寂しい朝にはホットケーキを焼きましょう
ほんのり暗い明け方に、目が覚めるのはよくあること。枕元に置いてある小さな水筒の冷たい水をひとくち飲んでもう一度、布団にもぐって浅い眠りに身を任せるのもよくあること。
特別じゃないそんな朝。いつもより少し遅く起きたそんな朝。気だるい身体をのろのろと、どうにか布団から這い出して、カーテンを開けてみても、たいして部屋は明るくならない。どんよりと白濁したような空と私の頭の中。梅雨空は一面グレーの雲。しとしと雨が降って、お日様を遠ざけている。
ああなんだか、ダルダルで、何もかもがずっしり重い。どうにもパッとしない朝がきた。
眠る前、カーテンレールに部屋干しした洗濯物に触れてみる。乾いていたらうれしいななんて。でも思った通り、タオルもTシャツも、くたくた、しっとり湿ったまま。クーラーをかけっぱなしにして、扇風機の首を振って、満遍なく風をあててやったけれど、フェイスタオル一枚も乾いていないんだ。
わかっていたけど、少し期待しちゃったのかな。乾かない洗濯物に、私はちょっぴりキズついてしまう。何度も同じ朝を迎えて、結果は知っているのに。仕方ないのに。主婦である私の日常には、紙で切った指先の痛みのような小さなキズつきが、喜びと同じだけ、そこかしこに紛れているようだ。
乾かない洗濯物にちょっぴりキズつく私は、洗って拭いてやったのに、どこかしらにピンクのカビが発生するお風呂場のフタやイスにも、ひっそりキズついてしまう。掃除機をかけたばかりのフローリングに、トーストのかけらがぱらぱら散らばってるのに気がついて、やっぱりそっとキズついてしまう。心を寄せるお気に入りのスーパーで、真剣に真剣に悩んで選んで、やっと買ったふたつばかりの大きな桃が、どちらもぼんやり甘くなくて、くすんとひとりキズついてしまう。
特売のたまご、お一人様二パックまで。を二パック買って、ホクホクとした気持ちで冷蔵庫を開けたら、昨日買ったばかり、まだ使っていないたまごがあって、それらすべてをうっかり忘れていた私自身に、キズついてしまう。チキンといんげんのトマト煮込みに使うつもりだった大きなにんにく、この前買ってきたばかりだと思っていた野菜室のにんにくから、にょきにょきと芽が出てシワシワになっているのを発見しても、キズついてしまう。
もう私は、キズだらけ。
きわめつけは、大量の新ジャガを蒸し器で蒸して、甘辛くしたひき肉と、丁寧に炒めた玉ねぎのみじん切りを混ぜて、たくさん丸めてそっとパン粉をつけて、優しく優しくこめ油で揚げた心尽くしのコロッケ。そんな手作りコロッケが、スーパーのお惣菜の完璧なコロッケの味を、決して超えることは出来ないんだね!と思い知るたび、私は大いにキズついてしまう。そのキズはいってしまえばよくあることばかり。確かにキズと言っても、ひとつひとつはかなり小さい。小さいけれど、ひとりキズついた私は、どうしてもしゅんとするのだ。しょんぼりと寂しくなるのだ。寂しくなってしまうのだ。
寂しい。寂しい。なんか寂しいな。
乾かない洗濯物に触れて、ちょっぴりキズついた私が、寂しがる朝。
寂しさが重なって、お日様にも会えなくて、なんだか朝のダルさが半端じゃないわあ、というそんなとき。私はキズついた自分を慰めるためだけに、小さな小さなホットケーキを好きなだけ焼くことにする。粉に卵に牛乳で、少しゆるめにボールと泡立て器でかしゃかしゃ混ぜる。かしゃかしゃという音と一緒に、優しい甘い匂いがただよいはじめると、寂しさはオルゴールの中の青い小鳥のようにふるふると、私の心で歌い出す。
フライパンを温めて、水玉模様を描くように、少しづつ種を落とす。ぽとんぽとん。ぽとんぽとん。そうそう。五センチほどの丸を、フライパンいっぱいにたくさんたくさん並べる。あらあら可愛い、あらあら楽しい。あらあらなんだか元気がでるわ。ホットケーキの魔法がかかりはじめる。心の中、寂しさの青い小鳥も、あらあらと嬉しそうにさえずりながら揺れている。
いくつもの家事のあれこれに、ひとりキズついた私、ひとりしょんぼりと寂しくなった私には、こんな気ままな朝ごはんが、よく効くみたい。フレンチトーストもいいし、塩昆布のおにぎりと、ねぎと豆腐のお味噌汁もいいけれど、今朝はこの小さなホットケーキが完璧な処方箋だった。何枚も何枚も、まあるくて小さなホットケーキが焼き上がり、白いお皿に無造作に重なる。こんがり焼けたホットケーキの山ができる。なんて幸せな山だろう。キッチンにも私の胸にも、ホットケーキの焼ける甘い匂いが満ち満ちだ。私の些細なキズが治るのは、自分のために焼く小さな小さなホットケーキ。あんがい大きなキズつきにだって、ばんそうこうになるのは、こんなことだったのかもしれない。キズの手当は言葉そのまま、手を当てるだけ、大袈裟でなくてよかったのかもしれない。
ボールの中が空になるまで、次々と可愛らしい丸々を焼き続ける私。すべてのホットケーキを、丸く焼いてフライ返しで掬い取る。さいごの一枚をお皿にのせる。さあ出来上がり。シンクの洗い物もそのままに、いそいそとテーブルに運んで取り分ける。
こんな時のための、金色のメープルシロップを好きなだけ。とろりとろり。一枚二枚、フォークでつつく。三枚四枚。ああそうだ、ブラックコーヒーを淹れましょう。五枚六枚。あらあらなんだか、寂しさも心に良いものみたい。七枚八枚。気だるかったグレーの心に、清々しさが吹き込んで、鮮やかに色がつくみたい。
雨が続いて、細かくキズついて、寂しい朝には、ホットケーキを焼きましょう。私の寂しさをどれどれとじっくり眺めながら、小さな小さなホットケーキを、いくつもいくつも焼きましょう。私は寂しがり。だけどほら、自分のために、ホットケーキが焼けるじゃない。いつかのおぼろげな記憶の中で、母の焼いてくれたホットケーキが恋しくて、梅雨空みたいに泣きたくなってもいいじゃない。大人だって、ひとりしみじみ泣いてもいいじゃない。
寂しい朝には、寂しいまんま。ホットケーキを焼きましょう。小さくても大きくてもすてきな優しいホットケーキ。ぱくりと食べれば、それはそれはよく効く薬。私の寂しさを大切に。私の一部を無くさないで。私の寂しさを嫌わないで。キズつくことをいとわないで。寂しさは大切な大切な私の小鳥。
寂しさという小鳥を可愛くさえずらせたまま、過ごしてみよう。小さなホットケーキの朝を楽しんでみよう。梅雨は続くし、洗濯物は乾かないけれど、キズを愛せた私には怖いものがないみたい。キズつきながら笑って生きられるみたい。寂しさも優しさもキズでさえも同じ花の別の顔。暮らしに咲く花はどれもこれも美しい。キズも寂しさの花もまた、凛として美しい。
なんだか良い日になりそうで、のぞきこんだ鏡の中の私は寂しいまんま、にっこり笑って穏やかだ。無数のキズも、素朴な野の花束。いつもの朝がちょっとだけ特別になる。お皿にはまだたくさんのホットケーキ。幸運な家族のおなかに収まるはず。梅雨空をなんとかかんとかやり過ごす私は、泣いたり笑ったり忙しい。
寂しい朝にはホットケーキを焼きましょう。小さなホットケーキと寂しがりのひとりの私。思ったよりもなかなかいい組み合わせ。こんな日があってもまあまあいいんじゃないって思えたら、すべてのキズが私の味方。味方は多いほうがいい。そんな静かな朝を、ひとりじんわり味わっている。
