海外での米の調達 US ザンビア マラウイ
頭出し写真は日本の収穫前水田
1980年から1982年、アメリカの農場で酷使されていた頃は、カリフォルニア米が主食だった。品種改良されて当時から十分おいしく、SAFEWAY、Kmart(注1)など大手のスーパーマーケットで容易に手に入った。もちろん日本米と同じジャポニカ種。
1984年から1986年にいたアフリカのザンビアで何を食べたかといえば、いわゆる「援助米」だった。何故米を、しかもインディカ米ではなくジャポニカタイプを手に入れることができたかといえば、単純に国営スーパーマーケット(注2)で売られていたからだ。援助は、直接対象者に対する援助以外は、政府が海外からもらって国内で売って当該政府が収入を得るのが普通であり、たぶん多くの日本人に誤解されている部分ではある。それはともかくとして、基本的にそもそも現地の人は米を食べる習慣などなかったのだ。
当時ザンビア国内でモノ不足だったとはいえ、米を食べる人など誰もいなかった。彼らの主食はトウモロコシの粉(注4)だった。そこでたまたま「米食い」の日本人が買っただけのことである。一袋のサイズは忘れてしまったが、かなり大きめ(注3)、2年間計2袋で十分だったことを覚えている。但し古米だったが十分に美味しかった。後から知ったことだが、奇妙なことに俺の周辺で知る限り、首都のルサカ、他の大きめの地方都市にもそんな援助米など出回っていなかったらしい。ザンビアのある田舎町に偶然残っていたわけだ。さらに何故援助米と判断できたかといえば、「JAPANESE FOOD AID」と袋の表面にプリントしてあったから。
1997年から2000年までいたマラウイでは、オーストラリア米(ジャポニカ)を入手できた。97年頃までは何故かオーストラリア米がマラウイ国内で手に入ったのだ。98年頃から出まわらなくなった。なかなか手に入らなくなり、結局、南アの小さな商社を通じてオーストラリアから米を輸入し食い繋いだ。
以降は、「米食い」の国々(トリニダード・トバゴ、ベトナム)だったので、どのスーパーマーケットでも全く問題なく米を購入できた。
(注1)古き良き?時代の典型的スーパーマーケット。当時、近隣の町にウォルマートなどなかった。
(注2)国営スーパーマーケット略称(ZCBC)、Zambia Consumer Buying Corporation。当時、ザンビアの各地方都市には必ずと言っていい程あった国営店舗。
(注3)日本の一俵(60kg)に近かったかもしれない。
(注4)ザンビア人、マラウイ人の主食は、ハイブリッド(雑種第1代)F1の甘いトウモロコシ(スウィートコーン)などではなく、白い餌料用トウモロコシ(メイズはイギリス式呼称、デントコーンはアメリカ式)に似た食用トウモロコシ粉(ウーファと呼ばれる)。もちろんトウモロコシ種子は品種改良されているが、雑種第一代、いわゆるF1ではない。生産者は、毎年種苗業者から購入する必要もなく採種、播種が可能である。調理された料理をnshima(ンシマ)と呼ぶ。
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