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『愛猫がくれた「魔法」の言葉 —— 捨て猫との20年が私をTEDxの舞台へ導くまで』第10話

『夢〜未来へ!

保護犬、保護猫がいない日本を目指してみつけたものは?』


その日、親戚の姉が家に遊びに来ていた。

私より10歳以上年上の彼女は、幼い頃から実の親になかなか構ってもらえず、放置されがちだったらしい。見かねた母が度々彼女を預かり、我が子のように世話をして育てた時期も長かったと聞く。
彼女自身も、大人になり自分に子供が生まれた今でも、「自分の本当の母親はこの人だ」と言ってくれていた。

 

だけど――

 

後から生まれた私のことは、なぜか最初から嫌っていた。
小さい頃は叩かれたり、意地悪を言われて泣かされたりすることが日常だったが、成長するにつれて直接的な暴力はなくなっていった。

 

その代わりに始まったのが、言葉による傷つけ合いだった。

 

理不尽な言いがかりや冷たい言葉に苦しみ、母に相談しても、返ってくる言葉はいつも同じだった。


「あの子にはつらい過去があるの。かわいそうな子なんだから、少しくらい我慢してあげて」

 

私が彼女の態度に怒りを表すたび、なぜか私の方が母から叱られるのだ。

 

――「私さえ黙って耐えていれば、この家は平穏でいられるんだ」

 

いつしかそう自分に言い聞かせるようになった私の我慢も、とうとう限界を迎える日が来た。

 

きっかけは、家で飼っている犬のエマと一緒におやつを分けていた時のことだ。

彼女は何の悪びれもない様子で、こんな話を始めたのだ。

 

「昔、家に大きなラブラドールがいた。
まっすぐ歩けなかったり言うことを聞かない時は、わき腹を蹴ってやった。
そうしたら何でも私の言う通りになって、絶対服従になったんや。」

 

その言葉を聞いた瞬間、全身の血が引くような感覚に襲われた。

私は声を震わせることもなく、静かにはっきりと告げた。


「もう、この家には来ないでください」

 

それを聞いた母はすぐに激高し、私に向かって大声を上げた。

「あの子がどんなに寂しい思いをして育ったか、
あなたには分からないの?
親に捨てられるような扱いを受けて、かわいそうな生い立ちなのよ!」

 

だけど私の頭の中には、彼女が動物を力で支配しようとした話が強く焼き付いていた。

自分がつらい思いをするだけならまだしも、この家の大切な家族である犬たちに何か危険が及ぶ可能性があるのなら、絶対に譲ることはできない。
私も必死になって反論した。

 

「だったらもし、エマやベリーに同じようなことをされたらどうするの?
それでも彼女をかばうの?」

「そんなことをするはずがないでしょう!」

 

結局この日、母と私は今までにないほど激しい喧嘩をしてしまった。

 

それから数日間、家の中には重く不穏な空気が漂っていた。

 

――私は今、「飼い主もペットも共に幸せになれる社会を作りたい」という思いをテーマに作品を書き、活動を続けている。
そしてもうすぐ、TEDxの舞台に立って自分の言葉でこの思いを伝える機会も得ている。

だけど今の私には、そんな大役を務める資格が本当にあるのだろうか?


 

自分自身が身近な人から長年いじめや嫌がらせを受け、家族とさえ心が通い合わない状況にいる。
まるで

「お前にはこの舞台に立つ価値なんてない」


と誰かから指摘されたような気持ちになり、夢がすぐそこまで来ているはずなのに、胸の中はいつも暗い悲しみで満たされていた。

 

数日後、仕事から帰宅した私は母を呼び、自分の決意を伝えた。



「TEDxの登壇は、辞退しようと思う」

 


母が驚いて顔を上げるのを見ながら、私は続けた。


「私自身が今こうして理不尽な扱いを受けている。心が傷ついている状態なのに、『ペットと幸せに暮らすためには、まず自分自身の心を満たすことが大切』なんて、他人に向かって偉そうに語ることなんてできない。
だから、この話は断ることにする。」

 

私の言葉を聞いた母は、しばらく黙り込んでいたが、やがて静かに口を開いた。


「……ごめんなさい。もう彼女を家に呼ぶことはないから。
私も、自分が知らないところで彼女がこんなにひどい考え方を持っているなんて、まさか思わなかったの」

 

どんな人でも、苦手なことや欠点を持っているものだ。
だけど、だからと言って誰かから傷つけられたり、不当に扱われたりしても仕方がない人間なんて、この世に一人も存在しない。

 

彼女が私に向けていた悪意も、結局は自分が幼い頃に感じた「捨てられるのではないか」という不安や、誰からも愛されないのではないかという寂しさからくるものだったのだ。彼女は自分の痛みを癒すために、私を標的にしていただけなのだ。

 

――昔は「私さえ我慢すればいい」と思い込んでいた私だったけれど、今ならはっきりと言える。

理不尽なことまで耐える必要なんてどこにもない。


この世界に不要な人なんていないし、生まれてきたすべての人が、本来は輝く価値を持っているのだから。そんな真実を、心の奥深くから噛み締めていた。

 

TED×kitagata Youth登壇前の会場

そして迎えた、北九州でのTEDx当日。

 

赤い丸い絨毯が敷かれた舞台に立った瞬間、私の心には迷いも不安もなく、ただ一つの確信だけがあった。

 

――私がこれまで経験したトラウマも、長く続いた孤独も、全部全部、この瞬間のために必要な道のりだったのだ。

 

捨てられたペットの悲しみや不安、一人で生きる飼い主の心細さや悩み、これらすべてに対して、私は自分自身が痛みを知っているからこそ、表面的な同情ではなく心から共感し、理解することができる。私の過去は、自分を苦しめる「呪い」なんかではなく、自分の目指す道を進むための「特別な学び」だったのだ。

 

人は誰でも、自分の向いている方向にしか前に進むことはできない。


足りないものや悪い部分ばかりに目を向けて探し続ければ、人生は暗く後ろ向きなものになってしまう。

だけど、自分や周りの人が持っている良いところ、今既に持っている幸せを見つけようと心がけるからこそ、人は顔を上げて前を向き、力強く歩いていけるのだ。

 

飼い主自身が心から幸せな状態でいれば、自然と心には余裕が生まれる。

余裕があれば、ペットが何か失敗をしたり言うことを聞かなかったりした時も、力や恐怖で押さえつける「罰」を与えるのではなく、原因を探って解決策を考える「対応」をすることができるようになる。

 

つまり、飼い主が自分の人生を幸せに生きることこそが、長い目で見れば捨てられる犬や猫が存在しない優しい社会を作ることにつながっていくのだ。

今の私は、この言葉を何のためらいもなく心から言うことができる。

 

「私は今、とても幸せです」

 

これから自分の人生が終わるその瞬間までに、人間も動物も区別なく手を取り合い、互いを思いやる優しさに満ちた世界の姿を、自分の目で確かめて見届けたい。

 

その夢を実現するために――「私が生きている間に、捨てられる犬も猫もいない日本を作る」――私はこれからも一歩一歩、自分の道を歩き続けていく。

 

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

 

帰り道の小倉駅、レイアースのゆずれない願いをストリートピアノで誰かが演奏していました。

 

 《あとがき》



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