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怒るのが苦手な私のリハビリ

私は怒るのが苦手だ。
普段から怒ること自体そんなにないし、もやもやすることがあった時でもそれを表明するのは苦手だ。

でも怒りを持つことは健全なことだと思う。
それは自分のエネルギーになったり、状況を改善する助けになったりする。
だからこそ、怒ることが苦手な自分に問題意識を持っている

私はポジションを明確にすることに怯えているのかもしれない。
怒りというのは、なんらかのポジションをとるからこそ持つものだ。
そのポジション以外を捨てるということ。
他の可能性を自分で自分の将来から消し、選択肢を狭めることを避けているのかもしれない。
つまり根本的に、選択肢を広げること、広く持っておくことがいいことだ、と考えている気がする。
これは他人に表明することに関してだけじゃなく、自分の中でも自分に対してポジションを明確にしたくないと無意識に思っている節があるようだ。

これについては、選択肢が狭まるのはむしろいいことだ、と自分の中で決めてしまうのがいいかもしれない。
選択肢が狭まることで、悩む時間も迷う時間も減り、大切なことにかける時間が増える。
どっちつかずの態度がなくなり、私という人となりや人生の輪郭が明確になっていく
そうすれば今まで以上に、私に共感してくれる人と繋がれるようになる

あと、怒りというのは他責思考に思えてしまうというのもある。
よくよく考えてみると、私は他責思考は、無責任でそれ以上向上する余地がないと思っているようだ。
他人にそう思われたくないし、自分でも自分をそう思いたくないから、結果怒りを表明することができない。
(他の人が言っていてもそうは思わないのに、自分にはそう思ってしまう)
あと、怒りを表明することは、その周辺や裏の事情を考えられない自分の視野が狭いことの表明だと思えてしまう。
視野が広い人でありたい、いろんな事情を汲める人でありたい。
私の中にはそんな気持ちもあるようだ。

でも過剰な自責は不健全だ
副作用もある。
外に要因があることを、自分の内で解決することは、一見いいことにも思える。
外のことは変えられないものも多いし、内を変えることで間接的に外が変わることもある。
ただ、自分の精神が不安定になっている時に内に原因を求めだすと、自分を傷つけ始めかねない。
自分で自分の精神状態を客観視するのは不可能だ。
そう考えると、普段から思い切って状況や人のせいにする練習が必要かもしれない
こう書いているだけですでにドキドキしている。
そんなことしてもいいの?言っちゃっていいの?という自分がいる。
口に出して言う必要はないが、少しずつ状況や人のせいにしてみる。
一足飛びに、怒りを生むまではもっていけないと思うが、そんなふうに練習するところから始めてみてもいいのかも。


今日は毎日投稿49日目でした。

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