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【音の科学 #58】"オフィスの騒音"が生産性を下げる理由──不要な情報と認知負荷

こんばんは、NUARLです!

以前このシリーズの #08「カフェの雑音が創造力を高めるメカニズム」 で、適度な雑音(70dB前後)が発散的な思考を後押しする、という話を書きました。

ここで素朴な疑問が立ちます。

オープンオフィスの音量は、測ってみると大体60〜70dB前後。カフェとほとんど変わりません。それなのに、カフェでは進む作業が、オフィスでは進まないことがおおいい気がします。なぜでしょうか。

答えは音量ではなく、音の中身にあります。
脳は変化のない音を背景に押しやることができます。空調のうなり、遠くのざわめき、食器の触れ合う音。こうした均質な音は、しばらくすると意識から消えていきます。ところが、意味を持った音──人の声、自分の名前、聞き取れてしまう会話──は、脳がどうしても無視できない。

この「無視できない」が、想像以上に厳密で、想像以上に厄介な現象だということが、過去40年の研究で分かってきました。


「無関連発話効果」という古典

この問題を、認知心理学の世界で最初に厳密に切り出したのが、英ケンブリッジ大学のSalamé と Baddeley さんです。

1982年、彼らはある実験を報告しました(Salamé & Baddeley, 1982)。被験者に、数字の並びを画面で見せて順番通りに思い出してもらう。その間、ヘッドホンから意味の理解できない外国語を流す。被験者には「音は無視していい」と伝えてあります。

結果、無視していいはずの音声があるだけで、数字の記憶成績が顕著に低下しました。これが後に「無関連発話効果(Irrelevant Speech Effect)」と呼ばれるようになる現象です。

音量を下げても効かない。これがオフィス騒音の厄介さの正体です。


変動状態仮説──「変わり続ける音」が刺さる

ではなぜ、人の声は音韻ループ(耳から入ってきた言葉や音声を頭の中で一時的にとどめておく仕組み)に侵入できてしまうのか。

英カーディフ大学のDylan Jones と Bill Macken が1990年代に提唱したのが 変動状態仮説(Changing-State Hypothesis) です
(Jones & Macken, 1993)。

彼らは実験で、被験者の傍らに「ba ba ba ba ba」と同じ音節を繰り返し流すパターンと、「ba te mi lo so」と毎回違う音節が並ぶパターンを用意しました。音量はどちらも同じ、被験者には無視するよう伝えてあります。

結果は明快でした。同じ音節の繰り返しは、ほとんど無音と変わらない成績。一方、音節が変化し続けるパターンでは、記憶成績が大きく低下しました。

つまり、脳が反応しているのは「音があるかどうか」でも「言葉として意味が分かるかどうか」でもなく、音の物理的特徴が時間とともに変化しているかどうかでした。

オフィスの会話を思い出してみてください。人の声は、母音と子音、高い音と低い音、強弱、抑揚が絶え間なく入れ替わる、変動の塊のような音です。空調音や遠くのざわめきが「変化のない音」として背景化されるのに対し、人の声は変動状態仮説が予測する通り、脳の処理系を直撃します。

カフェの音とオフィスの音は、デシベル計の上では同じでも、どんな高さの音がどれだけ混ざっているかの指標(スペクトル)で見ると別物なのです。


中断は、止まった時間以上に高くつく

音が脳に侵入するだけなら、まだ理屈の話で済みます。ところがオフィスでは、その侵入がしばしば「中断」として顕在化する。隣の電話が自分の名前を呼ぶ、後ろの会話が業務に関わる話題に触れる、視界の端で誰かが立ち上がる。そのたびに、作業中の頭が一度引き剥がされます。

カリフォルニア大学アーバイン校のGloria Mark らは、オフィスワーカーがどのように仕事を中断され、どう復帰しているかを長年追いかけてきました。

2008年、彼女らはCHI(人間とコンピュータの相互作用に関する国際会議)でひとつの論文を発表しました。
タイトルは 「中断作業のコスト:スピードとストレスが上がる」 
"The Cost of Interrupted Work: More Speed and Stress" (Mark, Gudith, & Klocke, 2008。

実験では、被験者にメール処理のような実務的な課題を行わせ、途中で電話や対面の会話で意図的に中断をかけます。中断のあと、被験者がもとの作業にどう戻るかを観察しました。

結果は二つの方向で面白かった。

ひとつ、中断された作業のほうが、中断されなかった作業より速く終わる。被験者は「遅れた分を取り戻そう」と無意識に作業ピッチを上げるからです。これだけ聞くと、中断は悪くないように思えます。

ところがふたつめ。同じ被験者のストレス、フラストレーション、努力感、時間切迫感は、すべて有意に上昇していました。速く終わらせているのは、その分だけ自分を削っている。

そしてMarkらの一連の現場観察研究では、もうひとつ知られた数字が報告されています。中断されたあと、本来の作業に意識が完全に戻るまで、20分以上を要するというものです。

ここがオフィスの厄介な点です。10秒の会話で集中が切れたら、その後の20分余りは「集中していない自分」と「無理に取り戻そうとして消耗する自分」の混在した時間になる。物理的に話しかけられた時間は10秒でも、損失は数百倍に膨らみます。

そしてオープンオフィスは、この中断が1日に何十回も起きる構造になっています。隣の電話、後ろの会話、視界に入る人の動き、Slackの通知音。一つひとつは小さな音でも、それぞれが20分余りの尾を引いていく。重ね合わせると、1日のうち本当に集中できている時間は、想像より遥かに短いことになります。


「自分の音も漏れている」という静かな圧力

もう一つ、オフィスにしかない問題があります。

カフェで作業しているとき、音は基本的に一方向でした。聞こえてくる音が自分の脳をどう揺らすか、という話。

ところがオフィスでは、音は双方向です。自分が出す音も、周囲に届いている。

ハーバード・ビジネス・スクールのEthan Bernstein とStephen Turban が2018年に Philosophical Transactions of the Royal Society B に発表した研究は、これがどんな影響をもたらすかを実測しました(Bernstein & Turban, 2018)。

二つのFortune 500企業が、従来の仕切りのあるオフィスからオープンオフィスに移行する前後で、社員にウェアラブルセンサー(位置情報、対面会話の有無、声の特徴)を装着してもらい、コミュニケーション量を測定しました。

「オープンにしたらコラボレーションが増える」というのが、当時の経営層の期待でした。

結果は、その逆でした。

対面のコミュニケーションが約70%減少し、その分だけメールとインスタントメッセージが約50%増加した。物理的に近くなったのに、人々はむしろデジタル越しの会話に逃げたのです。

Bernstein らはこの現象を 「第四の壁」 という比喩で説明しました。オープンオフィスでは、物理的な壁がない代わりに、社員一人ひとりが自分の周りに見えない壁を立てる。ヘッドホンをつけ、画面に集中し、視線を合わせず、声を潜める。物理が透明になった分、社会的に不透明になる、という反転です。

なぜそうなるか。「いつ誰に聞かれるかわからない」という状況は、人間の会話に自己検閲を強制するからです。

電話で込み入った相談をしようとすると、隣の席の人に内容が筒抜けになる。少し冒険的なアイデアを声に出してみるのが躊躇われる。自分の専門外について質問するのが、知識不足を晒すように感じられる。

結果として、人は「安全な会話」だけを口に出し、それ以外はメールに逃がす。発想を声に出して試す機会が減り、思考の試運転を一人で抱え込むようになる。

これは音量の問題ではありません。音が双方向であるという事実そのものが、行動を縛るという現象です。


まとめ

オフィスの騒音が生産性を下げる理由は、デシベル計には映りません。

無関連発話効果が示すように、意味のある音は意識して無視しようとしても音韻ループに勝手に侵入する。変動状態仮説が示すように、脳が反応しているのは音量ではなく、スペクトルの時間変動という物理特性そのもの。そして中断のたびに復帰までの20分余りが失われ、双方向性の感覚が発言の質を削っていく。

カフェの音が創造性を後押しするのも、オフィスの会話が集中を奪うのも、すべて「音」という同じ物理現象の話です。けれど、その音がどんな時間構造を持ち、どんな意味を運び、どんな方向に流れているかで、結果はまったく違う方向に転がります。

集中が必要な作業の前に、自分の周りの音を一度見直してみてください。
今日「なぜか疲れた」の正体が、そこに隠れているかもしれません。


ここまで読んでくれて、本当にありがとうございます!

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参考文献

Salamé, P., & Baddeley, A. D. (1982). Disruption of short-term memory by unattended speech: Implications for the structure of working memory. Journal of Verbal Learning & Verbal Behavior, 21(2), 150–164. https://doi.org/10.1016/S0022-5371(82)90521-7

Wolfgang Ellermeier, Karin Zimmer; Individual differences in susceptibility to the “irrelevant speech effect”. J. Acoust. Soc. Am. 1 October 1997; 102 (4): 2191–2199. https://doi.org/10.1121/1.419596

Jones, D. M., & Macken, W. J. (1993). Irrelevant tones produce an irrelevant speech effect: Implications for phonological coding in working memory. Journal of Experimental Psychology: Learning, Memory, and Cognition, 19(2), 369–381. https://doi.org/10.1037/0278-7393.19.2.369

Mark, G., Gudith, D., & Klocke, U. (2008). The cost of interrupted work: More speed and stress. Proceedings of the SIGCHI Conference on Human Factors in Computing Systems (CHI '08), 107–110. https://doi.org/10.1145/1357054.1357072

Mark, G., Gonzalez, V. M., & Harris, J. (2005). No task left behind? Examining the nature of fragmented work. Proceedings of the SIGCHI Conference on Human Factors in Computing Systems (CHI '05), 321–330. https://doi.org/10.1145/1054972.1055017

Bernstein, E. S., & Turban, S. (2018). The impact of the 'open' workspace on human collaboration. Philosophical Transactions of the Royal Society B: Biological Sciences, 373(1753), 20170239. https://doi.org/10.1098/rstb.2017.0239

Mehta, R., Zhu, R., & Cheema, A. (2012). Is noise always bad? Exploring the effects of ambient noise on creative cognition. Journal of Consumer Research, 39(4), 784–799. https://doi.org/10.1086/665048

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