抜内まことに何が起こったか?
30歳を過ぎたころ、私は公務員という職を失った。友人も、お金も、心の健康も。すべてを失った。毎日が息苦しく、何をしても空虚で、どう生きればいいのか分からなかった。
そんなとき、幸いにも私はアルコール依存症の自助グループにつながった。そこは、人生の底にいた私にとって唯一の居場所だった。仲間たちの体験談を聞き、自分と重ねることで、自分の問題を認識し、少しずつ行動を変えることができた。
お酒は比較的楽にやめられ、20年近く禁酒を続けることができた。この経験は、私にとって大きな救いだった。人生をやり直す第一歩になったのは間違いない。
でも、アルコールをやめたからといって、すべてがうまくいったわけではない。生きづらさは残った。人見知りや人間関係の苦手意識も変わらず、毎日をどこかで我慢しながら過ごしていた。酒を手放しても、人生の重さは変わらない。そう感じる日々が続いた。
そんな中、私はあることに気づいた。生きづらさや人見知りの根本的な原因は、アルコールではなく、セルフプレジャー、つまり自慰にあるのではないか。これまで、性的な欲望を自分でコントロールできずに繰り返してきたことが、心の奥底で負の影響を与えているのではないかと。
しかし、アルコールの自助グループはたくさんあるけれど、性の問題について語る場はほとんどない。性依存症の自助グループも、日本では皆無に等しい。話題にすること自体がタブー視されることが多く、自分の抱える問題を安心して語れる場がほとんどなかった。
振り返れば、私がアルコールの問題を乗り越えられたのは、仲間の体験談があったからだ。誰かの「こんなふうに生きづらさを克服した」という話を聞くことで、自分も希望を持ち、行動を変えられた。しかし性依存症に関しては、そのような体験談に触れる機会が極端に少ない。情報も少なく、孤独感は深かった。
そこで私は、自分の体験を通して、性依存症の回復物語を作ることにした。目的は二つある。ひとつは、自分自身の生きづらさや人見知りを克服するために断射に取り組むこと。もうひとつは、同じような問題で苦しむ人たちに、少しでも助けになる情報や希望を提供することだ。
断射に取り組み始めてから、少しずつ変化を感じるようになった。まず、身体に蓄積される性エネルギーが、精神や行動にポジティブな影響を与えることに気づいた。集中力が高まり、仕事への情熱も増した。人とのコミュニケーションも、以前より自然に、前向きに行えるようになってきた。
もちろん、完璧ではない。誘惑に負けそうになることもあるし、焦りや不安に苦しむこともある。でも、それでも前進している実感は確かにある。
さらに、私は自分が見聞きした体験談を文章にまとめることで、他の性依存症者が自分を重ね、共感を得られる物語を作ろうとしている。それは決して表面的な成功談ではない。失敗や挫折、迷いや葛藤を包み隠さず書くこと、赤裸々であることで、読む人に共感と「自分も変われるかもしれない」という希望を伝えたい。
誰かの体験談は、私をアルコール依存症から救ったように、誰かを性依存症からの回復へ導く力になると信じている。
この道のりは、決して簡単ではない。社会の理解も少なく、孤独を感じる瞬間も多い。しかし、私はあえて公に語ることを選んだ。自分の経験を隠すことなく、同じ苦しみを抱える人たちに届くように発信することが、回復の一歩になるからだ。そして、発信することで、自分自身も自己理解を深め、回復を加速させることができる。
振り返れば、30歳そこそこで人生の多くを失った私が、20年近く禁酒を続け、今こうして性依存症の回復に取り組んでいることは、小さな奇跡かもしれない。失敗も挫折もあったが、それらすべてが私を今の地点に導いてくれた。過去の自分が抱えていた孤独や絶望は、同じように苦しむ誰かの希望になる可能性を秘めている。
だからこそ、私はこれからも断射を続ける。そして、体験談、すなわち性依存症からの回復の物語を書き続ける。自分の生きづらさや人見知りを克服するために、そして同じ問題で苦しむ人たちの助けになるために。
この文章を読んでくれたあなたへ。もし、性依存や自慰行為による生きづらさ、人間関係の悩みで苦しんでいるなら、あなたは一人ではない。私も同じ経験をしてきた。そして、回復の道は確かに存在する。
小さな一歩でも、自分を変える行動を始めることで、少しずつ希望は見えてくる。私は「抜無まこと」として、性依存症からの回復を目指す道を歩んでいる。そして、その道のりを体験談という形で伝え、共有することで、同じ悩みを抱える人たちに光を届けたいと思っている。
人生をやり直すのに、遅すぎることはない。たとえどんなに深く落ち込んでも、助けを求め、行動を変え、回復を目指すことは可能だ。
これが、私に起こったこと。そして、これから私が歩み続ける道である。
