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はじめまして、のぞみんです。遠回りしてきた私の自己紹介。

はじめまして。
のぞみんです。

現在は、教育系の会社で会社員として働いています。
北海道出身、北海道在住です。

昨日、初めてnoteを投稿しました。
テーマは、経営者でもないシングルマザーの私が、1,000万円の新車を買った話。

今日は改めて、私がどんな人なのか。
少し自己紹介を書いてみようと思います。

大学3年生の時、中国で妊娠がわかった

大学3年生の頃、私は中国に留学していました。

その留学先の中国で、妊娠が発覚しました。

ちょうど日本への帰国時期だったので、帰国後はコールセンターでアルバイトをしながら、大学に通いました。そして、新学期が始まるタイミングで休学をしました。

その後、復学してからは、卒業するためにアルバイトをしながら、残っていた単位を取るために授業へ通う日々を過ごしました。

その間、子どもの面倒は基本的に母が見てくれていて、本当に、家族の協力がなければ成り立たなかったと感謝しています。

大学入学時の私は、将来は中国や海外に関わる仕事がしたいと思っていて、海外転勤のある仕事にも憧れていました。

でも、子どもがいる。
自由に海外転勤ができる身ではなくなってしまった。

夫との生活もあるので、卒業後は子どもを連れて中国に行きました。

中国で過ごした時間は、今でも一番楽しかった

私は留学生ビザを取得し、留学生として大学に通いました。

中国語のクラスでは上級クラスに配属され、いろいろな国の人たちと一緒に学びました。

中国語を勉強する日々。
先生との相性も良く、授業の進め方も自分に合っていて、今振り返っても本当に楽しい時間でした。

その間、子どもは現地の中英バイリンガル幼稚園へ。
夫の親戚にも助けてもらいながら、私は大学に通う日々を過ごしました。

「中国語を学ぶこと」
「海外で暮らすこと」
「自分の好きなことに集中できること」

その全部が、私にとってはとても楽しかった。

今までの人生の中でも、中国で過ごしたその時間は、かなり特別な時間だったと思います。

ただ、その生活がのちに帰国につながっていくのですが、ここはまた別の記事で書こうと思います。

帰国後、まずは食品工場で働いた

帰国後、最初に働いたのは食品工場でした。

工場の横に託児所があったからです。
子どもを預けながら働ける場所を探した結果、そこにたどり着きました。

1日8時間、黙々と作業をする日々。
まるでロボットのように働いていた感覚があります。

半年ほど働きましたが、退職。

その後、地元の中小企業に勤めました。
ここが、今思えばなかなかのブラック企業だったんです!

令和の時代に基本給は8万円台。
今なら「そんなことある?」と思う条件ですが、このあたりのお話も別の記事にしていく予定です。

レンタカー会社で、初めて仕事が楽しいと思えた

ブラック企業での勤務に嫌気がさし、、通勤する道で転職フェアの広告を目にしました。大学時代の友人についてきてもらい、参加した転職フェアでレンタカー会社に出会いました。

私は大学で観光を学んでいたこともあり、
「観光業なら、学んだことや語学力を活かせるかもしれない」
と思って入社しました。

レンタカーの貸出、店舗運営、アルバイトへの業務指示。
新店舗の立ち上げも任せてもらいました。

この仕事は、かなり面白かったです。

人と関わること。
現場を回すこと。
お客様の役に立つこと。
車に関わること。

入社時は車には全く興味がなく、「金食い虫だ」と車の所有には否定的な意見を持っていたのですが、この会社で日々車に携わるようになり、次第に今の車好きにつながっていきます。

まもなく3年というタイミングで、転勤ができない事情があり退職しました。
でも、それがなければ続けていたと思います。

営業に挑戦して、半年で限界が来た

次に入社したのは、不動産系の会社でした。

よく人から「営業向いてそう」と言われることもあり、
自分でも一度、営業をやってみようと思いました。

でも、結果的にメンタルが持ちませんでした。

そもそも、自分が心から魅力的だと思えない商品を売ることが、私にはできなかったのだと思います。

半年で退職しました。

この経験で、私は気づきました。

人に何かを伝えることは嫌いじゃない。
でも、自分が本当にいいと思えないものを売るのは苦しい。

この感覚は、今の自分にもつながっている気がします。

語学を活かしたくて、行政書士事務所へ

その後、語学を活かせそうな仕事を探していた時に、行政書士事務所の求人を見つけました。

相続や外国人ビザを担当する仕事です。

ところが、入社初日。
一緒に働く予定だった中国人スタッフが、前日に突然退職していたことを知ります。

引き継ぎもないまま、その人が受け持っていたクライアントを引き継ぐことに…

相続や外国人ビザも人の人生の一部に携わる仕事だったので、やりがいもあったのですが、ここもなかなかハードな環境でした。

朝6時台から動き、終電で帰る日々。
「この働き方は続けられない」と思い、8ヶ月ほどで退職しました。

このあたりも、また別の記事で詳しく書けそうです。

無職。それでも家を出た

行政書士事務所を退職したあと、1日中家で何もせずひたすら本を読む日々を過ごしていました。病院で診断を受けたわけではありませんが、今振り返ると、心がかなり限界に近かったのだと思います。

それまでは、残業などにも対応できるよう、実家に住まわせてもらっていました。でも、家庭の事情で家を出る必要が出てきてしまったんです。

無職。
仕事のあてもない。
貯金もどんどん減っていく。

家賃が安く築浅の家を探し、ダメもとで審査をかけると…なんと!審査が通ってしまったことで、半ば強制的に、子どもとの2人暮らしが始まることになりました。

実家を出て、無職で、仕事のあてもない。
家探しも審査も、今思えばかなり無謀でよく飛び込んだと思ってます笑

当然ですが、貯金を切り崩す日々。
2人暮らしを始めて3〜4ヶ月が経った頃、就活を始めました。

2社受けて、1社に受かりました。
それが、今の会社です。

まもなく3年目。けれど、ここで終わりではない

今の会社に入って、まもなく3年目になります。

教育に関わる仕事をしています。
これまでの仕事と比べると、働き方も環境もだいぶ変わりました。

でも、最近思うのです。

「このままでいいのかな」と。

私はこれまで、たくさん遠回りをしてきました。
中国留学中の妊娠。
大学在学中の出産。
子どもを出産しての復学。
子どもを連れて中国へ行くも、うまくいかず帰国。
託児を優先して工場で勤務。
地元のブラック企業から逃げるように退職。
レンタカー会社で車好きになる。
不動産営業で営業へ挑戦し玉砕。
行政書士事務所で長時間労働をして疲弊。
無職の8ヶ月間。
そして今の会社。

どれもきれいな経歴ではないかもしれません。
一貫性がないように見えるかもしれません。

でも、その全部が今の私を作っていると思っています。

このnoteで書いていきたいこと

私はこれから、このnoteでいろいろなことを書いていきたいと思っています。

仕事のこと。
子育てのこと。
お金のこと。
美容のこと。
車のこと。
自信のこと。
人生を変える選択のこと。

私は、最初から自信があった人ではありません。

むしろ、目立たないようにしていたし、
欲しいものを欲しいと言うのも怖かったし、
自分に高いものを許可することも苦手でした。

でも、少しずつ変わってきました。

そのきっかけのひとつが、1,000万円の新車を買ったことでした。

高級車を買えば人生が変わるという話ではありません。
でも私にとっては、身の丈に合わない選択が、人生を動かすスイッチになりました。

そして今は、こう思っています。

自信なんて、外側から作ったっていい。

まだまだ途中です。
不安もあるし、迷うこともあります。
でも、だからこそ、これからももっと変わっていくであろう途中の記録を書いていきたいと思うようになりました。

これまでの遠回りも、
選んできたことも、
選べなかったことも、
これからの変化も。

少しずつ、ここに残していきます。

これから、どうぞよろしくお願いします。


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