【音の科学 #50】"虫の鳴き声"が聴こえない人がいる?——母語が変える「音の聴こえ方」
こんばんは、NUARLです。
「日本人には虫の声が聴こえるけど、外国人には聴こえない」
——こんな話、どこかで聞いたことないですか?
秋の夜、窓の外からリリリリ……とコオロギの声がする。日本人ならごく自然に「ああ、秋だな」と感じるし、その声にふと耳を傾ける人もいる。でも海外の人にとって、あの音はただの環境ノイズで、そもそも意識に上がることすらない——と。
もちろん、外国人の耳が物理的に聴こえていないわけじゃないんです。鼓膜は同じように振動しているし、音はちゃんと届いている。
じゃあ何が違うのか。
どうやら違いがあるのは、耳ではなく脳の側らしいんです。
あの「角田理論」の話
この話が広まるきっかけになったのは、1970年代に東京医科歯科大学の角田忠信が発表した研究でした。
角田は独自の実験手法を使って、日本語を母語とする人が虫の鳴き声を「左脳」——言語を処理する側——で受け止めやすい傾向があること。
一方で英語話者などは同じ音を「右脳」——音楽や雑音を処理する側——で受け止めやすいことを発表しました。
「日本人は虫の声を"言葉"のように聴いている」
この主張は日本中で話題になって、著書『日本人の脳』はロングセラーに。テレビや雑誌でもたくさん取り上げられました。
ただ、この研究は学術的にはけっこう議論があって、追試で同じ結果がうまく出なかったという話もあります。なので現時点では「証明された事実」というよりは「興味深い仮説」くらいに捉えておくのがよさそうです。
母語が違うと、同じ音の聴こえ方まで変わるのか?
この問い自体は、そのあとの研究で、別の角度からどんどん裏づけが出てきています。
同じ音を聴いても、脳の「拾い方」が違う
2025年に『Nature』に載ったBhaya-Grossman, Changらの研究が、ちょうどこの話に近いことをやっていて面白いんです。
英語・スペイン語・中国語を母語とする人たちの脳に直接電極を当てて(ECoGという手法です)、母語と、まったく知らない外国語を聴いたときの反応を比べたもの。
で、わかったのがこういうこと。
「バ」「カ」「サ」みたいな一つひとつの音——音響レベルの処理は、母語でも外国語でも、脳はほとんど同じように反応していた。
ところが、音のつながりや、「単語の切れ目」を見つけ出す段階になると、母語話者の脳だけが明らかに強く反応した。
外国語を聴いているとき、脳は個々の音はちゃんと拾えている。でもそれがどこで区切れるのか、どこからが一つの「まとまり」なのかがわからない。だから意味が立ち上がってこない。
あの「外国語がぜんぶ一本の長い音の流れに聴こえる」感覚って、まさにこれなんですよね。
逆に母語を聴いているときは、脳が音の流れのなかに自動的に「切れ目」を見つけて、意味のあるかたまりを勝手に拾い上げてくれている。
つまり、音そのものの聴こえ方が違うんじゃなくて、脳がその音に「意味」を載せるかどうかが違う。
じゃあ、虫の声はどうなのか
ここで虫の声に話を戻すと、ちょっと面白いことが見えてきます。
日本語って、自然の音を言葉にする力がすごく強い言語なんですよね。
コオロギは「リリリリ」、鈴虫は「リーンリーン」、ツクツクボウシはそのまま「ツクツクボーシ」。これって単なる擬音じゃなくて、日本語のなかにしっかり組み込まれた「言葉」です。
こういうオノマトペ(擬音語・擬態語)が、日本語はとにかく多い。そしてオノマトペを聴いたとき、脳のなかでは言語処理と音響処理の両方が動いているらしい、という研究もあります(Kanero et al., 2014)。音でもあり、言葉でもある——その中間みたいな処理をしている、と。
虫の声を「リリリリ」と言語化する。名前をつける。歌に詠む。
清少納言は『枕草子』で「虫は、鈴虫。ひぐらし。松虫。蝶。きりぎりす」と、好きな虫をひとつひとつ挙げている。『万葉集』にもコオロギの歌がある。平安貴族は虫を籠に入れて庭に並べ、その声を楽しむ「虫聴き」なんて遊びまでしていた。
千年以上にわたって、日本語話者は虫の声に名前を与え、言葉にし、意味を載せてきたわけです。
さっきのBhaya-Grossmanらの研究が示していたのは、母語話者の脳が音の流れから「意味のあるかたまり」を自動的に切り出しているということでした。
もし日本語という言語が、虫の声をずっと「意味のある音」として扱ってきたのなら——その話者の脳が、虫の声にも「意味を拾う回路」を動かしている、というのは、そんなに無理のない話じゃないかと思うんです。
聴こえている。でも、聴いていない。
正直、この記事を書いているNUARLとしては、角田理論がすべて正しいかはわかりません。
でも、一つだけ確かなことがあって。
同じ音を聴いていても、すべての人が同じように「聴いている」わけではない。
母語が違えば、脳の処理の仕方が違う。文化が違えば、どの音に注意を向けるかも違ってくる。聴覚は同じでも、知覚は同じじゃない。
虫の声が「聴こえない」のではなくて、「聴いていない」。
この違いは、小さいようでいて、けっこう大きい。
秋の夜、もしイヤホンを外す瞬間があったら。
リリリリ、リリリリ。
あの音に「声」を感じるとしたら、それはあなたの耳が特別なんじゃなくて、日本語という言語と、千年の文化が、あなたの脳にそっと刻んできたものなのかもしれません。
ここまで読んでくれて、本当にありがとうございます。
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📚 参考文献
Bhaya-Grossman, I., et al. (2025). Shared and language-specific phonological processing in the human temporal lobe. Nature, 649, 140–151. https://doi.org/10.1038/s41586-025-09748-8
Kanero, J., Imai, M., Okuda, J., Okada, H., & Matsuda, T. (2014). How sound symbolism is processed in the brain: a study on Japanese mimetic words. PloS one, 9(5), e97905. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0097905
Tsunoda, T. (1978).『日本人の脳——脳の働きと東西の文化』大修館書店.
UnsplashのKevin Wangが撮影した写真のKevin Wangが撮影したイラスト素材
