なぜ中国は繰り返すのか? レーダー照射10年の検証と日本の失策
はじめに:なぜ“10年経っても”同じことが起きるのか
中国軍機が自衛隊機にレーダーを照射した――。
この報道を聞いたとき、私は強い既視感を覚えた。
なぜなら、この国は 10年以上も同じ危険にさらされ続けているからだ。
2013年の海自護衛艦への照射。
2023~24年の連続事案。
そして2025年の今回。
驚くべきことに、日本はその度にほぼ同じ対応を繰り返し、
中国はその度に行動をエスカレートさせてきた。
レーダー照射とは、武器使用の“直前行為”である。
それが繰り返されるということは、
日本の抗議が抑止として機能していないということだ。
では、中国は何を試しているのか。
そして日本は、なぜ“学べなかった”のか。
このコラムでは、10年の歴史を振り返りながら、
日本が抱え続けてきた構造的な弱さに切り込んでいく。
背景①:2013年、中国海軍が海自護衛艦へ照射──“最初の警告”
日本が中国による“照射行為”の危険性を初めて真正面から突きつけられたのは、2013年のことである。
中国海軍艦艇が海上自衛隊の護衛艦に対し、射撃用レーダー(FCR)を照射した――。
これは軍事上、単なる威嚇ではなく、攻撃の一歩手前という意味を持つ。
当時、私は「中国は一線を越えてきた」と感じた。
なぜなら、レーダー照射は訓練中の偶発行為ではなく、
明確な意思を伴った“行動”だからである。
しかし、その直後に中国側が取った態度は、さらに衝撃的だった。
日本政府が抗議すると、中国は「事実無根」と完全否定し、
国営メディアを使って“日本側の捏造”という形に世論誘導を始めた。
ここには、軍事行動と情報戦を一体化する中国の戦略が透けて見える。
それにもかかわらず、日本の反応は極めて弱かった。
強い抗議はしたものの、実際には“遺憾の意”を示しただけで終わり、
具体的な対抗措置も法整備も行われなかった。
このとき私は、
「中国は必ず再び照射する」
と強く感じた。
なぜなら、行為に代償が伴わなければ、相手は行動を改めないからだ。
2013年の照射事件は、中国が日本の“反応”を見極めるために行った、
いわば“最初の警告”であった。
しかし日本は、この警告の意味を深く理解しなかった。
その代償が、10年後の現在へと続いているのである。
背景②:2023〜2024年の連続照射──“偶発ではない証拠”
2013年の“最初の警告”から10年。
中国は再び、そして立て続けに日本の航空・海上部隊へ照射行為を行った。
2023年から2024年にかけての事案は、もはや“偶然”という言葉では片づけられない。
むしろ、中国が 意図的にエスカレーションさせている ことを示す証拠と言ってよい。
当時、中国軍機は尖閣周辺だけでなく、
日本の防空識別圏(ADIZ)近くで挑発的な行動を繰り返していた。
レーダー照射に加え、危険な接近、低空飛行、無人機による監視行動――。
そのすべてが、台湾有事を念頭に置いた“事前のシミュレーション”と読み取れた。
私は、この頃から中国の行動原理が明確に変わったと感じていた。
それは、
「日本がどこまで我慢するのか、その境界線を測っている」
という行動である。
日本側は抗議を続けたが、
その内容は10年前と何も変わっていなかった。
「遺憾である」「安全保障上、極めて危険」
――文言こそ正しいが、具体的な対抗措置は示されなかった。
結果、中国に伝わったメッセージはこうだ。
「照射しても日本は強く反応しない」
そしてそれが、2025年の照射へとつながっていく。
さらに、中国国内でも軍の強硬派が勢いを増していた。
経済成長の鈍化、国内統制の強化、習政権の権威維持――
これら全てが“外への威圧行動”を正当化する材料として使われた。
2023〜2024年の連続照射は、
「中国軍が暴走している」のではなく、
「中国が意図をもって日本の反応を測っている」
という構造を示す決定的なサインだった。
つまり、今回の照射は突然の事件ではない。
10年間、日本の対応が変わらなかった結果として
“必然的に起きた出来事”なのである。
日本への影響①:レーダー照射が意味する“事実上の交戦一歩手前”】
多くの日本人は「レーダー照射」と聞いても、
それがどれほど危険な行為なのか、具体的なイメージを持っていない。
しかし軍事的には、照射は 引き金に指をかけた状態 と同義である。
射撃用レーダー(FCR)は、
「いつでも攻撃できる」という意思表示そのものだ。
照射された瞬間、防衛側のパイロットや乗組員は、
次の行動を誤れば命を落とす可能性がある。
それほど緊迫した場面だ。
実際、レーダー照射は世界的にも
「交戦の一歩手前」
「偶発的な武力衝突の直前」
として扱われている。
国際社会において、照射行為は極めて挑発的な行為であり、
むしろ“攻撃と見なされても文句を言えない”レベルだ。
だからこそ、私は今回の照射を単なる挑発ではなく
「武力衝突の可能性を高める危険行為」 と位置づける。
もし自衛隊が誤認し、回避行動が遅れれば、
航空機同士の衝突や、意図せぬ攻撃の連鎖が起きる可能性もある。
その瞬間、日本と中国は“戦闘状態”に入るリスクすらある。
さらに、この種の行為が繰り返されると、
現場のストレスは高まり、判断ミスの確率も上がる。
2013年から2025年までの一連の照射行為は、
「偶発的衝突のリスクを意図的に積み上げている」 としか思えない。
そして恐ろしいのは、
日本側が依然として同じ対応を続けていることだ。
抗議し、遺憾を表明し、再発防止を求める――。
だが中国の行動は変わらない。
つまり、今の仕組みでは“日本の安全”は守れないということだ。
レーダー照射とは、
中国が日本の反応を試し、
日本の抑止力を測り、
日本の弱点を突くための行動である。
この現実を理解しなければ、
日本は10年前と同じ失敗を繰り返すことになる。
日本への影響②:外交・世論への影響──“繰り返される遺憾”の限界
レーダー照射の問題がここまで深刻になった理由の一つは、
日本の外交姿勢が10年間ほとんど変わらなかったこと にある。
事件が起きるたびに政府は抗議を行い、
「極めて遺憾である」「断じて容認できない」
という定型文を発信する。
だが、その後に続く“行動”が何も伴っていない。
外交というのは、言葉だけでは成立しない。
相手国の行動を変えられなければ、
それは抑止とは呼ばない。
中国が照射を繰り返しているという事実そのものが、
日本の外交が効果を持っていないことの証拠 である。
また、国内世論にも問題がある。
レーダー照射がどれほど危険かという理解が、
一般国民に十分浸透していない。
報道は数日で沈静化し、人々の記憶から薄れていく。
その結果、政治家にとっても“本気で取り組むべき優先度”は上がらない。
中国は、この“日本の弱点”をよく理解している。
日本がどれだけ抗議しても、
国民が大きく動揺せず、
政府の強硬措置が支持される空気にもならない。
つまり、
「日本は強いリアクションを取らない国だ」
という認識が、中国側の行動をより大胆にさせている。
さらに言えば、日本の“対中配慮”の姿勢は、
外交交渉の場でも不利に働いている。
強く抗議しても、実質的な制裁や対抗措置は取らない。
これでは、国際社会から見ても説得力がない。
レーダー照射は、
単なる軍事的問題ではなく、
日本の外交力・政治判断・国民意識の弱点が凝縮された
象徴的な事案 といえる。
繰り返される遺憾表明では、
中国の行動は止まらない。
むしろ、
「日本はここまでやっても反応しない国」
という誤ったメッセージを与え続けてしまう。
外交の“限界”を直視しない限り、
日本はこの問題を永遠に繰り返すことになる。

国内の課題:法整備の遅れと“決められない政治”
日本がレーダー照射に対して強い対抗措置を取れない理由は、
軍事力の不足ではない。
最大の問題は、政治と法制度が“決められない構造”に陥っていること だ。
そもそも日本には、
武力攻撃に至らない“グレーゾーン事態”への包括的な法整備が不十分である。
レーダー照射は攻撃ではないため、
日本は自衛権を発動できない。
しかし危険性は明らかに武力衝突の一歩手前である。
この中途半端な状態が、
「何もできない日本」を生み出している。
政府は毅然とした対応を取りたくても、
法律が曖昧なため、
政治的リスクを恐れて踏み込めない。
結果、10年前も今も同じ対応しかできない。
さらに、国会の議論も遅れている。
中国の脅威は10年以上前から明らかだったにもかかわらず、
安全保障に関する議論は政争の具にされ、
本質的な法整備は先送りにされ続けてきた。
その背景には、
「強い安全保障政策=戦争に向かう」という誤った風潮がある。
この思考停止が、日本の抑止力を著しく弱めている。
私は繰り返し強調したいのだが、
抑止力とは“戦争を避ける力”であり、戦争を求める力ではない。
中国が照射行為を繰り返しているのは、
日本が“反撃しない国”であると理解しているからだ。
また、国内政治には“対中配慮”という古い慣習が残っている。
経済関係への影響を恐れ、
強いメッセージを出そうとしない議員も多い。
だが安全保障を犠牲にした経済優先は、
長期的に見れば国家として最も危険な選択である。
結局のところ、
レーダー照射問題は軍事技術の問題ではなく、
「制度設計」と「政治判断」の問題 なのだ。
法整備が遅れ、政治が動かない限り、
中国はこれからも照射行為を続けるだろう。
日本が“変わる覚悟”を示すまで、
何度でも同じ危機が繰り返される。
国際環境:米中緊張、台湾情勢、同盟国の反応
レーダー照射という一見“局地的な事件”も、
実は 国際情勢という巨大な流れの中で起きている。
これを理解しないと、本質はつかめない。
まず、米中対立はすでに「競争」ではなく
“管理された衝突状態” に入りつつある。
米国は台湾を守る姿勢を徐々に明確化し、
中国は軍事演習や示威行動で「既成事実化」を進めている。
その板挟みになっているのが日本だ。
台湾海峡で緊張が高まれば、
最も早く影響を受けるのは日本の南西諸島。
中国軍機が日本周辺で活動を増やし、
自衛隊との接触が増えているのは、
偶然でも挑発でもなく、戦略的な流れの一部 だ。
同盟国の反応を見ると、
米国は日本に「より積極的な役割」を求めている。
豪州や英国もインド太平洋への関与を強め、
多国間での対中抑止を固めようと動いている。
一方で、西側が一枚岩というわけでもない。
欧州はウクライナ支援で疲弊し、
中東の緊張も続き、
アジアへの関与には限界がある。
日本に向けられる期待は、
表向きの “パートナー” 以上に重い。
台湾もまた、日本の動きを注視している。
万一の有事で日本がどう動くか。
後方支援をどこまで担えるか。
その一点に地域の命運がかかっていると言っても過言ではない。
つまり、日本のレーダー照射問題は
「地域情勢の圧力が一点に集まった結果」 でもあるのだ。
日本の曖昧な対応は、
同盟国の信頼を損なうリスクすらある。
私は思う。
国際社会の動きは、
日本が“のんびり議論していられる速度”では進んでいない。
この10年の間に、アジアの安全保障は段階を飛ばして変質した。
その現実を直視できるかどうか。
それが次の10年、日本の生存を左右する。
提言①:抑止力の再定義──技術・法制度・そして“意志”
10年前から同じ問題が繰り返され続ける理由は単純だ。
日本の「抑止力」が、いまだ “高度な自己規制” に縛られたまま だからだ。
抑止とは、武力を使うことではない。
相手に「日本には手を出すだけ損だ」と思わせる力 のことだ。
ところが現在の日本は、技術・制度・運用のすべてで
そのメッセージを十分に出せていない。
① 技術面:自衛隊の“目と手”を奪われている現実
レーダー照射は攻撃の前段階とも言える行為だ。
本来なら、日本側は即座に「反撃能力は存在するぞ」という
明確なメッセージを返さなければならない。
・だが現実には、監視能力(ISR)が不十分
・無人機・AI分析・電子戦などの新領域が出遅れ
・反撃能力は整備途中で、政治判断も揺れる
こうした弱点が、相手に“隙”を与えている。
現場の自衛官は優秀だ。
問題は 国家としての装備・技術投資が遅れてきたこと にある。
② 法制度:何が“できる”のか国民ですら曖昧
中国軍機が挑発してきても、
日本がどの時点で強い対応を取れるのか、
国民の多くが理解していない。
政治家ですら説明を避けることがある。
この曖昧さこそ、抑止力を弱らせる最大の要因 だ。
法整備を行い、
「ここまで来たら日本はこう動く」という
透明で一貫したラインを引くことこそ、
平和を守るための実務だと私は思う。
③ 意志:最後に必要なのは“覚悟の有無”
中国が最も重視するのは、日本の“武器の量”ではなく 国民の意志 だ。
「日本は本気で領土・国民を守るのか?」
「日米同盟を機能させる覚悟はあるのか?」
「挑発に屈しない国家なのか?」
この問いに答えられないままでは、抑止力はいつまでも完成しない。
私は、平和主義者だ。
だからこそ、戦わないために“戦う覚悟を示す” ことが必要だと痛感している。
抑止とは、武力より先に「国家の意志」を整えることから始まる。
この順番を変えない限り、
日本は挑発され続けるだろう。
提言②:10年後に同じことを繰り返さないための国家戦略
私は、今回のレーダー照射問題を「危険な事件」として終わらせるべきではないと思っている。
むしろ、10年後も同じことが起きている日本で良いのか?
という問いを、今こそ国家として突きつけるべきだ。
では、10年後の日本が中国に試され続けないためには、
何が必要なのか。
私は次の三つが欠かせないと考えている。
① 日本の“領域防衛”を国家戦略として再定義せよ
まず、日本は中国の行動を「想定外」と呼ぶ段階をとっくに過ぎている。
この10年で分かったことは、中国は一貫して
日本の反応、政治判断、抑止力の限界を測っている という事実だ。
ならば、日本も同じように
“相手の行動を変えさせるための国家戦略”
を持たなければならない。
領域防衛は、技術・外交・法制度を包み込んだ
総合戦略であるべきだ。
② 日本は「行動の一貫性」を取り戻せ
中国が繰り返し照射する最大の理由は、日本が毎回同じ対応しかしないから だ。
逆に言えば、“照射をすれば代償を払う”
という国としての一貫したラインを示せば、中国の行動には必ず変化が出る。
対抗措置は戦争ではない。
国際社会の常識であり、抑止の基礎だ。
③ 国民が「平和=現実を見ること」と理解すること
私は、国民の理解が最も大切だと考えている。
抑止力の本質は、武力ではなく「国家の意志」だからだ。
日本では“安全保障の議論=危険思想”という
古い発想がいまだに残っている。
だが、それこそが平和を遠ざけてきた。
平和とは、
“目をそらさず、準備をし、現実を直視する勇気”
で維持されるものだ。
この考えが国民の中に根づけば、政治は変わり、制度は変わり、中国の行動も必ず変わる。
日本は、10年前と同じ過ちを繰り返す必要はない。
必要なのは、現実を受け入れ、恐れるのではなく
“備える国家”へと変わることだ。
私はその未来に、強い希望を感じている。

締め:日本はもう“同じ失敗”を許されない
中国軍機によるレーダー照射は、危険な挑発行為であり、国際常識から見ても到底容認できるものではない。
しかし、私が最も深刻に受け止めているのは 「10年前と、構図がほとんど変わっていない」という現実 である。
日本は警告し、中国は否定する。
国民は不安を抱き、政治は限定的な対応しか取れない。
この繰り返しが、相手に“日本は変わらない”という誤ったメッセージを与えてきた。
だが、私は決して悲観しているわけではない。
むしろ、この問題が国民の意識を変える契機になると感じている。
日本は今、国家として成熟しつつある。
ここ数年で安全保障への理解は大きく深まり、
政治も、国防の「現実」を見据えた判断へと少しずつ舵を切り始めた。
高市首相が掲げる国家安全保障の強化策は、その象徴である。
抑止力の再構築、技術開発、同盟の強化――
いずれも、10年前の日本にはなかった“国家としての意志”だ。
もちろん、すべてが完璧ではない。
だが、方向性は確かに前へ動き始めている。
最後に、私はこう考えている。
平和は願いだけでは守れない。
だが、諦めなければ必ず守れる。
日本が未来に示すべき答えはただ一つ。
「同じ失敗を繰り返さない国家になる」という決意である。
私は、この国がその覚悟を持ち直し、
アジアの安定を支える柱として立ち上がる未来を信じている。
