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「比べる」をやめたら、暮らしが軽くなった

正直に言います。
私は長い間、「比べる人間」でした。


■ ずっと、誰かと比べてきた

中高は地元でも有数の進学校。
同級生には医者や弁護士、社長や大学教授、市長の娘まで、
いわゆる「実家が太い」人たちが揃っていました。

平凡な家庭で育った私は、中1にして早くも劣等感と挫折感を覚えました。

高校では受験一色の空気に馴染めず、成績不振でモタモタ。
推薦枠は成績順に埋まっていき、自分に回ってきたのはマイナーな大学の枠でした。

大学は関西のいわゆるボンボンが多い学校で、またも「周りは金持ちだ」と感じる日々。

就職活動は就職氷河期。
関西は地元志向が強く、中堅大学の一人暮らしの女子学生を採用してくれる会社はなかなか見つからない。
4次面接まで進んで、最終面接で落とされたこともありました。

そして何より悔しかったのが、学校をサボりがちで成績も自分より下だったチャラい男子が、サクッと内定を取っていたこと(笑)。
今思えば笑えますが、当時は本当にイラッとしていました。

大人になってからも、比べることは続きました。

同級生が次々と結婚し、玉の輿婚をしていく姿に憧れたり。
一流大学出身ではないことにコンプレックスを感じたり。
インスタで見るおしゃれな家やライフスタイルに落ち込んだり。
ママ友のタワマン暮らしを羨んだり。

ほーんと、比べては落ち込んでばかりの人生でした(笑)。


■ 「やめよう」と思ったきっかけ

実は、これといった特別な出来事があったわけではありません。

でも、二つのことが重なって、少しずつ気持ちが変わっていきました。

一つは、キラキラして見えた友人にも、それぞれ悩みがあると知ったこと。

タワマンに住んでいても、おしゃれな暮らしをしていても、みんなそれぞれの重さを背負って生きていた。
外側から見えているものが、その人の全てではなかったのです。

もう一つは、大病を経験したこと。

健康でいられること。
家族と一緒に過ごせること。
職があって、お金に困らず、住む家がある。

そんな「当たり前」のことが、いかに奇跡的な幸せであるか。
病気になって初めて、体で理解できた気がしました。


■ 比べるのをやめたら、見えてきたもの

「比べる」をやめると、不思議なことが起きました。

誰かのキラキラした投稿を見ても、以前のように落ち込まなくなった。
「あの人はあの人の人生、私は私の人生」と、ただそう思えるようになった。

他人のモノサシを手放したとき、
初めて「今の自分の暮らし」がちゃんと見えてきたのです。

シンプルに整った部屋
家族との何気ない食卓
好きなカフェで過ごすひとりの時間
コツコツ積み上げてきた資産

これが、私の暮らし。
誰かと比べなくても、十分に豊かだと気づきました。


■ 比べそうになったとき、私がやること

それでも、ふとSNSを見て比べたくなる瞬間はあります。

そんなとき私は、手元にある「当たり前」を数えるようにしています。

今日も健康だった
家族が元気で一緒に過ごせる
好きなコーヒーが飲め、好きな本が読める
住む家がある

書き出してみると、「当たり前」に見えていたものが、実はありがたいものだらけだと気づきます。

比べる視線を外に向けるのをやめて、自分の手の中にあるものを、丁寧に見つめ直す。
それだけで、暮らしは驚くほど軽くなります。


■ おわりに

タワマンに住まなくても。
一流大学を出ていなくても。
インスタ映えする暮らしじゃなくても。

「今の私の暮らし」を、私自身が一番愛せるようになること。

それが、比べることをやめた先に待っていた、一番の収穫でした。


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