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そこはランナーの家、苗場スキー場


7年ぶりに、越後湯沢駅に降り立つ。

ホー厶は、重そうなバックパックをかつぐ人や、キャリーケースを引きずる人たちで賑わっている。

改札を出て右手に進む。
目指すは、シャトルバス乗り場。

並ぶのはわかっていても、自然と足取りは早くなる。

バスに乗ると、隣の席では両腕にびっしりタトゥーの入った強面のお兄さんがお菓子をつまみながら編み物をしていた。

非日常が始まった。

バスは山道に入っていく。
トンネル?の柱の間から、会場やテントの群れがチラチラ見えてくる。

さあいよいよだ。

バスを降り、15分ほど歩く。

たくさんの人でごった返す入場ゲートに着くと、中国人カップルに写真を頼まれた。

思わず自分もスマホを渡して、撮ってもらっていた。


ここが私のアナ○ースカイ

書こう書こうと思ってずっと書けなかった、フジロックフェスティバルの話。

ようやく書いてみよう。
わたしの帰りたい場所のことを。


フジロックには、大好きな音楽がある。
1日中音楽のことだけを考えて過ごせる。

フジロックには、大好きなお酒がある。
誰の目も気にせず、朝から飲み放題。

フジロックには、大好きな自然がある。
気の合う仲間と、時にはひとりでキャンプができる。

月並みな感想だと思う。

でもきっと、同じように感じている人が多いのだろうか、会場にはポジティブな雰囲気があふれている。

サウナでは整わないが、フジロックでは整う。

だから毎年来てしまう。
そんな居心地の良さがある。


私の初フジロックは2005年。
以来2017年までは、ほぼ毎年来ていた。

でも2018年に九州に引っ越してからは、メンタル不調で音楽を聴かなくなったり、コロナ禍なんかもあって自然と足が遠のいていた。

配信で観たりはしていたが、もう当分は行かないんだろうなと思っていた。


2024年6月。
ビッグニュースが飛び込んできた。

「代打、ザ・キラーズ」

そのひと月前に、SZAがフジロック出演をキャンセルしたことが発表されていた。

開催まで2ヶ月を切り、初日のトリは誰が務めるんだと音楽ファンの注目を集める中、まさかまさかのキラーズだった。

20年ぶりにフジロックに戻ってくる!

青春時代を彩った「わたしの帰りたい音楽」キラーズが。

役者はそろった。

これはもう行くしかない。


7月26日、金曜日。

始発の飛行機で羽田へ。
東京駅に移動し、新幹線で越後湯沢、そこからバスで会場の苗場スキー場へ。

その日の深夜、会場から羽田空港行きのバスに乗り、土曜の始発便で福岡に戻る。

子どもが生まれたばかりということもあり、そんな弾丸日程だった。

そんな「瞬間移動」のせいか、帰宅しても夢心地感がすごくて、なかなか消化できずにいた。

キラーズは問答無用で素晴らしく最高の時間を過ごせたが、7年ぶりの思いを書けなかった。


そんな2024年のフジロックで、忘れられないことがもうひとつある。

最終日のホワイトステージに出ていた、くるりのこと。

この記事を書いてみようと思わせてくれた、ボーカルの岸田さんのひとこと。

「僕はどこでも100%のステージをしますけど、(フジロックには)ほんまに出たかったんです」

「ロックってなんやろな?と思うけど、みなさん友達と来たり、恋人と来たり、上司と来たり……」

「してると思いますけど、一緒にいても孤独やんか。そばにいて一緒に走る音楽がロックちゃうかなと」


ロック=伴走してくれる人のような存在。

フジロック=走る人や伴走する人を受け入れてくれる家のような存在。


ここに来ればいいんだ。
ここに居たらいいんだ。

そんな場所。

みんなこれからも走り続ける。
そしてまた、ここに帰ってくる。


【おまけ】
「地形」というブラタモリ的視点からフジロックを解説。
あの場所を訪れたことのある人ならきっと、「そうそう」「あるある」となるはず。

たまに読み返す「わたしの帰りたい記事」。


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