夫が小学生だった頃、私は社会人だった
「サル年の人、手を挙げて」
職場の広い部屋で、誰かがそう声をかけた。
なんの疑いもなく右手を挙げた私のすぐ隣で、同じようにすっと手が挙がる。
ちらりと横を見た。 それが、今の夫だった。
一瞬、頭の中で計算をする。
(……お、お前、一回り下なのか)
それが、私たちの重なり合う生活のはじまりだった。
出会ったとき、夫は20代半ばで、私は30代半ば。
どちらも自分の足で立つ大人だったから、普段の暮らしに年齢の壁を感じることはほとんどない。
けれど、何気ない夜の会話の中で、ときどきお互いの過去の話になる。 「あの頃、何してた?」という、ありふれた話だ。
私が社会人になりたての頃の記憶を語ると、彼は味噌汁をすすりながら、さらりと言うのだ。
「そのとき僕、小学生」
「っひー!!!!!」と思う。
いつもは忘れている12歳の差が、不意に目の前に突きつけられる。 「え????まじで?そんな子どもだったの?!!!!」と、毎回新鮮に、全力で驚いてしまうのだ。
頭の中に、ふたつの映像が並ぶ。
20代の私は、朝の冷たい空気をつんざきながら原付を走らせ、職場の障害者施設へと向かっていた。ヘルメットの中で今日の仕事の手順をぐるぐる考えていたあの時間、彼は黄色い帽子をかぶり、小さな背中でランドセルを揺らしていたのだ。
自分の歩んできた道のりの長さに、脳内でほんの少しだけ引く。
「あ、そっか」
声には出さず、心の中でだけ静かに呟く。
出会ってから10年が経ち、同じ屋根の下で暮らしはじめて7年。
歳の差のことを周囲に話すと、いつも大袈裟に驚かれる。ある時は「やるねぇ」なんてニヤニヤしながら言われて、ちょっとイラッとしたこともある。
世間は勝手に、ロマンチックな年の差ストーリーを期待するか、あるいは邪推する。
けれど、歳の差があるからこそのリアルな苦悩もあるし、逆に「歳の差なんて関係ない」と拍子抜けする瞬間もある。 現実はそんなに単純じゃない。
付き合い始めたばかりの頃、夫が「荷物を持つよ」と私の鞄を持とうとすることがあった。
私はそれが、すごく嫌いだった。
古い話だけれど、私が小学生の頃にメッシーくんとかアッシーくんという言葉が流行った。当時、テレビや街中でそんな言葉を得意げに使っているバブル絶頂のギャルたちを、私は小学生ながらに冷めた白い目で見ていた記憶がある。
そのせいか、大人になってからも男の人に「鞄を持ってもらう」という行為自体に、どこか居心地の悪さをずっと引きずっていたのだ。
自分の鞄くらい自分で持てばいいと思うし、鞄まで含めて今日の服のコーディネートを考えている。それに、手ぶらになるとなんだか落ち着かなくて不安だった。
だから頑なに断っていたのだけれど、ある時、夫がこう言った。
「これは12年の差があるから」
その言葉を聞いたとき、「あ、なるほどね」とすとんと腑に落ちた。
男だからとか女だからとかではなく、12年も差があったら、体力に差があるのは当然の現実なのだ。私が無理をして荷物を持って行動したら、そのぶん早く疲れてしまう。
だったら、変に突っぱねないで甘えるか。 そう素直に思えるようになった。
それからは、長距離を移動する旅行や、ハイキングに行くようなアクティブな時は、夫にリュックをごそっと預けて持ってもらうようにしている。
それでも最近、もうひとつだけ、最も痛烈に12歳の差を突きつけられる場所がある。
ロマンチックな場面でもなく、旅行先でもなく、我が家の「食卓」だ。
出会った頃は、同じ大皿の唐揚げを同じ勢いで平らげていた。それが当然だと思っていた。
けれど、40代半ばを迎えてようやく気づかされる。
代謝は決して平等ではない。 一回り年下の、まだ燃焼し続けている男と同じ量を食べ続けることが、どれほど無謀で勇敢な行為だったのかを、身をもって知ることになった。
浮き輪肉。
浮き輪肉という言葉は本当に見事だ。
だって、本当に浮き輪みたいに骨盤の上に綺麗に掴める肉が付くのだ。 気づいたら、私ももう見事な浮き輪を持っていた。
これがあれば、溺れる心配はないというくらいに頼もしいそれ。
夫は私が口いっぱいに食べ物を詰め込んで、おいしそうに食べている姿を見るのが好きらしい。
以前は、食事のたびに夫が「美味しいからこれも食べな」「これ好きでしょ?」と言って、自分のおかずを私に分けてくれていた。逆に私が同じことをしようとすると、「ダメだよ、希ちゃんのがなくなっちゃう」と言って私の方に戻されていた。
そしてタチの悪いことに、私は年の割によく食べる。
甘んじてそれを、ありがたく受け入れていたのは私なのだが、その数年が見事な浮き輪を形成した。
流石にこのままではまずいと思った私は、夫に「私の歳になったら、そんなにたくさん食べちゃダメなんだよ」と、代謝の違いと太るリスクを懇々と語って聞かせた。
それからは、夫が自分のおかずを私に分ける回数は減ったし、最近では、最初からちゃんと自分の方のおかずを多めによそうようになった。
そんな中、私の「推し」のトークライブが5月にあった。二回目の参加だ。
一回目に行ったとき、推しと写真を撮ってもらう機会があった。あとでその写真を見て、私は胸の奥が少しだけチクリとした。思っていた自分と、写っていた自分が、あまり一致していなかったのだ。
だから今回は、ほんの少しだけ悪あがきをしようと決めていた。
ライブ当日に美容院に行き、写真に写る自分のために少しだけ備えた。 結果、今回の写真は前回よりもほんの少しだけマシに写っていた。
まあ、完全に自己満足のレベルではあるけれど、私にとっては嬉しい勝利だった。
それなのに、最近の夫はまた少し先を走っている。
筋トレを始めて、朝晩プロテインを飲むようになったのだ。私はどんな姿の夫も愛しているけれど、夫は夫で、自分がなりたい理想に近づくべく努力を重ねている。
私はといえば、そのすぐ横でダラダラとYouTubeを見ている。
私も「こんな体型になりたいな」という思いはあるのだ。けれど、私の体を気遣いながらも、夫は私のことを「かわいいね」と言ってくれるので、完全に油断している。
痩せる気力が、一向に湧いてこない。 でも、やっぱりまあ痩せたいとは思っている。
12歳年下の夫と並んでも恥ずかしくない自分でいたい、と心の中では思う。
それなのに、ただでさえ12歳若い夫がさらに努力をして進んでいくから、その差は開く一方で、いつまで経っても追いつきそうな気がしない最近を過ごしている。
おまけに数日前、私は大嫌いなマンモグラフィー検査を受けに行った。
よっぽど私が嫌がっていたからだろう。 夫がそのご褒美にと、ハーゲンダッツを2箱も買ってきてくれたのだ。
我が家の冷凍庫には、いま、そのハーゲンダッツが綺麗に並んでいる。
せっかく写真のために悪あがきをして、追いつけない差に少しだけ焦ったはずなのに、たぶん今日も、お風呂上がりに私はそれを美味しく食べる。
スプーンを口に運びながら、12年という時間の差と、夫がくれた冷たい甘さを、一緒に少しだけ噛みしめるのだ。
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