映画「めぐり逢う朝」ーー深く愛した証
昨日、私は映画「めぐり逢う朝」を観ました。
一晩考えながら眠り、
今朝目覚めてから、
映画のことを思いめぐらしました。
それは、私にとって、
映画とめぐり逢った朝でもありました。
妻を喪い、それを悼みながらヴィオールを奏でるサント・コロンブ。
彼が奏でる音は、翳のある豊かな音、そして狂おしいほどに切ない。
その音楽には妻への哀切の思いが滲み出ているのでした。
宮廷から請われても
「私は下賜の金より夕日の彩る金色を愛する」
と言って激しく怒り、
決して王の召しに応えず、
隠遁生活を送りました。
音楽、それは死者への供物。
死者には言葉がありません。
言葉のない彼らへのせめてもの慰め、
それがコロンブの音楽。
だからそこには死者への愛とかなしみが溢れ、
美しい芸術となって昇華していました。
コロンブは言います。
「大切なのは私を生かす情熱だ」と。
幻となって現れた妻はこのように言っています。
「風は音楽を冥府に運びます。
また死者の姿を地上に運ぶのです。」
亡き妻にこの音楽を届けたいという思い。
なんと儚くかなしい情熱でしょうか。
若く優れた技術を持つマラン・マレが
コロンブの弟子になりました。
しかし彼は音楽の本当の意味を知りません。
ある日コロンブはそんな弟子に激怒し、
二人は決裂します。
その後、マレは宮廷で名声を得ます。
マレと恋に落ちていたマドレーヌ。
彼女はマレの子を宿しましたが、
マレは彼女を捨てました。
死産したマドレーヌが最期に望んだのは、
マレが彼女のために作った曲、
それを聴くことだけでした。
マレが彼女を訪れ、
その曲を演奏して去った後、
彼女は命を断ちました。
彼女の死を知ったマレは、
初めて取り返しのつかない悔恨、
そしてかなしみを知りました。
そして、師匠が言っていた「死が音楽を生む」という
言葉の本当の意味を知ったのです。
かなしみは、美につながる道。
二人の芸術家を結んだのは、
かなしみでした。
死者は、死してなお、
生者と関係しているのではないでしょうか。
むしろ生前よりも強く。
そして生者は死者への愛を、
音楽を通して紡ぐのです。
大切なのは、
どう弾くかではなく、
なぜ演奏するかだったのです。
皮肉なことに、弟子にそれを知らせたかなしみは、
自分の娘を裏切り、死に至らしめたことによるのでした。
マレはコロンブに
「私が求めているのは哀悼と涙です。」と語りました。
不協和音。
かなしみは音楽を生む。
供物の菓子を並べたコロンブは、
マドレーヌのヴィオールを使って、
今こそ本当のレッスンをマレに授けたのです。
言葉で語れぬものを語る、それが音楽。
言葉のない死者への贈り物。
愛と憎しみを超えるもの。
そして、コロンブは弟子のマレに
自分が作曲した名曲を託したのです。
のちに、年老いたマレは
師についてこのように言います。
音楽そのものだった。
臨終を照らす松明の炎のような光で
世界を見続けた、と。
自分はその域に届かぬ、
偽善の徒だ、と。
自分は世俗に幻を求め、
それで得たのは無、甘さと恥辱だった、と。
このように彼は自分の音楽を裁きました。
しかし彼は、
音楽の本質を知ったのです。
* * *
愛するものを喪ったものだけが奏でられる音楽があります。
かなしみを知ったマレは、若き自分の不明を嘆いたことでしょう。
しかし、そのことによってしか得られなかった、音楽の意味を知りました。
私の中にも、大切な人を喪ったかなしみがあります。
そこには嘆きと後悔が渦巻いています。
彼の死は、私の中に大きな不協和音を響かせました。
めぐり逢う朝とは何でしょう。
師弟の邂逅。
音楽の真実とのめぐり逢い。
妻を喪った者が朝目覚めてその事実にまた気づき、
小屋に向かってヴィオールを弾く。
毎朝、喪失と出合い直すのです。
そして、不協和音に引き裂かれながらも、
その下で揺るがず鳴り続けるオルゲルプンクトのように、
大きな存在ともめぐり逢うのです。
私もそうでした。
眠れない夜に絶望し、
やがて朝になり、
その日もまた生きなければならないという事実に
愕然としました。
私の中の悼みがどれほど大きかろうと、
何事もなかったかのように
地球は回っていた。
それは私には残酷なことでした。
朝は、誰にでも平等にやってくる。
かなしむ人にも、裏切った人にも。
ただ、死者にだけは、訪れません。
それを人はかなしむのではないでしょうか。
その後の私には、「なぜ死んだのか」という問いから、
「どう生きるか」と私自身が問われているという
転回がありました。
それはフランクルとのめぐり逢いであり、
また私にとってのもう一つの「朝」でした。
後悔し、悼む人生であっても、必ず朝が来る。
私は、問いにどう応えるかを問いながら、毎朝生き直す。
マレもきっと、この真実を知って生き直したいと願ったに違いありません。
コロンブは死にましたが、マレは受け継ぎました。
それは、美のめぐり逢いと言っていいのではないでしょうか。
私は音楽を愛しています。
技巧はありません。
でも、私にとって大切なのは、
私が経験したことを滲ませた私の体が、
どのような音を紡ぎ出すかということなんです。
この映画は、狂おしい不協和音を響かせながらも、美しい。
マドレーヌの死は、あまりにも痛ましい。
しかし、その取り返しのつかない悲劇を通して、
マレはかなしみを知り、
師弟は再び向き合うことができたのです。
かなしみとは何でしょう。
それは、深く愛した者だけに残される、
最後の贈り物なのかもしれません。
