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しょんぼりはブラウニーを焼くのにふさわしい気分

あれはなぜだかわからないけれど、たまたま乗ったバスが、全ての赤信号に引っかかってしまうような日がある。ぜんぜん前に進まない。そしていつもよりバスの中は混んでいる。ああ、日が悪かった、仕方ないなと、ほんのりとしょんぼりする。


暑い中、汗をかいてたどりついたスーパー。家族のひとりの好物の親子丼の材料を買ってマイバッグに詰め込んで帰ろうとしたその時に、その本人が「ごめん、今夜のご飯は要らないよ」なんてラインしてくる。なんだかなあと、なぜかどうしても家事が空回りしちゃう日がある。これもやっぱり仕方ない。がっかりまではしないけれど、ちょっぴりしょんぼりする。


良かれと思って洗濯した、家で洗えるはずの夫のジャケット。手洗いしたあと洗濯機にそっといれる。恐る恐る軽く軽く脱水しただけで、どうにもならないほどに、しわになってしまったりする。どうしたらいいかと途方に暮れる。もう一度濡らしてみたりするが、ジャケットの襟はグシャリと折れ曲がったままだ。わたしの想いの何もかもが裏目にでるような、そんなひとりの夏の午後。ジャケットを洗う前に、時間を巻き戻したいけど、そうもいかない。ケチらずクリーニングにだせばよかったと、ううう、しょんぼりする。


朝起きたら、空っぽの炊飯器の保温がついたまま。うわあ、危なかったと、昨日の夜を振り返って忘れっぽくなったわたしに、ちょいしょんぼりする。忙しくってお疲れ気味の夫が大好きな麻婆豆腐でも作ってあげようと、お昼ご飯に間に合うように材料を買って急いで帰ってきたら、急な仕事で夫がすでにいなかったりする。シュルシュルと元気がしぼんで、しょんぼりする。


左のほっぺの内側に小さな口内炎ができて、ちょっと痛いなあなんて我慢しながら、右側だけでご飯を食べていたら、右のほっぺの内側を噛んでしまったりする。この傷は口内炎に発展する予感がするし、それは的中するんだから。これは、かなりしょんぼりする。口内炎は、しょんぼり気分の代表格。


しょんぼり。毎日、なんかしら、わたしにはしょんぼりが起きて尽きることはない。五十六歳のわたし。タフになったわたし。そんな日々のしょんぼりにも慣れるもので、気にしていたら身が持たない。ま、しかたないわね、と切り替えるけど、しょんぼりはしょんぼりと、そっと心の底に沈んでいく。


沈んだしょんぼりが、ゆっくり積み重なって、いつの間にか、ずっしり重みを持ってくると、どこからかダークな気分がやってくる。歩くだけで、ずしんずしん。ゴジラかなにかが歩いているみたい。ずしんずしん。ダークな気分になると、わたしはピュアココアたっぷりの苦みばしった大人のブラウニーを焼きたくなる。しょんぼりからのダークな気分の日は、そんなまっくろなブラウニーを焼くのにふさわしい日だ。生地のお砂糖はほんの少し、その代わりにチョコレートをたっぷり混ぜ込んだ、ブラウニーを焼きたくなる。


こんな時のために、買い置きして冷やしてあったチョコレート。キッチンに立って冷蔵庫の奥から、大好きなガーナチョコレートを六枚取り出す。ミルクを二枚、ブラックを二枚、ホワイトを二枚。大きめに割って冷凍庫で冷やす。オーブンの天板にアルミホイルで型を作る。卵にほんの少しのお砂糖、そしてこめ油。カシャカシャまぜてとろんとろんとさせる。小麦粉にアーモンドプードルにたっぷりのココア。混ぜたら冷凍庫のチョコレートを合わせてぐるぐる。オーブンで一気に焼く。部屋中にチョコレートの焼ける匂い。ダークな気分も沈んでいたしょんぼりも、そんなに悪くはないかんじ。


ブラウニーを焼くのにふさわしい日。電車が遅延して歯医者のクリーニングに遅れてしまった日。牛乳を買いに行ったのに、それ以外を買って、帰宅してから牛乳を買い忘れたことにハッとした日。ぼんやりしていて湯舟の栓をせずに、お湯をためようとして、ただただ無駄にお湯を流してしまった十分間。ぼんやりなわたしのしょんぼりは尽きないけれど、ダークな気分のそんな日のあとこそ、苦みばしったブラウニーは特別おいしく優しく焼ける。


さあさあ、焼けた。苦みばしったココアの生地に混ぜ込んだ甘いチョコレートが固まるまで、よーく冷やしてから切ってみる。板チョコがカチリ、カチリ。切り分けてまずはひとつ、食べてみる。甘くない生地と三種類のチョコレートがしょんぼりした私の心に甘く甘く溶けていく。これは甘やかし。わたしを甘やかすの。いっしょに冷たい牛乳を。ほろほろした生地とカチリと歯に当たるチョコレート。甘いチョコレートが溶けていくとき、わたしの中に積み重なっていたしょんぼりにも、甘くて優しいなぐさめがやってくる。


いいんだよ、それでいいんだよ。がんばっているんじゃないの。よくやってるじゃないの。どこまでも優しい、どこまでも暖かい、励ましてくれるその声、優しい声。それはきっともうひとりのわたし。毎日のちいさなわたしのしょんぼりを全部知っているのは、やっぱりわたしだけ。だいじょうぶだよって、やっていけるよ、やれてるよって、言ってくれるのも全部がわたし。


ブラウニーを焼くのにふさわしい日がある。しょんぼりが重なったら、ちょっぴり自分に甘やかしをあげるために、ブラウニーを焼いてみる。好きなだけ甘えたら、しょんぼりもリセットされる。ダークな気分もリセットされる。ブラウニーの焼ける甘い匂いとチョコレートの甘やかし。さてさて、今日はどんなしょんぼりが待っているかな。ずしんとしたダークな気分が待っているとしても、わたしは果敢に笑ってわたしの今日に乗り出していく。


だってほら、なんだってほら、ちいさなしょんぼりから、はじまるんですもの。しょんぼりはいいもの。しょんぼりは味方。わたしはしょんぼりと手をつないで、しょんぼりに似合う歌を口ずさんでいこう。しょんぼり賛歌を歌っていこう。そんなわたしに、きっとまたやってくるのは、ブラウニーを焼くのにふさわしい日。甘やかしていこう。しょんぼりしながらそう思う。

苦みばしったブラウニー


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