【忘却度50%】ペイン・アンド・グローリー
2020年3月6日、サンプルDVD。
本作も原稿を書いたんですけど、ちょうどこの3月からコロナ蔓延と自粛の世の中になっていき、その映画誌も無期限休刊になってしまったのでした。
ここでそのボツになった原稿を供養がてら全文引用しておきます。
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長いキャリア、いまでもコンスタントに作品を発表、知らずに見ても誰の監督作かすぐわかる−—そんな共通点があって、新作を必ずすぐ見に行くのは私の場合、クリント・イーストウッド、ウディ・アレン、そしてペドロ・アルモドバルの3人でしょうか。
思えば30年以上ずっと、アルモドバルを追っかけてきました。
アルモドバルは、88年の「神経衰弱ぎりぎりの女たち」の世界的ヒットでブレイク。日本でもそこから、「バチ当たり修道院の最期」「欲望の法則」など過去作が一気に公開されていきました。
私は当時、大学生で多感な映画青年だったもので、ブームはもろかぶり。デートで「アタメ」を見に行ったりしたことを思い出して、いまちょっと赤くなっております。
初期アルモドバルは、どぎつい色彩や派手な顔の登場人物、ちょっと淫靡にねじれた設定やストーリーなどから、過激さでまず注目されていたと思います。それが「オール・アバウト・マイ・マザー」「ボルベール<帰郷>」などで、いまやすっかり女性ドラマの名匠に。でも画面やシーンはアルモドバルでしかないし、「私が、生きる肌」のように歪みまくった話も撮ってるしで、やっぱり1作も欠かせないのです。
そんなアルモドバルの最新作「ペイン・アンド・グローリー」は、彼の自伝的作品です。
体調不良と気力の低下で半隠居生活を送る映画監督サルバドール。32年前の作品が上映されることをきっかけに、その芝居が原因で喧嘩別れした主演俳優アルベルトに再会。アルベルトに頼まれてサルバドールの自伝的脚本を渡すと、その一人芝居を見たのは、偶然にもサルバドールのかつての恋人だった。
比べるつもりすらありませんが、サルバドールの「撮影できないなら何も書きたくない。そんな人生は無意味だ。でもそれが現実だ」という言葉がぐさぐさ刺さる、中級作家の私。
私事ついでに。とくに昨今、終活ではないですが、自分の過去を(20歳から日記をつけてまして)、ひとつひとつ振り返る作業をしているので、なおさら、ずうずうしくもシンパシー。
映画は母との生活を中心に、サルバドールが振り返る少年時代の思い出が挿入されていくのですが、終盤、彼は「ある光景」を思い出します。そしてそれが、その後の性癖を決定し、映画監督になる道の始まりでもあったことに気づくのです。その後、サルバドールはその光景自体を映画で描こうとします。
なんだかそれが、本当におこがましいですけど、物書きの私には羨望と同時に、なんだか大きな救いのように見えました。あまりに個人的な受け止め方ですいません。
でもそれぞれの人がそんな風に、自分に置き換えて受け止める映画なんじゃないかと思います。とくに、人生の終わりが見え始めて、過去のことをよく思い出すようになった年代の方には。
ところで劇中で語られる32年前の映画「SABOR(風味)」というのは、やはり「欲望の法則」がモデルなのでしょうか。アルモドバル自身、本作を「欲望の法則」、04年の「バッド・エデュケーション」の系譜にある、「映画と欲望」がモチーフの作品だと発言していますし。
そんな意味でも総決算的な本作、キャストも、互いにブレイク前からの盟友アントニオ・バンデラスと、アルモドバル作品の母性の象徴、ペネロペ・クルス。
アルモドバル本人のビジュアルを知ってるので、バンデラスに自分を演じさせるなんて……と、意地悪なことを最初は思いましたが、まあこのバンデラスの疲れ切った初老具合がお見事なのでした。
ああ、30年追っかけしてきてよかった。
以上、ドタバタコメディ「アイム・ソー・エキサイテッド!」(13年)のことだけはなかったフリをしての(すいません……)、アルモドバル賛歌でございました。

