『愛猫がくれた「魔法」の言葉 —— 捨て猫との20年が私をTEDxの舞台へ導くまで』第4話
『無価値な私の、価値ある指先』
初めて降り立った東京は、見上げるビルが高すぎて眩暈がするほどだった。
新宿の高層ビル。
その最上階にある社長室を一人で掃除するのが、私の最初の仕事になった。
時給の良さと、誰とも話さなくていい自由さに惹かれた結果だ。
夜、誰もいない部屋から見下ろす夜景は、息を呑むほど美しかった。
(こんなにすごい場所で、戦っている大人がいるんだ)
ドリアンを売る果物屋、すれ違う芸能人、
ドラマの撮影。
東京は刺激に満ちていた。
けれど、私の心に深く刻まれた「呪い」は、
華やかな街でも私を離してはくれなかった。
「自分はイジメられて当然の人間だ。
何をされても仕方ない」
子供時代のトラウマは、無意識のうちに私を
「過剰な我慢」
へと追い込んでいた。
職場で理不尽に怒鳴られても、同僚のミスを押し付けられても、ヘラヘラと笑って飲み込んだ。
居酒屋のバイトでは、閉店後も帰らない客のために終電を逃し、始発まで一人公園のベンチで缶コーヒー片手に震えたこともある。
「社会で生きることは、こういう苦痛に耐えることだ」
と自分に言い聞かせ、心を麻痺させていた。
けれど、体は心よりも正直だった。
五年目。
ついに限界が訪れた。
蝕まれた心は、働くことどころか起き上がることさえ拒絶した。私は逃げるように、あれほど嫌った実家へと戻った。
実家での生活は、透明人間のような日々だった。
かつての知り合いに会うのが怖くて、わざと一時間以上かかる職場を選び、休日は部屋に引きこもった。
鏡を見れば、ストレスで吹き出物だらけになった自分の顔がある。
(私には、もう何の価値もない)
そう絶望していたある日、テレビの画面に釘付けになった。
それは、樹脂粘土の特集番組だった。
指先から魔法のように生み出される花、果物、動物たち。そこには、私がかつて捨ててしまった「自由」があふれていた。
私は震える手で、通信講座を申し込んだ。
最初は、不器用すぎて針金にテープを巻くことさえできなかった。
隣で器用にこなす母を見て、情けなさと悔しさで涙がこぼれた。
「絶対に、できるようになってやる」
かつて絵を描くことを諦めたあの日、心の奥に閉じ込めた「表現したい」という情熱が、猛烈な勢いで火を噴いた。
毎日、寝る間も惜しんで粘土を捏ねた。
手が腱鞘炎で悲鳴を上げても、粘土板に向かい続けた。
やっとひとつの作品が作れるようになった頃。
「プロになりたい」
そんな思いを持つようになった。
「ふざけるな! 現実を見なさい!」
母は猛反対した。職人として生きてきた母は、その道の厳しさを知っていたからこその言葉だったのだろう。
けれど当時の私には、それが新たな攻撃に思えた。
作業中に部屋の電気を消されても、作品のそばでわざと埃を立てられても、私は手を止めなかった。
初めて書いたブログ。
初めて参加したハンドメイドイベント。
「こんなことして採算合うの?」
と心ない言葉を投げられることもあった。
友人の作家同士のトラブルに巻き込まれ、何故か私が集団無視されたり
作品制作の苦労より、実は人間関係にしんどさを感じていた。
けれど、それ以上に私の作品を見て「可愛い」
「これが欲しい」と、遠方からもわざわざ足を運んでくれる人がいた。
私には、お客様以外にも元気をもらえる場所があった。
それは「しょこたんBlog」
たくさんのかわいい猫達や、しょこたんの自分の好きなことを全力で楽しむ姿が眩しかった。
人生ではじめてライブを観に行ったのも、しょこたんのライブだった。
ステージの上で輝くしょこたんや、全力で「今」を楽しむまわりのファンを見ていた。
「こんな素晴らしい世界観を作れる人になりたい」
猫がかわいいからなんとなく見ていたBlogは、いつしか私の本当の憧れへと変わって行った。
作品が売れた。
私の生み出したものが、誰かの心を動かした。
その瞬間、長年私を縛り付けていた
「自分には価値がない」
という呪縛が、音を立てて崩れていった。
(粘土だけで、食べていける人になる)
それは、どん底にいた私が初めて見つけた、人生を賭けるに値する光だった。

《第5話》
