台風に家族がいると思っていた
小学生の頃。
台風一過を、
ずっと 台風一家 だと思っていた。
何の疑いもなかった。
ニュースで大人が言う。
「台風一過で晴れました」
それを聞くたびに、
頭の中では、
台風のお父さんと、
台風のお母さんと、
台風の子どもたちが、
ぞろぞろ通り過ぎていた。
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もちろん、
誰もそんな説明はしていない。
でも子どもは、
音で世界を作る。
一過。
一家。
意味より先に、
耳が勝つ。
だから、
台風はひとりでは来ないと思っていた。
家族で来る。
親戚もいるかもしれない。
たぶん、
一番強いのがお父さん台風で、
あとから少し弱めの子ども台風が来る。
そんな感じで、
勝手に納得していた。
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子どもの勘違いは、間違いではない。
世界を、自分の知っている言葉で補っているだけである。
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今なら分かる。
台風一過は、
台風が過ぎ去ったあと、
空が晴れることだ。
意味としては、
とても普通である。
でも、
小学生の自分にとっては、
そんな言葉より、
台風一家 の方がずっと強かった。
なぜなら、
絵が浮かぶからだ。
風の強いお父さん。
雨を連れてくるお母さん。
びゅうびゅう走り回る子どもたち。
家族全員で町を通って、
最後に晴れだけ置いて帰っていく。
そう考えると、
むしろ少し筋が通っていた。
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大人になると、
正しい言葉を覚える。
意味も知る。
漢字も分かる。
辞書にも戻れる。
でも、
正しくなったぶん、
変な景色は消えていく。
台風一家。
今考えれば、
完全に間違っている。
でも、
あの頃の頭の中には、
ちゃんと存在していた。
しかも、
妙に生活感があった。

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間違えた言葉の中にだけ、残っている景色がある。
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たぶん、
こういう勘違いは誰にでもある。
汚職事件を、
お食事券だと思っていた人。
月極駐車場を、
月極さんという大地主だと思っていた人。
透明高速道路を、
本当に透明な道路だと思っていた人。
言葉は、
子どもの耳に入った瞬間、
別の世界を作る。
そして本人だけが、
何年もその世界で普通に暮らしている。
誰かに訂正されるまで、
何の疑いもなく。
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台風一家も、
そうだった。
間違いだった。
でも、
ただの間違いではなかった。
あれは、
まだ言葉の意味より、
音の形を信じていた頃の記憶だった。
大人が言う正しさの前に、
子どもの中で勝手に立ち上がった、
小さな物語だった。
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正しい言葉だけが、記憶に残るわけではない。
間違えたまま信じていた言葉ほど、あとから笑って戻ってくる。
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今でも、
台風一過と聞くと、
一瞬だけ思う。
ああ。
一家で来て、
一家で帰ったのかもしれない。
そんなわけはない。
ないのだけれど。
少しだけ、
そうだった方がいい気もしている。
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©︎2026 Nasu Takako
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