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【音の科学 #35】スペックが同じでも音が違う理由――オーディオの数値と音質の深い関係

こんばんは、NUARLです。

とある日のことでした。
まだイヤホンに詳しくない青年が、せっかくだからお金を無駄にしないようにちゃんと調べてから買おうと思い、商品ページを開きました。

「周波数特性:20Hz〜20kHz」
「インピーダンス:32Ω」
「感度:98dB/mW」

……ふむふむ。

そして、次の商品も見てみる。

「周波数特性:20Hz〜20kHz」 「インピーダンス:32Ω」 「感度:100dB/mW」

……あれ?ほぼ同じ?

青年はひとつの結論に辿り着きました。「この価格帯、どれ買っても同じようなもんでしょ。」

そうして、青年は気に入った方を適当に買って、しばらく使いました。

ところが一ヶ月も経たないうちに、あの日見たもう片方のイヤホンも買ってしまいました。理由は簡単、見た目がカッコよかったから、つい。

音質の違いには、正直あまり期待していませんでした。数値も同じだし、見た目以外は変わらないだろうと。

しかし実際に聴いてみると、全然違った。

片方は低音がズンズン来るのに、もう片方は高音がキラキラしている。

これは、よくある話なんです。


スペックは「断面図」にすぎない

周波数特性、インピーダンス、感度。

これらは音質を客観的に示す重要な指標ですが、音質という複雑な現象の「ほんの一部」を切り取ったものなのです。

たとえば「20Hz〜20kHz」と書いてあっても、それは「この範囲の音が出ます」というだけ。

その範囲の中で、低音が強いのか、高音が鋭いのか、中音がふくよかなのか——そこまではあまり教えてくれません。

同じ「20Hz〜20kHz」でも、カーブの形が違えば、音の印象はまったく変わります。

さらに、周波数特性以外にも音質を左右する要素はたくさんあって、歪み率、過渡応答、ドライバーの材質、筐体の構造……それらが複雑に絡み合って、最終的な「音」が生まれています。

スペックは「音質の全体像」ではなく、「音質の断面図」なんです。


測定する道具が違えば、数字も変わる

もう少しだけ、ややこしい話を。

ヘッドホンの音を測定するときには、「カプラー」や「疑似耳」と呼ばれる装置を使います (頭だけのマネキンみたいな感じです)。代表的なものをざっくり紹介すると——

IEC 60318-1カプラーは、耳を覆うタイプ(オンイヤー・オーバーイヤー)のヘッドホンに使われます。鼓膜位置で聞こえる音に相当する音圧を計測する装置です。

IEC 60318-4カプラー(旧称:IEC 60711)は、耳に挿入するタイプのイヤホン向けです。業界では「セブンイレブン」という愛称で親しまれてきました。型番の「711」から来ているんです。

HATS(疑似頭部)は、頭と胴体まで模した装置で、ゴム製の耳型がついています。より人間の実耳に近い条件で測れるのが特徴です。

ただ、どの装置にも一長一短があります。

60318-1や60318-4は、実耳より密閉が取れすぎて、低音域が高めに計測される傾向がある。逆にHATSの柔らかいゴム耳では、漏洩が多めに出て、低音が低めに出やすい。

同じヘッドホンでも、測り方が違えば数字が変わる。

しかし残念ながら、一般の製品スペック表に測定規格まで書かれることはほとんどありません。でも、"同じスペックでも数字の出方が違う"という背景を知っているだけで、数字の読み方が変わってきます。


「フラット」の基準は、一つじゃない

オーディオの世界でよく聞く「フラットな特性」という言葉。

フラットとは、低音から高音まで、すべての音を同じ音量で均等に再生している状態のことです。特定の音域が強すぎたり弱すぎたりせず、音を「盛る」も「削る」もしていない、いわば"素直な音"のイメージです。

でも、ヘッドホンにとっての「フラット」って、じつはすごく難しい問いなんです。

人間が空間で音を聴くとき、音は頭や耳の形に反射したり、共鳴したりしながら鼓膜に届きます。この「頭や耳が音に与える影響」を、HRTF(頭部伝達関数)といいます。

たとえば、フラットなスピーカーで正面から音を聴いたとき、鼓膜のあたりでは2〜3kHz付近にピークが生まれます。頭部回折と外耳道の共振による、人間特有の現象です。

じゃあ、ヘッドホンで「自然な音」を再現しようとしたら、このピークも再現すべきなのか?

それとも、ヘッドホンは耳に直接届けるわけだから、HRTFなしでフラットに鳴らすほうがいいのか?

この問いは、今でも研究者の間で議論が続いています。

「HRTFを再現することで、より自然な定位感が得られる」という立場もあれば、「ヘッドホンに加えると二重処理になる」という反論もある。

どちらも間違っていない。用途や目的、個人の好みによって、「理想的な特性」は変わるんです。


人の耳は、一人ひとり違う

話がさらに複雑になるのが、人間の耳の個人差です。

頭の大きさ、耳介の形、外耳道の長さ。これ全部、音の聞こえ方に影響します。

同じヘッドホンを使っても、人によって聞こえる音は微妙に——というか、けっこう大きく違う。

音響工学の世界ではHRTFの個人差が周波数によって10dB程度も変わることが知られています(Ko et al., 2023)。10dBというのは、音響心理学的に「音量が倍になった」と感じる目安とされるくらいの差です。

ある人にとって「ちょうどいい高音」が、別の人には「耳に刺さる高音」に聞こえる。そういうことが、構造的に起き得るんです。

Appleは2022年ごろから、iPhoneのカメラで耳の形をスキャンしてSpatial Audioをその人専用にチューニングする機能を提供しています。

NUARLのInovatörも、アプリで聴覚テストを行い個人の聴こえ方に合わせて音質を最適化する「Audiodo™ Personal Sound」を採用するなど、「あなただけの音」という考え方はすでに標準になりつつありますね。


方向によっても、理想の特性は変わる

もう一つ、地味に重要な話を。

ヘッドホンでは、左右の音量差だけで方向感を作っています。これを「PAN定位」といいます。

でも実際の音楽には、正面だけでなく、左右・後ろからくる音もある。

人間の耳は、音の到来方向によってHRTFが変化します。右60度から来た音は、右耳と左耳では聞こえ方が違って当然です。

一般のステレオヘッドホンでは、到来方向ごとにHRTFを変えることは原理的にできません。音の方向感を完全には再現できないわけです。

この問題に挑んでいるのが、バイノーラル録音やDolby Atmos、360 Reality Audioといった立体音響技術です。「オブジェクト方式」とも呼ばれ、音源の位置情報まで記録して、到来方向ごとのHRTFをフィルターとして適用します。

とはいえ、個人差の問題や、頭の動きへの追従精度など、課題はまだ多い。立体音響の話は、以前#25 #26の記事でお話ししましたね。


体で感じる低音は、耳だけでは再現できない

ライブ会場で、ドラムの低音を胸や腹で感じた経験はありますか。

あれは、低音の振動が床や空気を通じて体に直接届いているからです。

ヘッドホンは耳にしか音を届けないので、この「体感低音」は再現できません。

人間が耳で聴き取れる下限は約20Hzとされていますが、それより低い超低音域は耳では聴こえなくても、体が振動として感じ取ることができます。ISO規格(ISO 7196:1995)でも、こうした体感としての低音を評価するための基準「G特性」が定められているほどです。

ライブ会場では、聴覚では意識できないほどの超低周波音が体で感じられ、それがダンスを促進するという研究もあります(Cameron et al., 2022)。ヘッドホンではこうした体感低音を再現できないため、失われた体感を音圧で補うために低音域を強めに設定するメーカーもあります。

ただ、そうすると楽器のバランスが変わる。しかも、音量が上がると低音が強く聞こえるという人間の聴覚の性質もあって、「どの音量で聴くか」によっても理想のバランスは変わってきます。

何を優先するか、どんな条件で聴くか——その答えが違えば、求められる特性も変わる。


だからこそ、音には「個性」がある

ここまで読んで、「結局どれが正解?」と思ったかもしれません。

しかし、正解は、一つじゃありません。

ある会社は「原音に忠実」を目指し、ある会社は「音楽を楽しく」を目指す。

ヘッドホン技術者は、最善の音質と、それを実現する理想的な特性を求めて常に音づくりを続けていますが、それは終わりのない旅のようなものです(Olive, 2022)。なんでもそうですが、突き詰めれば突き詰めるほど、また別の課題が見えてくる。

そもそも、生演奏にある「体感低音」や「空間の広がり」を、ヘッドホンで原理的に完全再現することはできません。全てにおいて理想的な特性というものは、存在しないのかもしれない。

だからこそ、スペックが似ていても音が違うのは当たり前。

世界中の料理を楽しむように、オーディオの音も製品ごとの個性を味わってみてください。

フランス料理とイタリア料理、どちらが正解かを決めないように。

大事なのは、自分がどんな音楽を、どんなシーンで、どんな気分で聴きたいか。それに合った「自分にとっての正解」を見つけることだと思います。


☕おわりに

スペックは、音質を知る手がかりの一つ。でも、それがすべてではありません。

次にイヤホンを選ぶとき、スペック表だけじゃなくて、実際に聴いてみてください。

その音が、あなたにとっての「正解」かもしれません。

ここまで読んでくれて、本当にありがとうございます!

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参考文献

Cameron, D. J., Dotov, D., Flaten, E., Bosnyak, D., Hove, M. J., & Trainor, L. J. (2022). Undetectable very-low frequency sound increases dancing at a live concert. Current biology : CB, 32(21), R1222–R1223. https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.09.035

ISO 7196:1995. Acoustics — Frequency-weighting characteristic for infrasound measurements. International Organization for Standardization.

Ko, Byeong-Yun & Lee, Gyeong-Tae & Nam, Hyeonuk & Park, Yong-Hwa. (2023). PRTFNet: HRTF Individualization for Accurate Spectral Cues using a Compact PRTF. IEEE Access. PP. 1-1. 10.1109/ACCESS.2023.3308143.

Olive, Sean. (2022). The Perception and Measurement of Headphone Sound Quality- What Do Listeners Prefer?. Acoustics Today. 18. 58-67. 10.1121/AT.2022.18.1.58.

Zotkin, D.Y.N. & Hwang, J. & Duraiswaini, R. & Davis, Larry. (2003). HRTF personalization using anthropometric measurements. 157 - 160. 10.1109/ASPAA.2003.1285855.

UnsplashDiane Picchiottinoが撮影した写真