やらないのに、辞めたくない
息子は暗算学習アプリ「そろタッチ」を続けている。
そろばん式暗算をタブレットで学ぶ教材で、現在はS9まで進んでいる。
今は再開しているけれど、実は一度休会している。
最初の頃は順調だった。
暗算が速くなっていくのが見ていて分かったし、本人も楽しそうだった。
買い物に行けば合計金額を先に言う。
学校の計算問題も、答えだけ先に出してしまう。
続けて良かったな、と思っていた。
でも、級が上がるにつれて少しずつ様子が変わっていった。
ミスが増えた。
進みが遅くなった。
そして何より、始めるまでに時間がかかるようになった。
「まずはやることやろうよ」
「あとでやるよ」
そんなやり取りが増えていった。
本を読みたい。
遊びたい。
難しいからやりたくない。
時間がかかるから面倒。
理由はその日によって違ったと思う。
でも結果は同じだった。
なかなか始まらない。
私は焦る。
息子は動かない。
やるかやらないかで言い合いになる。
息子が泣く。
私も泣く。
暗算のために始めたはずなのに、気付けば親子喧嘩の原因になっていた。
ある日、私は言った。
「ここまで頑張ったんだから、もう辞めてもいいんだよ」
正直、少しほっとするのではないかと思っていた。
私も、毎日のように息子に怒らなくて済むなら、その方が良かった。
でも息子は首を振った。
「僕は辞めたくないの!」
そして続けて言った。
「難しいし、そろタッチに違う違うって言われるのも嫌なの」
「あってるはずなのにダメってなるし」
私は返事ができなかった。
正直、そんな言葉が返ってくるとは思っていなかった。
あれだけ嫌がっていたのに。
あれだけ始めるまで時間がかかっていたのに。
息子の中では、
「やりたくない」
と
「辞めたい」
が別のものだったらしい。
実は、このやり取りは一度ではない。
そろタッチに限らず、習い事でうまくいかないことがあると、
「もう辞める」
と言うことがあった。
私はそのたびに、
「分かった。先生に連絡するね」
と言う。
息子本人の気持ちが大事だと思うから。
すると息子は慌てて私の服を掴む。
「連絡しなくていい!」
その必死な顔を見るたびに、私は混乱した。
辞めたいんじゃなかったの?
じゃあ、何が嫌なの?じゃあなんでやらないの?
当時の私は、それが分からなかった。
今振り返ると、
「辞めたい」
ではなく、
「悔しい」
とか、
「できなくて嫌だ」
とか、
そういう気持ちだったのかもしれない。
続けるか。
辞めるか。
私はずっと、その二択で考えていた。
でも退会手続きを調べていた時、初めて休会という選択肢があることを知った。
そして2026年2月。
私たちは休会を選んだ。
最初の日、息子は「なんでそろタッチできなくしちゃったの」と泣いた。
でも数日経つと、
「今日もやらなくていいの?」
と言うようになった。
少し肩の力が抜けたようにも見えた。
私は正直、このまま終わると思っていた。
ところが違った。
学校で筆算が始まった頃、息子は時々こう言った。
「僕はそろタッチやってるから計算らくらくにできるんだよね」
休会中だった。
毎日取り組んでいたわけでもない。
それでも息子の中では、そろタッチが終わったことにはなっていなかったらしい。
あれだけ揉めていたのに。
あれだけ嫌そうだったのに。
その言葉を聞いた時、私はようやく気付いた。
息子は、そろタッチを辞めたかったわけではなかったのだ。
子育てをしていると、
つい白か黒かで考えてしまう。
続けるのか。
辞めるのか。
やるのか。
やらないのか。
でも実際には、その間にある気持ちを見落としていることがある。
あの頃の私は、
「やらないのだから辞めたいのだろう」
と思っていた。
でも息子は違った。
やらないことと、
辞めたいことは、
同じではなかった。
