ふんばれたのは居場所のおかげ|長男が手に入れた人生の宝物
*この記事の文字数:約2400文字*
渦中にいると見えないことも、少し間を開ければ、全体を見渡せる事があります。
あの頃の生活を、もう一度やれと言われたら、たぶん首を横に振るでしょう。
けれど、不思議なことに、思い出すと胸の奥が熱くなる。
しんどかったはずなのに、時間が経つと、なぜか、最高だったと思えてしまう。
そんな記憶が、誰でもあるのではないでしょうか。

長男はバスケットボールのクラブチームで中学3年間を過ごしました。
中学校最後の試合に出たのは、昨年11月のことでした。
あれから、まだ3か月しか経っていないのに、はるか昔のことのようです。
長男がクラブチームに入ってから、目標としていたジュニアウィンターカップ。
2回勝ち上がり、その後、敗退しました。
決して大きくはないけれど、そこまで続ける事が長男とわたしの目標でした。
平坦な道ではありませんでした。
入部当初、先輩たちは強かった。
その姿がかっこよく、夢中で憧れました。
チームの同級生たちは、それぞれの中学校へ戻れば、キャプテンを任されているような子たち。
ツワモノどもが集まるチームです。
そんな中、入部当時、長男の身長は148cm。
その上、運動神経がいいわけじゃない。
負けん気が強いわけでもない。
フリースローもまともに届かない、筋肉のない体でした。
つぎつぎに周りの友達が成長期を迎える中、長男の声が変わりだしたのは、中学3年生の5月。
2年生まで、合唱コンクールでは、ソプラノパートでした笑
小柄な子たちが一人、二人と辞めていく中、自分も…と思ったこともあります。
しかし、やめずにチームに残れたのは、そこに「みんな」がいてくれたからでした。
仲間と一緒に戦った県外での試合。
一緒に食事をし、宿舎で笑い転げた時間。
練習や試合中は厳しくプレイするけれど、一歩体育館の外に出るとみんな、普通の子どもでした。
公式戦になると長男のプレイタイムは、とても少なくなります。
でも、そんな時、ベンチでは仲間たちが盛り上げてくれました。
少しでもいいプレイをしたら、大喜びしてくれる。
そんなチームメイトの存在に助けられた3年間でした。
そして、その雰囲気を作ってくれていたのはコーチです。
指示はシンプルで、わかりやすい。
試合に出ていない時間や、帰り際にも、必ず声をかけてくれる。
厳しい声かけもたくさんあるけど、裏表なく、
イイものはイイ!
アカンものはアカン!
と、はっきり言ってくださる。
そのブレない態度が、子どもたちを安心させていたのでしょう。
発足してからまだ間もないチームでしたが、コーチは礼儀作法からきっちりと子どもたちに教えてくれました。
コーチの大きな方針は、
・応援される選手になること
・応援されるチームになること
簡単なフレーズだけど、とても奥が深い。
始めの頃は、あいさつでとても怒られました。
「練習も試合も、保護者の応援がなければできない。
だから、コーチにだけ挨拶に来るのは違う。
その場にいる保護者全員に挨拶はすること」
挨拶って気持ちがいいものだなと、子ども達を通して学ぶことができました。
叱るのは体力がいる事ですが、その都度声をかけてくださるコーチ。
本職は別にあって、バスケを教えてくださっています。
厳しかったのは、ご自身に対してが一番だったのではないかと思います。
子ども目線だけではなく、親のわたしもマネしたいと思った事がありました。
それは、なんでも相手ファーストなところ。
チームの事で何か迷う時、相談すると、必ずこう言ってくれました。
「いいっすよ」
たまに、条件反射で言っている事もあるようです笑
違う時はあとから、
「○○と言いましたけど、~という理由があるから、こうしましょうか」
と提案してくれます。
空いている時間を見計らって、コーチにインタビューしたことがあります。
「いいっすよマインド」について。
すると、「相手もいろいろ考えて声かけてくれていると思うので尊重したい」
とおっしゃっていました。
親も尊敬できるコーチだったからこそ、長男も素直に信頼していたのだと思います。
最後の試合、微力ながら試合に出してもらえました。
活躍はできなかったけれど、
「ちゃんと見てもらえていた」
「この場にいてよかった」
という感覚は、長男にも、母であるわたしにも、心にちゃんと残りました。
試合が終わって数日後、わたしは、ふと長男に聞いてみたことがあります。
このとき、わたしはまだ、この言葉がどれほど心に残るものになるかを知りませんでした。
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