「甘える」という自主練はじめます|いくつになってもあまえんぼう
*この記事の文字数:約1400文字*
正直に言うと、
心の中で何度も思っていました。
「自分で、やりなはれ。」
わたしは、すごく小さなことが気になります。
たぶん、「気にしすぎる」方だと思います。
小学生の頃は、隣の席の男の子が、机にはみ出してくる肘が嫌で仕方ありませんでした。
今、わたしが気になっている事は、ポットのお湯です。
*・・🫖・・*・・🫖・・*・・🫖・・*
職場では、冬場になると、コーヒーを飲んだり、お湯を使う人が増えます。
お湯は、使えば減ります。
ひとりでに復活するわけありません。
誰かが給水する必要があります。
さぁ、だれが?
わたしは、今の職場に入った時に、
「ポットのお湯がなくなったらお湯足してね」
と頼まれました。
それは、わたしの仕事の一つ?
なんだか、情けないような、悲しいような、そんな気持ちでした。
この一年ちょっと、職場のお湯を使ったことはないのに。
使った人が足したらえぇんちゃうの?
正直、これが心の声です笑
ポットに足す水は、ペットボトルに入れて、真横に置いています。
それでも、お湯がなくなれば、
「ないで~」
とわざわざ教えてくれる方もいます。
でも、先日、一人の方が、
「よいしょ。よいしょ。」
と水を汲んできて、足してくれているところを発見。
なんだか、急に申し訳ない気持ちになってしまいました。
でも、あえて、そのままにしました。
「ありがとう」だけ伝えて、手伝いませんでした。
すると、また数日後、別の方が給水してくれていました。
「お湯ないわ」と、小さなトゲも感じながらも、「ありがとう」だけ伝えて、そのままやってもらいました。
その時は、正直、自分の感情がよく分かりませんでした。
何に反応しているのか、言葉にできなかった。
その答えに出会ったのは、今週末でした。

他市でバスケの試合がありました。
またもや、どうしても、行く気がしませんでした。
なぁんか、行きたくないなぁと。
「行きたくない」気持ちを認めてはいるのに、決められないモヤモヤがありました。
紐解くと、それは、
「他の親御さんに悪いな」と思ったり、
「ちゃんと体育館にいなさいよ」と言われそう、
という勝手な想像でした。
そこに気がつき、えい!と「行かない」を決断。
とはいえ、送迎は必要です。
わたしは、体育館へ子どもを送りこみ、他の親御さんに挨拶だけして、「お散歩してきます」と外へ出ました。
すると、皆さん、反応は普通。
笑顔で「行ってらっしゃい」と見送ってくれました。
空想の中の意地悪な人が、イヤなこと言うんじゃないかと線を引きそうになっていましたが、そんな事言う人は誰もいませんでした。
特に何かするわけじゃないけれど、
近くのモールでゆっくりして、初めて入るパン屋さんへ行ったり、自由な時間を楽しむことができました。
帰り道、「今日は甘えさせてもらえたなぁ」と温かい気持ちになりました。
わたしの自由行動を受け入れてくれた、他の保護者さんに大きな感謝が湧いてきました。
そうやって自然と「ありがとう」と思えることは、人と接する時に伝わるもんだと思います。
無理することもできたけれど、甘えさせてもらうことで、トゲを出さずにすみました。
今まで、「こうしなきゃ」「こうあるべき」って思っていたことを、少し手放せた時、ふと職場のポットが頭に浮かびました。
もう少し甘えてみよう、と。
責任感を、「放棄する」でもなく、
「怠ける」でもなく、できない時は「甘える」という気持ちに変えてみる。
それだけで、自分に向けるトゲは一本減るような気がしています。
「いくつになってもあまえんぼう」ってえぇ言葉やなぁ。
2026.2.9追記
たくさんの方に読んでいただき、嬉しいです。
ありがとうございます♡


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