妻と二人、昭和歌謡をYouTubeに残した日
今日は妻と二人で、精華町のカラオケ「レインボー」に行ってきました。
朝10時から入り、気がつけば午後3時過ぎ。少し歌うつもりが、終わってみれば5時間以上です。
若い頃なら「遊びに行った」と言えたかもしれません。でも76歳の今になると、これはもう立派な一日の行事です。
声を出し、曲を選び、昔を思い出し、少し疲れて、少し元気になる。カラオケというのは、思っているより体も心も使います。
今日、妻が歌ったのは、北原ミレイさんの「石狩挽歌」と、三橋美智也さんの「古城」などでした。
「石狩挽歌」は、やはり迫力があります。
ただ明るく歌う歌ではありません。海の匂い、働く人の息づかい、どこか寂しい女の情念のようなものが、歌の奥にあります。
妻がその歌を選んだ時、私は少し驚きました。
長く一緒に暮らしていても、歌う曲には、その人の知らない一面が出ます。
夫婦だから何でも知っている、というのは少し思い上がりかもしれません。曲を通して、妻の中にある別の時間を見せてもらったような気がしました。
三橋美智也さんの「古城」も歌いました。この歌は、背筋が伸びるような歌です。
派手に盛り上げるのではなく、静かに、深く、景色を思い浮かべながら歌う。
古い城跡の風景や、過ぎた時代の寂しさが、声の中ににじんでくるようです。
若い頃に聴いた歌も、今になって歌うと、感じ方が変わります。
私は、エト邦枝さんの「カスバの女」を歌いました。この歌もまた、昭和歌謡らしい濃い世界があります。
今の歌にはあまりない、遠い町の匂い、夜の空気、少し危うい雰囲気。歌っていると、自分がカラオケボックスにいることを一瞬忘れます。
もちろん、現実には精華町のカラオケ店の一室です。目の前には画面があり、横にはリモコンがあり、飲み物もあります。
それでも、歌が始まると、気持ちは少しだけ別の場所へ行く。
人間というのは便利なもので、マイク一本で旅に出られます。
そして今日の最後の大きな出来事は、藤圭子さんの「圭子の夢は夜ひらく」を二人が歌ったことです。
それも、ただ歌っただけではありません。
二人で「うたスキ動画」にして、それぞれYouTubeにアップしました。
これは、私にとって小さな事件です。
76歳になって、妻と二人でカラオケを歌い、それを動画にして、YouTubeに上げる。昔なら考えられなかったことです。歌はその場で消えていくものでした。
でも今は、歌った時間を動画として残せる。そして、それを誰かに見てもらうこともできる。
もちろん、プロの歌手ではありません。声が完璧なわけでもありません。
大事なのは、うまいか下手かだけではありません。今日、二人で歌った。
二人で動画にした。二人でそれぞれYouTubeに上げた。そのこと自体が、今日の記録になります。
「圭子の夢は夜ひらく」は、明るい歌ではありません。けれど、不思議な力があります。暗さの中に、人間の本音がある。
人生のきれいなところだけではなく、どうにもならない寂しさや、あきらめや、それでも生きていく感じがある。
76歳でこの歌を歌うと、若い頃とは違う響きがあります。
歌詞の中の夜は、ただの夜ではありません。人生の中で何度も通ってきた夜です。
それを妻と二人で歌ったことが、今日いちばん心に残りました。
カラオケ店の中には、いくつもの小さな部屋があります。その一つ一つで、誰かが自分の人生を歌っています。
演歌を歌う人。昭和歌謡を歌う人。最近の曲に挑戦する人。点数を気にする人。ただ大きな声を出したい人。
外から見れば、ただのカラオケ店です。でも中に入ると、そこには小さな劇場がいくつもあります。
今日は、その一室で、私たち夫婦も主役になりました。
10時から3時過ぎまで。よく歌いました。正直、少し疲れました。声も少しかすれました。
でも、帰るころには、心が軽くなっていました。遠くへ旅行に行かなくてもいい。特別なごちそうがなくてもいい。
近くのカラオケ店で、妻と二人で昭和歌謡を歌う。そして、その歌をYouTubeに残す。
それだけで、今日という日は十分に面白い一日になりました。
人生後半に必要なのは、大きな挑戦ばかりではありません。けれど、小さな挑戦はあったほうがいい。
今日の私たちにとって、それはカラオケであり、うたスキ動画であり、YouTubeへのアップでした。
精華町のカラオケ「レインボー」で過ごした5時間
二人で歌った「圭子の夢は夜ひらく」。
声は少しかすれました。
でも、今日の午後は、たしかに少し若返っていました。
まさひろ┃くるりん自由人
