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一生に一度の2025年

2025年が、終わる。

今年の漢字は、「熊」だったらしい。
熊の駆除について色々話を聞くことが増えて、「共生」って何だろうな、人間は自然を支配できると勘違いしているのでは、と、環境について改めて考えることになった。


さて、私の今年の漢字は何だろうかと記憶をたどる。

「壊」

だろうな。

会社に対して、社会に対して、そして自分自身に対してどうしても納得がいかなくなって、考えすぎて、矛盾が大きくなりすぎて、からだがだんだん壊れていった。
涙腺が壊れた。
そのうち脳も動けなくなって、もう何も考えられなくなって、心が壊れた。
暗い部屋の中で、時も自分もベッドの上で壊れたまま、「このまま消えたい」と願い続けた。

休職せざるを得なくなり、「キャリアブレイク中だ」と言ってはみるものの、「私のキャリアって壊れちゃったんだな」と絶望に満たされる。
人を信じることをまだ諦めたくないのに、裏切られ、自分を否定され、軽んじられ、「人の言葉なんて信じるものじゃないな」と人間に対する期待がどんどん壊れていく。



今まで自分が「こうするべき」「こう考えるべき」と思っていた価値観を壊して、苦しみ泣きながら、過去・現在の自分に目を向け続けた。
「本当に自分はしたいことは何だろう?」
「世間や親の言うことではなく、私自身が本当に大切にしたいことは?」
とにかく、自分のからだの状態の観察から始まり、自分の声に耳を傾ける練習を始めた。

外界を一切遮断し、一人きりの部屋にいられる環境があるからこそ、強制的に自分と向き合い受け止める勇気を持とうと覚悟できた。

今まで他者や安定のために生きてきた自分を徹底的に壊した。

私が強さだと思ってきた「かたさ」は、逆に力が加わった瞬間ぽきっと折れる「もろい」ものだとわかった。
とにかく競争に勝ち続けて価値を高めることが幸せだと無意識で考えていたけれど、それはただ評価されるための行動だったことに気づいた。


まだ、自分を大事にしようとする意志はあまり持てない。
どうしても、他者の幸せのために自己を犠牲にしてしまう。
他者との距離の取り方だって、おっかなびっくり、はるか遠くから観察するのがやっとのレベルだ。
自他の境界線を引くための自分軸も、フラフラしている。

でも、これは私が高校の読書感想文で書いていたプロセスに近い。
もう読んだ本のタイトルは思い出せないが、「山の崩れ」について書いてあった。
「山は崩れるけど、その崩れた土壌からまた再生が始まるのだ」と書いてあるのを読んで、「人間も、壊れながらも破片をかき集めて、再び再構築しようとする」と思ったのだ。
レジリエンスを高めれば、地獄のような社会でも、まだ生きることを選択し続けられるかもしれない。

自分の生きている意味とか目的は何だろうとずっと考えているし、ずっと考えながら生きていくんだろうなという予感がする。



2025年は、壊れた私を優しく受け止めてくれる人たちに本当に助けられた1年でした。
生きることをやめそうになった私に、生き続ける道を示していただきました。
私のnoteを読んでいただいたり、スキしていただいただり、フォローしていただいたりした皆様が、心の支えになっていました。
私と出会っていただき、私の心の叫びを受け止めていただき、本当にありがとうございます。心からの感謝を送らせてください。

2026年も、気が向いたら一緒にお散歩していただけますと大変うれしいです。
スキップしながら歌いながら、時には泣き叫び怒り狂いながらも、一緒に歩んでいきたいです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

この記事を読まれたみなさまが、2026年もどうかおだやかでしあわせな1年を過ごせますよう、心から祈り、2025年に別れを告げたいと思います。

さようなら、2025年。
さようなら、今までの私。

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