見出し画像

ショートショート「あさりの砂出し」

「へぇ、そうやってやるんですね。」

年末からお正月にかけて、実家にお邪魔している。仕事の都合もあったが、この数年は来ようにもなかなか訪ねにくかったから、久しぶりだ。

「いけー!」
「ああ、ガード下げちゃあ!」
「そこだ!よしっ。よーし。」

リビングから楽しそうな声が聞こえる。大晦日のなんかかっこいい名前の格闘技イベント。数年ぶりに観客を入れての開催。熱狂するアナウンサーの実況にまじって野次のような応援が飛んでくる。格闘技好きはお義父さんゆずりらしい。久しぶりの帰省で父娘二人ともお酒もすすんで、だいぶ出来上がってるみたいだ。わたしは全然観ないから、一緒に盛り上がってくれる人がいるとうれしいのだろう。

「ほんと、物好きねぇ。うちの味なんて、どこにでもあるようなやつよ。」
「そんなことないですよ。たのしいです。」
「そう?」

お義母さんとふたり、台所に立って客用のうつわが入った木箱を開けていく。間に挟んである紙をとり、ひとつずつ並べる。艶やかな朱色の碗。一年に一度の出番だぞ。たしかに年月が経っているのに、まだ新しさが残っているのがふしぎ。
わたしの家は奔放というか自由な父母だったので、家族の味とか伝統というのが珍しかった。

「お母さまは、お元気?」
「元気ですよ。旅が解禁したら、すぐに年越しどっか行ってます。今年は、フィンランドだったかな?」
「お母さま、自由ねぇ。」

よし、やっていきましょう。うちはお雑煮にあさりを使うのね。別にあさりじゃなくても、貝ならなんでもいいのだけど。大晦日のうちに砂出しさせておくの。
お義母さんはそう意気込み、ひとつずつ洗いながらていねいにあさりを確かめていく。わたしもそれに習う。手にとって見ると、形も模様も手触りも、いっこずつ違う。冬の水はさっき飲んだビールの火照りに心地いい温度だった。

「塩は海水に近いくらいに、まあ目分量なんだけどこのくらい。」
「なるほど。」

手際よくあさりを洗うしぐさに、皺に、重みというか人生みたいなものがにじむ。細く弱そうなわたしの手はまだまだだ。比べるものじゃないけれど、並べると差がよくわかる。

「ごめんねぇ。あの子、ずいぶんわがまま言ったんでしょう?」
「いいんです。二人で話して決めたことですし。もともとキャリアとか、そんなに気にするほうじゃなかったので。」
「けっこう、いいお仕事だったんでしょう?」
「歳のわりにはですけど。由結さんのほうが、やりたいことが明確でしたし。」
「由結、家事とかてんでダメでしょう?」
「それは、ちょっとそうかも。」
「伝え忘れちゃったのかしらねぇ。ごめんなさいね。」
「そのうちまたやりたくなったら、わたしも何かやりますよ。それまではお料理、たくさん教えてもらおうと思いまして。」
「なんにも知らないのに、つい口ばっかり出しちゃう。歳取るって、やあねぇ。」

袖まくりと腕組みで意気込むわたしに、ふふふ、とお義母さんが微笑む。お言葉の節々から気遣いが漏れていて、思わずこっちも口元が和らいだ。

「今は、いろんなあり方があるのよね。二人がそれなら、うん。それがいいのよ。」
「ありがとうございます。」

大きな木の桶の底、いっぱいに並んだあさりの行列から小さな泡が浮かんでは、音もなくぽっと消える。あさりは海だと勘違いして、安心して、砂を吐くらしい。台所の海。世界に満ちる新しい水。その中でしか見えない呼吸の粒たち。
出汁取りにも使うから……といいながら、ほんとはちょっと張り切っちゃった!と、お義母さんはまた悪戯っぽく笑った。

「最後にね、こう手を熊手みたいにして3回半、反時計回りにかき回すの。そうすると、よく砂を吐いてくれるから。」
「へぇ、なんでなんだろう?」
「……。」

えっと……と一瞬真剣な表情をして、でも、ゆっくりと飲み込むようにまた笑顔に戻る。

「私、これまであんまりなんで?って考えてこなかったんだわ。これも母から教わった通りに続けてるだけ。なんで?って大事よね。もっといい方法があるかもしれないもの。」
「……そうかもしれませんね。」
「なんでかわかったら、教えるわね。もし先にわかったら、教えてちょうだいね。」

競争ですね、と二人で笑って残りのおせちの準備に取り掛かる。緩やかに、でも少しずつ。水の底で呼吸をし、静かに砂を吐き、古い殻を捨てて、わたしたちは家族も形もアップデートしていく。もっといい方法を探して。今年も。来年も。年が明けるたび、朱色のうつわに一番新しい出汁を注ぐ。

いいなと思ったら応援しよう!

野やぎ 待てうかつに近づくなエッセイにされるぞ あ、ああ……あー!ありがとうございます!!

この記事が参加している募集