GACKTのニキビを初孫のように愛でる
私にあると小憎らしいが、推しにあると話が変わってくる。それがニキビという存在である。
就職したその年から、私のあごにはニキビが頻繁に生えるようになり、私は労働との致命的な相性の悪さを痛感するハメになった。
まさに今も1匹のニキビがあごで元気にやっており、私に邪険にされている。
脳内では「年末年始に甘いものを食べすぎたからだ」とか「たび重なる夜更かしのせいだ」とか、ニキビの野党がヤジを入れてくる。
すべて記憶にございまくるので、自業自得の極みであり、
労働あんまり関係なかった。
さて去年のある日、推しがとあるSNSを更新した。そこでは洗いざらしの髪だとか、プライベート寄りな、ちょっとだけ「素」っぽい表情の自撮りを多く載せてくれている。
仕事終わりに誰もいない更衣室で、そのSNSを開く。私は、ある一点に釘付けになった。推しの美しいフェイスラインの、向かって左下の顎先に小さなニキビができている。
「………………かっわい。」
こういう時の私の声は、なぜか地を這うように低い。溢れだした感情で脳内がバグって出力ミスを起こしているのかもしれない。
自分にあると親の仇のように憎くなるニキビも、推しにかかれば初孫のように愛しくなる。オタクの七不思議である。家に帰ってからは、推しを同じくしている同居人と共に二人がかりで小さなちょぼを愛でた。
このとき、私たちが猫なで声を出しているのは推し本人でなく推しのニキビに対してである。いや、ニキビを通して推しを慈しんでいるのか。推しか推しのニキビか。
そんな風にオタク哲学に勤しんでいると、数日後また自撮りが投稿されていた。
春に放送されるドラマの撮影があったようだ。普段つけていない形のピアスをしている。そのまま自然と顎下に視線が流れた。メイクさんの技術でほとんど綺麗に隠されているが、ほんの少しばかり透けている。究極の「素」という感じがして、とても趣がある。
また数日経ち、自撮りが更新される。
「前に見たより小さくなったねえ…」
ベンジャミン・バトンのおばあちゃん??
80歳で生まれ、年をとるごとに若返っていく男を描いた映画において親戚が登場した記憶はないが、あの作品の「人生は素晴らしい」という主張には首がもげるほど賛同したい。
推しという慈しむべき者にくっついているちょぼは、やっぱり天井知らずに愛おしく、人生に彩りを与えてくれる。
それなら、もし自分自身を推すことができたなら、この憎たらしいニキビも愛おしいちょぼに変わるのかしら。などと考えながら、きたるライブに備え、私は今日もせっせとあごニキビに塗り薬をつけている。
