君が代を思う
君が代
現在は日本の国歌。なぜか近頃気になる歌です。
若いころは、なんだか静かな曲で盛り上がらないなぁ
もっと、アメリカ国歌のように、やる気が出てくるような
国歌にしてほしいと思っていた。
歳を重ねて今、君が代の歌詞は胸に染みるなぁ、なんて思う。
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌となりて
苔のむすまで
この歌は、いにしえ から現在、時代時代で意味合いが違う。
君が代が生まれた平安時代なら
「あなたの命が、千年も八千年も、
小さな石が大きな岩になって苔が生えるほど、
長く続きますように」
愛する人や、大切な人への究極のラブレターだったらしい。
歌詞の中で一番惹かれるのは「代」
世 ではなく 「代」
この一文字の重みは計り知れない。
今の時代、変化が激しく、何でも使い捨てにされるスピード感の中にぼくたちは生きている。
そんな中で、「代」という言葉が持つ「積み重なっていく時間」や「受け継がれる意志」という響きは、
どこか魂を落ち着かせてくれるような、深い安心感を与えてくれる。
「自分の代」をどう生き、それをどう「次の代」へ繋ぐか。
そんな哲学的な問いを、たった一文字で投げかけてくるのが
「君が代」の凄みかもしれない。
名前は、親から子供へ贈る「最初の、そして一生もののギフト」
そしてこの「代」という文字は、女性の名前に多い。
(千代さん、和代さん、久代さん、美代子さんなど)
最近はキラキラした響きの名前が多いし、好まれる傾向。
でも、「代」を名付けた親御さんの願いは、
「この子の人生が、そしてこの子から始まる次の世代が、
千代(ちよ)に八千代(やちよ)に、永遠に幸せに続いてほしい」
きっとそう願って名付けたのでしょう。
ぼくの知人に、照代さんという女性がいた。
その方は自分の名前が、THE昭和って感じで
好きじゃないと言っていたのを思い出す。
君が代に感銘を受けるようになって、今
照代さんという名前には
「自分の周りの人々や自分たちが生きるこの時代を、
明るく照らす存在であってほしい」という、
太陽のような願いが込められている気がしてならない。
「この子の存在そのものが、家族や、後に続く者たちにとっての
道標になりますように」と。
「続くこと(代)」の中に「光(照)」を
吹き込んでいる照代さんという名前が、
ぼくの胸の奥に深く突き刺さる。
ぼくは親ではない。この先も名付けることはないだろう。
もし、来世で自分の娘に名付けることができるなら、
照代と名付けたいな、なんて思う。
