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掌編小説集/スケッチ


 イエス・ノー枕


〈新婚さんいらっしゃい!〉という番組がある。関西ローカルかもしれない。新婚夫婦を招いて、そのなりそめを聞くというトークバラエティだが、子どもの頃から放送していて、夫婦の恥ずかしい秘め事を聞いては、司会の桂三枝(当時)がイスから転げ落ちるのが定番になっていた。現在は藤井隆と井上咲楽が司会をしている。
 その番組のプレゼントに〈イエス・ノー枕〉というものがあった。令和の時代には無理だろうと思っていたが、先日観たら現在もプレゼントしていた。私は持っていないし、今後も使用する予定はないが、もしも寝室にあったらと考えることがある。パートナーがノーであればそのまま眠ればいいし、こちらがイエスの場合は「したいのですが、」と甘えてみせることもできるが、相手がイエスで、こちらがノーの場合はどうしたものか。
 無視するのもいかがなものかと思うし、「今夜はイエスなんだね」と話しかけるのも躊躇われる。ひっそりと布団に潜りこむパートナーの背中を見ればなおさら。
〈イエス・ノー枕〉の意味に気づいたのは中学生になってからだと思う。自慰については早熟だったと自負しているが、それはあくまで自分の体をこねくりまわした事象の結果でしかなく、一般的な性の知識は知らないことばかりだった。文化祭のポスターを制作しているとき、クラスメイトの女子にかれたことがある。「ねえ、セックスって知っとる?」
 子どもをつくるための性交や受精という単語は知っていたが、それがセックス、まして快楽と結びついているとは思いもしなかった。それで「何それ?」と私はこたえた。女子はくすくすと笑った、というところで記憶は途切れている。
 当時は幼なじみの島くんと帰宅していた。二人が知っているのはテレビドラマで描かれるハッピーエンドまでで、抱きしめたあとにキスするべきか、キスしてから抱きしめるべきかと話し合った。どちらにしても女性を抱きしめてみたいが、勃っていることがバレたら恥ずかしいね、というのが二人の悩みだった。
 その日の結論は、挟めばいい、というものだった。


 宇宙人の庭


 祖父の家には庭があった。椿の垣根があって、紫陽花がある。しかしいまは季節ではないので、どちらの花も咲いていない。庭に面した部屋の掃き出し窓を開いて、沙都子さとこはその段差に両足を出して座っている。
 最近はあまり見かけなくなったが、祖父の家は庭で犬を飼っている。大きな犬だ。犬種はわからない。
 噛みつき防止のためか、顔全体を青銅の仮面で覆われている。禿頭とくとうの頭部は幾度となく撫でられたのだろう、摩耗し、油がなじんでいるような光沢を放っている。目は瞳孔のない黒目だけで、それが穴なのか塗装なのか、判然としない。口元は食事のときにだけ開けられるらしく、ほうれい線にそって蝶番の継ぎ目があって、いまはその表面に動かない仰月ぎょうげつ型の唇がある。
 西洋の悪魔か、宇宙人をモチーフに作成されたものと思われるが、同じ鋳型をつかって大量に生産されたらしく、目鼻立ちの輪郭がぼやけている。汗ばんだガラスの向こうで嘲笑しているような、かといって、この世のすべてに興味を失って逆にすべてを許せる境地に達したような。初対面のときには気づかなかった表情を後になって知ることはよくあるから、明日になればまた印象が変わっているかもしれない。
 犬は黄色い土の上にうつ伏せている。蛾や蝶の鱗粉を塗されたような皮膚が陽射しを鈍く反射し、背中にはいくつもの疱瘡ほうそうがあって、蝿がたかっている。いびつに盛り上がった腰骨がもはや主人のように、犬は仮面の頬を地面につけたまま曖昧な表情を浮かべて、身動きひとつしない。
(食べるかな?)
 と沙都子は傍に置いていたリュックからお菓子の袋を取り出した。帰省するサービスエリアで買って、祖父の家に来てからもう三日経つので残り少ない。アルミ箔を揉みしだくようにして手のひらに出すと、ブドウ味のグミが二つ出てきた。
 沙都子はそのうちのひとつを犬に向かって投げた。果実のかたちを模したグミが犬の手前に着地して、転がってから仮面の眉間のあたりを叩いた。犬は横になっていた顔を縦にした。目の前に突如あらわれた物体を凝視している、と思う。仮面の奥にひそむ目が、ほんとうにグミに向けられているのかはわからない。状況と身振りからの推測に過ぎない。
 沙都子はグミの空袋を振って音を鳴らした。犬の視線が、——少なくとも、仮面がこちらに向けられていることを確認してから、手のひらに残る最後のグミを食べた。わざとらしく美味しいという顔をしてみせる。
 それを見て、犬は再びグミに視線を落とした。ひどく散漫な動きで姿勢を直し、胡座あぐらをかいてグミをつまんだ。食事をするときはいつもこの姿勢なのだろう。肋骨あばらの浮いた胸が見え、下腹がガス溜まりで大きく膨らんでいる。犬はしばらく陽射しにかざすようにグミを眺めていた。それから食べようとして、その口が仮面で塞がれていることに気づく。忘れていたらしい。どうするのか、祖母を呼びにいかなければならないのかと沙都子が思っていると、自分ではずすことができるらしく、犬はグミを左手に持ち替えてから、右手を後頭部にまわした。留め具がはずれる音がして、口元の部分だけが蝶番に垂れ下がるようにして開いた。
(あ、)
 沙都子に見えたのは、その開かれた口元から金色の光を放つ手が現れて、盗み食いするようにグミをつまむと、さっと引っ込んでいっただけである。
 沙都子はその日から爆弾を作りはじめた。この世界は何が起こるかわからない。もしも彼らが、——それが何者なのかはわからないが、もしも彼らが攻めてきたとき、すべての人を救うことはむりでも、自分の身を守るための備えはあるに越したことはない。だれかに相談することも考えたが、韓国アイドルや漫画の話をしているクラスメイトのことを思えば、打ち明けることができなかった。自分は、知らなければ知らないままで生きていたかった一線を越えてしまったのだと思う。
 爆弾の作り方はネットで入手できた。材料は百均で買い揃え、化学薬品は学校の実験室から拝借した。ひとつひとつ花火をほぐし、マッチ棒の先端をこぞって火薬を集めていく。時限式のパイプ爆弾だ。タイマーには目覚まし時計を使った。長針と短針が重なったときに起爆する原始的なものだが、初心者でも扱いやすい。
 沙都子は二階にある自分の部屋に寝転がっている。むずかしそうに体を斜めにして、顔だけは天井に対して正面を向けている。ときおり家鳴りがする、大人がいない家は幼い少女の倒錯した思いつきを甘やかす。
 下校中に駅に立ち寄った。制服の駅員が沙都子の背後で立ち止まり、注意深く監視しているような気がして、耳の裏から首すじにかけてじんわりと汗ばむ。結局は話しかけられることなく、茶色い紙袋に入ったパイプ爆弾をコインロッカーに入れて、振り返ると駅員はいなかった。
 家に帰ってから、ダイニングで麦茶を飲みながらテレビを観た。テレビのなかはいつも同じ、大人たちが悪ふざけしている。自分の部屋に戻って畳の上に寝転がり、ときおり首に流れる汗を手のひらで拭いながら、そのときを待つ。
 しかし、想定していた時間になっても目覚まし時計が鳴ることはなく、失敗だったか、となかばあきれて失笑しかけたとき、外から空気が破裂するような音が響いた。
 窓から身を乗り出して見ると、駅のあたりから黒い煙があがっている。思っていたより、ずっと大規模な爆発になったらしい。もしかしたら死傷者も出ているかもしれない。そういえば、駅を出たところで女性に話しかけられたのだ。銀行はどこにあるかと訊いてくるので、銀行なんてここにもあそこにもどこにでもある、と応えた。爆弾を手放したことで安堵と達成感で高揚していて、饒舌に話しすぎたかもしれない。女性は犬を連れていた。
(あれ?)
 それがどう思い出しても、犬のかたちをしていない。光学迷彩のゆがんだ陽射しのなかに立っている、あれはほんとうに犬だったのか? そもそも、どうして駅に爆弾を仕掛けようと思ったのか? 銀行の場所をたずねてきた女性は人ではなく、思念の咆哮銃を向けると、観光地に置かれている顔の部分に穴が開いたパネルのようになって燃えていった。それは覚えている。不動産屋の窓にも、コンビニの駐車場にも紙のパネルが立っていて、指さす方向にいったい何が? 教室のクラスメイトたちはカーテンに隠れて、手鏡に反射した光を親の顔にあてる遊びに夢中だ。彼女たちの手鏡はプラスチックの宝石にいろどられ、彼女たちがおしゃべりしている声は、沙都子には理解できない言語のほつれでしかない。(これはあれだな)水色の空には銀ラメの旅客機が細い糸に吊られてぶら下がっていて(なんて言ったかな?)この数ヵ月、自分がどうやって暮らしていたのか、何を考えていたのか思い出すことができない。
 ——と、何もない宙空から金色の手が現れて、手にしているハサミで彼女の長く伸びた前髪を切った。黒い髪が沙都子の視界に降りそそぎ、風に吹かれて舞っていく。
「またすぐ来るから」
 となりの部屋では祖母と母が話している。「遺品の整理もあるし、そのときはモコ姉ちゃんも一緒に」
 それから「帰るわよ」と一際大きな母の声が聞こえ、「サトコ、おばあちゃんに挨拶して」
 庭に視線を戻すと、犬がおぼつかない足取りで、犬小屋に戻ろうとしている。



 人の鼻歌を奪うな


 昨夜はかなり危険な状態だった。鏡を見ると、自分の顔が左右で違う。右は無表情なのに、左が少し笑っている。鏡を覗き込んで、顔の筋肉を動かしてみる。眉間に力を入れたり、口を大きく開いたり、唇をすぼめてみたり、それなのにどうしても左が笑う。そもそも人間の顔は左右対称ではないらしいが、そんなレベルではなく、鏡に映る自分の顔は、美大生がふざけて描いた抽象画みたいに狂っている。
 アルバイトのMくんが無断欠勤するようになってから、夜もひとりで働いている。真夜中の牛丼屋にやってくるのは睡眠不足の吸血鬼たち。五分に一度はポストしなさいと医者に強く言われている怪人たち。帰るお墓を失って、途方に暮れている屍人たち。もれなく、だれもが死んでいる。もしくは死にいざなわれる一歩手前。
 だれもが棺桶のなかでガソリンを頭からかぶって、最後の時間をおごそかに過ごし、夜が深まるにつれてちょっと小腹が空いた、というような顔をしている。ひどく散漫な手つきで牛丼を口に運び、唇のはじから米粒や紅しょうがをカウンターにこぼし、わずかに目を離した隙に消えている。
 気づいている人間は気づいている。バラエティ番組のなかだ。大食漢の日本人を見つめて、外国人が悲鳴をあげる。「信じられない!」「日本人は胃袋まで高性能なの?!」しかし唇の動きを見ればわかる。ほんとうは「はやくそこから逃げて!」と叫んでいる。
 情報が錯綜さくそうしている昨今だ。読唇術のひとつも習得しなければ、正しい情報は得られない。
 その少女もそういう死に損ないのひとりだと思った。
 少女はTシャツに灰色のスウェットパンツという、家と外との境界線を失って、目覚めたら一日が終わっていたという寝ぼけた顔をしている。ミートソース柄のTシャツは食欲を減退させるためには役立ちそうだが、乳房の膨らみはどこに消えたのかわからない。いつから洗っていないのか、肩までの黒い髪はぼさぼさで、化粧気のない顔はメラニン色素の塊のようなそばかすにまみれている。鼻筋だけがやけに白く通っている。
 自販機で注文をせずに彼女がカウンターに座ったので、「先に注文をお願いします」とぼくは事務的に告げた。少女はぼくの顔をまじまじと見つめ、それから言った。
「何かひとつ注文してもらってもいいかな? そのあとは朝までいていいよ」
 少女の声は聞き取りづらいモスキート音のようだった。すきっ歯になった隙間から空気を漏らすような声で話す。
「そういう規則なんだ。本部の指示でね」
 少女が言う。
「わかるけど、ぼくが決めたことじゃないからね」
 ときどき、こういう連中がやってくる。牛丼屋の店員を懺悔室の牧師かなにかと勘違いしている連中だ。わたしの罪を聞いてほしい。ひとりでいると死にたくなる。
 いいかげん目を覚ましてくれ。
 だれかに話せる罪なら心配いらない。闇を知っているつもりなら、きっと立ち直れる。いいかげん気づいたほうがいい。たいていの人は光も闇もない場所で生きている。心の闇なんてものは存在せず、湊かなえが捏造した。
 少女は困った顔をして、それから言った。
「わかった。でも、お客さんが多くなったら帰ってね」
 とぼくが言うと、少女は応えた。
「どうせこの時間はお客さんが少ないから、ほんとうは話し相手がいてくれて助かるよ」
 といって、何の話をしたのかは覚えていない。記憶にあるものだけを抜粋すると、
「そういうときは、こうやってびっこを引いて歩くんだ。非力な人間の工夫だよ」
「家族とはうまくいってなかったけど、でも、きっと幸せな家族も面倒は同じだと思う」
「やっぱりおかしいかな? 右の目で見ると、きみがいるのに、ほら、こうやって左で見ると、きみが見えない」
 少女は楽しげにぼくの話を聞きながら、自分のうなじのあたりを掻いていた。角質がぼろぼろとカウンターに落ちる。ちらほらフランケンシュタインや狼女がやってきて、ぼくが牛丼をよそっているあいだ、彼女はカウンターに頬杖をついて鼻歌を歌っていた。彼女のモスキート音を含んだ歌声に共鳴して、店内の照明が青く揺らめく。フランケンシュタインと狼女は不安げに天井を見上げて、ぼくはそれが知っている曲だったので、コーラスのところから口ずさむと、彼女は初めて不機嫌な顔をしてみせた。
 東京は夜の七時。リオデジャネイロは朝の七時。国道沿いにある牛丼屋は午前三時。
 そして奇跡が起きた。
 フランケンシュタインがタップダンスをはじめた。彼の精神は蝋燭の火がメタルを溶かし、その液状化した金属がマグカップを満たすのを待っているみたいに鈍く、ひとつひとつの動作が遅いことが悩みだった。その彼が高速のステップを踏んで、汗を輝かせて踊っている。
「何も食べれないの」と過食症になった狼女が言う。「今日もポテトチップスをつまんだだけ。バーキンのワッパーと冷凍うどんに生卵落として食べただけ」今日も彼女は透視のトンネルをつなげて、別れた彼氏の寝室を覗き見ている。「よく食べるね、って彼氏に言われたことがある」と二杯目の牛丼を頬張りながら「それをあたしは褒め言葉だと受けとった」しかし彼の本意はちがった。
 似たような話はどこにでもある。ぼくの知人は、駅前のスーパーのポテトサラダが死ぬほど美味しい、とSNSに投稿していた。それがふつうの、特筆することのないポテトサラダだったのでぼくは反論したが、彼が言っているスーパーは成城石井だった。しかし、ぼくの世界に成城石井は存在しなかった。
 とにかく狼女は牛丼を食べながら、透視のトンネルをつなげて、今夜初めてトンネルの向こうに彼の目があることに気づく。目と目で接吻を交わす。涙を流しながら、睫毛と睫毛を擦り合わせる。
 これは一例に過ぎない。不眠症の吸血鬼たちは、もはや眠る必要はないと悟る。脳みそに纏わりついていた濃霧が晴れて、何もかもがクリアに見える。ずっとわからずにいた彼女の「ねえ、わかるでしょう?」という口癖がいまではわかるような気がしてくるから不思議だ。怪人たちは防弾チョッキを身につけた平和の鳩に別れを告げて、まったく新しい言語を創造しはじめる。その言語は、いまのところ「ぼくはここにいます」とドアをノックするぐらいの機能しかないが、いつしか多くの意味を伝えられるようになるだろう。
 ぼくらはつながって、溶け合って、屍人はいつか献血で提供した自分の血が見知らぬだれかの心臓を動かしていることを知る。快活に、夢中になって、その子のために何ができるのか考えはじめる。
 SNSでは〈奇跡の牛丼〉というタグが立ち上がり、「わたしはここの牛丼を食べて、人生が変わりました!」「とにかく楽しい。生きる歓びを感じる!」「死にたいと思ったら、まず騙されたと思ってここの牛丼を食べてみて!」
 というわけで深夜の牛丼屋は、いまでは大盛況だ。
 だれもが幸福に包まれている。満ち足りている。ぼくが思い出しているのは、中学校の道徳の時間に観た〈レナードの朝〉という映画だ。嗜眠性脳炎という病気で三十年間眠りつづけていたレナードが奇跡的に目を覚ます。おはよう、レナード。
 とはいえ、それがけっして牛丼がもたらした奇跡ではないことをぼくは知っている。牛丼は本部のセンターが調理したものを温め直しているだけで、その調理工程も材料も変わっていない。つくっているぼくが何もしていないのだから、牛丼が原因なら、チェーン店のすべてで奇跡が起こっていないと辻褄が合わない。
 少女だ。
 少女が鼻歌を歌っているときだけ、牛丼を食べた者が覚醒する。
 まかないの牛丼を食べて、しばらくすると全身の毛穴が開く感覚がある。手のひらはじっとりと汗をかき、体内の器官が反発し、いま食べたものを吐き出せと言う。その波を越えると、体の表面に新しい膜ができたように意識が鈍る。説明がむずかしい。ある部分では鋭敏になって、店内の照明ですら眩しく感じる。
 ガラスに映る自分の顔を見つめ、頬を撫でると、手のひらに伸びはじめたヒゲの感触がゴワゴワとする。左右別々の表情をしている顔は治っていない。左の顔が笑って、右の顔が気難しそうに眉をひそめている。その顔が湾曲した鏡に映るように捻じ曲がりながら左右に伸びていく。それが凝視した目の錯視ということに気づきながら、心地よくてやめることができない。
 少女は——というと、店内のガラスには映っておらず、振り返るとそこにいて、カウンターのイスに膝を抱えて座っている。
〈レナードの朝〉は、どうやって終わったのか。
 たしか、レナードが再び眠りについて終わるのだ。
 ある日、ぼくが働く牛丼屋は食中毒を出した。メディアにも取り上げられていたから知っている人もいるかもしれない。営業停止処分になって、その間に殺菌消毒、害虫駆除などの対策をおこなった。
 業者の報告を受ける。「こんな大きなハクビシンがいましたよ。ちょっと他では見ないレベルの」と自慢げに写真まで見せられた。汚水と廃油に濡れそぼり、赤い目をしたハクビシンだった。
 事の顛末てんまつはこうだ。牛丼屋が入っている雑居ビルは三階以降がアパートになっていて、最上階にはヤクザの組事務所がある。そのハクビシンはそこにある覚醒剤を主食とし、骨の髄まで薬物に汚染されていた。その体毛や角質が店内に飛散し、歌っている飛沫が牛丼のアタマ(牛肉や玉ねぎを煮込んだ部分)を温めている寸胴に入り、残留していたアンフェタミンやメタンフェタミンが溶け出し、牛丼を食べた人間の脳みそにドーパミンの異常分泌をもたらした。——と説明してみたが、納得してもらえるとも思っていない。
 ぼくらは以前の姿に戻っている。吸血鬼も怪人も屍人も、ぼくらは再び、分断されたそれぞれの夢を見ている。ときどき少女のことを思い出して、彼女が歌っていた鼻歌を口ずさむことがある。国道沿いにある牛丼屋は初雪を観測し、人間や車やハクビシンの足跡が残る午前四時、——足跡は牛丼屋を出たあと、コンビニを経由して陸橋を渡り、たいていの場合は携帯電話の代理店の角を曲がったあたりで、アパートの寒さを想像して身震いする。


 惑星2049の檻姫


 それは地球時代の記録映像からはじまる。壇上にいるのは、張りを失った白髪を伸ばしっ放しにした白人女性で、鬼気迫る表情で会場に集まった民衆に問いかけている。記録されたのは一九七六年九月四日、サンフランシスコ。——画像の粒子は荒く、音声は乱れ、さらに興奮した彼女が早口で発する声は聞き取りづらい。しかし、彼女の提言は要約すれば、とてもシンプルだ。男女の違いは存在する。それは生物学的にも、社会的な役割についても、本能的な嗜好についても異なる。それは認める。だから、ひとつの世界に男女が存在することがそもそもの間違いなのでは?
 話し終えた女性は欲情に終止符を打ち、その余韻のなかを漂っているような満ち足りた顔をしている。そこからカメラがターンして、会場の雰囲気を映し出す。まばらな観客席からはおざなりな拍手。祖父に連れられてきたらしい男の子がポップコーンの容器に右手を突っ込み、ぽかんと口を開けている表情で映像は終わる。
 当時から社会問題になっていたのは、痴漢や強姦、執拗なストーカー、および性的なハラスメントだった。刑罰を重くする議論が幾度となく交わされ、しかし犯罪は減らなかった。女たちはいぶかしがった。社会的地位を失っても、家族を失っても、陰茎を切り落とされても、どうして男たちはそれを繰り返すのか? 原始人ではあるまいし、前史時代からずっと変わらない。
 過去の事件資料は図書館にアーカイブされている。興味があるなら閲覧可能だが、おすすめはしない。たとえば、No86454256に記載された男は電車に乗っているあいだ、ずっと陰茎をさらしている。乗車扉の前でこちらに背を向けて立っている男がそれだ。あまりにさりげなく当然に出ているので、気づいた人はそれを何かの見間違いだと思う。ある男は営業の電話をしながらアダルトグッズのWEBサイトを物色し、そのセクシー女優の口や性器だけを模したオナニー用品が実際にあればと願った。駅裏の少女を買って実行に移した。
 理解できない。
 おたがい様だ。男は男で女を理解できないのだから、理解し合えない者同士がひとつの惑星にいることが不幸だったのだ。
 二十六歳まで義務化されている卵子提供を終えた日、わたしは自分の部屋の床に膝を抱えて座っている。いつまでも、どこまでもひとりだ。マンションの部屋には大きな窓があって、同じようなマンションが建ちならんでいるのが見える。夜になれば、それぞれの窓にそれぞれのカーテンの色に塗り分けられた灯りがともる。そこにいる女たちも皆ひとりだ。
 だから孤独ではない。
 この惑星2049には女しかいない。厳密にいえば、男も女も三歳まではこの惑星2049で育てられるので、男がいないわけではない。三歳まで育てられた男の子は輸送カプセルに乗せられて地球に送られる。成人した男性は地球にしかいない。
 男と女が異なる惑星で暮らす〈惑星別居法〉が施行されたのが、もう数百年以上も前の話だ。わたしにとっては歴史の教科書に記載された年表の数行に過ぎないが、記憶の劣化を防ぐため、惑星2049ではさまざまな式典が執りおこなわれる。一年に一度の〈泣く日〉もそのうちのひとつだ。制定されたその日、惑星2049に住むすべての女たちが、地球時代に犠牲になった女たちのことを想って泣く。マンションの壁に備えつけられているモニターには式典の様子が映し出され、純潔を意味する白装束を着た少女たちが泣き叫んでいる。十六歳のとき、わたしも代表に選ばれたことがある。記念公園の芝生に整列し、早朝から夜が明けるまで泣き狂い、トランス状態になり、その翌日が〈美しくも、わたしたちを傷つける地球〉の日だ。
 お腹が空いていることに気づき、豆を茹でて食べた。食べ終わったあともしばらく空になった食器、乳白色の陶器の底を眺めていた。夕方になり、夜になり、陶器の底が薄暗闇に隠れてから、ようやく視線を窓に向けた。
 男が走っている。
 いつからかマンションの窓に、男の姿が映るようになった。惑星2049には存在しない成人男性だ。えりあしの長い髪は汗に濡れているようで、額に落ちてくる前髪を後ろに撫でつけている。よれよれになったTシャツにスウェットのトレーニングパンツ。太い首にタオルをかけており、顔の印象からしてアジア人と思われる。
 なめらかな映像ではない。白いチョークで描かれたデッサンみたいな男の姿が、写真のスライドショーのようにコマ送りされる。はじめはだれかがイタズラして、マンションの向こう側から映写機の光を当てているのかもしれないと思った。成人男性の記録映像は入手できる。しかし、そういうわけではないようだ。
 当分のあいだは気になるので、カーテンを閉めていた。そろそろ居なくなっているかもしれないと思ってカーテンを開けると、まだ走っていたので、思いがけず笑ってしまった。といって、愛着が湧いたわけでもない。念のため、マンションの管理をしてくれている女性にも確認してもらった。わたしだけではなく、管理人の女性にも見えるらしい。しきりに首を傾げていた。
 管理人が出した結論は、地球から発せられる電波が偶然の軌跡によって、男の姿がこの部屋の窓ガラスで像を結ぶのだろう、というものだった。信憑性はまるでない。実害はないので、わたしが気にしなければそれで済む。
 夜道を歩けば、マンションの狭間に横たわる夜空が見える。北西の空に青白く輝く星が地球らしいが、ラベルを貼られているわけではないので、教えられるがままそう思っているだけだ。地球には億千人の成人男性が住んでいて、巨大な工場で昼夜問わず働いているらしい。その休憩時間とか、就業前とか、窓ガラスに映る男のようにランニングしたりしているのだろうか? この宇宙に成人した男が存在しているという実感がない。
 静寂に縁取られたうららかな日を、わたしはマンションの床に蹲って過ごす。夜が更けて、目の前にあるものが見えなくなってからベッドに潜りこむ。この世界は素晴らしい。美しく、何より清潔だ。性犯罪はもちろん、戦争もない。いまさらではあるが、諸悪の根源は男のセックスにあったと気づかされる。それでも、地に足がついていないような不安に襲われることがある。女ということはわかっている。それが意味しているのは肉体的な性別だけだ。女らしさという概念は消滅して久しい。
 それは育児センターに行ってみても同じことだ。受付を済ませてホールに入ると観覧席があり、水族館のような水槽がある。水槽のなかには惑星2049で育てられている子どもたちがいる。食事をしたり、遊んでいたり、眠ったり、思いのままに過ごしている。
 だれの子というわけではない。いうなれば、惑星2049の子どもたちだ。精液が培養され、それはカルピス菌のように新しく生み出すことはできないらしいが、わたしたちは卵子を提供し、育児センターの繁殖ルームで人工的な受精がおこなわれる。惑星2049はそのために存在している。宇宙空間を彷徨さまよう孤独な子宮が脳裏に浮かぶ。
 育児センターは二十四時間開放されている。まったく訪れない人もいるし、熱心に通っている女性もいる。編み物をしたり、持参したサンドウィッチを食べながら、子どもたちの様子を眺めている。
 わたしはどちらでもない。散歩のついでに立ち寄ることもあるし、立ち寄らないこともある。ただそれだけの場所だ。
 ガラスを隔てた水槽のなかで、わたしの目の前にいる子どもはボール遊びをしている。角度によって金色に見える髪を耳の高さで切り揃え、中性的な顔つきをしているが、おそらくは男の子だろう。蛍光色のゴムまりを抱きかかえ、落としてはまた追いかけている。あえて落としているのか、丸く膨らんだお腹が邪魔をして落としてしまうのかわからない。まだ短い手のせいかもしれない。
 いつしかわたしは立ち上がって、ガラスの壁に額をつけるようにして覗きこんでいた。焦点を変えると、自分の顔がガラスに映っている。男の子は、わたしの落ち窪んだ目のあいだの鼻筋のあたりに立っている。何歳なのかはわからない。が、容姿から判断すれば、すでに三歳が近づいている。地球がどんな生活なのか詳しくは知らないが、過酷な労働環境、尊厳の喪失、よくない噂が絶えずある。——と同時に、男の子に向けられているはずの眼差しが自分にも向けられていることに気づく。ガラスに映ったわたしが、わたしを見ている。いや、ガラスに映っている目はわたしのものではなく、見知らぬだれかの目のようだ。
 マンションの窓ガラスに映る男に似ている気がした。彼は今日も走っているだろう。あれはわたしが見ていないときでも走り続けているのだ。だれも見ていない殺風景な部屋の窓ガラスに張りつき、苦悶の表情を浮かべながら、それでも両手両足を動かすことをやめようとしない。おそらくはわたしが死んだあとも、——と思うと、そういうことか。彼は救ってほしいのだ。どこに行きたいのか知らないし、それはだれの意図でもないが、わたしの部屋の窓ガラスが彼の進路を塞いでいる。走っても、走っても、どこへも行けず、彼は永遠の徒労のなかにいて、そうだ、壊してしまおう。
 そうと決めると脳裏にカナヅチを振りおろす自分が現れて、マンションの窓ガラスを叩き割っていた。ガラスの破片が飛び散って、破片のひとつひとつに焼きついた男の姿が白くほつれた思念のようになって夜空を揺蕩たゆたう。さあ、どこへでも好きなところに行けばいい。
 と、異常を知らせる警報音で空想を断ち切られた。気づけば、目の前のガラスに無数の亀裂が入り、脆くも崩れ去ろうとしているところだ。痛みを感じ、見ると血まみれの拳から中手骨ちゅうしゅこつが剥き出しになっている。わたしがやったのか? 観覧席からは悲鳴があがり、逃げ惑う足音がわたしの背後を遠ざかっていく。ひとりの女が足を踏みはずして転倒し、それをきっかけにしてガラス一面に細かい亀裂が拡がった。次の瞬間には砕け散ったガラスが足元に降りつもり、男の子が驚いた表情でわたしを見ている。その顔が風船が萎むように皺だらけになり、最後には小さな糸屑が、形あるものが瞬時に風化していくように消えていく。
 同期だ。
 時空に歪みが生じて、一瞬にして地球と惑星2049のあいだに横たわるタイムラグが消滅した。地球と惑星2049は幾千光年も離れている。惑星2049から見える地球は幾千光年の過去であり、その膨大な時間の蓄積が、惑星2049に一気に押し寄せてくる。
 地球に残された男たちはすでに絶滅していた。男たちが生存していたのは、オリジナルと呼ばれる女たちが惑星2049に向けて出発してから百年にも満たない。働くことなくギャンブルに興じ、家はゴミ屋敷と化し、髪も髭も整えない原始人となり、つまるところ男は、女性が存在しなければ生きていくことができない生物だった。妻ではなくても恋人でなくてもいい。だれでもいい。それでも視界に女性がいなければ、勤勉さのかけらさえ保つことができないのだ。地球は現在、海からあがってきたアザラシによって支配されている。それさえもすでに数千年前の話だ。惑星2049から送られた第一子の男の子はいまだ幾千光年の旅の途中。
 わたしの眼球は左右のあちこちを向いて、目の前で風化していく子どもたちと、地球に向かって行列をなしている遺伝子のカプセルと、駆けつけた警備員に告げ口している女の姿を同時に見ている。
 ——という精神錯乱者を除けば、この世界は我ながらよくできている。


 足踏み地蔵


 足踏み地蔵がぐんぐんと
 狂乱のふりをしているけど
 ほんとうは足踏みしてるだけ
 たまに奇声をあげたり
 愛を告げたりしようとするけれど
 ほんとうは足踏みしてるだけ


(おわり)

注釈
『人の鼻歌を奪うな』に出てくる「東京は夜の七時、リオデジャネイロは朝の七時」は、矢野顕子さんの「東京は夜の七時」の歌詞になります。


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