,抽象的なさまざまの事物や事象,手続きに関する知識,個人の体験内容やそれに伴う感情,イメージなどが貯蔵されている。その内容は,常時意識されることはないが,必要に応じて注意が向けられ,意識化される。LTSの情報はかなり安定しており,その点でSSやSTS内の情報の状態とは異なる。
LTSに貯蔵されている情報をタルヴィング(Tulving, 1985)は,手続き記憶,意味記憶,エピソード記憶の3種に分類した(図7‐1)。手続き記憶は,今ここで直面する事態に対応する反応をコントロールする記憶で,たとえば自転車に乗ったり,テニスのショットをするなど,いわゆる技能を支える手続きに関する記憶である。この記憶によって個々の技能は発揮できるが,その手続きは意識できない(自転車の乗り方の説明を試みよ)。この記憶,とくに運動技能の記憶は忘却が起こりにくい。意味記憶は,事物や事象などの一般的な知識に関する記憶である。身体の仕組みの説明ができるのはこの記憶であり,意味記憶の内容については「知っている」という意識を伴う。エピソード記憶は個人的に体験した出来事に関する記憶である。この記憶によって,北海道旅行の出来事が説明できるなど,自己を主観的な時間・空間の拡がりのなかに定位できる。この記憶には,「自己を知っている」という意識が伴う。
(2) 作業記憶(working memory)
STS構造の研究が進む過程で,一時的情報貯蔵庫としてのSTSと,情報処理装置としてのSTSを構造的に区別しようというモデルが提案された(バッドレーとヒッチ Baddeley & Hitch, 1974)。また,種々の実験データや健忘症患者の臨床データ(ウォリントンとシャリス Warrington & Shallice, 1972;Shallice & Warrington, 1974)をもとに,STSの構造もさらに細分化する必要が出てきた。このモデルは,中心に中央処理演算子をもつ。これは,いわば注意に相当するもので,感覚様相間で共通であるが,その能力には限界がある。この中央処理演算子に従属して,言語音情報を貯蔵する調音ループと視空間情報を貯蔵する視空間緩衝器がある(図7‐1)。
作業記憶やLTSがいかなる構造をもつかはまだ確定されておらず,現在でも議論が続いている。その理論化に当たって,重要なデータを提供しているのが,近年長足の進歩を見せている認知神経科学である。
2. 記憶過程
記憶過程とは記憶系内で生じている活動のことをいう。ここでは,符号化,貯蔵,忘却,検索の過程を,STSとLTSを中心に見ていく。符号化とは記銘対象に対してなされる処理,検索とは貯蔵された情報の取り出しのことで,いずれも作業記憶の枠組みでは中央処理演算子が実行する。貯蔵とは情報の保持,忘却とは情報の消失のことをいうのは言うまでもない。
(1) STSにおける記憶過程
1) 符号化と貯蔵 感覚器官を通じてSSに入った情報は,LTSに蓄えられた知識をもとに符号化された後にSTSに移される。「〓」という刺激が与えられたとき,これにどのような符号化を加えるかで構成される内的表象は異なる。ある人はこれを視覚的に数字の「3」,ある人はアルファベットの「M」と符号化する。さらにある人はこれを音韻的に符号化し,それぞれ「サン」と「エム」とするかもしれない。数字やアルファベットの知識がLTMにない年少者では,これが「山」であったり,「カモメ」であったりする。いずれにしろ,STSやLTSに記憶貯蔵されるのは,符号化された結果の内的表象であることは忘れてはならない。
前述したチャンクにまとめる処理も,この符号化のひとつである。チャンクにまとめられるのは,言語情報に限らない。将棋の対局場面のテレビ放映で,解説者であるエキスパートが先を予測して駒を10手以上も動かした後,再度元通りにする場面をよく見かける。しかしこのようなエキスパートに,ランダムに並べられた駒を10個以上動かした後で,元通りにするよう求めても容易ではない。対局場面の駒の配置は,エキスパートにとっては一定のパターン(チャンク)にまとめられており,これが,彼らの図像刺激の記憶を助けている。
2) 忘却 先に,STS内の情報はリハーサルしないと消衰すると述べた。記銘項目のリハーサルが妨害されると,STS内の情報はどうなるのだろうか。図7‐6は,ピーターソンとピーターソン(Peterson & Peterson, 1959)の実験結果である。

CHJのような子音の文字列を被験者に呈示した1秒後に,506のような3桁の数字を与え,この数字から3ずつ逆算させる。この図は,一定の時間間隔をおいた後,CHJという文字列がどの程度再生されるかを示した結果である。図からわかるとおり,STS内の情報は短時間のうちに急激に忘却している。
では,なぜこのような忘却が起こるのであろうか。その説明として従来2つのメカニズムが指摘されている。そのひとつは,記憶痕跡が自動的に消衰するとする減衰説であり,他のひとつは,記憶痕跡間の干渉によるとする干渉説である。そして,この干渉には,古い記憶痕跡によって新しい記憶痕跡が干渉を受ける順向干渉(順向抑制ともいう)と,逆に新しい記憶痕跡が古い記憶痕跡を干渉する逆向干渉(逆向抑制)の2つの型がある。
3) 検索 STS内の情報は活性化された状態にある。この意味では,瞬時に検索できる状態にあるといえる。しかし,STS内の情報を走査するには一定の時間を要する(スターンバーグ Sternberg, 1966)。彼は,被験者にいくつかの項目を記銘セットとしてSTSに保持させ,直後にテスト項目を1個呈示して,この項目が記銘セット内に含まれていたかどうかをYes,Noで判断させ,判断に要する反応時間を測定した。その結果が図7‐7である。記銘セットの項目数の増加に伴って,反応時間が一定の割合(1項目につき約40ミリ秒)で増大している。この事実は,STS内の情報は瞬時に検索できるようにみえるが,その過程には一定時間を要する走査が含まれていることを示す。

(2) LTSにおける記憶過程
1) 符号化と貯蔵 われわれのLTSに蓄えられる情報量は莫大である。これらの情報も,はじめはSTSに貯蔵されたはずである。それでは,STSの情報はいかにしてLTSに移るのであろうか。
入力された情報がLTSで安定するかどうかは記銘時の処理様式に依存すると考えるのが処理水準説である(クレイクとロックハート Craik & Lockhart, 1972)。この説を主張する実験では通常,被験者に項目の記銘を求めず,別の課題が課せられる。
たとえば,各項目が大文字で書かれているかどうか(知覚的処理),あるいはある韻をもつかどうか(音韻処理),またあるいは,ある文のなかにその項目を入れたとき正しく入るかどうか(意味処理)をYes,Noで判断する。これが処理水準の操作となり,処理水準はこの順序で深まるとされる。全項目についていずれかの判断を終了した後,項目の再生ないし再認(呈示された項目を非呈示項目のなかに混入させ,呈示項目を指摘させる記憶の測定法)を突然求める。結果の一例が図7‐8である。

再認率は処理水準が深まるにつれて明らかに高くなる。この結果は,記銘時になされた処理が,物理的表層的なレベルから意味記憶内容と関連づけるなど,処理が精緻化されるほど記憶が安定すると解釈されている。このことは,処理水準の操作は情報の貯蔵に関わる過程に影響するようにみえる。事実,この種の情報の精緻化は,記憶を高める技法のひとつとして多用される(3節(3)参照)。
しかし,再認率として表現されるスコアには,貯蔵過程だけが反映されるわけではない。そのなかには検索過程も含まれる。つまり,いかなる記憶テストがなされるかによって,引き出される記憶情報は異なってくる。図7‐9は,処理水準操作を行った後,その記憶レベルを通常の再認テストだけでなく,音韻テストも併せて実施した結果である。音韻テストでは,音韻処理した被験者の成績は高くなり,意味処理した被験者の成績は低くなっている。
この結果から,処理様式の有効性は,後に必要とされる記憶情報の種類と密接に関係することがわかる。

2) 忘却と検索 われわれは,LTS内の情報をいつでも自由に検索できる。しかし,どうしても検索できない場合もある。このような情報は忘却されているのだろうか。それとも単に検索できないだけで,実際は利用可能な状態で貯蔵されているのだろうか。どうしても思い出せないでいるとき,わずかのヒント(検索手がかりという)で思い出せることがある。過去の記憶を思い出せるかどうか,つまりLTSから検索されるかどうかは,どういう記憶測定法で,またどういう状況下(文脈)でテストされるかにも左右される。
記憶測定法 再生と再認の方法についてはすでに述べた。この他にも,手がかり再生法,再学習法,プライミング法などがある。
手がかり再生法とは,検索手がかりを与えることによる記憶測定法である。この方法によって取り出せる記憶情報は,自由再生法に比べて一般に多くなる。10年前の歌謡曲を聞いて,その頃の出来事が次々に思い出されるのは,この歌謡曲が検索手がかりの役目を果たしている。
再学習法とは,一度学習した事項を再度学習し直すという方法で,1回目に要する学習量と2回目に要する学習量の差が記憶されていた量と見なされる。再生や再認できない事項でも,再学習時には1回目より早く学習されるのが普通である。図7‐10は,この方法で得られたエビングハウス(Ebbinghaus, 1885)の有名な忘却曲線である。

プライミング法は,記銘項目のテストに先立って,その記銘項目やその一部,あるいはそれと関連する項目を呈示することによって,LTS内に一時的に活性化される表象を手がかりに記憶を測定する方法である。一例を図7‐11に示す。最下段の「飛行機」や「PORCH」を呈示した後に,それぞれの断片を呈示してその同定を求める。最下段の刺激を前もって見せられていない被験者に比べ,見せられた被験者は,断片の同定判断の成績が一般によくなる。この方法によれば,再生法や再認法で取り出せなかった記憶情報の検出が可能である。健忘症患者に残っている意識的想起を伴わない潜在記憶(implicit memory)もこの方法によって明らかにされ,従来の記憶測定法で検出される意識的想起を伴う顕在記憶(explicit memory)とは異なる記憶の存在を明らかにした点で最近注目されている。

検索状況 先に,記憶されるのは,記銘材料に対して行った符号化の結果生じた内的表象だと述べた。したがって,最も検索されやすいのはまずこの内的表象であり,これが作り上げられたときの符号化の種類,あるいは記銘がなされた状況は,いずれも記憶情報への重要な検索手がかりとなりうる。つまり,検索時の状況と記銘時の状況,検索時の手がかりと記銘時の符号化様式のそれぞれの間の一致度が高くなるに伴い,検索される記憶情報量は多くなる。これは符号化特殊化原理と呼ばれている(タルヴィングとトンプソン Tulving &Thompson, 1973)。記銘時と想起時の物理的環境(ゴッドンとバッドレー Godden & Baddeley, 1975)や心的状況(ギリアンとバウアー Gillian & Bower, 1984)が同一であれば,検索される情報量が多くなるという現象も,この原理で解釈できる(ただし,この原理は,再生と再認のいずれでも当てはまるはずであるが,実際は再認では当てはまりにくい点で問題を残している)。なお,心的状況と関連する記憶は,とくに状態依存記憶と呼ばれている。
* * * * *
このように見てくると,いったんLTSに入った情報は,忘却されずにそのまま残っているのではないかという疑問が起こる。この記憶の永続性を支持するとみなされているのが,ペンフィールドら(Penfield & Roberts, 1959)の脳の電気刺激に関する報告である。彼は,てんかん患者の脳治療に際して,大脳の種々の部位を電気刺激した結果,患者が過去の記憶を鮮明に想起したと報告した。しかも,その内容は,患者が忘れてしまっていたものであっただけに衝撃的であった。
しかし,この事実によって直ちに記憶の永続性が実証されたといえるだろうか。たとえある記憶内容が電気刺激で想起されたとしても,他の記憶内容(これは記憶されているかもしれないし,記憶されていないかもしれない)については,何も言えない。このことは,精神分析を受けた患者が無意識的な抑圧から開放され,忘却していた幼少期体験(この意味では記憶の永続性を示唆する)を想起したという臨床的現象にも当てはまる。記憶の永続性の実証はほとんど困難である。
3. 記憶の統合過程
ここでは,記憶過程に含まれる解釈や再構成の過程を取り上げる。われわれは,各自の発達過程を経て,莫大な長期記憶を蓄積すると同時に,独自のパーソナリティ,感情,動機づけの体系(ここでは,これらを総称して「認知図式」とする)を所有するに至る。認知図式は,われわれの内側にあって,知覚や判断,記憶,推論などの心的過程に枠組みを与え,これを方向づける。したがって,記憶される内容は,与えられた記銘材料そのものではなく,常にこの認知図式のフィルターにかけられた構成物といってよい。この観点は,バートレット(Bartlett, 1932)によって,とくに強調された。
(1) 認知図式と解釈
われわれは,一定の認知図式をもって記銘対象を解釈する。したがって,記銘対象が既有の認知図式で解釈できなければ,これを記憶するのは難しくなる。表7‐1は,文章理解の実験材料の一部である。個々の単語の理解はできるが,文章全体の理解は難しく,これを特定の認知図式に結びつけることができない。しかし,この文章に「洗濯」という適切な表題がつけられると,「洗濯」に関する既有の図式が駆動され,この図式に従って単語や文の解釈,そして文章全体の解釈が可能となる。
このように,事項や出来事は,既有の認知図式と関連づけられることではじめて解釈され,記憶されるのである。しかしこのことは同時に,記憶に歪みを引き起こす一因にもなる。
(2) 記憶の歪み
解釈や記憶が認知図式に基づいてなされることは,必然的に,記憶内容が本来の記銘材料から離れてくる,つまり記憶に歪みが生じることを意味する。したがって,符号化に際して被験者内に一定の図式を活性化させると,その図式に応じた記憶表象を作り上げることができる。図7‐12は,有名なその一例である。同一の刺激図に対して異なるラベルを与え,被験者の符号化を操作すると,その符号化に従った図が描かれる(描画法による再生)。

目撃者証言に関するロフトゥスとパーマー(Loftus & Palmer, 1974)の実験も,記憶の変容をよく示している。彼らは,被験者に交通事故の映画を見せた後で,走っていた車のスピードについて2種類の仕方で質問した。一部の被験者には「車が激突したとき」,別の被験者には「車がぶつかったとき」,車のスピードはどれくらいだったか,と尋ねた。判断されたスピードは,前者の質問の仕方のときが速かった。また,1週間後の「ガラスが割れるのを見ましたか」という質問(実際の映画ではガラスは割れていなかった)に対しても,前者の質問にYes反応が多かった。このように,想起される内容は,検索過程で外部から挿入される情報と本来の記憶内容とが統合された産物となる。法廷での証人喚問の仕方は,証人の記憶の検索過程と想起内容に微妙に影響を及ぼしている。
以上のように,記憶情報は,先に述べた既有図式への統合段階だけでなく,符号化や検索段階においてもまた,変容を受ける可能性がある。したがって,記銘情報が最終的にどのように表象され,想起されるかは,これら各段階でどのような処理がなされたかに依存することになる。この意味で,記憶の歪みは決して特殊な現象ではなく,むしろ記憶過程本来のあり方を示す現象と理解されるべきである。
表7‐1 表題なしには理解困難な文章例(Bransford & Johnson, 1973, 訳は森, 1991による)
手順は実際,全く単純である。まず,物をいくつかの山に分ける。もちろん量が少なければ一つの山でも十分である。もし設備がないためにどこかよそへ行かなければならないのなら話は別だが,そうでなければ準備は整ったことになる。大切なことは一度にあまり多くやりすぎないことである。つまり,一度に多くやりすぎるよりも,むしろ少なすぎるくらいのほうがよい。このことの重要さはすぐにはわからないかもしれないが,もしこの注意を守らないとすぐにやっかいなことになるし,お金もかかることになる。最初,全手順は複雑に見えるかもしれない。しかし,すぐにそれは生活の一部となるであろう。将来この仕事の必要性がなくなることを予想するのは困難であり,決してだれもそんな予言をしないであろう。手順が完了した後,材料は再びいくつかのグループに分けて整理される。それからそれらは,どこか適当な場所にしまわれる。この作業が終わったものは,もう一度使用され,再びこのサイクルが繰り返されることになる。めんどうなことだが,しかしこれは生活の一部なのである。
(3) 記憶を促進する方法
われわれは,記銘材料を既有の認知図式に即して解釈し,これに組み込むことによって体制化する。この過程は,日常的な出来事や事項については,ほとんど意識されないまま進行している。しかし,個々の事項を意識的に記銘しようとする場合は,その過程に注意を向け,LTSに定着させるための種々の処理を加える。この処理のうち,ここではイメージ化と体制化について述べる。
イメージ化の方法には,記憶情報を視覚的イメージと関連づけると想起が促進されるという事実(たとえばペイヴィオ Pavio, 1971)が利用されている。「歯ブラシ,本,ナイフ,下駄箱,…」という項目を言語項目として記憶するより,具体的な視覚的イメージに変換して記憶した方が想起されやすい。この方法を取り入れた具体的方法として,場所法がある。これは,よく見知っている場所をいくつか定め,ここに記銘情報をイメージ化した事項をおき,その場所を移動するごとに記銘情報を検索するのである。これは,古代ギリシャの弁論家達がよく使ったとされる方法である。イメージ化に頼る方法としては,この他にも外国語単語などの学習でよく利用されるキー・ワード法などがある。
体制化という方法は,記銘材料を既有知識内のカテゴリーやその階層に分類整理したり,一連の意味ある文章などにまとめたりする方法である。歴史の年表や電話番号などの記銘によく利用するのが,この方法である。
これらの方法はいずれも,符号化の段階で記銘材料に対して積極的な処理を加え,そのことによって貯蔵を促進し,検索を容易にしようとするものである。われわれは一般に,物忘れに悩まされ,強固な記憶力を望む余り,この種の方法に強い関心を寄せるが,忘却することの効用もまた認識されねばならない。「偉大な記憶力の物語」としてルリヤ(Luria, 1968)が報告したシィーという男性は,驚くべき記憶力のゆえに普通の日常生活ができず,そのために苦しむことにもなったのである。
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第8章 思考
こころのはたらきは一般に,「感じる」だけでなく「考える」こととして意識される。この意味で,「思考」が心理学の研究対象になるのは,素朴に考えても納得できよう。それでは,思考とはどういう心的過程であろうか。
数学の証明問題を解くときのことを想像してみよう。問題を理解するのに,関連する知識(概念や定理)を想起する。想起された情報が問題に適切かどうかを判断する。目標(証明)に至るまでの推論過程をたどり,その推論の妥当性を検討する。問題解決に含まれるこの一連の過程が思考を構成する。
しかし,われわれの日常的な思考は,このように既有知識を駆動して一定の目標を達成するという合理的な思考ばかりではない。「昨日の上司の言動」をぼんやりと「思う」ときの思考は,空想や白昼夢に似て,一定の目標へ向かう指向性は含まれていない。前者では,長期貯蔵庫(LTS)と作業記憶間の情報の流れが,作業記憶の中央処理演算子の統率下におかれているのに対し,後者では,その統率力が弱められている違いがある。しかしいずれも,LTSに貯蔵されている種々の知識が使用されている点では共通する。
本章では,思考を知識の使用ととらえ,知識の構成要素である概念の問題,思考研究の中心となってきた問題解決や推論,意思決定の問題を取り上げる。
1. 概念
7章で見たとおり,われわれのLTSはさまざまな知識を貯蔵している。とくに意味記憶やエピソード記憶内の知識は,言語的表象の場合も,イメージのような非言語的表象の場合も,知識内容は基本的には概念によって構成される。
たとえば,意味記憶内の「机」という概念には,ほとんど無限の具体事例が包括される。「学習机」「教室の机」「木の机」「スチールの机」など,大きさ,形態,色,材質など種々の次元で変化する具体的な事物が,同一の「机」という概念でまとめられる。「落ちる」という関係を表す概念についてもこのことは同様で,「落ち方」にはさまざまな変異がある。われわれは通常,具体的な事物や事象のそれぞれの変異を明細化せず,これを「机」とか「落ちる」という概念で包括する。こうすることで結果的には,多様な変化を見せる外界を単純化し,認知や学習,記憶にかかる負担を軽減し,思考過程や外界への適応をより円滑に進めている。
それでは,われわれは何を基準にして種々の事物や事象をひとつの概念にまとめているのだろうか。アイゼンクとキーン(Eysenck & Keane, 1990)は次の3説をあげる。
(1) 限定的属性説
この説は,概念を限定的属性の集合として定義する。ある概念の定義に複数の属性が必要であれば,これらの属性の組み合わせ(連言)で概念が定義される。よく引用される例として英語のbachelorがある(図8‐1)。この語は,[人間]という属性で定義されれば「学士」という概念,[人間][男性]と定義されれば「独身」,[人間][男性][若い]であれば「他の騎士の旗印に従う騎士」,あるいは[動物]と定義されれば「繁殖相手のいない若いオスのオットセイ」となる。ひとつの概念を定義するそれぞれの属性は等価である,つまり,その概念を定義するうえで,ある属性が他の属性に比べ重要であるということはない。各概念はある属性を「もつか,もたないか」と2値的に決まる点で,概念間の境界には一線を引くことができる。

ブルーナーら(Bruner et al., 1956)は概念達成に関する研究を行ったが,このときの概念は上の考え方に基づいている。彼らが使用した刺激図形を図8‐2に示す。概念は,形{丸,四角,十字},色{赤,黒,緑},形の数{1,2,3},枠の数{1,2,3}の1つあるいは複数の属性の組み合わせで定義される。被験者は4次元3価で定義される個々の事例を一つひとつ正事例か負事例に分類しながら,正負を区別する目標概念に到達しなければならない。このとき,「白」が目標概念であれば,形や形の数,枠の数とは無関係に白事例が正事例となる。この種の研究では,目標概念に到達するまでの過程で被験者がどのような方略をとるのかが分析された。

しかし,このように人工的に定義された概念の場合では,限定的属性説で問題ないとしても,自然概念の場合ではどうであろうか。たとえば,先にあげた「机」の例で,「机」を机たらしめる必要十分な属性は何であろうか。具体的に机を思い起こして,その知覚的属性を,「フラットな台がある」「足が4本ある」「引き出しがついている」などと調べてみる。「引き出し」のない机は多い。「足」とはいえない箱型の机もある。「フラットな台」を特別につけていない机もある。それでは「フラットな面をもつ」ではどうか。「フラットな面をもつ」のは机だけではない。知覚的属性は諦めて機能的属性で定義したらどうか。「読書したり,字を書いたりするときに使う台」(学研国語大辞典)。この定義なら「テーブル」でも「こたつ」でも当てはまる。事実,「こたつ」を机にしている学生もいる。こうしてみると,自然概念の場合,その内容を限定する属性を確定するのは容易ではない。
(2) 特徴的属性説
限定的属性説は,概念を定義する各属性はそれぞれ等価であると考えた。特徴的属性説は,各属性に異なる重みを与える点に特徴がある。つまり,属性を2種類に区分し,全事例に共有され,概念の中核をなす限定的属性と,その概念に含まれる事例間の典型性の違いを説明する特徴的属性を仮定する。たとえば,「コマドリ」の属性を,「2本足」「羽がある」「はっきりした色をもつ」「木に止って休む」「ペットにしない」とした場合(スミスら Smith et al., 1974),はじめの3属性は残りの2属性に比べて,「コマドリ」の概念内容を定義するうえでは,より限定的とみなせる。この意味で,前者を限定的属性,後者を特徴的属性とするのである。これを図式的に示したのが,図8‐3である。概念の当てはめは,個々の概念の属性を事例と比較照合することでなされる。

しかし,この説も不十分である。まず,限定的属性と特徴的属性を区別する基準は何かという問題がある。また,「机」の概念で考察したように,そもそも限定的属性があるのかどうかの問題もある。特徴的属性説には,概念で包括される事例間の区別があいまいでなく,限定的属性によって線引きできるという仮定が基本的にある。しかし,「机」と「テーブル」の例で見たとおり,自然概念には,個々の事例を一定の基準で概念にカテゴリー化するのは難しいことが多い。
(3) プロトタイプ(原型)説
この限定的属性の考え方を捨て,概念のあいまい性を考慮したのがプロトタイプ説である。しかし,何をもってプロトタイプとするかで2つの立場がある。ひとつは,種々の事例から抽象された特徴的属性をもってプロトタイプとする立場(ポズナーとキール Posner & Keele, 1968;ロッシュ Rosch, 1978)であり,他のひとつは,その概念を代表する最適事例をもってプロトタイプとする立場(ブルックス Brooks, 1978)である。しかし,いずれも,概念がプロトタイプ構造をもつとみなす点では共通する。
この説によれば,ある事例がどの概念に属するかは,その事例のもつ属性がどのプロトタイプに最も類似するかによって決まる。そして,各事例は,それが属する概念のプロトタイプとの類似性に応じてその典型性に違いがあるとされる。その結果,「コウモリ」が鳥に分類されたり,「トマト」が野菜にも果物にも分類されたりする。
それでは,プロトタイプ説で概念の形成をうまく説明できるだろうか。いくつかの難点があるが,ここでは1点だけ述べる。この説は,個々の事例への概念の当てはめは,この事例に関係すると思われるプロトタイプを参照することでなされると考える。ところで,このプロトタイプは複数の(おそらく多くの)事例を経験することで(抽象することによってか,最適事例の確定によってかで)作り上げられる。言語獲得期にある幼児の語の産出から推測される概念の当てはめは,プロトタイプを参照してなされているとはとても思えない。図8‐4は1歳3ヵ月の幼児が「モーモー」を適用した事例である。この幼児は,この時点で,プロトタイプを確定するだけの事例経験はもちろんしていない(実物のウシを見たこともない)。幼児の概念の当てはめは,たとえ1回の事例経験でも起こりえるように思える。

特徴的属性説もプロトタイプ説も,概念形成の過程で類似性が果たす役割を重視している。つまり,複数の事例がひとつの概念にカテゴリー化されるのは,何らかの点でそれらの事例間に類似性を認めるからである。したがって両説とも,この類似性をどう定義し(たとえば知覚的類似性あるいは機能的類似性),そこにどの程度の幅をもたせるのかを明示しなければならない。
図8‐5は,言語によって事例のカテゴリー化が異なるというよく言及される例である。ホピ語には「飛ぶ物や人間(ただし,鳥は除く)」をすべて包括する一語がある。したがって,「飛行機」も「トンボ」も「飛行士」も同一の概念でまとめられる。また,英語ではいずれも「snow」で,「雪」としての類似性が認知され,カテゴリー化がなされているが,エスキモー語では,3状態の「雪」を一括する概念はないという。

このように,概念の概念規定とその形成を説明する代表的な理論は現在のところない。概念形成における類似性の役割は,今なお有効であると思える。特徴的属性説やプロトタイプ説も,部分的には有効である。ただ,いかなる基準で事物や事象をカテゴリー化するかは,一定の固定した属性によってなされるのではなく,特定の生活環境で,必要に応じて,柔軟に定められるように思える。
2. 問題解決
概念の当てはめの過程には,思考を構成する理解,判断,決定などの過程が含まれている。しかし,われわれが普通に思考を考える場合,問題を解決する場面がイメージされる。本節では,この問題解決を取り上げる。
ところで,問題は2種類の次元で特徴づけることができる。ひとつは,問題の構造化の程度,つまり問題構造が明示的であるか,そうでないかの次元である。数学の単純な証明問題は前者の例であり,手もちの材料でどういう料理ができるかの問題は後者の例である。他のひとつは,当該の問題の解決にどの程度の知識が必要とされるか,つまり知識量の次元である。心理学で研究されてきたのは,多くは問題構造が明示的であり,知識量もさほど必要とされない課題である。
(1) 洞察:問題構造の再体制化
ゲシュタルト心理学者たちは,知覚における体制化という現象を問題解決場面に適用し,洞察という概念を提唱した。たとえば,ドゥンカー(Duncker, 1945)は,図8‐6(a)の材料を与え,壁にローソクを立てて火をともすように被験者に求めた。この場面で,被験者はローソクを直接壁につけようとしたりして,この課題を図8‐6(b)のように解決した被験者はほとんどいなかった。ドゥンカーによれば,被験者の失敗の原因は,マッチ箱に「マッチの入れ物」という本来の機能しか知覚できなかった(機能的固着)ことによる。この問題を解決するには,マッチ箱に別の機能を与えるというように,問題構造(場)を再体制化しなければならない。

場の再体制化は,「中心転換」という現象にも見られる。図8‐7は,「実線で描かれた正方形と点線で描かれた平行四辺形の和を求める」という問題であるが,正方形と平行四辺形のまとまりが強いために,平行四辺形の面積を単独に求めようとする構え(セット)ができる。そのため,求める和がa,bを2辺とする直角三角形の2倍であることはなかなか理解されない。ここでは,構えが場の再体制化を妨害している。

以上の例に見られる問題解決には,「アハー体験」を介して突然起こってくる問題構造の再体制化が含まれており,単に既有知識を適用した再生的思考から区別して生産的思考と呼ばれた。しかし,問題解決過程で生じる現象を洞察と呼んでみても,それによって問題解決に含まれるプロセスが明らかになるわけではない。60年代以降の認知心理学は,このプロセスに研究の焦点をあてようとした。
(2) 問題解決過程
バウアーら(Bower et al., 1987)は,問題解決過程を,①問題の表象,②解決法の計画と実行,③解決法の評価,の3段階に分けている。
1) 問題の表象 これは,与えられた問題をどのように解釈し表象するかの段階である。表象の仕方によって,次段階以降の過程は当然影響を受けてくる。ゲシュタルト心理学者たちのいう問題構造の再体制化の問題は,基本的にこの表象の問題といってよい。
バウアーらの2人で遊ぶ「数字取りゲーム」を見てみよう。1から9までの数字を書いたカードが9枚置いてある。2人で交互に1枚ずつカードを引いていき、3枚引いた段階で数字の合計が15になったほうが勝ちである。9枚のカード全部がなくなっても勝ちが出なかったら,引き分けとなる。このゲームをしてみるとわかるが,どうしたら勝てるのかなかなか理解できない。相手が15になるのを妨害しながら,自分が速く15になるようにカードを選択しなければならないからである。この問題を図8‐8のように表象してみると,それほど難しくなくなる。これは,自分と相手の方略を視覚的にたどれるからであり,選択毎の数字の合計を常に作業記憶内に保存するという心的負担から開放されるためである。

1から10までの数字の合計を即座に11×5=55と解答したというガウス(Gauss, K. F.)も,問題の効果的な表象化に成功したのである。数学の背理法による証明も,この表象段階の操作と見ることができる。しかし,適切な表象は問題解決を促進するが,不適切な表象は先の構えと同じく,これに妨害的に作用する。
2) 解決法の計画と実行 問題の理解と表象が確定すると,解決(目標)に至るまでのさまざまな筋道が検討される。サイモン(Simon, 1975)は,この筋道を初期状態からさまざまな中間状態を経て目標状態に達する問題空間としてとらえた。問題解決者は,一つひとつ操作を加えながらひとつの問題状態から次の問題状態へと移行し,目標状態を目指す。
しかし,われわれは,問題空間の状態を移行するとき,「必ず目標状態にたどり着く」ようなアルゴリズム(algorithm)に従っていくとは限らない。問題が複雑になれば,そのようなアルゴリズムは不透明になり,代わってヒューリスティック(heuristic)と呼ばれる「必ずしも成功の保証はないが,うまくいった場合には目標状態に至る確率が高くなる」ともいうべき手順を取ることがある。「現在の問題状態と目標状態の差を小さくする問題状態へ移行する」というヒューリスティックがよく用いられる。迷路問題などで目標から離れる方向への移動が取られにくいのは,このヒューリスティックによる。ヒューリスティックによって状態移行がなされている間は,選択された中間状態が適切であるかどうか,評価は難しい。
問題によっては,既有知識を直接利用できないことがある。このようなとき,類推(アナロジー)によって問題を表象し直したり,解決のプランを練ることがある。太陽系との類推で原子の研究をした物理学者ラザフォードの例はよく知られている。問題解決過程での類推の役割を検討した研究がある。
ギィックとホリオーク(Gick & Holyoak, 1980)は,ドゥンカー(1945)の「放射線問題」が類推手がかりによってどの程度うまく解決できるか検討した。この問題は,次のとおりである。
「胃にできた腫瘍を治療する必要があるが,手術はできない。強力な放射線を使えば腫瘍を破壊できるが,放射線が強すぎて周囲の正常組織も同時に破壊される。弱い放射線を使えば正常組織の破壊は回避できるが,腫瘍は破壊できない。」
この問題(主問題とする)は,正常組織を破壊しないほどの弱い強度の放射線をいろいろな方向から照射し,これを腫瘍部に凝集させることで解決される。しかし,この解決法に至ったのは,被験者の約10%にすぎなかった。ギィックとホリオークは,上の問題と同一構造をもつ次の問題(類推問題とする)を被験者に与えた。
「将軍がある要塞を攻撃しなければならないが,要塞に通じる何本もの道路には地雷が仕かけられており,大軍では進めない。しかし少数で通れば,この地雷を避けて要塞に至ることができる。」
2つの問題に同型性があると指摘されると,「放射線問題」の解決率は80%に上昇した。類推が成立するには,2つの問題構造に含まれる関連要素間とそれらの関係の間に対応があり,類推問題から主問題への転移がなされる必要がある。脳の情報処理をコンピュータとの類推で理解しようとしたり,あるいは逆に,新しいコンピュータを脳との類推で開発するというアプローチは,今日の認知心理学や情報科学の研究法を特徴づけている。
3) 解決法の評価 解決法の評価は,問題構造が明示的であるかどうかで異なってくる。明示的であれば,目標状態と中間状態との距離の程度や,目標が達成されたかどうかは即座に判断できる。しかし問題が明示的でない場合は,この評価の問題は複雑になる。そもそも目標が達成されたと判断する絶対的な基準がないからである。手もちの材料でおいしい夕食が準備でき,ご主人に満足してもらえれば,主婦の目標は十分達成されたといえる。しかし,料理の専門家を満足させないこともある。このことは,問題が明示的でないときの目標達成の評価は,最終的にはその問題領域の知識量その他に左右されることを示す。ある問題領域の目標が達成されているかどうかは,初心者には判別し難いが,専門家にはこれができる。しかし,専門家間でも評価を往々にして異にすることは,この問題の複雑性を示唆している。
(3) 創造的思考と内閉的思考
問題の構造が明示的でない場合は,その解決のために既有知識を最大限駆使しなければならない。ここには,ギルフォード(Guilford, 1967)のいう収束的思考だけでなく拡散的思考も必要とされる。しかし,与えられた問題を越えて問題そのものを発見,設定しなければならない事態もある。このような事態で駆動される過程はとくに,創造的思考と呼ばれている。科学者や芸術家,その他さまざまな創造に従事する人々には,この種の思考が要求される。創造性が関わるこの思考は,通常の問題解決過程と異なる特性をもつのだろうか。
従来,創造過程は,ワラス(Wallas, 1962)に従い,4つの段階,つまり,問題の設定と関連情報の収集や分析をする準備期,準備期でなされた処理をあたためる孵化期,創造的なアイデアが突然インスピレーションとして起こる啓示期,そしてアイデアを具体化し,有効かどうかをチェックする検証期,からなると仮定されている。このうち最初の準備期でなされる作業は,通常の問題解決過程の表象の段階や解決法の計画と実行の段階に相当する。解決法が不透明で,問題をさまざまな角度から設定し直したり,問題自体が意味をもつかどうかを検討する時期である。いかなる創造的活動も,関連情報の収集や分析なくしては起こらない。したがって,創造的思考ができるかどうかは,基本的には多様な知識の量に依存する。しかし,知識量が多いことが,必ずしも創造的であるわけではない。創造的思考の過程に入るかどうかは,トムソン(Thomson, 1959)のいう人格的態度も重要な役割を果たしていると思われる。彼は,問題に対して批判的で分析的態度をとるか,あるいは全面的には批判的態度はとらず,新しい見解を拡張し発展させるという態度をとるかで創造的思考を論じ,融通性のない批判的態度は,創造を阻害すると論じている。
複雑で不透明な問題の解決を模索しているときの思考は,目標指向的かというと必ずしもそうではないようである。夢とか空想,白昼夢という外部刺激に始発されない内的過程,つまり自閉的思考が,特に孵化期には進行しているようである。デカルトが夢のなかで分析幾何学の公理を思いついたとか,ケクレが夢のなかでベンゼン環を考えついたことはよく知られている。自閉的思考は外界との直接的な結びつきがなく,思考に方向づけがないことから生産的思考としばしば対比されるが,これが創造過程で果たす役割は,無視できないようである。
3. 推論と意思決定
(1) 推論
問題解決場面において合目的な解決法に至る過程には,推論のプロセスが介在している。この広義の意味における推論は,人間だけでなく広く動物の行動にも見出すことができる。しかし,人間の思考過程を特徴づけるのは,言語ないし記号を介した命題操作による推論である。この種のとくに複雑な命題操作は人間だけに可能である。
「人間は理性的動物である」といわれる。それでは,人間は日常生活においても常に合理的なのだろうか。人間の推論過程は,論理法則から予測されるほど整合的なのだろうか。表8‐1は,基本的な条件文の推論を示したものである。(イ)肯定式と(ロ)否定式は妥当な推論であるが,(ハ)後件肯定と(ニ)前件否定は妥当ではない。人間は(イ)のタイプの推論はよくできるが,それ以外のタイプの推論は非常に苦手であることがわかっている(アイゼンクとキーン, 1990)。
このような命題の演繹論理を日常的にどのように用いるかについて,ブレイン(Braine, 1978)の自然演繹理論がある。これは,命題推論を人間の情報処理操作としてとらえたもので,不適切な推論を引き起こす原因に,①前提命題や結論命題を理解するときに生じる誤り,②推論そのものに伴う誤り,③注意散漫や限られた作動記憶など認知系自体の特質に由来する誤り,を挙げている。たとえば理解時の誤りの一例として,「買い物に行ってくれたら(p),500円あげるよ(q)」という命題が,「買い物に行ってくれなかったら(~P),500円あげないよ(~q)」と理解され,そのことによって誤った推論を引き起こすことがある(表8‐1)。

(2) 意思決定
われわれの人生や毎日の生活は,意思決定の連続である。「昼食に何を食べるか」「雨が降りそうだが,傘はもって行った方がよいか」という簡単な決定から,「どの大学に入るか」「就職先をどこにするか」など決定に時間を要する決定などさまざまである。意思決定の場面では,いくつかの選択肢があるのが普通であり,それぞれの選択肢を選択することによって生じる結果が予測される。この過程はまさに思考である。さまざまな可能性に対して,それぞれがどの程度起こりやすいかを厳密に予測できない場合でも,決定しなければならないことがある。このようなとき,われわれは何を手がかりに意思決定しているのだろうか。トヴェルスキーとカーネマン(Tversky & Kahneman, 1973, 1974)によると,つぎのようなヒューリスティックがある。
1) 代表性ヒューリスティック このヒューリスティックは,ある事物や事象がどのカテゴリーに属するかを判断するときなどに使用される。たとえば,「彼女は,親切で人に対する関心が強く,いつも献身的で,明るく,活動的である」と言われたとき,われわれは,この女性の職業についてどんな職種を想像するだろう。「銀行員」「コンピュータ・プログラマー」「ジャーナリスト」「看護婦」と言われたとき,われわれは即座に,この女性は看護婦を職業とする人であろうと判断する。われわれは,さまざまな職業特有のステレオタイプ,つまり代表性に,この女性がどの程度類似するかを基に判断するのである。
このヒューリスティックは,ランダムに生起するはずの事象の系列についての誤解の背景にもある。たとえば,「これまで3人とも娘だったから,4番目は息子が生まれるだろう」「6回負け続けたから次は勝つ番だ」という信念もそうである。このようなことはまれにしか起こらない,つまり事象の生起系列としては代表的ではないと思われがちである。
2) 利用可能性ヒューリスティック このヒューリスティックは,ある事象がどの程度起こりやすいかを判断するのに,われわれのLTS内でこの具体例をどの程度検索しやすいかで決めるというものである。「中間管理職には胃潰瘍が多いかどうか」を判断するのに,その種の事例に関する情報が,LTS内で利用しやすいのであれば「多い」という判断がなされやすい。トヴェルスキーとカーネマン(1974)は,「英語の文章から3文字以上の単語をランダムに取り出したとき,最初の文字が“r”で始まる語が多いか,あるいは3番目の文字に“r”がある単語が多いか」を尋ねた。被験者は“r”で始まる単語が多いと判断したが,実際はその逆である。“r”で始まる単語の方が検索しやすいので,このような判断がなされるという。このヒューリスティックは,われわれの記憶した知識に片寄りがないときは有効な方略になるが,そうでない場合は,誤った判断の原因になる。
このヒューリスティックは,人々のパーソナリティやムードとの関連で見ると興味深い。ライトとバウアー(Wright & Bower, 未公刊, Bower, 1983による引用)は,幸せな人と悲しんでいる人に,この数年間でどのような個人的な出来事や国際的な出来事がどれだけあったかを尋ねた。幸せな人はよい出来事を,悲しんでいる人は悪い出来事の方を多く思い出す傾向にあった(図8‐9a)。これは,自分の能力を判断する場合も同様で,幸せな人は過去の成功を思い出しやすく,悲しんでいる人はその逆であった。そして,それに応じて自己効力感も前者の方が高かった(カヴァノーとバウアー Kavanaugh & Bower, 1985)(図8‐9b)。
この2つのヒューリスティックの存在は,判断や意思決定が,われわれのLTSに貯蔵されている知識の構造の特性とその知識を作業記憶に取り出す過程に深く関連していることを示している。

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第9章 感情・情動
感情は精神と身体とをつなぐ要である。緊張すれば,胸が高鳴り,恥ずかしい思いをすれば,顔が紅潮する。何か心配ごとがあれば,食欲がでてこないし,また逆に空腹であれば,いらいらしたりする。日常生活では誰しもこれに類する経験があるであろう。これらは皆,感情の働きが関与しているのである。われわれの日常生活は,感情体験の連続といっても過言ではない。それだけに感情は心の重要な一領域を占め,古くから知情意の情として,人間理解に欠かせない役割を演じてきた。感情の世界は複雑で魅惑と謎に満ちており,心理学をはじめ,哲学や文学でもさまざまに論じられてきたが,その体系的科学的研究となると,まだその歩みは浅く,近年ようやく始まったばかりといってもよい。殊に心身症,情緒障害など感情に関わる病気や異常が数多く発生している現代では,こころと身体とをつなぐものとして感情は,新たな視点と話題をなげかけている。
本章では日常常識で扱っている「感情」概念のあいまいさを心理学的立場から見直し,その特徴や分類,代表的な諸理論をとおして,人間にとって感情とはどういうものなのか,また感情はどこで生じ,どのように表われるかという感情発生のメカニズムに関する基本的事項を取り上げ,さらに感情の異常,適応の問題にも触れながら,感情問題に関する心理学的理解を深めたい。またこれは現代社会に生きる人間への理解にもつながるであろう。
1. 感情とは
(1) 感情経験の一般的特徴
1) 遍在性 感情は知情意の情としてこころの働きを支えるものではあるが,知や意のうちにも情は関与し浸透している。たとえば,思考過程では好奇心,満足や苛立ちなどの感情が介入し,意志作用でも努力感や忍耐感といった感情を感じるであろう。われわれの日常経験は,まさしく常に何らかの感情を伴った感情経験なのである。しかし,感情経験のすべてが感情として意識化されるわけではない。その多くは,微弱なものであり,不断に継起する意識の背景に退き,感情として明瞭に意識するのは,前景として背景の上に起伏した一部の感情なのである。
2) 全体性,内奥性 日常の意識経験は心理学の各分野(たとえば,知覚,記憶,思考,想像,意欲,学習,意志,習慣など)に分割されるような個別的なものではなく,たいていは,それぞれが多種多様に融合し,重なりあい,限界のはっきりしない意識内容と機能との複合体である。この複雑で多種多様な経験内容を全体的に包括し統一しているのが感情である。感情は意識全体を統一している意識の主体であり,客観化,対象化することの困難なこころの内奥,意識の純粋な直接的体験である。感情内容の言語化の困難さは,感情の内奥性を示している。内奥性は,感情が意識作用として根元的かつ内面的であり,意識の他の経験に先立ち,他の体験を生み出す母胎たる役目をもつことを意味している。
3) 生命への直結性 感情は人間以外の他の動物とも共通した性状と機能をもち,身体と一体的で,直接生命に結びついた精神作用である。それゆえ,ひとたび生命の維持,保存などに危険があれば,理知も意志をも破壊し圧倒するほど感情は強烈であり,盲目的に生命の直接表現を示すのである。
(2) 感情の分類
古代ギリシャ以来,感情は哲学者たちによってさまざまに分類されてきた。たとえばデカルト(Descartes, R.)は,驚異(admiratio),愛,憎しみ,願望,喜び,悲しみという6つの基本感情をあげ,他の感情はすべてこれら6つの感情の変種か結合であるとした。またスピノザ(Spinoza, B.)は,デカルトの分類をさらに単純化して,快,苦,願望という3つの基本感情を考えた。これらは意識主義的分析による分類であるが,今世紀に入って,イギリスのマクドゥーガル(McDougall, W.)は感情を本能と結びつけて分類した。たとえば闘争本能は怒りと,逃走本能は恐れと連合し,これら基本的な情感質の混合から複雑な情感が生じるとした。近年では因子分析法やSD法を用いた基本的情動の分類もなされており,キャッテル(Cattell, R. B.)らの分析した情動因子は,マクドゥーガルのものと類似した結果を得ている。これらは,種々の感情を基本的感情へと還元し,また,複雑な感情は基本的感情の組み合わせから生じるという点で共通している。基本的感情の考えは,次節で述べる生得論にもつながるものである。
さて,日本語の「感情」という言葉は明治期につくられたものあり,すでに日常語として定着した「感情」に常識的なイメージで接している。しかし,その言葉の厳密な意味あいや定義となると,あいまいであり,それと類似した言葉との違いもそれほど明確ではない。また常識語の意味内容やイメージを無反省にそのまま心理学で用いる用語にもち込むきらいがある。ここで心理学用語としての感情を定義しておく。
感情(feeling)は,広義には感情全体を統括する上位概念として,情的経験の総称的な意味で用いられ,「うれしい気もち」「悲しい感じ」などの言葉で表現される主観的状態である。
感情のなかでも,「喜び」「驚き」「怒り」「悲しみ」「恐れ」などのように,特定の対象をもち,その対象に向かう感情の動きを情動(emotion)といい,とくに一時的で激しい感情を激情ということがある。emotionはe+motionのこと,すなわち,本来は「動かす」という意味をもっている。身体的変化を伴い,長時間持続的に生ずる比較的弱い感情状態を気分(mood)といい,「楽しい気分」「うっとうしい気分」「すがすがしい気分」などがそれにあたる。また,知的情操,美的情操,宗教的情操など,文化的価値に関与し,学習を通じて獲得された高尚な感情を情操(sentiment)という。さらに,はげしい欲求を伴った強烈な感情を熱情(passion)ということがある。passionはpassiveから出た語でactiveに対するものであり,感情に引きずられているという意味あいをもっている注)。
注:ドイツ語Gefühlは英語のfeeling,emotionの両者を意味し,フランス語のémotionは消極的情動的動揺,積極的なものはpassionで,feelingは快不快だけを指している。affectは感情,情動の両者を含むときもある。最も広範に用いるものとしては,英語feeling,ドイツ語Gefühl,フランス語sentimentである「感情心理学」(誠信書房)。感情・情動の言葉の定義は,学者によって多少異なることがあるが,ここでは,心理学事典(平凡社)に従った。
2. 感情・情動の発達
(1) 情動の分化・発達
乳児の情動行動の未分化に関する研究はすでにいくつかなされているが,ブリッジェス(Bridges, 1932)は,新生児から2歳までの乳幼児62名について,情動的反応と環境的条件の詳しい観察記録をとり,乳幼児の情動行動が,未分化な状態から分化,発達していくプロセスの発達段階を設定した(図9‐1)。

子どもの情動反応は,殊に生後2年間に複雑さを増し,分化度を深めていく。生まれたときは一般的な興奮・平静さを示すのみであるが,生後1年の終わりまでには,恐怖,怒り,喜び,満足の表情の違いが出現し,2年目の終わりまでには,愛情,嫉妬などの複雑な情動も観察され,情動の基本的パターンがほぼ出揃うのである。
恐れの対象が精神発達との相関で年齢と共に変化することは知られている。ゲゼル(Gesell, A.)によれば,恐れは成長とともに変化し,内的な成熟と経験とによって形成されるという。恐れの現れる条件として,ジョーンズ(Jones, H. E., & Jones, M. C.)らは,①条件づけの結果,②生来のものが現れる,③行動の一般的成熟のうえに現れる,という3条件をあげ,成熟という条件の重要さを指摘している。言葉の獲得以前の乳幼児の情動行動では,泣くこと,笑うことは保護者(母親)とのコミュニケーションをはかるうえで殊に重要である。泣くことは,母親に満たされていない欲求状態を知らせ,笑いの発達は母親の愛着を促進し,母子相互の意思疎通を促すのである。この発達経過は世界共通で,眼のみえない赤ん坊でも正常な赤ん坊と同様な行動の発達経過を示すといわれ(フレイバーグ Fraiberg, 1971),ふつう5歳頃までには感情の基礎が完成する。
感情のこの基礎形成期における母親との接しかた,過ごし方は,感情形成,人格形成に後々まで大きく影響を及ぼすため殊に重要であり,この時期に母子関係に何らかの歪みがあれば,それがもとで,情緒障害や社会的不適応へと発展する場合がある。フロイト(Freud, S.)の精神分析はこの時期の歪みを無意識世界から取り扱ったものであり,またハーロー(Harlow, H. F.)は,動物(サル)を用いて母親の機能やデプリベーションの影響について実験的に検討し,発達に与える母子接触や愛情の重要さを指摘した。
(2) 情動の生得性と学習性
情動の分化は生得的側面と経験により学習・獲得される側面とがあり,生得性を強調する立場,学習性を強調する立場の間で,論争が行われてきた。
ダーウィン(Dawin, C.)は,進化論の立場から,動物と人間の情動表出の生得性を主張し(1872),マクドゥーガルは,本能行動に伴うものとして情動をとらえ,ワトソン(Watson, J. B.)は,多数の乳児を用いた研究から,人間の生得的情動は,恐怖,怒り,愛(喜び)であるとした。ダーウィンから大きな影響をうけたプルチック(Plutchik, R.)は,下等動物にも共通する基本的情動として,予期,怒り,喜び,満足,驚き,恐怖,悲しみ,嫌悪を仮定し,複雑な情動は,これらのものが混合したものであり,強さの相違によって異なった情動が生じるとし,ハーローは,快,不快,興奮,憂うつの4つの基本的情動は学習されたものではないと主張した。また,ギブソン(Gibson, 1961)らは視覚的断崖の実験で,動物が高所で恐れに対する生得的基盤があることを指摘し,ティンバーゲン(Tinbergen, 1951)は,淡水魚イトヨのオスは縄張りに侵入してくる他のオスに対して攻撃行動をとるがこれは本能的行動であることを明らかにした(図9-2)。

アレランド(Allerand, A. M)は,一卵性双生児,二卵性双生児,普通の兄弟姉妹に愛情,怒り,喜び,嫌悪,興奮,悲しみ,心配などの経験を述べさせて分析した結果,一卵性双生児は他の兄弟姉妹よりも,互いに類似し,情動の基礎構造が遺伝することを示した。
また,生理心理学者は動物とヒトの脳に報酬と罰,快と苦痛の中枢を発見し,これらの遺伝的要因の生理学的基礎を暗示した(図9‐3)。
一方,情動が学習されることはワトソンのアルバート坊やに行った「恐れの条件づけ」や先の一卵性双生児の情動がまったくすべて同一でないことからも伺われる。セリグマン(Seligman, 1967)らは,2群のイヌに電気刺激を与える実験を行った。一方の群のイヌは逃れる術を学習することが許されたが,他方には逃れられない電気刺激が与えられてから,その後で逃れる術を学習するチャンスが与えられた。すると後者のイヌは,学習することができず,逃れようとする行動すらとらなかったことを報告している。彼はこれを「学習された不能」と呼んだ。イヌは自分の反応がなんら役に立たないこと,「自分が無力であること」を学んだのである。これはもっとも基本的な情動でも,学習によって形成される例といえよう。
また,彼らは無抵抗を学習した動物と,内分泌や遺伝ではなく外部のできごとに対する反応として起こった反動性うつ病との類似を見出した。うつ病の人は極度に受動的な場合が多く,自分の行動と無関係に与えられるものには罰,報酬の別なく,その人をうつ(無気力)にするようである。
感情がどのように明確化,特殊化し形成されていくのかは,脳の急速な発達に伴って,その後にどんなことを経験し,学習したかによって決まってくる。他人を愛する感情,恥ずかしさ,ねたましさ,やましさのような感情は社会的学習の産物であり,文化独特の規範は感情表現を形成する。情動経験の生理的基礎と情動的表出の基本様式は生得性をもつものであるが,感情の適切な場面での表現の仕方への制約はそれぞれの文化によって異なっている。さまざまな表現が文化によって違うことはディビッツ(Davitz, J.)の比較研究でも示されている。ローレンツ(Lorentz, 1935)のいうインプリンティング(刻印づけ)は初期経験と情動の発達問題に関係が深い。スラッキン(Sluckin, 1964)はインプリンティングには臨界期(critical period=刺激がもっとも効果的に受容される感受性の強い時期)があることを主張し,またスコット(Scott, 1967, 1968)もイヌの実験をとおして発達における臨界期の概念の重要さを指摘した。イヌは臨界期に経験した事物や状況から,隔離すると抑うつ的行動を示し,これは人間の乳児の行動にも当てはまるという。
このように,感情は生得性か学習性かという二者択一的なものではなく,両者の絡みあいによって形成されていくのであり,現代では,それらがどのように絡みあっているのかが問題にされている。
3. 感情・情動の表出
情動はどのように表出されるのだろうか。日常,われわれは他人の感情や情動をその人のおかれた状況,言葉や身振り,表情,行動などによって察知しているが,そのように外部に現れたものと情動という内部の現象とはどのような対応関係やつながりがあるのだろうか。情動はいつもこのように外部に現れるものばかりではなく,表情に現れないものや,現れていても意識できない内分泌系などの身体的変化もある。感情・情動の表出はさまざまなレベルで起こりうると考えられる。意識できる身体的表出では,顔面,手指,腕や脚,うぶ毛などの変化があるが,人間においては,とくに顔面表情が主要なものであり,表情の研究に関する業績は多い。
情動を測定する方法には内観法や刺激の快不快,好悪などを印象によって測定する方法,唾液,血液,汗,尿などの化学的変化を測定する化学的測定法,胃や腸,呼吸などの内臓運動,筋緊張,皮膚,脳の電気的変化をみる物理的測定法,表情の判断などの測定法がある。
マッサーマン(Masserman, 1943)は,人工的にネコの間脳を刺激して怒り,恐れの反応を生じさせたが,本当の怒りや恐れのもつ能動的要素が欠けているとして,これを情動擬似反応であるとみなした。一方ヘス(Hess, 1956)は,これを見かけの怒りではなく本当の怒りの表出であるとして,感情的防御反応(affective-defensive reaction)と呼んだ(図9‐4)。ネコは刺激に対してさまざまの防御の構えをもち,強い刺激などに対しては繰り返し怒りを表出し,実験者にも襲いかかるほどであったという。また,ホウィートリイ(Wheatley, 1944)も,視床下部の腹内側核を破壊した動物は狂暴になり,これは見かけの怒りではないことを強調している。

ダーウィンは,動物と人間の情動の表出は基本的には同じであり,またその表出は生得的で,情動の表情やジェスチャーの表出は進化のプロセスの結果であると結論し,①習慣連合の原理,②反対の原理,③神経系の性状の原理という3原理を立てた(1859, 1872)注)。
ヴント(Wundt, W.)はこの3原理を批評し,これらを①直接の神経興奮変化の原理,②類似した感情に伴う表出運動の連合の原理,③運動と感覚的表象との関係の原理に訂正したが,ダーウィンもヴントも顔面表情に対する社会的影響をみのがしていた。顔面表情は生理的関係,生物進化の原理とによってのみ支配されているのではなく,周囲の社会的習慣による表出の仕方にも影響され,無意識的に模倣して成立している部分も多くあるのである。
情動尺度の研究で,ウッドワース(Woodworth, 1938)は顔面表情の判断のための6個の尺度を作成し,弟子のシュロスバーグ(Schlosberg, 1941)は,俳優のポーズ写真を情動判断の刺激として,これらの尺度が円環的に配列するのを見出した(図9‐5)。

またプルチック(Plutchik, 1960, 1965)は,いかなる情動にも強度の差異,対立しあう対,類似性のあることから,情動の3次元(強度,両極性,類似度)を主張した(図9‐6)。第2節で述べたプルチックの基本的情動は図の横断面の円環構造で示されている。
エクマンら(Ekman et al., 1982)は,意図的に作った表情を基に,7つの安定した情動カテゴリー(幸福,驚き,恐れ,悲しみ,怒り,嫌悪(軽蔑),興味)を分類し,これらのカテゴリーが普遍的で,文字の使用不使用の文化圏共通に理解される証拠を提示した(エクマンらは,表情写真からでも,少なくとも,肯定的,否定的表情の区別は可能であると述べている)。また,エクマンとフリーセン(Ekman & Frisen, 1971)がニューギニアの原住民を対象にした研究では,被験者に物語をきかせたのち,3枚の顔写真のなかから,物語にあうものを選ばせたところ,他の文化圏とほぼ同じ一致率を示したという。これらは,感情表現は文化によって制約されるとはいえ(たとえば,日本人の笑いは西欧人には謎とされることがある),人間の基本的情動の表現,表情知覚は文化を越えて共通していることを示している。この他表情写真を用いたものとしては,フリージャ(Frijda, 1969),オスグッド(Osgood, 1966),トムキンズとマクカーター(Tomkins & McCarter, 1964),ウッドワース(1938)などのものもある。しかし,意図的な表情写真は問題点もあり,自発的表情を用いる研究へと移ってきている。
デュシャンヌ(Duchenne, 1862)は,1群の顔面筋肉に直接に電気刺激を加え表情運動を写真にとった結果,表情運動は主として単一筋肉の活動に依存するという結論に達した。またフラッパー(Frappa, J.)は,顔面表情運動はすべて驚き,悲しみ,喜びの3つの根本的な顔面表情に還元されると主張し,ジュマ(Dumas, G.)はこのフラッパーの仮説を実験的に検査し,3根本運動説を直接の神経機能から根拠づけている。
エクマンとフリーセン(1978, 1982)は,視覚的に識別可能なすべての顔の動きを,特定の顔筋に対応している動作単位(Action units)の組み合わせで記述できる顔面動作符号化システム(Facial Action Coding System, 略してFACS)を開発した。また,エクマンら(1980)はこのFACSで推測した情動が,ビデオを見て経験した情動と一致していることを示している。しかし,「動作単位」が表情を分類している単位であるかどうか,また異なった他の表情記述法(ピロウスキーら Pilowsky et al., 1986)と比べて優れているかどうかの比較研究は,まだこれからの課題とされている。
なお情動と身体生理の関係については,第5節を参照していただきたい。
注:①はもとは有用であった行動が,習慣化してしまってできた身体表情。②はある感情と反対の感情が前者を伴って,反対の表出運動を引き起こすにいたる。③は意志や習慣とは独立に神経系の直接興奮の仕方によって起こる。
4. 感情・情動の理論
(1) 情動の生理説
情動はどこで,どのように生ずるのか,比較的単純な事態における情動発生の生理学的理論にはどのようなものがあるであろうか。
1) ジェームズ・ランゲ説 ジェームズ(James, 1884)とランゲ(Lange, 1885)は情動が身体的,生理的変化を引き起こす原因であるのではなく,逆に身体的,生理的変化が意識的に情動を解発すること,つまり情動が身体の末梢から起こるという末梢起源説を主張した。彼らによると「熊を見て」「こわいと感じる」ゆえに「逃げる」のではなく,「熊を見て」「逃げる」ゆえに「こわいと感じる」のである。
この説では最初に知覚があり,自分の生理的状態の知覚(心臓の速い鼓動や口のかわき)の結果,情動の経験が生じるのである。そこで「私たちは泣くから悲しいのだし,わめくから怒りを経験するのだし,ふるえるから恐ろしいのである」(ジェームズ,1884)ということになる。図9‐7aに示すように,事物は受容器(R)を刺激し,求心性インパルスが大脳皮質(C)に伝わると事物は知覚される(経路1)。そこからすぐ遠心性インパルスが骨格筋と内臓を賦活し生理学的変化を引き起こす(経路2)。これらの器官の興奮が,皮質に伝わり,情動を経験する(経路3,4)。もし,この経路が遮断されれば情動は生じないことになる。この常識を裏返した理論は情動が生理的側面をもつ現象であることをはじめて指摘した点で重要な意味をもち,その後多数の研究を生み出すきっかけにもなった。ジェームズ自身は情動を生理的機能で基礎づけようと試みたが,それを支持する証拠を提出できなかった。

2) キャノン・バード説 末梢起源説に対して,キャノン(Cannon, 1927, 1931)とバード(Bard, 1928, 1934)は,視床過程の機能を重視する中枢起源説を主張した。
生理学者キャノン(1927, 1931)は次の5つの点でジェームズ・ランゲ説に反対した。①内臓と中枢神経系を切断しても,情動は生じる。②内臓の変化は同じでも,異なる情動が生じる。③内臓は比較的感受性が鈍いので,意識的情動を区別できない。④内臓の変化は緩慢で,情動体験を説明できるほどはやくはない。⑤人工的に内臓の変化を起こしても,情動に変化がない。
図示(図9‐7b)したように,受容器のつよい興奮(R)は視床(Th)に伝えられ,視床過程(P)を賦活する(経路1)か,皮質(C)に送られる(経路1′)。強い興奮であれば,大脳皮質による視床の抑制は解除され,情報は視床に伝えられ,視床過程を興奮させる(経路3)。興奮は内臓(V),骨格筋(SKM)に伝えられ,身体的変化を生じる(経路2)。同時に,インパルスは皮質に運ばれ,情動の意識体験が生じる(経路4)。これによると,情動体験と身体的変化はそれぞれ独立に同時に生じるのである。
キャノンの説は後にバードによって修正され,こまかな点では生理学的には正しくないが,情動の起源を脳へと移すという役割を果たした。
3) パペッツの情動回路説 解剖学者パペッツ(Papez, 1937)は,情動は視床下部という特定の脳「中枢」の機能ではなく,大脳辺縁系閉鎖回路の機能であるとし,情動行動と大脳辺縁系との関連に注目を与えた。
海馬からのインパルスは脳弓を経て,視床下部乳頭体に至り,視床前核に伝えられ,情動体験の受容領域である帯状回に中継される。彼はこの回路(海馬―脳弓―乳頭体―視床前核―帯状回)を「感情の流れ」と名づけ(視床から線条体へ感覚を伝える「運動の流れ」と,視床から大脳皮質の大部分の領域に感覚を伝える「思考の流れ」の融合によって,感覚的興奮が情動的色彩を帯びるとする),情動の回路説を提唱した。しかし,これが回路として独特な働きをしている証拠は得られていない(図9‐8,9‐9)。

(2) 情動の認知説
人間社会は複雑な状況に取り囲まれており,さまざまな情報をすばやく取り入れ,分析し,その状況にふさわしく,柔軟な適応行動をとることが要求される。そういう状況での情動行動を説明するには適応,融通性に乏しい大脳辺縁系生理学的理論では不十分である。複雑な状況をもふまえた情動理論として認知論的理論がある。
1) シャクター・シンガー説 われわれが感じる情動の種類は,生理学的覚醒と状況の知覚,判断(認知)との相互作用によってはじめて決定されるのである(シャクター Schachter, 1959)。大脳皮質を中心とする神経系が興奮状態にあるとき,われわれの周囲の状況がこの興奮状態にラベルづけをするための手がかりとなる。この手がかりを認知して,情動の種類が決定される。
シャクターとシンガー(Schacter & Singer, 1962)は,人工的に生理的興奮状態をつくりだし,認知条件が情動のラベルづけに及ぼす効果を検討した。被験者にアドレナリン注射を行い,その注射の効果について,正しい情報を与えられた者は仲間(サクラ)が故意に怒ったり,喜びを表しても,自分の情動体験は影響されないが,誤った情報を与えられた者は著しい影響を受けることを示した。
2) アーノルドの評価・興奮説 情動とは生活体が刺激を知覚したとき,直観的に良い(有益)と評価されたものに近づき,悪い(有害)と評価されたものから遠ざかるように感じられた傾向である(アーノルド Arnold, 1960)。これには近接―回避の体制化された生理的変化のパターンが随伴しており,対象に対する近接―回避の傾向として体験されたものが情動である。生起すべき情動の種類を決定するのは,状況の理解(認知的評価)である。たとえば,森のなかで熊に遭遇すれば,恐れの情動が生じるであろうが,動物園でみる熊にはそのような情動は生じないであろう。
アーノルド説は,情動反応に内臓,骨格筋の不随意な変化が伴われる点で,ジェームズ・ランゲ説と一致しているが,情動を喚起する際の大脳皮質の働きを重視しており,状況の認知的評価が情動生起に先行し,この瞬間的な直観的評価が情動反応を刺激するのである。
3) 混乱行動説と動機作用説 混乱説(ヤング Young, 1943, ヘッブ Hebb, 1949)では,情動が生じると,行動が混乱,分裂し,適応行動ができなくなるとし,情動を否定的にとらえるが,動機作用説(リーパー Reeper, 1948)では情動を行動の混乱ばかりではなく,適応行動をとらせるものとして肯定的にとらえる。たとえば,恐怖では刺激から遠ざかり,逃げ去り,怒りでは物を投げたり,つかみかかったりするが,これも一種の適応行動である。情動の本質は他の行動や精神機能を起こす動力であって,動物では生理的欲求が行動の動機になるが,人間では情動が行動の動機になっているという。
ところで,情動は,適応行動を体制化し,促進させもするが,ある一定レベル以上に高まると,行動を混乱,分裂させもする両面をもっているのである。情動がどちらの方向に働くかは,課題の複雑さや困難度などその場の状況によって決まるのであり,このことは,ヤーキーズとダッドソン(Yerkes & Dodson, 1908)の法則も証明するところである(第10章参照)。
5. 情動の異常
(1) 情動と身体との関係
まずはじめに情動系がどのように人間に関わっているかについて簡単な説明をしておこう。情動は脳全体が複雑に絡みあってつくられるものであるが,とくに大脳辺縁系と視床下部が深く関係している。視床下部は自律神経の中心でもあり,内分泌系とも密接なつながりをもっているので,視床下部で生まれた情動は身体に大きな影響を与えるのである。大脳辺縁系は視床下部で生まれた情動を適当に調整し,それに適応力を与えている。不安,緊張,恐怖,憤慨,心配,不満などの感情は大脳皮質で感知され,視床下部を刺激すると,交感神経機能の興奮によって,各器官に身体的変化をもたらす。一方,内分泌系では刺激された副腎髄質から,アドレナリンが分泌され,血圧の上昇,血糖の増加,心拍数,血流量の増加,腸管運動の抑制などの生体防御反応が生じ,また視床下部後部の賦活によって,脳下垂体が刺激され,副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)の分泌を促進し,副腎皮質ホルモンが分泌される。
(2) ストレスと不安
セリエ(Selye, 1956)によると,ストレスとは「あらゆる要求に対する体の非特異的な反応(全身適応症候群)」のことであり,ストレス反応は警告期,抵抗期,疲労期の3期にわけられる。ストレスは必ずしも悪いわけではないが,疲労期に達するほど長く続くストレスは有害である。
心理的ストレスが強く,長く続くと,生体に機能障害が生じ,頭痛,腹痛,食欲不振,動悸などの症状が続き,やがて,慢性の機能障害,器質的障害へと発展し,器官の心身症となって,体のエネルギーは涸渇し,疲労し,激しい疲労から,最後には死に至るのである。
人生の危機(離婚,定年退職など)に直面したとき,その対処法を間違えば,悪性ストレスに陥りやすい。
ブラディ(Brady, J. V.)は,2匹のサルを同じ回数の電気ショックをうける状態に置き,1匹には適当なときにレバーを押せば,ショックをさけることができ(管理サルと呼ぶ),他の1匹にはできないようにした。その結果,レバーを押すことでショックを避けられた管理サルには潰瘍が生じ,レバー押しの心配をもたなかったサルには潰瘍が生じなかった。これを,ワイス(Weiss, J. M.)は,ブラディの管理サルは,自分の行った反応が正しかったのか,間違ったのかというフィードバックが欠如していたため,不安が生じ,それがストレスとなって潰瘍が発生したのであると判断して,ネズミを用いた実験でそれを証明した(図9‐10)。

3匹のネズミのうち,1匹は何も電気刺激を受けず,他の2匹は尾に同時に電気刺激を受けた。電気刺激を受ける2匹のうち1匹は刺激を受ける10秒前にビープ音を聞き,他の1匹はランダムにビープ音を聞くようにした。その結果,音を聞き,電気刺激を予想できたネズミはほとんど潰瘍を示さず,予想できなかったネズミは重い潰瘍になった(また,他の実験でも自分で刺激を避けることのできたネズミはそうできなかったネズミに比べて,潰瘍が軽度であった)。これらの実験は環境における出来事の予想,結果についてのフィードバック,その場を切り抜けられるという必然性の感覚が,ストレスとその効果を防ぐのを助けることを示唆している。
(3) 現代社会とストレス
現代に生きるわれわれは,日常,さまざまなストレスに曝されており,ストレスを避けては通れない。果てしない競争に自分を駆る「タイプA行動人間」や,情動的ストレスからくる「感情燃えつき現象」なども現代社会の不安を特徴づけるものである。自律訓練法やバイオフィードバック,リラクセーション法など,さまざまなストレス解消法が模索されているが,ストレスの悪影響を予防,防御するためには,まず何よりもこころと身体とをつなぐ感情の意味を再認識し,自己を最適に発揮していけるようなセルフコントロールを心がけていくことが肝要であろう。
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第10章 動機
人の行動の背景には必ず動機がある。動機は人を動かし,目標に向かって行動を起こさせ,そして目標に到達するまでその行動を続けさせる働きをする。そうした動機とは一体どのようなものであろうか。動機を生じさせる原因やメカニズムは何であろうか。また,動機の強さは行動とどのような関連があるであろうか。本章では,動機に関するこのような問題について考察する。
動機は,古くから考察の対象とされてきたが,近年はとくに人間行動を理解する上で,個人の動機が重視されるようになってきた。学習業績の評価においても,その人の能力や適性以外の要因としての動機が重視されるようになった。その背景には,人間の行動を本能論のように先天的にみるのでなく,また外部の刺激に対する単なる反応としてみるのでもない,外部の刺激と内的経験との絡み合いによる力動的な反応としてみる観方の発展がある。そして,行動の理解や学習指導においても,個人の行動の内的原因が重視されるようになってきたからである。
1. 動機づけの意味と役割
人の行動を理解するには,なぜ,そのような行動をするかということを知ることが大切である。ある人が,どのような活動をしたということを記述するだけでは不十分で,なぜ,そのような活動をするかという内的原因を探さねばならない。心的活動の内的原因を総称して動機づけ(motivation)という。
心的活動を,より低次の,直接意識しない行動をも含めてみていくと,次の5段階が考えられる。
a. 自発的活動(動機が自己の側にある)┐
│意識的過程
b. 反応的活動(動機が環境の側にある)┘
c. 習慣的活動 ┐
d. 反射的活動 │身体的過程
e. 生理的活動 ┘
心的活動の内的原因,すなわち,動機を考える場合,その意識的な面のみではなく,無意識的な身体的要求をも含めて,考えなければならない。
(1) 欲求と動機
生活体(人や動物)が,生理的あるいは心理的に不均衡になって何かを求める内的状態を欲求(need)という。その不均衡は,欠乏(感)によって生ずる他に,外からくる刺激の変化やより大きな喜びや刺激を求めることによっても生じる。
欲求の状態にあると,生活体は,その欲求を解消できる方向に行動を起こそうとする。この状態を動因(drive)または動機(motive)という。動因も動機もほぼ同義に用いられるが,社会的欲求や成長欲求にまで広く適用するには動機の方が適切と思われるので本書では主に動機の語を用いることにする。
動機は常に生活体の内部で生じるが,それは見方を変えれば,平衡状態を求める方向に向かって動く状態といえる。生活体が正常に運営されていく場合,体内の諸状態はひとつの平衡状態を維持しており,もしも外から来る刺激の変化や内部的な欠乏が生じると,直ちにそれを元の平衡状態に戻そうとする強い動機が生ずる。また,その場合の動機は,大抵の場合,目標(goal)をもち,その目標とは,動機を低減させる対象である。その目標のことを動因に対して誘因(incentive)という。この目標(誘因)は,接近的なもの(正の目標,positive goal)だけに限らず,逃避的なもの(負の目標,negative goal)もある(図10‐1)。

動機が発生すれば,緊張が発生する。その場合の緊張の度合は動機が強ければ強いほど,また,充足されない状態が続けば続くほど高まっていく。そして行動が目標に達すると,緊張は解消(tention reduction)され,新しい平衡状態がつくられる。
ところが,動機はつねに満たされるとは限らず,目標に到達する前に途中で遮断される場合もある。これは欲求遮断の現象として第11章で詳説するので参照されたい。
(2) 動機づけの過程
欲求が生じると,これを解消しようとする動機が発生し,そのための行動が始発され,その行動が目標到達まで維持され,そして,目標に到達すると欲求は解消される。この一連の過程を動機づけ(motivation)という。
動機づけは次の3段階に分けることができる(図10‐1の①②③に対応)。
1) 動機の発生 欲求を解消しようとする動機が発生し,同時に行動が喚起される。したがって行動喚起機能を生じさせることになる。
2) 動機に基づく活動 欲求を解消できる方向に行動を目標づけその行動を維持する活動である。欲求が低減したり,何らかの障害が発生して,目標到達への道が閉ざされることもあるが,それらを処理しつつ,目標に到達させる活動である。
3) 動機の充足,低減による活動の停止 欲求が満足する状態になると,平衡は回復し,動機は低減し一連の活動は停止する。
2. さまざまな動機
人はその文化と教養の程度に応じて,さまざまな動機をもつ。その種類は多様であるが,人の活動を喚起させる基本的な動機として次のようなものをあげることができる。
(1) 生理的動機(ホメオスタシス性動機)
生活体(人・動物)は,生命維持のために生体の平衡を自動的に維持する機構をもっており,自律神経系やホルモンの働きによって調節されている。この生理的調節作用は,キャノン(Cannon, 1932)によってホメオスタシス(homeostasis)と名づけられた。さて,この生理的平衡状態が破れ,体内の調節だけではもはや間にあわなくなったときは,それを補うような動機が生じる。空腹や渇きはその一例であり,それによって食物や水分を摂取するための一連の行動を喚起する。
キャノンによれば,飢えは胃の収縮と関係はあるが,直接の原因ではない。胃の切除後も空腹感があったり,胃が収縮していても血糖値が上がると空腹を感じなかったりする。血液中の糖分が一定の水準以下になると飢えが生じはじめ,摂取すると,再び,血糖値が上がって,空腹を感じなくなる。胃や血液中から,情報を集め,それらの調節を行っているのは,視床下部にある自律神経の中枢である。また,特定の栄養素が欠乏した場合にも,その栄養素を多く含む食物を求めたくなることがあり,これを特殊飢餓動機という。さらに,食物に対する嗜好性や食習慣によっても摂取への動機が生じることがあるが,これも広義のホメオスタシス性動機ということができよう。
同様に,排泄,熱,空気,休息等についても,生理的平衡が乱れるとそれを回復させるように動機が発生する。
(2) 性動機
性動機も生理的なもので,体内の性ホルモンの作用と密接な関係があるが,人間の場合には,慣習・道徳・教育などの社会文化的要因や個人的な経験によって左右されることが多いので,上記のホメオスタシス性動機と一応区別する必要があるであろう。
(3) 内発性動機
変った珍しいものに対する好奇心,おもちゃや機械を操作してみたい,じっとしておれなくてやたらに動き回りたい,スキンシップを求めたり,やわらかい物に接したいというような動機は内発性動機といわれる。これらの行動はそれによって何かを得るためではなく,その行動自体が行動の目的ないしは報酬なのであり,それをすることが楽しいとか,おもしろいという感情を伴うのである。
1) 好奇動機 好奇心には,自分の知らないことや珍しいものに興味をもち,それについて情報を集めたりする程度(拡散的好奇心)から,そのなかのあるものに興味の中心を絞って,それについてさらに深く知ろうとする(特殊的好奇心)までいろいろの段階がある。好奇心は乳幼児期からすでにみられる。はじめはいろいろなものに興味をもつだけで,それを深く探索しようとしないが,発達段階が進むと,もっとよく知りたいという欲求を示すようになる。稲垣(1977)は,幼児期の知的好奇心と小学校2年生の学業成績との間に0.64という高い相関係数が得られたことを報告しており,また,児童期の好奇心と読書量との間に相関があることも注目されている。
バーライン(Berlyne, 1965)は,既有の知識と反するような情報や新しい情報が得られると,「おや,これはどうしたことだろう」という驚きや疑問(概念的葛藤,あるいは,認知的葛藤)が生じ,それによって知的好奇心が活性化され,自発的な探索行動が深まることを示した。一般に,刺激のもつ新奇性,意外性,矛盾性,複雑性などが,好奇心を引き起こすとされている。
2) 操作動機 好奇的であるものに接近し,手で触れ,操作したいという動機である。幼児が玩具をいじりまわす行動から大人の機械いじりや車の運転までさまざまな場面で行われるが,いずれも操作することに興味があり,楽しんでやるのであって,何かをするための手段ではない。自動車の運転もどこかへ移動するための手段としてでなく,ドライブすること自体を楽しむ場合は操作動機に基づく行動といえよう。物に対する操作だけでなく,身体を使う動作においても,新しい能力を獲得すると,さかんに使いたくなる傾向があり,何回もやってみることがある。それによって技術が上達し,それに関連することへの認知も深まっていくのである。
3) 接触動機 ハーロー(Harlow, 1958)は,子ザルに代理母親を与える実験で「接触」による慰めの効果を実証した。子ザルはミルクのもらえる針金製母親よりも,やわらかい布でくるんだ布製母親の方をより好んだのである。これは授乳よりも接触の動機の方が愛着形成にとってより重要であることを示している(図10‐2)。
乳幼児の養育でも,スキンシップを十分与えることが重視されているが,乳幼児に限らず,どの年代の人でも求める基本的な動機といってよいであろう。

(4) 習得性動機
人でも動物でも,いろいろな経験をしていくうちに,学習を通じて二次性の動機を獲得するようになる。お金を手に入れたくなったり,恐い所から逃げだしたりする行動はこのような二次性の動機に基づく行動である。
1) 二次的報酬 幼児ははじめ貨幣のもつ交換的価値を知らない。彼らが学習によって貨幣に対する価値の形成を行うと,それは食べ物や玩具と同じ報酬性をもつようになり,貨幣をもらうことを喜ぶようになる。すなわち,二次的報酬性(secondary reward)が形成されるのである。
ウォルフ(Wolfe, 1936)は,チンパンジーに代用貨幣を用いて自動販売機の操作の学習をさせる実験を行った。チンパンジーは代用貨幣の報酬性を獲得しただけでなく,交換価値の大きい色の代用貨幣をより求めるようになったと報告している。
2) 回避動機 本来はまったく恐怖を感じない対象であっても,学習によって恐怖性を獲得すると,それから逃げ出したくなる。この場合,恐れの情報が,二次的な動機として作用するからである。恐怖症なども獲得性恐怖の一種である。恐怖だけでなく,怒り,悲しみ,喜び,愛情などの情動もともに動機(情動性動機)として働く可能性をもっているが,それは特定の対象との間に新たな関係が結ばれた時であり,二次的動機としての性質をもっている。
(5) 社会的動機
人が社会生活を営む上で,必然的に生じてくる動機を社会的動機という。社会的存在としての個人は,対人的,対社会的な経験を通じて種々雑多な要求をもつようになる。マレー(Murray, 1938)は,それらを分類して表10‐1のように示している。実に多くの動機があげられているが,それらのなかから,個人としてもっとも重要と思われる達成動機と親和動機について考察しよう。
表10-1 社会的動機のリスト(Murray, 1938;八木, 1969)
(A) おもに事物と結びついた動機
(1) 獲得(acquisition) 所有物,財産を得ようとする動機
(2) 保存(conservation) 収集,修理,掃除,貯蔵する動機
(3) 整頓(orderliness) 配列,組織し,片づける動機
(4) 保持(retention) 所有を続ける,集める,惜しむ,節約する,けちになる動機
(5) 構成(construction) 組織,建設する動機
(B) 大望,意志力,達成および威信の動機
(6) 優越(superiority) 優位にたつ動機
(7) 達成(achievement) 障害に打ち克ち,力を発揮し,できるだけよく,かつ早く困難なことをなしとげようと努力する動機
(8) 承認(recognition) 賞讃を博し,推挙され,尊敬を求める動機
(9) 誇示(exhibition) 自己演出し,他人を興奮させ,面白がらせ,感動させ,驚かせ,はらはらさせる動機
(10) 保身(inviolacy) 中傷されず,自尊心を失うことを避け,良い評判を保とうとする動機
(11) 劣等感の回避(avoidance of inferiority) 失敗,恥辱,軽蔑嘲笑を避けようとする動機
(12) 防衛(defensiveness) 非難または軽視に対して自己を防衛し,行為を正当化せんとする動機
(13) 反撃(counteraction) 再挙報復によって敗北に打ち克とうとする動機
(C) 人間の力を発揮し,それに抵抗し,または屈服することに関係のある動機
(14) 支配(dominance) 他人に働きかけ支配せんとする動機
(15) 服従(deference) 優越者を嘆賞し,進んで追随し,喜んで仕える動機
(16) 模倣(similance) 他人を模倣し,競争し,同意し,信じる動機
(17) 反動(contrariness) 他人と異なった動作をし,独自的であり,反対の側に立つ動機
(D) 他人または自己を損傷することに関係のある動機
(18) 攻撃(aggression) 他人を襲撃し,損傷し,人を軽視し,傷つけ,悪意的に嘲笑する動機
(19) 謙虚(abasement) 罰を承服甘受し,自己を卑下する動機
(20) 非難回避(avoidance of blame) しきたりに反する衝動を抑制することにより,非難,追放,処罰を避け,行儀をよくし,法に従う動機
(E) 他人との愛情に関する動機
(21) 愛情(affection) 友情と交友を作る動機
(22) 排斥(rejection) 他人を差別し,無視し,排斥する動機
(23) 養護(nurturance) 他人を養い,助け,保護する動機
(24) 依頼(succorance) 援助,保護,同意を求め,依頼する要求
(F) その他の社会的動機
(25) 遊戯(play) 緊張緩和,娯楽,変化,慰安の動機
(26) 求知(cognizance) 探求,質問,好奇の動機
(27) 解明(exposition) 指摘,例証,報知,説明,解釈,講演の動機
1) 達成動機 困難なことをうまく成し遂げたい,競争事態で人より優れた成績を得たい,優れた業績をあげたいというような,高い目標をかかげ,自己の力を発揮して障害に打ち克ち,その目標に到達しようとする動機である。達成動機は,性格の一特性でもあり,個人の生活経験との関わり,とくに,親の態度の影響が,大きいといわれる。ローゼン(Rosen, 1959)らは,達成動機の強い子どもたちの父親に共通な態度として,高い要求水準,直接的援助が少ない,受容的,自主性を重んじるなど独立性訓練により多く関連していることをあげ,母親の態度としては,高い要求水準,直接的援助多く,成功には承認,失敗には拒否,自主性をあまり重んじず,支配的であるなど子どもの達成能力を刺激する役割を演じていることを指摘している。
この動機の強さを測定する方法としては,質問紙法のEPPS(Edwards Personal Preference Schedule)や洞察テスト(French Test of Insight ; FTI),投影法ではTAT,IPIT(The Iowa Picture Interpretation Test)などの方法がある。これらの方法で測定された個人の達成動機得点が,種々の行動とどのような関係にあるかについて,種々の研究がある。達成動機と作業成績との関係について,ローウェル(Lowell, 1950)は,大学生の語順整理テスト成績において,高達成動機群の方が低達成動機群に比べて優れた学習効果を示すことを報告している(図10‐3)。

アトキンソン(Atkinson, 1960)は,人が目標を設定して行動するときの達成動機の強さ(TA)は,課題達成を促進する成功達成傾向(TS)と課題達成を抑制する失敗回避傾向(TAF)の両者の合成によって規定されるとし,この関係をTA=TSS-TAFのように表した。つまり,達成行動は,成功達成傾向(成功願望)と失敗回避傾向(失敗恐怖)との情緒的な葛藤の結果であるとした。そして,達成動機の方が失敗回避動機よりも高い者は,その逆の者に比べて,①種々の困難度を同時に含むような課題事態では,中間の困難度を選ぶ傾向が顕著であり,②結果が成功か失敗か自分でわかりにくいような事態での作業の持続性が高く(期末試験で答案を書くような場合),③その遂行成績も高い(期末試験の成績など)と結論している。また,高い達成動機をもつ者は,成功や失敗のような外的誘因によって課題に対する自己の見通しを混乱させられることが少ないことも報告されている(林,1968)。
2) 親和動機 この動機はできるだけ多くの友だちをつくる,友だちには誠実で,親切にふるまう,他者に喜んで協力する,相手の人を喜ばせるなど,他者との愛情の交換を目標とする動機である。この動機は,大部分の他の社会的動機と融合したり,従属する関係となる。たとえば,共同して何かを仕上げる(達成動機との融合),共通の敵に対して一緒になって戦う(攻撃動機との融合),あることを達成するために協力する(達成動機への融合)などである。しかし,ときには,他の社会的動機と対立することもある。たとえば,相手の考えを批判・攻撃したいが,相手から恨まれたり,親しい関係を壊したくないというような場合である。
親和動機の高さには個人差があり,個人の親和動機の表れ方は普通の状態においては比較的安定しているので,人格特性の一部ともみられる。しかし,特別の状態においては,親和動機は変動することがある。たとえば,不安な状態におかれていて緊張度が高まると,親和動機は高くなる傾向がある(シャクター,1959)。また,親和動機の高い人は,仕事や作業に対して感情的評価(たとえば,「この組は協力してやっている」)を与えられるときによい成績を示すが,課題的評価(たとえば,「この組は非常に能率的にやっている」)を与えられたときは,成績がよくない傾向がある(フレンチ French, 1958)。一般的に長子やひとりっ子は親和動機が高いといわれるが,それは母親が初めての子どもの感情変化に敏感に反応するため,子どもの方も母親の反応を自己確認の重要な手がかりとするようになり,長じてからも,その傾向が持続し,助長されるものと思われる。
親和動機の高さを測定する方法としては,達成動機の場合と同様,EPPSやFTI,TAT図版を用いるIPITなどがある。
3. 動機づけと行動
(1) 動機水準と実行水準
行動は動機づけによって喚起されるが,単に動機づけだけでは行動は起こらない。動機づけの水準がどんなに高くても習慣(habit)が形成されていないときは行動は起こらない。すなわち,実行(performance)としては現れてこないのである。逆に,習慣がどんなに強く形成されていても,動機水準が低い場合には実行水準も低くなる。このことを理論的に示したのはハル(Hull, 1943)である。彼によれば,行動は個体の一時的状態(動因)や目的の特性(誘因価)と経験的・学習的要因(習慣)との関数であると述べている。すなわち,人が適切に行動するためには状況にとって適切な反応傾向が習慣として学習されねばならない。学習された習慣が行動として発現するためには適合した誘因が存在し,それに向かう動因が喚起されねばならないとし,この関係を,SER=D×K×SHRのように表した。つまり,ある行動が生起するための反応ポテンシャル(SER)は動因(D)と誘因(K)による動機づけ,および習慣強度(SHR)の積であるとした。
一般に,動機づけ水準が高いときの方が,低いときよりも実行水準は高くなる。しかし,動機づけ水準が高くなるほど,それに比例してどこまでも実行水準が高まるのではなく,ある程度以上になると,かえって,その水準は低下するのである。実際,動機づけが極度に高まってくると,過ちや失敗をすることが多くなる。そのときの課題の性質,つまり,反応がやさしいか,むつかしいかの難易度が重要な鍵となるのである。こうした問題を最初にとりあげたのは,ヤーキーズとダッドソン(Yerkes & Dodson, 1908)であった。彼らはさまざまな動物で電撃回避弁別訓練を3段階の強度の電撃を使って行った。その結果「学習のコントロールにおける有害刺激の最適レベルは中程度の強度にあり,それよりも低い値と高い値はともに効果が小さい。課題の複雑度が増すと刺激の最適レベルは低下する」ことを見出し,ヤーキーズ・ダッドソンの法則をたてた。しかし,この問題は長い間,問題視されず,発展しなかったが,動機づけの研究がすすむにつれて再び重要視されるようになったのである。
ブロードハースト(Broadhurst, 1957)はネズミを被験体として,明暗弁別課題の難易度と動機づけ水準を変えた場合の実行水準について実験的に検討した。ネズミを水中につけて呼吸の制限(0,2,4,8秒)をし,動因水準を変える。また,課題の明暗弁別の難易度を容易,中程度,困難の3段階とし,それらの条件の組み合わせで,弁別学習をさせたところ,課題が容易な場合は動因水準が高くなるにつれて,学習成績も良くなっていくが,課題が困難な場合は動因水準がある程度以上になると成績が下がるということが実証された。
人間も困難な課題に向かうときほど緊張し,強く動機づけられる傾向があるが,動機づけが高すぎると,かえって学習効率がわるくなることは動物の学習の場合と同様である。もっとも効率のよい行動や学習を行うためには,動機づけの自己制御が必要であろう。
(2) 動機の機能的自律
われわれの行動のなかには,学習された習慣そのものが行動の動機となり,もとの動機から独立して自発性をもつようになる場合がある。このような性質をオルポート(Allport, 1937)は動機の機能的自律(functional autonomy)と名づけた。たとえば,かつて生計を立てるために船員として海で働いていた人が別の職業につき,もはや海に出て働く必要がなくなってからも,休日には海に行きヨットに乗って楽しむような場合,船に乗ることは生活の手段ではなくそれ自体を目的として楽しんでいるのである。また,お金を手に入れることは物を購入する手段であるが,お金がたくさん蓄っているのにお金もうけが面白くなってそれに熱中するようになる場合もある。いずれも後天的に獲得された行動が,いまやその人を動機づける原動力になっているのである。
オルポートは機能的自律性を,固執性のあるものと自己に関わっている固有なものとを区別した。そして,固執性の機能的自律性は,まだ刺激に対する反応の領域に属していて,外部の刺激に対する反応のように,自身の回路に対して反応する際にみられるものであるが,固有な機能的自律は,自身の興味の対象や目的に向かって積極的能動的に行動するときにみられ,自我の感覚に結びつく主体的なものであると説明している。上のヨットを楽しむ人の例は,後者の場合であるが,こうしたことはわれわれの社会生活のいたる所でみられる。本来は手段であったものが興味の対象になったり,強制されたはずの課題に主体的な関心をもつようになるなど新しい価値観や社会的態度を形成する際によくみられる現象であるといえよう。
(3) 動機間の関係
人間は常に何かを欲しており,ひとつの欲求が満たされると,それに代わって別の欲求が起こってくる。いつも何かを欲求し続けているのが人間の特徴である。そしてある欲求が表われるときは,その人がもっている他の動機すべてがどの程度満足させられたか,他の主要な欲求がどの程度満たされたかによって影響されるのであり,すべての動機の間に存在する関係によって欲求の表れ方が決まるのである。
マズロー(Maslow, 1954)は,人間の動機には,生理的動機のような基礎的なものから自らが設定した目標を達成しようとする自己実現の動機に至るいくつかの階層があり,低次の動機が満たされると次のより高次の動機をもつようになるという動機の階層説を述べた。マズローによると,人間の動機は,図10‐4のようにピラミッド型の階層をなしており,一番底辺に生理的動機がある。これは生存にとって必要な飢え,渇,睡眠などの基本的な要求であり,まずこれが満たされない限り他の動機が相対的優位を占めることはない。この動機がある程度満たされると,次の安全への動機が優位を示すようになる。危険や苦痛,心配などから身を守り,安全と安定を求める動機である。それらがある程度満たされると,次には所属と愛情への動機が生じてくる。これは家族,友達,社会の人達から認められたい,受け入れられたい,友情や愛情を与えたり与えてもらう相手が欲しいというような動機である。この動機が充足されると,次は自尊と尊敬への動機が支配的になってくる。これは自尊心をもち,他人に尊敬されたいという動機で,必然的に自分の存在を人から認められたい,高い地位につきたいという要求をもつようになる。そして,これらが満たされた状態のなかで最後に自己実現の動機が現れてくる。これは人の自己充足への要求で,その人が本来潜在的にもっているものを実現しようとする欲求を意味している。たとえば,音楽家は音楽をつくり,画家は絵を描き,詩人は詩を書きたいと思うであろう。またある人にとっては理想的な母親になることが自己実現への要求であるかもしれない。

このような動機の階層は,ここに示されたような順序で出現しないこともあるし,固定的なものでもない。たとえば,自尊心の方が愛よりも大切であるように思う人々がおり,創造性に対する動因が他のいかなるものよりも重要であると思う人々もいる。生理的動機についても,長い間かなりの空腹に慣れてきて食物を剝奪されることに耐えられるようになった人がおり,他方で幼少の頃から基本的欲求が十分満たされていて基本的満足の結果としての強い健全な性格構造をもっているために空腹に耐え得る能力をもつ人がいる。また,ひとつの欲求が100パーセント満たされて初めて次の欲求が起こるのではなく,ほとんどの人にとっては基本的欲求について部分的に満足し,また同時に不満をももっているのである。しかし,先行欲求Aが10パーセントしか満たされていなければ欲求Bはまったく実在しないかもしれない。欲求Aが25パーセントまで満たされると欲求Bは5パーセント現れ,欲求Aが75パーセント満たされると欲求Bは50パーセント現れるというように,階層の下位の方がより強力であるという。
マズローはまた,高次の欲求は系統発生的にあとになって発展したものであり,とくに自己実現の欲求は人間に特有なものであるという。さらに,高次の欲求は個体発生的にも,心理的発達に伴ってあとに発展してくることを示した。彼によれば,自己実現している人々は所属感と安定感をもち,愛情欲求を満たしており,友人をもっていて,自分が愛されているか愛される値打ちがあると感じている。その上さらに,自発的で,自然で,容易に自分自身になることができる人であると述べている。すなわち,人間が自己を実現するには,より低次の基本的欲求の充足が必要であると同時に,自己の内部から生ずるもっと高次の欲求を満足させようとする積極的な態度が必要であるとしている。
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第11章 適応と不適応
今日一日が心楽しく過ごせて,自分の前途が明るく感じられ,明日もまたがんばろうと快く感じられる日もあるかと思えば,何をしてもうまくいかず,失敗がこころに残り,自分ほどみじめなものはいないと考え込む日もある。また,同じような場面でも,ある人は比較的平静に対応できるけれども,別の人は気の毒なほど取り乱していることがある。まわりの状況と調和的な関係が保たれているとき,自分でもうまくやっていけていると思うが,不調和な状態では気が重く不快な感じが続くものである。このような状況を心理学では適応,不適応の概念で検討している。
適応的な状況は望ましいことであろうが,世の中が多様化し人間関係も複雑化している現代では,いつもこれを保つことは困難であり,不適応な状況が生じやすいものである。この章では,不適応な状況を引き起こす原因について考えてみるとともに,不適応に対する対処の仕方についてもあわせて考えたい。
1. 適応とは
適応(adjustment)とは,環境の変化に対し機能的な調節を行い,その生活を維持発展させる活動のことをいうので,広い意味ではすべての生物にいえることである。植物や動物たちが,その住む環境のなかで生き残るために,さまざまな適応的行動をとっているが,その環境は地理的,物理的な自然環境を指している。
人間にとっての適応は,個人の欲求が環境条件に対応し調和していて,満足を感じている状態をいう。したがって,人間は衣食住などの自分たちの生活環境を改善するため,能動的・積極的に自然環境に働きかけてきた。そして,かなり快適な生活環境を作り出すことに成功したといえる。もっとも,そのために自然破壊が進み,将来的には大いに問題を含んでいることが指摘されているところではある。
しかし,人間にとってはこの自然の環境に加えて,社会的環境が重要なものとなる。家族,学校,職場などの人間集団のなかでの適応が良いことが,心理的には大きな意味をもつのである。そしてこのことは,個人の内的な適応と外的な適応の両面が考えられるが,この2つの側面は相互に関連しているのである。
(1) 内適応・外適応
個人が環境に良く適応しているといっても,その人の個人的な快楽とか幸福感を満たせばよいというだけのものではない。まわりの人との調和が保たれ,社会的に承認されたものであることが要求されるのである。自分の欲しいものであるからと,他人の持ち物を奪えば犯罪であり,適応的行動とはいえない。あるいは,登校拒否児は学校に行きたいという気持ちもあるが,登校時間になると腹痛や頭痛がして行けなくなる。「今日は学校を休んで家庭にいてもよい」となると痛みも治まり,本人は平安な状態になり,適応的になる。しかし,学校場面には適応していないということになる。
内適応とは,その人の主観的な世界での適応のことを意味し,その人のもっている価値基準や要求水準に対し,その人が感じている充足感や幸福感,平安感などをいうのである。外適応とは,その人を外から客観的にみて,その人の所属する社会や文化の価値基準に照らして,協調しているか,承認されているか,という観点からいうのである。上の登校拒否の例などは,内適応と外適応とがバランスを欠いている状態である。
(2) 不適応
前の章でみたとおり,人間はいろいろな動機をもっていて,その充足を求めている。ところが,各種の障害があってすぐには満たされないことが多い。個人の前に障壁があると考えると分かりやすい。図11‐1のように,障壁を越えることができない場合,欲求不満が生じる。すなわちフラストレーションの状態となるのである。このフラストレーションの状態で,ある人は初期の目標をあきらめて,それに近い次の目標で満足を得ようとすることもある。これは後の節で述べる「防衛機制」のひとつである。またある人は本来の動機からははずれた二次的な目標行動をとる。たとえば,フラストレーションの対象を攻撃したり,現実から逃避したり,退行してしまうような場合である。これは本来の動機は満たされず,心身に好ましくない状態をもたらす行動であるので,不適応(maladjustment)の行動という。
また,2つ以上の動機が同時に現れる場合もある。次節でみるコンフリクト(conflict:葛藤)の状況であり,防衛機制を働かせたり,不適応の状態を招きやすいものである。
不適応は,個人の要求と環境とが調和的でなく,その人が不満足に感じている状態をいうのであるが,一過性のものは除き,持続的,慢性的なものをいい,神経症状,心身症状,異常行動などを示すことが多い。

2. フラストレーションとその反応
(1) フラストレーションの原因
フラストレーション(frustration)とは,欲求の満足が阻止されていて,満たされない状態のことをいうが,その原因としては次のようなものが考えられる(辰巳,1974)。
環境的原因 ①物理的制限:時間,空間
②社会的制限:習慣,統制,禁止
主体的原因 ①遺伝的知覚の制限:知能,力量
②態度:理想,偏見,好み,嫌悪
外的な環境に原因がある場合や,その人自身の内的なものに原因がある場合などが考えられる。しかし,これらは相互に関連していて単純なものではない。同じような状況でも,人によってその深刻さにはずいぶん差があるものである。ある人は合理的に解決できるが,別の人は不合理な反応をしてしまう。これは後で述べるフラストレーションに対する耐性(tolerance)の相違の問題でもある。
(2) フラストレーションに対する反応
1) 合理的反応 フラストレーションの生じる状況にあっても,これを客観的にとらえて,理性的・合理的に反応する場合である。
ただちに自分の欲求が満たされなくても,その障害となっているものに積極的に働きかけて除去するよう努力して,元の目標の達成を目指すことができる人は,適応的であり,合理的反応をしているといえる。あるいは,障害となるものが除去できないものであるなら,さまざまの手段を試み,新しい方策を考案して,別のルートから元の目標に達するのも合理的反応といえる。
さらに,いかに努力しても,またどのような手段でも避けられない状況ならば,これを哲学的に受け止めることも合理的反応であろう。たとえば,現代医学でも不治の癌に冒されていることが判ったとき,そのことが自分の人生にどのような意味をもつものであるかを考えて,受容する場合などである。
2) 不合理的反応 不合理な反応とは,理性的とはいえない方法で自分の欲求を満たそうとしたり,社会のルールに反する行動をとって一時的に満足を得ようとするものである。あるいは,自分の欲求に気づくのが不安で,抑えたり,認めようとしなかったり,すりかえたりなどして,自分を守ろうとする反応も理性的・合理的なものではない。後の節の防衛機制は無意識的に自分を守ろうとする心理機制である。
3. コンフリクト
2つまたはそれ以上の欲求が同時にあって,その選択が容易にはできないという状況をコンフリクト(conflict:葛藤)と呼ぶ。フラストレーションと同じく,合理的に解消できない場合,不適応を引き起こすことになる。
代表的なものを図11‐2に示す。この図はレヴィン(Lewin, K.)の場の理論(第2章参照)によるもので,個人の目標に接近しようとする傾向と,目標を回避しようとする傾向の組み合せのなかで,解決の困難なケースである。
1) 接近―接近のコンフリクト 同じくらいに魅力のある対象があって,両方とも捨てがたいが,どちらかを選ばなければならない状況である。たとえば,2人のボーイフレンドのうち1人を選ぶ場合とか,親を選ぶか恋人を選ぶかという状況の場合などである。どちらかを選べばよいので比較的簡単なようではあるが,捨てる側への執着の度合いが非常に強いとか,二度と永久に得られそうにはないものであるときなどは容易ではない。
2) 回避―回避のコンフリクト どちらも同じ程度に嫌な場合である。たとえば,「前門の虎,後門の狼」のように,どちらもこわくて進めない場合や,勉強するのも嫌だが単位を落とすのも嫌だという場合などが考えられる。
3) 接近―回避のコンフリクト 同じものが魅力もあるが嫌でもある場合である。好きと嫌いとが同居する両面感情(アンビバレンス ambivalence)をもつ場合で,たとえば,「こわいけれど見てみたい」とか,「きれいな花にはトゲがある」などである。
4) 二重の接近―回避のコンフリクト 好きと嫌いの同居したアンビバレンスの目標が同時に2つあって,両方の間を行ったり来たりする場合である。ひとりの人の魅力に引かれて近づくと嫌な面が目につき,他方が良くみえてそちらに近づく。しかしまた欠点ががまんできず離れる,というような場合である。

4. 人格発達と適応
日常生活のなかで,フラストレーションやコンフリクトのように自分の思い通りにならない状況は,大なり小なり頻繁に現れる。幼い子どもは自己中心性が強く情緒の発達も未成熟なので,少しの不満でもすぐに爆発するし,まわりの状況を考えて合理的に応対することは困難である。
(1) フラストレーション耐性
不適応な行動をとることなく,適応的な行動を続けるためには,フラストレーションに耐える能力(frustration tolerance)が育っていることが必要である。このためには幼少の頃からの耐性教育が大切である。溺愛され甘やかされた子どもは,いつでも自分の思い通りにものごとは進むものだと思い込む。そのため,少しの不満にも耐えられない状態のまま成長してしまうことになる。また,親の無理解や放任などで,正当な要求も満たされることが少なく,常にフラストレーションにさらされ,その解消方法を学ぶ機会のなかった場合も同様に耐性は低いといえる。したがって,幼い頃から適度のフラストレーションに出会い,合理的に解消をする方法を学ぶ機会が与えられていることが必要である。
(2) 防衛機制
人間は誰でも自分が大切で,不安や緊張が高まったり,悲惨な結果が予想される場合は,自分を守ろうとする。これを防衛機制(defense mechanism)という。自己保存本能があるから危機的状況を防ぎ,適応しようとするのである。したがって,健全な人はたえずなんらかの防衛機制を使っているといえる。ところが,この防衛機制を使わなくてもよい状況でも使ったり,必要以上に過剰に防衛したりする人がいる。守りぐせのついた,こころの守り方の下手な人を不適応の人というのである。以下に主な防衛機制を列挙して説明する。
1) 抑圧(repression) お金にこだわる,エッチなことを考える,嫌な相手をやっつけてしまいたい,などは本当は人間のホンネとして誰でももっている欲求だが,世間では評判が悪いので,自分にはそんなはしたない気持ちはないと思い込もうとして,知らずしらず忘れるのである。「まじめで良い人物」にこだわる人は,自分の欲求を抑えがちになる。抑圧が続くと,いつでも誰にでもよい顔をして,自分が本当にしたいことは何かがわからなくなる。そして限度を越えると変形して現れてくる。ふだん抑えていた欲求が時や場所を選ばず行動化したりする。これをアクティング・アウトという。攻撃欲求が爆発して暴力を振るうとか,性的欲求が変態行為で現れたりするのである。また,人前で顔が赤くなることを気にするような対人恐怖症などのノイローゼになったり,心身症として高血圧,胃潰瘍など身体の変調として現れる場合もある。
2) 合理化(rationalization) イソップのすっぱいブドウの話のように,自分の思い通りにいかなかったことを,自分に都合のよい理屈をつけて,自分も他人も納得させようとするものである。たとえば,第1志望の学校に入れなかった人が「あそこは交通の便がよくないから入らなくてよかった」と言う場合が合理化の例である。また憎らしくなって子どもをなぐった親が「愛のムチだった」と言うのも,憎しみをもった自分を認めたくないし,人にも知られたくないのである。この合理化は一時的な安心が得られるので使われることが多いが,現実を直視する勇気がないといえる。人生の事実に直面し,対決することで人間は成長するのである。
3) 退行(regression) 現実の世界がこわいので,楽だった幼い頃にいつまでも留まっていたいのである。生活習慣の自立したはずの幼児が,赤ん坊のようにふるまう「赤ちゃんがえり」がこの例である。また,気楽に遊んで暮らしたいというプレイボーイも退行しているといえる。みさかいなく,いつでもどこでも退行するのが問題であって,ときには退行も緊張の緩和に役立つことがある。おとながパチンコやゴルフに夢中になっているのも一時的に退行しているのである。むしろまったく退行できない人に問題が生じることがある。
4) 反動形成(reaction formation) 気の弱いところを知られるとまずいと思う人が,むやみにいばっていて「弱い犬ほどよくほえる」のである。また,敵意のある人がそれを抑えて丁寧な口調で極端に親切に接することがある。いずれも自分の弱点を認めたくないし,人に知られたくないので極端に走り,反対の態度を取るのである。反動形成は本来もっているものをおおい隠しているので,無理を続けることになり,ときとして突然暴発することがある。無理をしないで,本来の自分を認めれば楽になるのである。
5) 知性化(intellectualization) なまなましい感情を表すのを避けて,抽象的な言葉で知的な会話にすりかえるのである。「きらいだ!」というのはなまなましいので「君の言動には抵抗を感じる」というのである。自分のホンネの感情を知的な言葉で隠している。一般論の話ばかりではあじわいがなく疲れてしまう。こころのふれあいがないからである。
6) 置き換え(displacement) 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の心境で,敵意,憎しみ,性的欲求などを直接向けるのが不安な場合,別のものに向けて表現するのである。本当は坊主に敵意をもっているが,直接向けると反撃されそうでこわいから,無害な袈裟に向けるのである。また,異性に性的欲求を直接表現できない人が,異性が身につけていた下着などを集めるのも置き換えであり,これはフェティシズムと呼ばれる。
7) 感情転移(transference) 「置き換え」が対象に付随するものに目を向けかえるのに対し,こちらは本来の対象に向ける感情を,類似の対象に向けるのである。父親を憎む息子が,父に似た男性教師を憎んだり,会社の上司を憎いと思うのである(陰性感情転移)。自分につらくあたってきた父に似た人は,必ず自分を攻撃して来ると思うので,それに備えて無愛想にして敬遠したり,反撃を用意しておくのである。また,陽性感情転移は,父親を好いている娘が男性教師や男性上司に愛想良くするような例である。父に愛されたようにふるまうと年長の男性から好かれると思っている。それは無意識的に攻撃をおそれているから防衛しているのである。
8) 昇華(sublimation) 性欲や攻撃欲求はそのまま表現すると下品で粗野だと非難される。世の中に受け入れられる形で表現するのが昇華である。つかみあいのけんかは社会的に認められないが,ボクシングや柔道で昇華すればむしろ認められ賞賛されることにもなる。露出欲求が演劇活動に昇華されていたり,のぞき見したい気もちを自衛してカメラマンになり,女優のヌードを撮って写真集を出版して話題を呼ぶこともあるのである。
9) 同一化(identification) 同一視ともいわれる。教育ママは自分の子どものことを自分の分身と思うので,子どもの受験に夢中になる。子どもが入試に失敗して落ち込んでいると自分も寝込んでしまうほどである。子どもと自分の一体感が強いのである。他人と一体感をもつと孤独感から防衛できて安心なのである。「赤信号みんなで渡ればこわくない」の心理は,集団への同一化で日本人にはよくみられる。集団への同一化は自己が拡大されて心強く,人生のはりあいが感じられるメリットがあるが,集団からはずれると自分がなくなってしまうと感じ,自分がつかめなくなるという問題が生じる。
10) 投影(projection) 三振した野球の選手がバットを折ってしまう例のように,自分の責任を認めたくないし,他人からの非難がこわいので,他に責任を転嫁するのである。責任を取る能力のない人ほど投影する傾向がある。先の教育ママはエリート意識が自分では十分果たせなかった。そのエリート人生を,自分の子どもに投影するので,子どもの方も大変である。ある程度期待に応えられればよいが,無理をしすぎて問題行動を起こすことにもなる。
11) 補償(compensation) 劣等感情を克服しようとする心理であり,比較的建設的なものといえる。身体が弱いことに劣等感をもった人が,トレーニングを積んで一流のスポーツ選手になるような場合は,これを直接補償という。体力面の劣等感を別の分野,たとえば知的専門職に就いて補償する場合を,間接補償という。建設的な防衛とはいえ,極端になってがむしゃらに補償しすぎる危険性をはらんでいる。
12) 逃避(escape) 自分のおかれている現実場面が苦しいので,他の現実に逃げて楽にしていたいのである。家庭内で解決が困難な状態が続けば,ある人は帰宅を遅らせるため残業に励んだり,ある人は宗教に熱心に通いだす場合がある。あるいは空想の世界では一時的にせよ願望が満たされるので,白昼夢にふける場合もある。また,病気になると現実から一時避難できるので,学校に行く時間になると頭痛や腹痛に逃げ込むことが常習化するケースもある。
5. 不適応への心理学的対処
環境に対しうまく適応できなくて,不適応の状態にある人は,心理的に不安定で緊張が続き,葛藤や不満足を感じて悩んでいる。この状態を何とかしようと自ら建設的な努力を続けて解消できる人もいる。あるいは誰かの援助を求める人もある。子どもが不適応状態で問題行動を示していて悩む親も同様である。カウンセリングや心理療法はこうした不適応の問題に,心理学的に対処するため研究されてきた援助技法である。しかし,これらは単にその場しのぎの適応を目指すものではなく,健康な人がより健康になるために,そしてその人の能力を開発し,個性化の過程を援助するもの,すなわち,自己実現を目指すため活用されるものでもある。したがって,カウンセリングは治療的な面だけでなく,「開発的」役割をもつものである。このことの理解は最近進んできたといえる。
(1) カウンセリング
カウンセリング(counseling)の定義は多数あるが,国分(1980)によれば「カウンセリングとは言語的および非言語的コミュニケーションを通して,相手の行動の変容を試みる人間関係である」と定義されている。
カウンセリングの理論や方法に各種あるが,ここでは,非指示的立場,指示的立場,折衷的立場の3つに大別して概略を説明する。
1) 非指示的な立場 ロージャズ(Rogers, 1942)が自分の新しいカウンセリングの方法を,従来の方法の多くが「指示的(directive)」であるのに対して,「非指示的(non-directive)」な立場と呼び,理論化した。のちに『クライエント中心療法(client-centered therapy)』を著し(1951),来談者中心のカウンセリングとして広く受け入れられてきたのである。
ロージャズの考える適応と不適応は図11‐3のようになる。自分の感じている世界,すなわち「経験(experience)」と,自分の思っている自分の姿,すなわち「自己構造(self-structure)」または「自己概念(concept of self)」との間に重なりあいが少ない場合(左側の図)が不適応なパーソナリティで,不一致な状態にあるという。自己構造と経験のずれが大きい場合,傷つきやすく,不安な状態にあるのである。
右側の図のように,経験と自己概念とが一致する領域の大きい場合が,適応しているパーソナリティであり,よく統合されていて「十分に機能する人間」の状態であり,カウンセリング過程で最終的に目指すところである。
ロージャズは,人間には基本的に適応への衝動があり,一致の状態へ進む能力をもっていると考えている。不一致の状態ではその力がおおい隠されているのである。そこでカウンセラーが,クライエントに対し「無条件の好意的な尊重」と「共感的理解」を示しながらリレーションを続けて,おおい隠された適応力をふたたび取り戻させるのである。
ロージャズのクライエント(来談者)中心的カウンセリングは,その後パーソン・センタード(人間中心)の立場へと移行している。エンカウンター・グループなどの体験過程を重視するようになっている。

2) 指示的な立場 上述のロージャズはそれまでの伝統的なカウンセリングを指示的であるとして批判したのであるが,ソーン(Thorne, 1944)は,カウンセラーの責任を重視して「指示的カウンセリング」を提唱した。治療の目的は,不適応な状態の人に,その人のもつ認知能力を用いて問題解決ができるようにすることである。そのために指示的技法が使われるのである。親密に話しあうことは,この立場でも重視されることは当然である。非指示的方法と同じく,ラポートの形成や受容が重視されるのであるが,示唆(suggestion),説得(persuasion),忠告(advice)などが多く使われる技法である。
3) 折衷的な立場 上述の指示的と非指示的の2つを折衷した立場である。しかし,非指示的な方法を原則としながら,ケースの種類や状況に応じて,指示的な方法を併用するので,現在行われているほとんどの方法が折衷的といえる。この方法を体系づけたロビンソン(Robinson, 1950)によれば,この立場の目的は次の3つであるとされる。第1は,クライエントの幸福感や適応感の向上であり,第2は環境に対する適応の改善であり,第3はクライエントの主訴である不適応の徴候の除去である。
(2) 心理療法
カウンセリングと心理療法(psychotherapy)との相違について,一般的には,カウンセリングが比較的軽い問題を扱い,短期間の対応で適応的な変化が期待できる領域,たとえば教育・心理相談などに多く用いられるのに対し,心理療法は比較的長期間かけて人格の深層領域を対象にする,たとえば精神医学の分野に用いられるという印象がある。しかし,実際には明確な区別ができないのが実状である。ここではその一部の概略を紹介するのにとどめるが,興味のある方は臨床心理学の分野の文献で研究されるとよい。
1) 精神分析療法 精神分析の理論に基づく心理療法である。第2章に紹介されているように,精神分析の理論にも各派があり,考え方に違いがあるが,コンプレックスなどの無意識の領域の問題を分析して意識にのぼらせることにより,自我の統合力を回復することを治療の目的とすることは共通の基本である。そのために,「自由連想」や「夢分析」などの方法がとられる。フロイト(Freud, S.)は主として神経症を対象としたが,ユング(Jung, C. G.)は精神分裂病を対象とした。しかし,現在の対象は性格異常や境界例などに広がり,さらに年齢的にも子どもから老人までと拡大されている(コンプレックスについては,章末の囲み記事を参照のこと)。
2) 行動療法 学習理論に基づいて行動変容をめざす治療法である。学習のメカニズムは,第6章に詳述されているように多様であるが,問題となる行動が,まだ学習されていないためであれば,これを条件づけの技法で修得させることで解決を図ったり(たとえば夜尿症,自閉症児),余計なものを学習してしまって困るなら(たとえば恐怖症),これを消去しようとするのである。代表的な技法をあげれば,古典的条件づけに基づくものとして,系統的脱感作法,主張訓練,イメージ法などがある。オペラント条件づけ法に基づく技法に,強化法,思考停止法,消去法などがある。
3) 遊戯療法 言葉の表現よりも遊び(play)による表現を通して心理治療を行うものである。したがって,おとなより子どもを対象にすることが多い。プレイルームのなかで,広さと時間の制限はあるものの,自由に遊ぶことに治療効果があると考えられている。
4) 箱庭療法 学習机位の大きさ(72×57×7㎝)の箱に砂を敷いておき,人形,動物,乗り物,建物,樹木などのミニチュア玩具を自由に置いて作品を作る治療法であり,イメージの表現を重視している。イギリスのローエンフェルト(Lowenfeld, V.)によって創始され,スイスのカルフ(Kalff, D.)がユングの考えを導入して発展させた。日本には1965年に河合(1969)が紹介して,わが国に伝統的な箱庭遊びの風土にマッチして急速に普及した。

[キーワード]
適応,不適応,内適応,外適応,フラストレーション,コンフリクト,防衛機制,コンプレックス,カウンセリング,心理療法
[コンプレックス]
精神分析の基本的な考え方のひとつにコンプレックスがある。国分(1982)によれば,コンプレックスは「こころのしこり」とでもいうべき行動のくせであり,その素地は誰でももっているものであるという。自分のコンプレックスに気づかないで振り回されているのが問題である。多かれ少なかれもっている自分のコンプレックスに気づいて,意識して行動すれば,健全に過ごせるのである。代表的なコンプレックスには次のようなものがある。
1) エディプス・コンプレックス ギリシャ神話のエディプス王の悲劇にちなんだ名前の通り,人は誰でも異性の親に近親相姦願望をもち,同性の親を排斥する願望をもっているという。いつまでも母親にべたついて,他の女性と愛情交流がもてない男性がこのコンプレックスに振り回されている例である。女性の場合も同様で,父に結びつき母を排斥するのである(女性の場合はエレクトラ・コンプレックスとも呼ばれる)。
2) カイン・コンプレックス 旧約聖書のカインとアベルの兄弟の話にちなんだ命名で,兄弟姉妹は親の愛情をめぐってお互いに争うものであるという。このライバル争いに敗れた子は同胞に対し,劣等感・競争心・敵対心を抱き,これに無意識的に振り回されるのである。肉親の同胞でなくても,学級や会社などの集団でも教師や上司の愛をめぐっての争いが見られる。
3) ダイアナ・コンプレックス 狩の女神ダイアナの神話にちなんだ命名である。すべての女性にある願望で,男性のようになりたいと思い,女性である自分が喜べないのである。服装やヘアスタイル,行動などを男性のようにして,勝気に振舞うのである。
4) スペクタキュラ・コンプレックス 男性が女性の身体を見たい願望をもち,女性は自分の身体を見られたい願望をもつのであるが,これを罪悪視して抑圧するので,かえってこだわるものである。行動化して下着泥棒や露出症のような問題行動になることもある。
5) 劣等コンプレックス 劣等感情は誰でも生じるものであるが,これを乗り越え損なったものである。他人と比較すると見劣りのするところはあるものだが,それに触れられると思わずむしょうに腹が立ったり,ひねくれた気もちになるのがコンプレックスの特徴である。
第12章 社会的行動
ヒトは社会的動物であるといわれている。ヒトは,人と人の間に生まれ,人との交わりのなかで育ち,社会のなかで生きていく。多くの人々とさまざまなやりとりをし,集団を作り,お互いが影響を与えながら生活している。ヒトは,ヒトとしてもっている能力を社会生活にいかしてこそ「人間」となるのである。そのような意味で,社会的行動(social behavior)は,人間の行動のうちのもっとも人間らしい側面であるといえよう。
本章では,社会的行動を,個人の内部にある社会(社会的認知),社会的行動への個人の準備状態(社会的態度),個人と個人の間の関係(社会的相互作用),集団というダイナミックスのなかにおける個人(集団過程),社会現象のなかの個人(集合現象)という5つの観点から考察していくことにしよう。
1. 社会的認知
円滑な社会生活を営むためには,周囲の他者がどのような人間であり,どのような状態にあるかを適切に理解しなければならない。幼児や精神薄弱者の交友関係がなかなか安定せず,その社会的適応が困難であるのは,他者のパーソナリティやその心理状態,また,さまざまな人間関係や因果関係についての認知能力が未発達なためである。社会的認知(social cognition)とは,そのような社会的事態に関する個人の認知過程をいう。
(1) 社会的知覚
外界の事物を知覚する際,その知覚対象のもつ社会的価値や,知覚主体の欲求などの要因によって影響されることがある。そのような知覚を,社会的知覚(social perception)という。
ブルーナーとグッドマン(Bruner & Goodman, 1947)は,5種類の硬貨とそれらと同じ大きさのボール紙の円盤を10歳児に見せ,大きさを判断させた。その結果,子どもたちは,ボール紙の円盤ではかなり正確にその大きさを判断できたが,硬貨については過大視する傾向があり,この傾向は,貨幣の価値が高くなるほど大きく,しかも貧しい家庭の児童は裕福な家庭の児童よりも大きく判断する傾向があった。
(2) 対人認知
他者の性格,能力,感情,意図,態度などを推論し判断することを対人認知(person perception)という。対人認知には,いくつかの点で事物の知覚と大きく異なっている。第1に,対人認知の場合,他者の複雑な心理的特徴やその過程を推理し判断しなければならないこと。第2に,認知の対象である他者は同時に働きかける認知主体でもあるという相互的関係があること。そして第3に,人は他者を自分と似たものと認知しがちであり,それゆえ,自己についての洞察あるいは自己認知(self-perception)のあり方が対人認知にも反映することなどである。
1) 印象の形成 われわれは,はじめて出会った他者や風評のような断片的な情報しかない他者に対しても,何らかの印象やイメージを作り上げる。このような相互作用や情報量が限定された事態での他者のパーソナリティの認知を印象形成(impression formation)という。
アッシュ(Asch, 1946)は,大学生を被験者にして,2種類の性格特性の系列を提示し,形成される印象の違いを検討した(表12-1)。2つの系列の相違はただ1語(温かい/冷たい)に過ぎないが,結果として抱かれた印象は,明確に異なっていた。このように決定的な印象の相違を作り出す特性のことをアッシュは中心的特性(central trait)と呼んだ。

2) 対人認知の歪み 対人認知の過程では,認知主体の仮定体系つまり暗黙の自己流性格理論(implicit personality theory)が重要な役割を演ずるが,それゆえに,対人認知には判断の歪みが入り込む余地がある。
主な歪みとして,①ステレオタイプ(stereotype:ある外的特徴から連想される固定観念を当てはめる。レッテル貼り),②光背効果(halo effect:よく目立つ特徴について良い〔悪い〕印象を受けると他のすべての特徴についても肯定的〔否定的〕に見る),③論理的過誤(logical error:ある人物にXという特性をみてとると,それと論理的に関係の深いYという特性をもその人がもっているに違いないと考える),④寛大効果(leniency effect:好ましい特性はよりよく評価し,好ましくない特性はそれほどひどくないと寛大に評価する),⑤仮定された類似性(assumed similarity:好意を抱いている他者のパーソナリティを実際よりも自分のパーソナリティに類似しているように認知する),などがある。
(3) 対人魅力
われわれは,他者に対して,好意や友情,尊敬や愛情といった正の感情をもったり,嫌悪や反感,軽蔑や憎しみといった負の感情を抱く。このような他者に対する感情的評価や態度を対人魅力(interpersonal attraction)という。
対人魅力を規定する条件としては,①近接性(proximity:相手との物理的な距離が近いほど好意を抱きやすい),②身体的魅力性(physical attractiveness:容姿の美しい人は,そうでない人よりも好まれやすい),③類似性(similarity:相手の態度が自分と類似しているほど対人魅力は高くなる),④自己開示(self-disclosure:自己の内密な情報の開示者は,そうでない者よりも好まれる。ただし,誰にでも内密な情報を打ち明ける人よりは,自分にだけ打ち明けてくれる人の方が好まれる),などがある。
(4) 人間関係の認知
人間関係の認知をもっとも一般的な形で定式化したものに,ハイダー(Heider, 1958)のバランス理論(coginitive balance theory 認知的均衡理論)がある。まず,認知者P,その相手である他者O,およびOと関わりのある対象X(人物,事物,観念)という3要素(P‐O‐X)が存在するとしよう。P→O,P→X,O→Xという3つの関係についてのPの認知には,好意(正)‐非好意(負)の感情的関係か,結合(正)‐分離(負)の単位関係のいずれかが想定される。3つの関係の符号の積が正のときにはPの認知構造は均衡の状態にあり,負のときには不均衡の状態にあるという。不均衡の状態のときには,いずれかの符号を変えること(行為または認知の再体制化)によって均衡状態へ向かおうとする力が働くが,変化が不可能のときには心的緊張が生じる(図12-1)。

2. 社会的態度
態度(attitude)は,社会的態度ともいい,社会的行動への準備状態を指す。行動そのものではなく,行動の背景にあって行動を左右しているものである。したがって,たとえば,選挙において有権者の各候補者への態度を事前に測定することによって投票行動を予測できるのである。
(1) 態度の3成分
ローゼンバーグとホヴランド(Rosenberg & Hovland, 1960)は,態度が感情,認知,行動傾性の3成分から構成されていると述べている(図12-2)。たとえば,心理学担当の教師に対する学生の態度は,その教師を好きと感じたり(感情),優れていると考えたり(認知),近くに寄りたいと思ったり(行動傾性)している,というような3つの主要な要素から成り立っている。

(2) 態度変容の理論
態度の変容を説明する代表的な理論は,フェスティンガー(Festinger, 1957)の認知的不協和理論(cognitive dissonance theory)である。骨子となるのは,個人のこころのなかに互いに矛盾するような2つの認知があると,不快な認知的不協和が生じ,人は,その不協和を低減するために,比較的変えやすいどちらかの認知を変えるであろう,という考えである。
不協和を低減する方法には,いくつかある。タバコを吸う人が喫煙は肺癌の原因であるという記事を読んだ場合を考えてみよう。この場合,自分がタバコを吸っているという行動に関する認知と喫煙が肺癌の原因になるという情報とは不協和である。その場合,①行動に関する認知要素を変える(タバコをやめる),②環境に関する認知要素を変える(強力なフィルターパイプを使用する,記事を否定し喫煙には少しも害はないと信じる),③新しい認知要素をつけ加える(喫煙の効用をたくさん挙げる),などの態度変容が予想される。
3. 社会的相互作用
個人と個人あるいは個人と集団との間における相互的な働きかけを社会的相互作用(social interaction)という。この節では,他者が心理的に存在し,お互いに影響しあっている状況下における個人の行動を考察する。
(1) 社会的促進と社会的手抜き
単独の場合よりも他者が存在することによって作業成績が高まることを社会的促進(social facilitation)という。社会的促進は,他者の存在によって生理的な覚醒水準が上がり心身の活動が活発になることと,他者との対抗意識や他者からよい評価を得ようとする意識などによる動機づけの高まりから生じると考えられている(ザイオンス Zajonc, 1965)。
一方,他者が存在すると単独のときよりも力を出さず,努力量が低下することがあり,これを社会的手抜き(social loafing)という。これは,集団作業では個人の努力量が評価されにくく,課題遂行への圧力が減少するためとされている(ラタネら Latané et al., 1979)。
(2) 同調と服従
社会的圧力(social pressure),つまり他者または集団からの強い働きかけによって個人の判断や意志が影響を受け,変容することがある。
集団のなかで自分の意見が他の成員の意見と異なるとき,他の成員にあわせるように意見や行動を変化させることを同調(conformity)という。アッシュ(1955)の実験では,標準刺激と同じ長さの線分を比較刺激のなかから選択する簡単な問題であったが,被験者は,多数派(サクラ)の誤った答えに同調した回答をした(図12-3)。

一方,命令への服従(obedience)によって,人がいかに残酷になりうるかを示した研究がある。ミルグラム(Milgram, 1974)の実験では,被験者たちは言語学習の教師役になり,隣室で椅子に縛りつけられた生徒(サクラ)が誤った答えをいうたびに電気ショックを与えるよう教示された。電気ショックの制御盤には,15ボルトから450ボルトまでの30個のスイッチが並んでおり,被験者は,生徒が間違いを繰り返すたびに,15ボルトずつ電圧をあげるよう命令された。電圧が300ボルトに至ると,生徒は苦しそうに体を壁にぶつけ,ぐったりして質問に答えなくなった(すべてサクラの演技)。多くの被験者はここで実験者に指示を仰いだが,実験者はショックを与え続けるよう命じた。その結果,実験に参加した40人の被験者のうち,26人が命令に服従して最高の450ボルトまで電圧を上げ続けたのである。
(3) 要請の応諾
強制や命令,懇願,集団の無言の圧力などは外的な力による態度の変容であるが,そのような外的圧力をできるだけ小さくして相手からの応諾を得る技法がある。
1) フット・イン・ザ・ドア法(the foot-in-the-door technique) 本来の目的の大きな要請を最初からもち出さずに,まず,簡単な小さな要請をして,つぎに大きな要請をすると応諾を得やすくなるというテクニックである。フリードマンとフレイザー(Freedman & Fraser, 1966)は,大要請を「家中の全家庭用品を家庭訪問して調査させてほしい」,小要請を「家庭用品についての質問に電話で答えてほしい」として,家庭の主婦を対象に電話による実験を試みた。実験の条件は,小要請実行条件(1回目は小要請を実行して,3日後の2回目に大要請を実行する),小要請同意条件(1回目は小要請の同意をとりつけるだけで2回目に小要請と大要請を実行する),なじみの条件(1回目はただ長電話し,2回目に大要請をする),事前コンタクトなし条件(事前にコンタクトをとらず,いきなり大要請をする)の4つである。結果は,小要請を実行した後に大要請を実行する条件での応諾者が最も多かった。
この結果は,認知的不協和理論によって解釈できる。すなわち,大要請をうけたとき,実行条件の被験者は,すでに小要請に応じたという認知と大要請を拒絶したい気持ちとが矛盾し認知的不協和が生じる。過去の事実は変えられないので,不協和を解消するためには,大要請へのネガティブな気持ちを変えるしかない。したがって,大要請に対して好意的な方向に態度変容が起こり応諾率が高くなったのである。
2) ドア・イン・ザ・フェイス法(the door-in-the-face technique) 拒否されるのが当然なような大きな要請を最初にして,次いで,より小さい第2の要請をすると応諾が得やすくなるというテクニックである。シアルディニら(Cialdini et al., 1975)は,大要請を「最低2年間,非行少年の相談役としてカウンセリングをやってほしい」,小要請を「非行少年の団体のつきそいで午後2時間ほど動物園へ連れていってほしい」として大学生を対象に実験を行った。要請の仕方は,拒否―小要請条件(大要請を拒否された時点で小要請をする),小さい要請のみの条件,あからさま条件(大要請と小要請とを最初からあからさまに述べ,どちらかをしてくれるように要請する)の3条件であった。結果は,拒否―小要請条件での小要請応諾がもっとも多かった。
この技法は,相互的譲歩(reciprocal concession)の仮定から説明できる。相手からの大要請を拒絶すると,そこに罪悪感が生じると同時に,相手の譲歩に対して相応した譲歩をしなければならないという義務感が生じる。このため,次に小要請があれば応じやすくなるのである。
(4) コミュニケーション
社会的相互作用は相互に意図や意志を伝えあい理解しあうことによって成立する。そのような個人ないし集合体の間における情報の伝達と処理の過程をコミュニケーション(communication)という。
1) コミュニケーションの基本要素とモデル 言葉や表情などによるコミュニケーションは,4つの要素,すなわち,①送り手(伝達する内容を記号化し,発信する人),②メッセージ(伝達される内容),③チャンネル(メッセージが送られる回路),④受け手(メッセージを受け取り記号を解読する人)から成り立っている。
竹内(1975)は,このようなコミュニケーション過程におけるメッセージ交換の相互性とフィードバック機能を考慮したモデルを提唱している(図12-4)。

2) ノンバーバル・コミュニケーション 言葉によらない情報の伝達(nonverbal communication)は,情緒や態度の伝達に関して大きな役割を果たしている。ノンバーバル・コミュニケーションには,次のようなものがある(ナップ Knapp, 1972)。①動作行動(しぐさ,ジェスチャー,顔の表情,まばたき・視線などの目の動き,姿勢など),②身体特徴(身長,体重,体格や体型,体臭や口臭,皮膚の色,髪の形など),③接触行動(なでる,打つ,握手,抱く,押す,ひっぱるなど),④準言語(声量,ピッチ,スピード,声の質,明瞭性,発音,持続性,笑い・あくびなどの音声,口ごもりなど),⑤空間行動(対人距離,座席位置,なわばり行動など),⑥人工品(服装,香水,メガネ,化粧,靴,腕時計などの装飾品),⑦環境要因(音楽,建築様式,インテリヤ,照明,におい,色,温度など)。
ホール(Hall, 1966)は,空間行動(プロクセミックス proxemics)に注目し,空間の利用の仕方には文化的な差があること,対人距離には4つの領域,すなわち,親密距離(45cm以内:相手の匂いや体温が感じられる距離),個体距離(45~120㎝:インフォーマルな会話の距離),社会距離(120~360㎝:フォーマルな会談や落ち着いて仕事をしたい場合に必要な距離),公衆距離(360㎝以上:講演など公的な機会に利用される距離)があることを指摘した。
4. 集団過程
所属する成員が共通の目標をもち,互いに助けあったり話しあうなどの積極的な相互作用がなされ,心理的につながりのある人の集まりを集団(group)という。本節では,集団のなかではたらくさまざまな心理学的な力について考えてみよう。
(1) 集団の機能
集団には目標達成機能と集団維持機能とがある。前者は,たとえば,テニス部員たちが地区予選突破を目指して練習計画を立て,部員一丸になって日々練習に励むというような,成員たちに共通の目標に向けた活動を促すような作用である。後者は,部員たちが練習の合い間に談笑したり,コンパで親睦を深めたりするような,成員間の人間関係の親密化を促す作用である。その集団の目標の違いやリーダーシップのあり方によって両機能の優位性はことなるが,集団が成立し維持されるためには両機能の作用は不可欠である。
集団は,その成員が誰であるか,成員でないのは誰かという限界が明確である。成員性(membership)をより明確にするために,制服やバッチをつけたり,特有の言葉や動作を用いたりすることもある。個人がその成員性を強く意識し,われわれ感情(we-feeling)をもったり,自己の行動や価値判断のよりどころとする集団を準拠集団(reference group)という。
集団には,成員を1つにまとめ集団にとどまるよう作用する心理的な力がある。これを集団凝集性(group cohesiveness)という。一般に,集団凝集性が高いほど,活動が活発になり,集団内の人間関係も良好で,集団の目標達成も容易になる。成員間の情緒的選択性に注目して,集団凝集性や集団構造を測定する方法にはソシオメトリック・テスト(sociometric test)がある。
(2) リーダーシップ
集団のなかの特定の人物(leader)がその集団の成員(follower)に対して集団目標の達成に役立つ方向で心理的な力をおよぼす影響過程をリーダーシップ(leadership)という。
リーダーシップには,集団目標を設定し,計画を立案し,成員間の行為を調整・統合し,目標達成のための効果的遂行を実行し,個々の成員に配慮をもって接し,成員に満足感を与え,成員の志気を高める,といった行為が含まれる。機能的側面からリーダーシップを類型にわけ,実験的にそれらの型の効果性を比較したのは,レヴィンら(Lewin et al., 1939)であった。彼らは,リーダーシップのタイプとして,活動方針の決定をほとんど自ら行い,成員たちに一方的に指示する「専制型」,集団討議や集団決定を重んじ,成員を援助激励する「民主型」,そして,成員の自由に任せ,仕事の進行に積極的に関与しない「放任型」を分類した。小学生を対象にした工作遊びの場面の実験によると,専制型の指導の下では,作業の成績は悪くなかったものの,成員相互が攻撃的になったり,強い不満が示されたりした。それに対して,民主型では,成員間の交友関係が高まり,作業への動機づけや創造性の点でも優れていた。一方,放任型の場合では,モラール(士気,morale)が低く,作業の質も量も劣っていた。このようなリーダーと成員との相互作用によって醸し出される集団の雰囲気は,社会的風土(social climate)と呼ばれている。
三隅(1984)は,リーダーシップを目標達成機能と集団維持機能の2つの次元から解析することを提唱している。目標を明確にする,業績向上のために成員に圧力をかける,仕事の方法を教える,作業の準備をするなどの行動が目標達成機能であり,P機能と略称される。また,集団内の人間関係の緊張を解消する,成員一人ひとりの感情に配慮するなどの行動は集団維持機能であり,M機能という。この2つの集団機能を組み合わせて,4つのリーダーシップ行動のパターンが区別される(図12‐5)。三隅は,部下の評定によってリーダーの両機能を測定する測度を開発し,4つのリーダー行動類型の効果性について多くの実証的研究を行っている。それらによると,リーダーがPM型のとき集団の生産性と部下の満足度が最も高く,pm型のとき生産性と部下の満足度が最も低い。

(3) 集団討議
集団の成員の性格,生活経験,思考様式などはお互いに異なるので,あるテーマについて意見交換すると,成員間の思考過程が相互作用し活性化する。
1) ブレイン・ストーミング(brain storming) オズボーン(Osborn, A. F.)によって考案された集団思考法で,批判を禁ず,自由奔放に,便乗歓迎,量を多く,の4原則に基づき,6人ぐらいの集団で発想する技法である。他の成員の発言によってお互いに触発され,アイディアが次々と湧き出て,ひとりのときには思いもつかないような創造性が発揮される。
2) モラル・ディスカッション(moral discussion) 道徳判断の認知発達理論(コールバーグ Kohlberg, 1980)によれば,道徳性の発達を促す経験要因は認知的葛藤と役割取得の経験である。モラル・ディスカッションのように,具体的事例についての善悪判断とその理由について,観点の違った成員との意見交換や道徳性の発達段階で上位の者の意見に接する体験は,討議に参加する成員の脱中心化と道徳判断の発達を促すと期待されている。
5. 集合現象
人は,通例,それぞれの置かれた状況に応じ,各自の自発的で理性的な判断と意志に基づいて行動している。しかし,特定の条件,たとえば不特定多数の人々が集まっている状況のもとでは,個々人の行動が各自の意図とは直接関係なしに影響しあい,広範囲に波及して,それ自体まとまりのある社会現象を生み出すことがある。特定の個人,特定の集団の枠を越える不特定多数の人々の集合を基盤として生み出される現象を集合現象(collective phenomenon)という。
(1) 群集行動
人の集合には,比較的一時的で未組織なものがある。不特定かつ多数の人間が特定の場所に共通の動因に駆られて集合しているとき,これを群集(crowd)と呼ぶ。
1) 群集の分類 ブラウン(Brown, 1954)は,群集を,能動的な群集である乱衆(モッブ mob)と受動的な群集である聴衆(audience)とに区別した。さらに,乱衆を,リンチや暴動などの攻撃的乱衆,災害時のパニックのように感情的・非合理的で遠心的な逃避的乱衆,食料買いだめ騒ぎのように感情的・非合理的かつ求心的な取得的乱衆,ドンチャン騒ぎなどのような自己完結的な表出的乱衆とに分けている。
2) 群集行動の特性 群集の示す行動特性として,非合理性,感情性,匿名性,無責任性,被暗示性があげられる。共通の強い動因に駆られて多数の人々が集合する状態では,相互の直接的で感覚的なコミュニケーションを通じて情報や感動が速やかに伝えられ,その結果として動因そのものが増幅され,行動が過激化する。またそれによって群集の著しい同質化が生じ,多数が密集状態にあるゆえの物理的な匿名性に加えて,強い同一視・同質化による没個性化が進むのである。
3) 群集行動の諸説 群集行動のメカニズムについては,3つの仮説がある。第1は感染説で,観念や情緒や意欲が無意識のうちに個人から個人へ急速に伝わっていくとする。第2は合流説で,群集は始めから同一の傾向や同一の動因をもつものが集合し,集合すればするほど強い誘因力を発揮し,群集を作り出していくとする。第3は規範説で,集団のメカニズムが群集にも基本的にはあてはまるものと考える。人々の考え方や感じ方あるいは欲求は,その個人が所属し,あるいは準拠している集団の基準によって規定されるが,群集の場合も,一定の場所に密集した多数がいることによって,判断や認知,感情,欲求の規範が急速に形成され,それに人々が同調するとする。
(2) 流言
ある社会または集団のなかで,情報内容の真偽の検証がなされないまま,人から人へと連鎖的に情報が拡延していく社会的コミュニケーションを流言(rumor)という。関東大震災のときの朝鮮人虐殺の原因となった民族差別的流言やオイルショックのときの物不足流言のように,戦争や天変地異,経済恐慌のときなどに発生する大規模なものだけが流言ではない。「太郎さんと花子さんがあやしいらしい」「営業の中村君が関東に転勤になるそうだ」といった,たわいもない噂話の形をとるのが普通である。そのような意味で流言は,人間の社会的コミュニケーションのなかでも,もっとも身近なもののひとつである。
流言が発生し,広範囲に拡がるかどうかは,流言を生み,受け入れ,伝える個体側の条件と,そのような動機が解発され促進されやすい集団的・社会的条件とにかかっている(木下,1977)。
個人レベルの要因としては,①主題への興味・関心が強い,②認知的あいまいさがある,③不安感情などの感情・欲求が強い,④被暗示性,回帰性,活動性,攻撃性が強い,⑤批判能力が弱い,などがある。
社会環境レベルでは,①流言集団が存在する,②試験,選挙,経済恐慌,戦争,天変地異などによる社会的な緊張が高まっている事態,③通信施設の破壊や交通の途絶,人為際な言論統制などによる情報の不足した状況,などである。これらの条件が重なる戦争中は流言の発生が多い。
(3) 流行
流行は,現代文明社会の特徴的な社会現象である。流行(fashion)とは,一時的に人々の間にみられる一定の類似した社会的行動様式を指している。流行現象は,単なる知識や習慣の伝播や模倣とは違い,①新奇性,②効用性とは無関係,③短命性,④さ末性(表層性),⑤機能的選択肢の存在,⑥周期性,などの特徴がある(鈴木,1977)。
流行を採用する個人的動機には,①自己の価値を高く見せようという動機,②集団や社会に適応しようという動機,③新奇なものを求める動機,④個性化と自己実現の動機,⑤自我防衛の動機,などがあげられる。
流行現象の生成・発展を促進する主な社会的要因としては,①階級間の移動が可能な開かれた階級社会であること,②新製品の大量生産と大量販売,マスコミ利用による迅速な情報伝播が可能な,技術や産業が高度に発達した社会であること,などがある。
[キーワード]
社会的認知,社会的知覚,対人認知,自己認知,印象形成,中心的特性,暗黙の自己流性格理論,ステレオタイプ,光背効果,対人魅力,自己開示,バランス理論,態度,認知的不協和理論,社会的促進,社会的手抜き,同調,フット・イン・ザ・ドア,ドア・イン・ザ・フェイス,コミュニケーション,ノンバーバル・コミュニケーション,準拠集団,集団凝集性,リーダーシップ,ブレイン・ストーミング,モラル・ディスカッション,集合現象,群集行動,流言,流行

補章 脳とこころ
(1) こころと神経生理学
こころは身体とはほぼ独立だという説と密接な関係にあるという説の両説があり,ギリシャ時代から今日に至るまで検討されてきた。ここでの立場は当然後者であるが,今日でも独立だとみなしている人も少なくない。独立説のひとつに,死後にはこころは肉体を離れ霊として存在するというものがある。
密接な関係を主張する説はアリストテレス(384―322 B.C.)によって説かれた。彼はこころとは身体(たとえば眼)の機能(みる働き)と考えた。彼は解剖して体の構造を比較研究し,すでに進化論的見解をもっていた。医学の権威ガレン(2 B.C.)の教科書には,神経に感覚神経と運動神経の2種類があることが明記されている。しかし後にキリスト教が入ってくると,不死の霊魂を認めないこの考えは危険思想となり,解剖は死者の復活を妨げるとして禁じられた。
ルネッサンスに入ってキリスト教の統制力がゆるんでくると,禁を破って解剖に携わる人たちがでてきた。レオナルド・ダ・ヴィンチやデカルトも解剖を行った。デカルトによると,神経は管で中に動物霊気(血液中に含まれる物質)が詰まっており,その運動(たとえば温まると軽くなって上昇する)により反射が起きる。人間には動物霊気に加えて魂がある。魂は物ではなく因果法則に従わない。身体の死に際して動物霊気は死ぬが魂は身体を離れる。
18世紀のラ・メトリ(1709―1751)は,こころは脳や神経の作用の結果であり,不滅ではない,と述べた。ガルバニ(1770)は神経伝導が電気的になされることを発見した。19世紀に入って,ベル(1811)とマージャンディ(1821)が運動神経と感覚神経を発見し,解剖学はようやくギリシャ時代の水準に追いついた。
20世紀にはいると個々の神経細胞の反応を記録することができるようになった。アドリアン(1926-29)によれば感覚の強度の増加は,①発火する神経の数の増加,②同一神経の発火頻度の増加,の双方によってもたらされる。
神経についての知見は時代と共に豊かになったが,神経のこころに対する関係については,今日でもアリストテレスの見解(こころは身体の機能である)を採用することが多い。
(2) 脳と神経系
1) 脳の発生 神経細胞は海綿動物や腔腸動物からみられ,多くの細胞が網状になって感覚細胞と運動細胞の間を仲介する役割を果たしている。脊椎動物では授精卵が細胞分裂を繰り返して胚体になったとき,背面が正中線に沿ってくぼんで神経管になる。この上方部が太くなって脳管になり,残りは脊髄になる。脳管が発達して前脳(終脳と間脳),中脳,小脳,延髄になる。終脳はとくに人間で著しく発達して大脳と松果体に,間脳は視床,脳下垂体などになる(図補‐1)。
ヒトの脳と動物の脳では大きさ,重さや形も非常に違っているが,これらの基本的構成は同じである。ただ,人間では直立姿勢をとるために脳管が間脳のところで折れ曲がった形になり,そのために各部分の位置関係が複雑にみえる(図補‐2)。
2) 脳の構造 脳は大脳新皮質系,大脳辺縁系(大脳の旧・古皮質),脳幹(間脳,中脳,延髄などを合わせた部分),小脳の4つの部分に分けられる(図補‐3)。新皮質系はもっとも高等な精神活動をつかさどる部分で,うまく生きること(環境への適応,意識的行動)ないし,よく生きること(思考し創造する)に関わる。辺縁系は本能的,情動的行動をつかさどり,たくましく生きることに関係する。脳幹は姿勢保持,自律神経系のコントロール,ホルモンの調節などをつかさどり,脊髄系は歩行反射などの反射系に関係する。小脳は運動や姿勢の調節をつかさどり,自転車乗りや水泳など体で覚える運動に関係している(図補‐3)。

大脳は脳管の終脳部分から発達してきた平均の厚さ2.5㎜程度の皮であり(皮質という),中は空洞になっている(脳室という)。多くのしわがあり,表面積は約2,000㎝2,約140億の細胞から成り立っている。この皮質は系統発生的に古皮質,旧皮質,新皮質の3種に分類される。古皮質はヘビでは大脳表面にでているが,ヒトでは大脳内部に押し込められている(図補‐4)。人間も胎児時代には古皮質が大脳表面に出ている時期がある。個体発生的に,また系統発生的に新皮質の発達が著しくなるにつれ,このように変化していく。古皮質と旧皮質とをあわせて辺縁皮質とよぶ。脳管,古・旧皮質の部分はあまり違わないのに,人間では新皮質の部分が極端に発達している(図補‐5)。

(3) 感覚の受容
1) 神経細胞(ニューロン) ①細胞体(ソマともいう,細胞核を含む),②軸索(神経繊維ともいう,ある神経細胞から別の神経細胞に情報を運ぶ),③シナプス(神経細胞が通信しあっている細胞表面の特定部位,ここでなされる通信をシナプス伝達という),の3つの部分からなる。シナプスは細胞体自身か,その延長部分の樹状突起にある。1本の軸索から多数の枝が出ていることも,2,3の枝しか出ていないこともある。1つの細胞体に2,3の細胞だけからの入力しかないことも,また何千もの細胞からの入力があることもある。送り手の神経細胞が発火する(インパルスが生じるともいい,軸索の膜の内側の電位が-60mVぐらいから+40mVぐらいまで急激に変化することを指す)と化学物質が分泌され,細胞間のギャップを越えて受け手の神経細胞の受容表面に運搬される。さて,この物質が取り込まれると細胞体の電位に変化が起こり,発火する。この発火は軸索,シナプス結合を介してまた次の細胞へと伝えられていく(図補‐6,補‐7)。
ある細胞は通常は多数の細胞からの発火をシナプス結合を通して受けて発火する。このシナプスには,他の細胞の発火を受けて当該細胞の発火が増加する興奮性のものと減少する抑制性のものとがある。この細胞が発火するかどうかは2種類の入力のバランスによって決まる。いったん発火してしまうと,次に発火できるまで最低1/1,000秒間は待たねばならない。したがって1秒間に最大1,000回発火可能だが,実際に観察されるのは300~500回程度である。
2) 神経応答の記録 神経の発火を記録するためには神経に微小電極を装着し,アンプで増幅する。神経発火は通常はオシロスコープ画面上でスパイクとして描かれる。軸索は細く,典型的なものは3~5μ(1μ=1/1,000㎜)である。個々の発火をとらえるには電子顕微鏡を用いてマイクロ電極(先端部は直径0.1~1.0μ程度)を単一神経細胞のシナプス部位に取りつける。これに対して神経群の発火をとらえるにはマクロ電極を用いる。基礎研究では軸作が比較的大きくて観察しやすいという理由から,カブトガニの眼が多く用いられてきた。
3) 神経回路 神経回路は受容器と神経細胞からなる。受容器は光,音,接触などの外部信号に反応して神経信号を出力し,これが神経細胞に対する入力となる。受容器の例は網膜の桿体や錘体である。神経細胞への入力には興奮性のものと抑制性のものがある。興奮と抑制の関係をカブトガニの眼で示された側抑制現象で説明しよう(図補‐8a)。まず受容器細胞Aだけを照明するとその出力を受けた神経細胞が頻繁に発火する。次にその近辺の受容器細胞Bにも光をあてる。すると前述の神経細胞の発火頻度が低下する。つまり,ある細胞の活動はその近辺の活動により抑制される。

側抑制のメカニズムは図形の輪郭を抽出する回路となっている。カブトガニの眼に半分は明るく半分は暗い長方形パターンを投射して,各神経細胞からの発火頻度を調べてみると境界付近で変化が極端になっており,輪郭線が強調されている(図補‐8b:マスクなし条件)。しかしテストをする神経細胞に直接に連絡している受容器細胞を1個だけ残してのこりをマスクして光を遮断した場合には,このような強調効果は示されない(図補‐8b:マスクあり条件)。
4) 受容野 カブトガニの眼では,ある細胞が興奮すると隣の細胞の興奮は抑制されるだけであったが,哺乳類になると促進させる場合も出てきて複雑である。受容野はここではしばしば同心円型をしている。受容野の中心部に光をあてた場合には発火が促進されるが,周辺に光をあてた場合にはかえって抑制される場合,これをon-cen-ter,off-surround型の受容野という(図補‐9)。その逆を示す場合もあり,off-center,on-surround型の受容野という。

5) 眼から脳へ:LGN 網膜から出た信号は視神経の軸索に沿って,視神経交差を経由して視床にある外側膝状核(LGN)に進む。LGNは6層からなり,各層には一方の眼からだけの情報が伝えられる(図補‐10)。

6) 視覚野 LGNを出た後は後頭葉の視覚野(第1次視覚野,ブロードマンの17野ともいう)に伝えられる。ここも層が5つあり,LGNからの出力はその第4,第5層に入る。第4層の細胞は単純細胞と呼ばれる。興奮野(刺激onに対して興奮)と抑制野(刺激onに対して抑制)の組み合わせで,エッジ,スリット,線分などの特徴抽出器がつくられるが,これらは網膜の特定部位で起きたときだけ応答できる。第5層の細胞は複雑細胞と呼ばれる。ここでもエッジ,スリット,線分などの検出が行われるが,今度は位置に関わらず応答できる。他に超複雑細胞が存在する。これは大きさやある方向の運動,そして角度(特に直角)に対して反応するらしい。ごく最近になってこの説明に修正が加えられた。複雑細胞は単純細胞でなくLGNに結びついているらしい。
網膜細胞の反応時間の測定から,X,Y,Wの3種の細胞が見つかった。X型は小さい細胞と接触し,信号を遅く20m/sec程度の速度で伝える。多くは網膜中心部の小さな中心―周辺型細胞である。すばやい変化には対応できないが,受容野が小さいから正確な定位ができる(刺激の場所を指定できる)。定常状態の事象,たとえば照度などを検出するのだろう。Y型は大きな細胞と接触し,信号を速く40m/sec程度で伝える。変化には対応できるが,受容野が大きいので正確な定位はできない。多くは網膜周辺部に位置する。最後にW型は非常に小さな細胞と接触し,信号を非常に遅く10m/sec程度で伝える。
7) コンピュータによるパターン認知シミュレーション 線分の方向,角度,光のコントラストといった特徴を組み合わせて対象の文字AからZまでを決定したい。コンピュータ実験からアルファベットの識別に重要な特徴は垂直成分,水平成分,斜め成分,直角成分,鋭角成分,連続曲線,不連続曲線の7つであるとわかったとする。もし複雑細胞にこれらの特徴に応答する細胞があり,また超複雑細胞にそれらの組み合わせに応答する細胞があると仮定できれば,脳での文字認識もあるいは類似の方式でなされているのかもしれない。
8) 空間周波数分析 パターン全体にわたる大ざっぱな特徴について述べるときには空間周波数の用語で記述するのがよい。ロブソン(1975)は,ネコの眼にはおよそ0.07,0.2,0.5cycle/degの刺激に対応する3種の細胞があると述べている。たとえば細かいパターンを見つめ続けていて0.07c/dの細胞が疲労してしまうと,大ざっぱな特徴しかわからなくなる。
9) 視覚野以降 視覚野で簡単な解析が行われた後,側頭葉の方に進むものと頭頂葉(頭の天辺部分)に進むものに分かれる。側頭葉系では意味の解析がさらに進められる。たとえば色については19野(側頭葉よりの領域)で解析される。ここでは細胞は自分の受けもち分野の刺激(トリガー信号)がくるときだけ反応する。ある細胞は「サルの手検出器」であることがわかった(グロスら,1973),などがその例である。頭頂葉では空間的な位置関係や距離に関する解析がなされる。頭頂葉に部分的な障害を受けた場合,形はわかるが位置関係がわからなくなったりする。
(4) 記憶と神経生理
1) 記憶の神経回路 1つの細胞体には何千というシナプス結合がある。信号がシナプス結合に達したとき,次の細胞に発火させる興奮性結合とそれを抑える抑制性結合の2種類がある。
2) 短期記憶 たとえば興奮性シナプスであっても,あまり頻繁に刺激していると次第に馴れてきて反応しにくくなることがある。これを単一細胞レベルでの短期記憶と考えてはどうだろうか。
3) 長期記憶 蛋白質の合成を抑制する薬を投与すると長期記憶が妨害されることが知られている。長期記憶は神経の蛋白質成分が変化して応答特性が変化してしまうことからもたらされる,という説がある。
4) 電気けいれんショック(ECS) ネズミを狭い台座の上に置く。ネズミが台座から下に降りると,格子になった床から軽い電気ショックが与えられる。これを知ってネズミは次からは下に降りなくなる。ところが別のネズミで,最初に下に降りたときに脚から電気ショックを与え,しばらく後に脳に強い電気ショックを与えると次も台座から降りるので,脚からくる電気ショックの記憶が脳への電気ショックで破壊されたことになる。
5) 人間での健忘症 落下,衝突などによる脳への強い衝撃によって人間もその事故以前のことを忘れてしまうようである。しかしずっと昔のことは忘れていない。時間がたって記憶が回復するときも古い記憶から先によみがえってくる。だから,記憶は事故があったときも本当は消えていないで,ただ何かで覆われているだけのようにみえる。事故直前の数分間は決して思い出されないようである。多分この数分間のことはまだ短期記憶にあって長期記憶に移っていなかったのかもしれない。もしそうなら,数分以上経過したことは自動的に長期記憶に入るのだろうし,移すにはいささか積極的に努力もしなくてはならないかもしれない。とにかく,他の言語機能などに関わりなく記憶だけが破壊されることがあるのだから,脳には記憶だけに関わる部位があるはずである。
(5) 大脳の機能局在
1) 大脳等局在説 ラシュレー(1950)は,記憶の神経学的痕跡であるエングラムを30年間も求め続けた。動物を訓練してある課題を習得させ,次にその記憶が局在していると思われる脳の部分を切除する。傷の回復を待って再び同じ課題を提示する。切除した脳の部分がこの課題に解答を記憶する痕跡部分であれば,この動物にはこの課題はもはやできないはずである。彼は脳のさまざまな部分を切除してみたが決定的効果が示されず,エングラムは見つからなかった。ただ切除した量が大きいと再学習が困難になった。そこで彼は大脳等脳説(大脳はどこも能力は等しく,ただ切除量に比例して全体の能率が悪くなる)をたてた。エングラムの見つからなかった理由のひとつに代理機能の問題がある。通常字は右手で書くが,右手を切除されれば左手で書くだろうし,さらには口で書くだろう。能率は落ちても決定的にできなくなるわけではない。大脳でも同様で,右半球の一部が切除されれば左半球の対応部位で代理し,さらにはその他で代理する。だから大脳のどこを破壊しても決定的にできなくなる機能はなかなか見出しにくい。これまで述べた大脳の各部分の機能も一応はそうも言える,という程度のものである。

2) 大脳皮質の機能分布 脳血栓(脳の動脈がつまり,そこから先に血液が行かなくなるので,脳のその部分が死ぬ)などの脳損傷によって引き起こされる障害を調べたり,またペンフィールド(1959)が行ったように,脳手術の際に意識のある患者の脳のいろいろな部位に電極でさわって患者の反応を調べたりして,大脳皮質の機能分布の様子が少しずつ解明されてきた(図補‐11~13参照)。
体制感覚野と運動野 両耳をつなぐように大脳の上を横切って体制感覚野と運動野がある。この領域の各部分は身体の特定領域と結びついている。たとえば体制感覚野の天辺を電極で刺激してやると膝をさわられたように感じ,運動野の天辺を刺激すると脚が動く。
左右半球の対称的機能 右半球は身体の左半分,左半球は身体の右半分と対応している。したがって,たとえば右手の筋肉は左半球の運動野にコントロールされる。耳の場合は両側の聴覚野と対応するが,反対側への連絡の方が優勢である。眼はやや複雑であるが,視野の右半分は左半球で,左半分は右半球で受けもたれる。
記憶の座 ミルナーは,てんかんの治療のために両半球の側頭葉の内側に位置する海馬とその周辺部位を摘出(1953)した患者を25年以上にもわたって観察した。患者が手術以前に獲得した技術や知識はほぼ完全に残っており,以前通りに行ってよいことには正常に対応した。しかし新しい知識は注意している間だけ記銘でき,注意が少しでも外にそれると忘れてしまうし,覚えておくという仕事自体すら忘れてしまった。海馬は記憶の開始に関係しているらしい。しかしここでの記憶は数週間で消えてしまうらしい。それ以上長期にわたる記憶は海馬から新皮質に送られたものであるという説がある。ただしここに貯蔵されるのは知識の記憶であり,楽器の演奏や水泳など技能の記憶についての記憶は大脳基底核と小脳でつくられて新皮質運動野の近くに貯蔵されるので,別に考えなくてはならないらしい。
左右半球の非対称的機能
ブローカの領野(左半球だけ) まだ1860年代にフランスのブローカは,左半球の大脳のこの領野が損傷を受けると失語症を起こしてしゃべれなくなる,と指摘した。右脳のこの領野が損傷しても言語機能は損なわれない。ブローカ失語症の患者はしゃべるのが遅くなるだけでなく口をきくのが困難になり,文法も損なわれるが,その言葉は意味をなし,理解可能のことも多い。また,歌は苦労なしに歌えることが多い。
ウェルニッケの領野(左半球だけ) 1874年,ドイツのウェルニッケは左半球の聴覚野の近くにもう1つのタイプの失語症をみつけた。発話は一応文章の体はなすが,用いられている言葉は不適切である(図補‐13)。
ただし右半球にも多少の言語能力はあり,言語機能は左半球だけに備わっているとはいえない。
左右半球の損傷と感情 左半球の損傷については,患者は自分に現れた機能障害について動揺し,喪失感を味わう。ところが右半球の損傷については患者は無関心であることが多い。左半球の損傷で言葉を理解できなくなっても患者はその言葉にどのような感情が込められていたかを理解できるが,右半球に損傷があると言葉は理解できても,それに怒りを込められていたのか冗談なのか判別できないことが多い。
利き手 利き手は半球優位性の現れとされている。利き手は動物にも見られる現象である。ところで人間の場合には左利きは全体の9%しかいないが,サルの場合にはほぼ50%になる。右利きへのこのような片寄りはヒトの脳に特殊に現れている現象である。
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矢田部達郎(監) 1962 心理学初歩 培風館
第6章
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スキナー 玉城政光(監訳) 1976 行動工学の基礎理論 佑学社(Skinner, B. F. 1969 Contingencies of reinforcement : A theoretical analysis. Prentice Hall.)
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山形恭子 1989 7場 学習 伊吹山太郎(監修) 心理学へのいざない ナカニシヤ出版
矢田部達郎(監修) 1962 心理学初歩 培風館
第7章
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第8章
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Eysenck, M. W., & Keane, M. T. 1990 Cognitive psychology : A student's handbook. Lawrence Erlbaum Associates.
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第9章
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ガーディナー他 矢田部達郎・秋重義治(訳) 1964 感情心理学史 理想社
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ハーロウ/ハーロウ 古浦一郎(訳) 1972 サルの環境への適応 別冊サイエンス 不安の分析 日本経済新聞社
ハーロウ 浜田寿美男(訳) 1978 愛のなりたち ミネルヴァ書房
ヘス 平井富雄他(訳) 1965 心理学の生物学的基礎 文光堂
樋口正元(編) 1974 情動のしくみと心身症 医歯薬出版
池見酉次郎 1975 セルフコントロールの医療への応用 サイエンス6 日本経済新聞社
今村護郎 1978 行動と脳 東京大学出版会
稲岡文昭 1991 高度ストレト社会の不安 宮本忠雄他(監修) こころの科学40 日本評論社
伊藤 薫 1975 脳と神経の生物学 培風館
金子武蔵(編) 1975 感情 理想社
桂 広介・園原太郎・波多野完治・山下俊郎・依田 新(監修) 1969 情緒・欲求・動機 児童心理学講座6 金子書房
レビン 川島誠一郎(訳) 1981 ストレスと行動 伊藤真次(編)別冊サイエンス 特集・生体情報学 ホルモン 日本経済新聞社
マクギーガン 三谷恵一・森 昭胤(訳) 1988 リラックスの科学 講談社
マグーン 時実利彦(訳) 1960 脳のはたらき 朝倉書店
メゾンヌーヴ 山田悠紀男(訳) 1955 感情 白水社
松原秀樹 1989 ストレスと心身症 本明 寛・大村政男(編) 応用心理学講座10 現代の心理臨床 福村出版
松原秀樹 1986 情動コントロール法 内山喜久雄(編) セルフコントロール 日本文化科学社学社
松山義則・浜 治世 1974 感情と情動 感情心理学1 誠信書房
本川弘一 1964 大脳生理学 中山書店
中尾弘之 1977 稲永・大熊(編) 情動と本能 現代精神医学体系20A 神経生理学1 中山書店
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サルトル 竹内芳郎(訳) 情緒論素描 サルトル全集 哲学論文集 人文書院
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セリグマン 平井 久・木村 駿(監訳) 1985 うつ病の行動学―学習性絶望感とは何か 誠信書房
島崎敏樹 1952 感情の世界 岩波書店
ティンバーゲン 永野為武(訳) 1975 本能の研究 三共出版
上島国利 1991 不安のバイオロジー 宮本忠雄他(監修)こころの科学40 日本評論社
ワイス 今村護郎(訳) 1972 心理的ストレスと病気 サイエンス2 No.8 日本経済新聞社
八木 冕(編) 1968 心理学Ⅱ 培風館
吉田正昭・祐宗省三 1976 動機づけ・情緒 心理学3 有斐閣
第10章
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林 保他 1968 達成動機の研究―課題の誘因性の変化について 第32回日本心理学会発表論文集,77
Harlow, H. F. 1958 The nature of love. American Psychologist, 13, 673-684.
ハル 河合伊六(訳) 1980 行動の基本 ナカニシヤ出版(Hull, C. L. 1951 Essentical of behavior. New Haven : Yale University Press.)
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前田嘉明(編) 1969 講座心理学5 動機と情緒 東京大学出版会
松山義則 1967 モチベーションの心理 誠信書房
マズロー 上田吉一(訳) 1962 完全なる人間 誠信書房(Maslow, A. H. 1954 Toward a psychology of being. New York : Van Nostrand.)
マズロー 小口忠彦(監修) 1971 人間性の心理学 産業能率短期大学出版部(Maslow, A. H. 1954 Motivation and personality. New York : Harper and Row.)
マレー 外林大作他(訳) 1961 パーソナリティ1,2 誠信書房(Murray, H. A. 1938 Explorations in personality. Oxford University Press.)
宮本美沙子(編) 1991 情緒と動機の発達 新児童心理学講座7 金子書房
サイエンティフィック アメリカン(編) 太田次郎(監修) 子ザルの愛情―動物の行動をさぐる 日本経済新聞社
Schachter, S. 1959 The psychology of affiliation. Stanford University Press.
Yerkes, R. M., & Dodson, J. D. 1908 The relation of strength of stimulus to rapidity of habit-formation. Journal of Comparative Neurological Psychology, 18, 459-482.
吉田正昭・祐宗省三(編) 1976 心理学3 動機づけ・情緒 有斐閣
第11章
河合隼雄 1967 ユング心理学入門 培風舘
河合隼雄 1969 箱庭療法入門 誠信書房
国分康孝 1980 カウンセリングの理論 誠信書房
国分康孝 1982 カウンセリングと精神分析 誠信書房
レヴィン 相良守次・小川 隆(訳) 1957 パーソナリティの力学説 岩波書店(Lewin, K. 1935 A dynamic theory of personality. Selected papers.)
内山喜久雄・高野清純・田畑 治 1984 カウンセリング 講座サイコセラピー1 日本文化科学社
ロージャズ 佐治守夫(編) 友田不二男(訳) 1966 カウンセリング ロージァズ全集2 岩崎学術出版社(Rogers, C. R. 1942 Counseling and Psychotherapy. Houghton Mifflin.)
ロージャズ 伊東 博(編訳) 1967 パースナリティ理論 ロージァズ全集8 岩崎学術出版社(Rogers, C. R. 1951 Client-centered therapy. Houghton Mifflin.)
ロビンソン 伊東 博(訳) 1957 カウンセリングの原理と方法 誠信書房(Robinson, F. P. 1950 Principles and procedures in student counseling. Harper & Brothers.)
杉田峰康 1985 交流分析 講座サイコセラピー8 日本文化科学社
辰巳敏夫 1974 内山喜久雄(監修) 欲求不満 児童臨床心理学事典 岩崎学術出版社
Thorne, F. C. 1944 A critique of nondirective methods of psychotherapy. Journal of Abnormal and Social Psychology, 39, 459-470.
ソーン 伊東 博(編訳) 1965 カウンセリングの方法 誠信書房(Thorne, F. C. 1948 Principles of directive counseling and psychotherapy. American Psychologist, 3, 160-166.)
第12章
Asch, S. E. 1946 Forming impression of personality. Journal of Abnormal and Social Psychology, 41, 258-290.
Asch, S. E. 1955 Opinion and social pressure. Scientific American, 193. In E. Aronson (Ed.), 1981 Reading about the social animal, 3rd ed. San Francisco : W. H. Freeman.
ブラウン 青木和夫(訳) 1957 大衆 清水幾太郎(監修)大社会心理学講座7 みすず書房(Brown, W. R. 1954 Mass phenomena. In G. Lindzey (Ed.), Handbook of social psychology, vol. 2. Addison-Wesley.)
Bruner, J. S., & Goodman, C. C. 1947 Value and need as organizing factors in perception. Journal of Abnormal and Social Psychology, 42, 33-44.
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フェステインガー 末永俊郎(監修) 1965 認知的不協和の理論 誠信書房(Festinger, L. 1957 A theory of cognitive dissonance. Stanford University Press.)
Freedman, J. L., & Fraser, S. C. 1966 Compliance without pressure : The foot-in-the-door technique. Journal of Personality and Social Psychology, 4, 195-202.
ホール 日高敏隆・佐藤信行(訳) 1970 かくれた次元 みすず書房(Hall, E. T. 1966 The hidden dimension. New York : Doubleday & Co.)
ハイダー 大橋正夫(訳) 1978 対人関係の心理学 誠信書房(Heider, F. 1958 The psychology of international relation. New York : John Wiley & Sons.)
ナップ 牧野成一・牧野泰子(訳) 1979 人間関係における非言語的情報伝達 東海大学出版会(Knapp, M. L. 1972 Nonverbal communication in human interaction. New York : Holt, Rinehart & Winston.)
木下冨雄 1977 流言 池内 一(編) 講座社会心理学3 集合現象 東京大学出版会
コールバーグ 永野重史(監修) 1987 道徳性の形成――認知発達的アプローチ 新曜社(Kohlberg, L. 1980 Stage and sequence : The cognitive-developmental approach to socialization. In D. A. Goslin (Ed.), Handbook of socialization : Theory and research. Hougton Mifflin.)
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ミルグラム 岸田 秀(訳) 1975 服従の心理――アイヒマン実験 河出書房新社(Milgram, S. 1974 Obedience authority: An experimental view. New York : Haper & Row.)
三隅二不二 1984 リーダーシップ行動の科学(改訂版) 有斐閣
Rosenberg, M. J., & Hovland, C. I. (Eds.) 1960 Attitude organization and change. Yale University Press.
鈴木裕久 1977 流行 池内 一(編) 講座社会心理学3 集合現象 東京大学出版会
竹内郁郎 1973 社会的コミュニケーションの構造 内川芳美(編) 講座現代社会とコミュニケーション1 基礎理論 東京大学出版会
Zajonc, R. F. 1965 Social facilitation. Science, 149, 269-274.
補章
Boring, E. G. 1929, 1950 A history of experimental psychology. Appleton Century Crofts.
ゲシュヴィント 1979 脳と精神活 別冊サイエンス50 日本経済新聞社(Geschwind, N. Specialization of the human brain.)
ヒューベル/ウィーゼル 1979 視覚の脳内機構 別冊サイエンス50 日本経済新聞社(Hubel, D. H., & Wiesel, T. N. Brain mechanism of vision.)
リンゼイ/ノーマン 中溝幸夫・箱田祐司・近藤倫明(訳) 1983 情報処理心理学入門 I感覚と知覚 Ⅱ注意と記憶 サイエンス社(Lindsay, P. H., & Norman, P. A. 1977 Human information processing : An introduction to psychology, 2nd ed. Academic Press.)
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時実利彦 1969 目でみる脳 東京大学出版会
執筆者
笹野完二 (岡山大学名誉教授・近畿福祉大学教授)
第1,4,10章
平松芳樹 (中国短期大学教授)第2,3,11章
多屋頼典 (岡山大学文学部教授)第5,6,補章
永田 博 (岡山大学経済学部教授)第7,8章
大橋康宏 (山陽学園短期大学助教授)第9章
北川歳昭 (就実短期大学教授)第12章
