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シャッターを押す動機、の続き

でかくてごめん。眼がきれいなんだ。

旅行の写真や昔の写真を眺めていて、ふと思ったこと。

旅行中は、この風景、この物を写真に撮っておきたい(また見たい、みんなに見せたい)、この音、この動きを録画しておきたい(また聴きたい、みんなに聞かせたい)、と思った時に、スマホカメラのシャッターを押していた。

それは、自分の日常ではあまり見ないもの、聞いたことがない音、珍しい、稀なものだと思った時だ。

普段の生活の中でも、美しい夕焼け(めったに見られない)、珍しいもの(この花、何?)を見た時に、カメラを取り出している。

ハレとケでいうと、シャッターを押すのは「ハレ」の時。

カメラの練習をしているときは、写真を撮るのが優先だから、被写体は探す。日常の「ケ」のものも被写体になる。

限られた時間、限られた行動範囲のなかで、奇跡的に出会い今手元にあるものは、すべて貴重で稀なものだ。頂いた人生そのものがハレなんだ。
・・というような気持ちに本当になって、石を撮り、お弁当を撮る。
本当なんだ。だけど、それに感動していると、いろいろな時間が迫って、「何んやってんの、早く!」と、たとえば娘に言われる。

で、今は、練習してないから、探してない。
その事に気がついた。
この関係を保てるカメラが、自分に合うカメラなんではないか、と思う。

(でも、無意識に探してるのかな?「面白いものありそうだ」って、寄り道するもの。「蓮の花は咲いたかな?」とか。)
(あ、それは、撮るために探しているのではなく、心の赴くままに、わくわくする出会いを探してるんだよ。)

僕も探してるよ。わくわくする出会い!

楽しい夜を!