見出し画像

「はい」と言えた日に。

「あいっ!」

本当は「はい」と言わせたい。
小学校では朝の会で出席と体調確認のため、名前を呼ばれたら返事をする。
だから、まずは「はい」を覚えてほしかった。

でも、これでいい。
初めて自分の声を出しただけで、十分だった。


数年前、友人の教員から電話があった。

「見てほしい子がいるんだよね」

その一言で、学校が回っていないことはだいたいわかった。
詳しい説明より、声の奥の疲れのほうが正直だった。

数日後、彼に会いに行った。

入学してからずっと、彼だけ授業がなく、手が空いた先生が交代でついているらしかった。
状況を聞いただけで、現場が限界なのはわかった。


その日は全校集会。
初めて会うのに「一緒に行きますね」と言った私を、専科の先生はやや心配そうに見ていた。

廊下に並ぶとき、先生が彼の手を取ろうとした。
私はそっと止めて、彼に言った。

「学校の中では、手は繋ぎません。自分で歩きます。」

彼は、何事もない顔で私の横を歩いた。
先生がとても驚いていた。

その横顔を見た瞬間、この子は“できない子”じゃない。
“させてもらえていない子”だと思った。


それから、彼との6年間が始まった。

彼は知的障害を伴う自閉症で、発語はなかった。
名前を呼んでも振り向かず、鉛筆も持てない。
それでも、こちらを見る目だけはまっすぐだった。

初めて会った時の彼は、一日中おなじ絵カードを並べていた。
一時間目も五時間目も、ずっと。
「仕方ない」の空気に閉じ込められていた。

私はまず、それをやめた。

国語の時間には国語の教科書を出す。
ノートも出す。

私が「こくご」と書き、彼がそれをなぞる。
ただの線だったものに、少しずつ音と意味が宿りはじめた。

算数の時間には算数の教科書を出す。
切り替えを自分でできるようになった頃、
彼はもう“授業の中のひとり”になっていた。


周りの子ども達はやさしかった。

一緒に遊ぶのは簡単じゃない。
でも誰も彼を置いていかない。

体育で困っていると、担任が子どもたちと“特別ルール”を考えてくれた。

担任が、そういう空気をつくるのが上手な人だった。
助けることを強制せず、ただ一緒にいられる教室。

彼はそこで、じわじわと育っていった。


少しずつ、言葉を真似するようになった。
意味はついていないけれど、彼なりに一生懸命だった。

その最初の声が、例の「あいっ!」だった。

学校で発した最初の音。
彼の世界の学校やクラスメイトに色がついた瞬間だった。


毎日がちいさな実験みたいだった。
今日は教科書を自分で出せるか、明日は席に座りつづけられるか。
一歩進んで一歩戻る、をくり返しながら、気づけば“あの頃とは違う彼”になっていた。

子どもは、振り返ってみて初めて成長が見えることがある。
彼の場合は、それがとてもゆっくりで、そしてとても美しかった。

そのゆっくりな歩みが、一つの区切りを迎える。


卒業式。

名前を呼ばれた彼は、はっきりと言った。

「はい」

その「はい」は、たぶん世界でいちばん静かで、
世界でいちばん強かった。

誰かの啜り泣く声が聞こえた。
体育館の空気が、ふっと揺れた気がした。

彼は、私たちのあいから卒業した。
寄りかかる日々からも、支えられっぱなしの時間からも。

そして彼自身の声で、世界に返事を返した。

私はあの日の「あいっ!」を、これからも忘れない。
彼が最初にくれた、小さくて、不器用で、でもたしかな “あい” だった。






#モノカキングダム2025

#創作大賞2026
#エッセイ部門


いいなと思ったら応援しよう!

なつき希 最後まで読んでいただきありがとうございます。 あなたのサポートで、つまづいてもまた起き上がれそうな気がします。